April 23, 2018

揚げ物(3)

タコに限らず天ぷらは好きだ。
物によって天つゆで食べたり塩を付けて食べたり。
s-2018-04-23_090606そんな私の好みを知っている友人たちが結婚祝いに電気天ぷら鍋をプレゼントしてくれた。
油温度は一定に出来るし油は飛びにくいし、二人で揚げたての天ぷらを味わうには申し分のない道具でよく使わせてもらったものだ。
子どもが誕生してからは危ないので使わなくなり、我が家で天ぷらを揚げるということもなくなってしまった。
s-2018-04-14_070041
子どもたちが大きくなったこともあり、天ぷらを揚げてと家内にリクエストしたところ天ぷら油で酔っぱらうからダメだと、そしてこれは母親が抱えていたのと同じ感覚なのだと結婚して以来初めて聞かさs-2018-03-31_164030れたのだった。
家族の食事のおかずとして天ぷらを揚げるとなると量は多いし揚げている時間も長い。揚げ終えた時には天ぷら油の臭いで参ってしまい食べるどころではないだろう。
この感覚は私にも想像出来るので以後家内に頼んだことはなかった。
s-2018-04-14_071735
そんな家内も天ぷらが嫌いなのではない。
だから天ぷらを食べたいと思ったら Ⅰ氏の店へ行って無理を聞いてもらってきたのだ。
そんな家内が40数年ぶりに天ぷらを揚げてくれたのだ。
s-2018-04-01_152754
40数年ぶりの挑戦。
それはタラの芽を頂いたことが最大の理由。それに私が歩きづらい状況にあったので Ⅰ氏の店へ行くことが出来なかったということだ。
美味しかったかって?
勿論、言わずもがなのこと。
s-2018-04-23_113146



masatukamoto at 11:24|PermalinkComments(0)

揚げ物(2)

思い出すままに揚げ物の記憶を辿っている。

揚げ物、特に天ぷらについては心底美味いと感心したものがある。
s-2018-02-27_1241531969年当時、近鉄電車(奈良線・大阪線)のターミナル駅は上本町で駅は地上にあった。
上本町六丁目交差点の南東角に近鉄上本町駅舎とデパートのビルがあり、上町筋を挟んで西側、現在はハイハイタウン・ビルが建っている辺りは平地で、その辺りは屋台を含む飲み屋街が形成されていた。
s-青線-1
当時上席に連れられ上本町界隈もよくハシゴしたが、その中の一軒『弁天』という屋台で酒の肴に出してもらった『タコの天ぷら』が今も思い出す絶品なのだ。
タコの足を1本、足先を切り落として長さは20センチくらい、いつも結構太めの足だったが、それをs-2018-03-02_142933水でといた天ぷら粉に浸けて揚げてくれたのだ。
揚げたてのタコ天をまな板の上でサクッ・サクッとブツ切りにして天つゆを入れた鉢と共に出してくれた。
天ぷらは嫌いじゃないところへ大好物のタコである。しかも天つゆのダシが効いて美味いことウマイこと。
上席に連れてもらって以後、私一人でもよく通ったものだった。
s-犬ライン-6
美味しいものを見つけると、その後も何度かその店を訪れるのが私のクセのようなものだ。
勿論、料理を美味しいと感じても二度と行かなかった店も沢山あった。
s-2018-04-21_111359企業が採用後の人材活用の方向性により様々に篩(ふるい)をかけることで望む人材を確保することに努めるのと同様、私も美味しい料理をより楽しく頂くために何度か訪れ、美味しさにプラスされる因子を感じられるかどうか気を配ってきた。その結果、プラス因子の多い所イコール私が好んで通う店となってきたのだった。
これは日本に限ったわけではない。
s-青色犬ライン
揚げ物という点ではウィンナーシュニッツェルが一例だ。
ウィンナーシュニッツェル、つまり仔牛肉のカツ(レツ)だが家内とウィーンに滞在した折、連日市立公園(Stadtpark)内のレストランを訪れて昼食か夕食の際に食べていた。
カツ(レツ)は好物だが、カリカリに上がったパン粉で口の中を何度か切って以来30数年食べることを止めていた。カリカリに上がったカツ(レツ)の表面は私にとってカミソリの刃が何枚も貼られているのと同じだったのだ。
s-2018-04-20_160657
しかしウィーン市立公園内のレストランで食べたウィンナーシュニッツェルは美味しかったのは勿論のこと、表面のパン粉が小さな粒状で口の中を切ることもなかったことが再度訪れることとなった大きい理由だ。次いでウェイターと仲良くなったことや店の雰囲気、それに滞在していたホテルからぶらぶら歩いてでも行ける距離であったことなどが通うことになった理由だ。
s-赤色犬ライン-1
カリカリに上がったカツ(レツ)は血を見るのが怖くて30数年食べなかったが、玉子とじのカツ丼は食べていた。
カツ丼のカツ(レツ)は丼に盛ったご飯に載せる前に出し汁で煮て玉子をとじるから、その段階でカツの表面は柔らかく変容する。だから安心して食べることが出来たのだ。
《 以下揚げ物(3)に続く 》
s-2017-06-03_132743





masatukamoto at 11:13|PermalinkComments(0)

揚げ物(1)

もう何十年も天ぷらを揚げなかった家内が天ぷらを揚げてくれた。
2018-04-02_093500
揚げ物と言って私が一番に思い出すのは公設市場入り口に店を構える肉屋が揚げていたコロッケだ。
今思えばただのコロッケだったのだが、ラードとヘッドで揚げる香ばしい洋食の揚げ物は家庭で作るのが難しかったので大変なご馳走と思っていたのだ。
s-犬ライン-2
母はいろんな料理を作ってくれたが、揚げ物として私の記憶に残っているのは小アジの南蛮漬で天ぷらの記憶は薄い。家族が少ない我が家の場合、天ぷらが欲しい時には惣菜屋で買ってくるのが手っ取り早く安上がりだったのかも。
s-2018-04-21_110821今思えば、子どもの頃は小骨のある魚、酢の物、冷たい料理といったものが嫌いだった私ゆえに南蛮漬けの記憶が特別強く残っているのかもしれない。
高校時代には通天閣下のジャンジャン横丁で Nや Mと学校帰りによく串カツを食べた。当時は串カツ1本が6円。キャベツはタダだったので腹の虫のエサに串カツ以上に食べたような・・・
2018-04-02_095046
そのほか揚げ物としては天ぷらうどんを食べた。と言っても専門店が出す立派な素材を使った高価な天ぷらではなく、天ぷらの衣だけを寄せて円盤状に揚げたような超安物の天ぷらだ。しかし、この天ぷらがうどんの出し汁にとろけることで汁とうどんが特級の味わいに変化したのものだった。
素うどんに天かすを載せたものを大阪ではハイカラうどんと言うが、味わいとしては良く似ている。
s-紫色線-1
揚げ物としては和の天ぷらも洋のビフカツやトンカツ、コロッケも好きではあったが、学生にとってはビーフやポークは贅沢な品でいつも口に出来るものではなかった。
     《 以下揚げ物(2)に続く 》
s-2018-04-14_072135


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             



masatukamoto at 11:11|PermalinkComments(0)
記事検索
月別アーカイブ