February 07, 2018

近頃のこと(我が昼食)

先月末にも書いたが、私の昼食が『天ぷらそば』(即席)となる日がしばしば。連日の時もあったし、一日おきの日も。つまり家内が出勤?の日は『天ぷらそば』が私の昼食というわけだ。
節分を過ぎても寒さ厳しい折ゆえ熱い『天ぷらそば』は嬉しいのだが、叶うことなら異なる即席麺も食べてみたいものだ。
s-緑色線-1
前回掲載した即席麺の写真はどちらも同じメーカー(マルちゃん)の『天ぷらそば』で中身も同じなのだが、容器のラベルが片方は『天ぷら・そば』で、もう片方が『緑のたぬき・天そば』と表示されていs-2018-02-07_104341るのだ。前者はCOOP(生活協同組合)との共同開発商品で後者は一般販売商品。先に書いたように中身は同じで味わいも変わらないと私は感じるのだが、原材料など若干の違いがあるのかもしれない。

私が高校生の頃、友人は『天ぷらそば』のことを『天そ』と注文していたように記憶している。s-2018-02-06_202121
大阪で『たぬき』と言えば『きつねうどん』の蕎麦版、つまり『きつねそば』の意味なのだが・・・。
だから緑であろうがなかろうが『緑のたぬき・天そば』という名前は理解しにくいのだ。
s-青線-1
まあそんなことはドーデモ良いが、留守番をしていると楽しみなのは家内が持ち帰ってくれるお土産である。
未だ自由に出かけることの出来ない私にとってお土産は大いなる喜びなのだ。
s-水色線-1
先日の節分の折には・・・

s-2018-02-07_124629






masatukamoto at 12:09|PermalinkComments(0)

January 29, 2018

近頃のこと

切れるという言葉はあまり好きではない。しかし悪運を断ち切るとか病巣を切り取るなどと好める言葉もある。
s-水色線-1
s-2017-12-22_100250三味線や箏は音を出したり音の高低を表現するために駒や琴柱を用いて糸をピンと張る。ピンと張らんことには音が出ないからだが、撥(バチ)や琴爪で同じ所を弾くものだから時にプツンと切れることもある。
この音の表現は難しい。プシッ、プチン、ピンッ。ともかく張り詰めていた糸が限界点で切れ飛ぶ時の音だから超々短い一瞬の音だ。
そうして切れた後の糸は当然のことダラリ。
s-赤色線-1
まあ糸が切れるに似たことが山の尾根歩きにも通じる。
さてこれから1mにも満たない幅の尾根道を歩み始めようとする時、リュックの荷や登山靴の紐、天候s-2017-12-22_100119の具合、風向きや強さなどに特段の注意を払い体中の神経が張り詰めるのを感じるものだ。
リュックを背負うだけでも不安定な度合いは高くなるものだが、尾根の両側は深い谷であり、稜線に吹く横風は勿論のこと谷底から吹き上げてくる風で体の安定を損ない尾根道を踏み外す危険もあるからなのだ。
ようやくのこと尾根道を脱して休息出来る小屋に着いた途端、極度に溜まっていた疲労感が一度にドッと。
s-緑色線-1
年が明けてからの長兄はずっと緊張の糸を張り詰めていたのだろう。
近年聴力は格段に落ち、視力は片眼のみ眼鏡使用で何とか。足腰については未だ未だ元気、とは言っても九十路を歩んでいるのだ。あれやこれやと立て続けに用事が続き、将に多事多端、休息する山小屋も無く尾根道を歩き続けてきたのである。
s-水色線-1
漸く最後の峰を越えて山小屋へ。
尾根を一人で歩かせるな。山小屋で一人にさせるな。
行いは難しの私だが、家内にはずっと言ってきた。姉も同じ思いだったのだろう、家内と二人でよく長兄の守りを努めてくれた。 しかしそれぞれ家庭があるのだから24時間毎日というわけにはいかず、日々はヘルパーさんに短時間の訪問を依頼することに。
s-桃色線-1
二人が次回の訪問を約して2日後、ヘルパーさんが長兄の異常を発見して救急入院させてくれた。
診断は肺炎だった。当人の体が年齢の割には丈夫なこと、病気の発見が早く緊急入院出来たこと、抗生物質投与など迅速な治療が出来たことなど、様々な条件が功を奏したのだろう。今日現在は落ち着いているとの連絡を家内が送ってきた。
s-2018-01-29_103836
担当のケアマネージャーが、「いくら仲が良かったからって病気まで奥さんと同じにならなくても良いのに」と語ったそうだ。
ぶっはははは
私は家で出来る仕事。大した収入も無い私だが、昨年は私が手術を受けるため入院したので税務申告をしていなかった。故にその仕事などもろもろ。寝る前にはベッドで山本一力氏の作品の追っかけを未だs-2018-01-29_164208に続けているが、日中の音楽や洋画鑑賞に読書はしていない。(出来ないのだ)
寒い折なので湯を注いで作る即席麺の昼食が続いている。が、これは私が懇望しての結果だ。ぶっはははは。
少し変化するのはおやつだけ。柿の種であったり自家製の干し柿であったり。

s-紫色線-1
尾根歩きと言う意味では姉も家内も休みなく歩き続けている。
二人とも今は元気でいるが共に七十路を歩んでいるのだ。何とか早く私も手伝えるようにと願うが、今は姉や家内までもがプチンと緊張の糸が切れぬよう祈るばかりだ。

2017121920280000


















masatukamoto at 16:52|PermalinkComments(0)

January 25, 2018

追 悼《補》

『生きているサイレンの音』(青春の頃)
          森山 久美子
ただの音だったサイレンを
大戦中から 心が聴きはじめた

女学生のころ 報道が緊迫を伝えると
サイレンの音は うごめく生きもののよう
空気を震わせ怖れの予告を孕み
耳から心臓まで刺すように響く

女学校帰り 他家の軒下で身をかがめ
飛行機が
去るのを待つことも屡々

かつて女学生だった私の耳底深く
貼りついてるサイレンの音が
今尚
屡々 目を覚ます

  ※ 新現代詩《19》2013年12月年末号より
s-水色線-1


masatukamoto at 12:11|PermalinkComments(0)
記事検索
月別アーカイブ