December 01, 2018

追っかけ

今日は師走の朔日。
カレンダーの絵が本年最後のものに変わった。
s-2018-11-30_072953病いを得て以来私の機能回復を初め何もかもが超低速緩慢であるのに対し、時の流れだけは常に早く、このことには全く感心するほかない。

※ 『大きに』に引っかかった作品【梅咲きぬ】

ところで山本一力氏の作品の追っかけ分が残り僅かとなってきたことを前回に書いた。
彼の作品との出会いは『ジョン・マン波濤編』で昨年3月の頃だったと思うから、かれこs-2018-11-13_093947れ1年10ヶ月追っかけを続けてきたことになる。元気でいた頃ならとっくに追っかけを終了しているはずだが、自由に出歩くことが出来ない今は本読みの場所が家の中に限られ時間がかかるのも仕方がないことだ。以前なら浴室や手洗いも読書の場所としていたが、今はベッドで眠る前と目覚めの時だけを本読み時間にしており、読了に時間がかかるのも当然のことなのだ。

.※ 追っかける作品が多いと既に読んだ本なのかどうかハッキリせずに二度買い、時に三度も間違ってs-2018-11-30_073312買うこともある。写真の【まいない節】は単行本を買って読んでいたのに文庫本も買ってしまった。(出版社は同じ。しかしカバーの絵が違っていたので別作品かと)
同じ作品を異なる出版社から発行している作家もおり、買う側の失敗ではあるが以来その作家の作品は一切買わないようにしている。
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ともあれ山本一力氏の作品の追っかけを始めたのは私の読書癖が最大の理由。ある作家の本を読み始めて気に入れば、その作家の出版物を全てトコトン読み通すというのが私の癖なのだ。
s-2018-11-30_073133氏の作品の殆どが時代もので年代的には江戸中・後期、舞台は深川あたりを中心に、町人の生活と人情の機微を描いたものが多い。

個々の作品の感想は書かない。忘れたということにしておこう。
ただ、一昨日、昨日、今日と早朝から私の眼を潤ませてくれているのが写真の作品【菜種晴れ】だ。
今夜?明朝? 続きが楽しみである。


masatukamoto at 15:40|PermalinkComments(0)

November 27, 2018

おおきに

特別なことが前日にない限り早朝(4時すぎ)に目を覚ますという睡眠パターンは今も変わりはない。s-2018-08-28_130341
若かった頃との変化を挙げれば、目覚めて以後もう一度眠るということが出来なくなったことと、睡眠中に尿意を催す間隔が時間的に短くなったことだろうか。
目覚めてからベッドで横たわったまま文庫本を読むスタイルは今も同じ。ずうっと追っかけをしてきた山本一力氏の作品も残り僅かとなった。新たな作品が出版されても当分追っかけはしないつもりだ。
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ところで先日読み終えた『梅咲きぬ』の中〔五十四章〕で、ちょっとした言葉に引っかかってしまった。
富岡八幡宮本祭に集結した八基の神輿を「わっしょい」「わっしょい」威勢よく揉み上げた担ぎ手たちに賄いの握り飯が供された場面でのこと。《以下に本文抜粋》
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極上の鰹節を削り、炊き立ての白米に混ぜ合わせたのが、江戸屋特製の握り飯だ。鰹節と醤油の按配がよく、こどもにも肝煎衆にも毎度大受けした。
甘味を利かした玉子焼きと、砂村で採れただいこんの漬物が、握り飯に添えられた。
「これを食わねえと、本祭が始まらねえやね」
「大きにその通りだ。握り飯と玉子焼きを食うたんびに、仲町に住んでてよかったと、しみじみ思うぜ」   
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本文を抜粋した箇所が上の部分だが、私が引っかかったという言葉が「大きに」である。
「大きに」は「まったく」とか「とっても」「たいへんに」といった意味合いで使われており、別段2018-08-31_073504引っかかるような言葉ではない。
ところが大阪で生まれ育った私には「大きに」の言葉は「おおきに」にも通ずるのだ。

関西、とりわけ大阪では「まいど おおきに」という言葉が商いの上でよく交わされる。
s-2018-10-19_080710「まいど」は「毎度」であり、『いつも有難うございます』の意味で使われているが、時に「おおきに」を省略して「まいど」とだけ元気良く声を掛けてくることもある。
これは「おはようさん」「こんにちわ」「こんばんわ」といった挨拶代わりの言葉でもあり、大阪に生まれ育った者には「まいど」という言葉の奥に込められた気持ちをも感じ取れるものなのだ。
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そして「大きに」と「おおきに」だが、音としては同じでも意味合いとしては異なっているのだ。
事実私は幼い頃から『有難う』と言う場合、「おおきに」と言ってきたのだ。
s-2018-09-22_155500もっとも、小学校高学年の頃よりは相手や場面に応じて『有難う』と「おおきに」を使い分けるようにしてきてはいる。つまり「おおきに」が方言のひとつだと理解したからなのだ。しかし現在も「おおきに」という言葉を使っているのには、いろんな思いがあってのこと。「大きに」の文字を見て「おおきに」の言葉を意識したのもいろんな思いがあってのことなのだが、これは置いておくことに。
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masatukamoto at 20:20|PermalinkComments(0)

November 25, 2018

勤労感謝の日

11月23日(金)。
早めの夕食を家内と食べながら、今日は勤労感謝の日で「戦前は新嘗祭言うて五穀豊穣を神様に感謝する日やった」と、父親から教えられてきたことなどを話していた。

そんな最中、東の丘陵上に丸いお月様が顔を出してきたのだ。
月齢15.44の満月であったが、雲が幾つもあったために綺麗な円形姿で留まることが無かった。
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それでも急いで食卓上に望遠鏡をセットして眺めた月を撮影。
テレビでは、藤原道長が『望月の歌』を詠んだのが1018年の旧暦10月16日で、今日(11月23日)がその日に当たるのだと語っていた。
今年は2018年。つまり道長が詠んでより1000年目の『望月』ということになる。
『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
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権勢を誇った藤原道長だが臨終の際には阿弥陀如来と自分の手を糸で結んで念仏を唱えたのだとか。
現世では御堂関白と崇められた貴人も極楽浄土への確かな切符は持っていなかったということか。
諸行無常・盛者必衰は天の理。
コスト・カッターの異名を取る C・ゴーン氏にしても欠けぬ望月は無かったような。
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I氏の店で夏に頂いた塩茹で枝豆とホタルイカの沖漬け。



masatukamoto at 16:03|PermalinkComments(0)
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