November 14, 2018

労 作

家内との作業分担で今年も何とか・・・
作業は分担と書いたが作業量が公平であったとは書いていない。
渋柿の皮剥きは家内が行い、皮を剥いた柿を吊るせるように紐を結びつける作業を私が行い、紐で結わえた柿を外へ運んで吊るすのが、これまた家内の仕事なのだ。
私が元気でいた頃は私の作業量の方が多かったのだが、まあ今は仕方がない。
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以前は我が家で年が明けてから茶菓子代わりにと食べていた程度だった。だから干す柿の質や大きさ等こだわることも無く数量も大したことは無かった。
ところが食べて頂いた方たちの評価高く、年ごとに干し柿生産量と食べて頂く方の数が増えていった。
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将に豚もおだてりゃ木に登るの例え通りで喜んで頂けるならとの思いから干し柿の数を増やしてきたが、二人で作るにはやはり限度がある。今年は大き目の渋柿にしたかわりに仕入れ数を抑えることにした。
大きい分だけ乾燥に時間がかかるだろうが、上手に美味しい干し柿に仕上がるよう願うばかりだ。
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masatukamoto at 20:44|PermalinkComments(0)

November 08, 2018

懐かしい客

日曜日に来てくれた客は懐かしいと書いた通り実に久し振りに会う人たちだったのだ。
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客は姉81歳、弟79歳の二人。
二人とも私より年長者だが私は今もってHちゃんMちゃんと呼び、二人も私のことをちゃん付けで呼んでくれる。
二人が私のことをちゃん付けで呼んでくれることには何の障りも無いが、私が二人をちゃん付けで呼ぶのは失礼だと思うのだ。が、・・・
ライン紫
HちゃんMちゃんにはYちゃんという84歳になる長女もいるのだが、彼女のことも私はYちゃんと呼ぶのだ。s-2018-08-28_130052
通常なら『さん』付けで呼ぶのだが、そう呼ぶと何だかギクシャクしてしっくりこない感じがするのだ。
しっくりこない根元を求めると大きい理由が幾つかあるようだ。
一番の理由は空襲を免れた我が家とMちゃんたちの家がお隣同士で何かと助け合い、家族のような付き合いをしていたことだ。
互いの両親がそれぞれの子どもをちゃん付けで呼んでいたこと。私が一人っ子で、Y、H、Ms-2018-08-26_112209にすれば末っ子の弟のようなものであり、私の方は乳児の頃よりYちゃんHちゃんMちゃんという呼び名が定着してしまっていたことが今日に至っても続いているということなのだろう。
実際、人見知りの激しかった私がお隣で食事を頂くことに何ら恥ずかしいと思うことも無く、我が家で食事するようにしていたことを記憶しているのだ。s-2018-08-28_130220
我が家ではやらない雛壇の飾りつけから白酒とバラ寿司で祝う上巳の節句についてもお隣で経験したし、お正月のトランプにカルタ、双六など我が家族3人で行うのとは違う賑やかな楽しさも味わわせてもらったこともしっかり記憶している。
ライン深緑
Mちゃんは大学卒業後に東京の企業で働き始めたので交流が途絶えがちになった。
昭和51年(1976)頃だったかMちゃんのお母さん(私は、おばちゃんと呼んでいた)を私の車に乗せてMちゃんの家へ行ったことがある。たまたま私が関係する学会の大会が東京で開催されたのでMちゃんの家を宿にさせてもらったのだった。
この折、Mちゃんに長瀞(埼玉県)を案内してもらい地質学的に貴重な三波川変成帯の結晶片岩類の観察をしたことを覚えている。
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此の度の我が家訪問はMちゃんのご内儀の四十九日法要を終えたことの挨拶であった。
Mちゃんと東京で会って以来、実に42年ぶり。今やお父さんと同じく白髪頭で心臓ペースメーカーを埋め込んでいるMちゃん。私が小学生だった頃は空手道に励む大きいお兄ちゃんだったが、私よりも小っちゃくなってしまった。
s-2018-09-22_154034それでも顔を合わせて「Mちゃん」「◯◯ちゃん」と互いに呼び合った途端、42年どころか幼なかった頃までの長い時間が吹っ飛んでしまったのだ。
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Hちゃんも随分会っていなかったが81歳になっていたとは・・・。
別世帯を構えていた私の父や母のことをHちゃんが何かと面倒を見てくれた、そんな間柄なのだ。
今も『ちゃん』付けで呼び合えるのは、長ーい長ーい時間と目に見えぬ沢山沢山の思いが込められているからなのだろうと自分では納得しているのだ。
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November 06, 2018

reportに続けて

医師の診断が根拠を明解にして私にも分かるように説明してくれるなら私は診断結果を疑いはしない。
医学にしても薬学にしても日々進化&深化を続けており、人々にとってより有効な診断方法や治療方法s-2018-11-04_181302の工夫が為されているのだから。
餅は餅屋という古諺があるように、其々の事柄については其々の専門家に任せることが最良と私は思っているのだ。

我がホームドクターは勿論、今回紹介を得た外科医も問・聴診、視診、触診と現況を踏まえて病状と治療方針について明快な説明を私にしてくれたことと、現症状が決して憂慮するほどでは無かったこともあり、月曜日(10/29)は気分浮き浮きで帰宅。その夜グッスs-2018-11-06_173322リ眠りこけ、明くる火曜日の朝は珍しく7時まで寝ていたことを前回に書いた。

しかし蜂窩織炎というヤツはつくづく難儀なヤツだと思ったのだ。
見かけ上はほぼ治ったと思っていたのだが、金曜(11/2)の朝から左足が脹れ始めてズキンズキンと火傷を負った時のような痛みが金曜の丸一日続いたのだった。医師が突然に腫れがぶり返すこともあると言っていたが将にズバリ的中。当たってほしくは無かったが仕方がない。患部を氷で冷やし続けたのだった。
薬は無くなるし、日曜日は朝から懐かしい客が来る予定だったこともあって土曜日には病院へ。そうs-2018-11-06_174014思っていたのだが、土曜日(11月3日)は文化の日。ぶっははははは。

土曜、日曜と痛みは無くなり腫れも徐々に引き、月曜(11/5)に外科医の診察を受けたところ、現状は薬の服用の必要は無いとの診断。
ただ罹りやすい体質のようだから突然の発症の場合のためと薬の処方を受けた。
またまた大いに気が安らいだものだった。
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これで『ツマラン病・顛末《4》』に続く『report』の続きとしての本稿で完結となるかな?
そうなれば良いのだが・・・願いをこめて筆を擱くことにする。
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本日家内は演奏練習2連チャンに出かけ、私は私だけのオルガン・コンサート。
曲はディートリヒ・ブクステフーデ。演奏はウルリク・スパング=ハンセン。
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masatukamoto at 16:30|PermalinkComments(0)
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