September 20, 2018

落ち穂拾い〔3〕

昔の人たちは何かにつけて『モッタイナイ』という思いを意識の根底に据えていたのだと、世の中をゆっくり見つめることが出来るようになった今頃になって感じているのだ。
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赤ちゃんのおむつ。今は紙おむつで使い捨て。おむつは薬局か日用品のお店で買ってくるものだと思っている人もいるようだ。だから店舗への品物の流通が止まってしまうとエライコッチャということになる。
私が子どもの頃、どこの母親も全て布の手製おむつを用いて汚れる度に盥(たらい)で洗って干し、乾いたら又使うということを繰り返していた。おむつが足りなくなると古着をおしめに転用と、これも『モッタイナイ』意識が行動化したものと言えよう。
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上は演奏練習のため帰宅が遅くなった家内がデパ地下で夕飯のお寿司を買って帰った時の私のお膳。
マグロ尽くしで嬉しかったが右上の物が私が食べたかった物なのだ。
話を戻そう。
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70年もの月日の経過の中で、女性の社会進出には目覚ましいものがあった。そのための社会制度の変化は勿論、家庭電化製品の開発でも女性の社会進出を支援したと思える商品が次々と売り出されてきた。
電気の洗濯機(乾燥機)、冷蔵庫(冷凍庫)、炊飯器(保温器)、掃除機、電子レンジ等々。
洗濯物を洗って干し、取り入れる時間。はたきで埃を払い、箒で掃き、雑巾で拭き掃除をする時間、日々の買い物に関わる時間や回数などキリが無く、商品の開発によって家庭内労働時間の軽減がグングン進み、人々の生活はどんどん便利になっていった。
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上の写真は私が食べたかった物を拡大したもの。
果たしてその正体は・・・答えは後に。
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私は子どもの頃、座敷の掃除をする折に前日使用した茶殻を畳の上に撒き、その後に箒で掃き掃除をしていた。若干の湿りを持つ茶殻と共に掃くことで、ほこりを舞い上げさせない効果があるのだ。時に茶殻が不足していた時は新聞紙を細かくちぎって水に浸して絞ったものを撒いたこともあった。
s-2018-07-17_112050これは母親の指図に従ったことだが、現代は電気掃除機という便利なモノがあり埃が立つ気遣いは要らない。はたきの場合は知らない。
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先の正体は西瓜である。
通常赤い部分を食すのが西瓜の食べ方である。嫌いではない、私も食べはするが、種を取るのが下手だし、口の周りや西瓜を持つ手が果汁でネチャネチャするのがいやで好んでは食べない。
私の好きな部分は赤い実と緑色の硬い表皮の間の白い部分なのだ。だが私が子どもだった頃に比べ、今の西瓜の白い部分は随分と薄っぺらくなったように思うのだが、これは残念なこと。
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16日に赤い部分を食した後、硬い緑色の皮を剥ぎ、残っている赤い部分を削ぎ取り軽く塩を振って一晩置いておくのだ。
すると明くる17日には西瓜の塩漬物が食べられるというわけ。
子どもの頃に母親に教わったことのひとつだ。
一般的には捨てる部分だが、物を粗末にしない、これも『モッタイナイ』意識の行動化だと私は思う。
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私は『モッタイナイ』と書いたが、そもそも何で捨てるんやと問いたい気分でずうーと過ごして来たのs-2018-07-19_064345だ。
『モッタイナイ』というより以前に、私はこれが、つまり多くの人たちが捨てている西瓜のヘタが『好きやねん』。この色合い、塩漬けの味、香り、食感などが好きなのだ。
植物の分類上、西瓜はウリ科だから瓜は勿論キュウリやゴーヤ、冬瓜も同じ仲間。もう少し親戚筋を探したら南瓜カボチャだって同じなのだから、考えれば食べることに何の不思議もないはずなのだが・・・
『モッタイナイ』ことの例はまだまだ挙げることが出来るが、今回はこの辺で。
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右上方は頂き物の日本酒・かたの桜(はなひとひら)〔山野酒造・大阪・交野市〕。
ビールは箕面ブリュワリー(大阪・箕面市)のピルスナー。
日本酒・蔵人の詩〔中本酒造店・奈良・生駒市〕
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masatukamoto at 20:14|PermalinkComments(0)

September 19, 2018

落ち穂拾い〔2〕

月日の経つのは本当に早いものだ。
うんと幼かった頃は月日が経つことについて余り意識しなかったような・・・
小学生から思春期の頃は早く過ぎ去れと願ったり、逆にもっと緩やかにと願ったりと、今思い返せば随分s-2018-06-23_171623自分勝手な理由で月日が経つことに淡き叶わぬ思いを抱いていたのだった。
 ※ 右の写真は酢の物
それが青年期に入ると月日が経つことは極々当たり前のことと何の疑問も挟まず自然と素直に受け容れるようになってきたように思うのだ。
それがいつからか明確には出来ないが、月日の経つのが早いと感じ始めて今に至っているのだ。
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明日はもう秋の彼岸の入りだ。
週末にかけて天気が崩れるとの予報が出ていたので今朝の日の出の写真を撮っておいた。
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日の出位置が随分と南へ移動してきた。
さて、落ち穂拾いということで右上に酢の物の写真をあげたが、6月17日が父の日だということで息子夫婦がI氏の店で食事をと誘ってくれた時のものだ。
好き嫌いをしない私は何でも頂くが、家内はナマモノについては好んで食べる方ではない。しかも少食ゆえ家内が食べることの出来る品は何があるかと私は常に気遣うのだ。
 ※ 鱧、本鮪、真蛸、剣先烏賊、大好物だ。
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私の幼い頃の大阪は戦後復興に歩み始めた頃で、焼け残った家々の他はトタン葺きのバラック小屋。そして至る所に空き地が広がり、舗装されていない道路をGI帽をかぶった進駐軍兵士がオリーブ色のs-2018-06-23_193950ジープやトラックを土埃を舞い上げて走っていたのだ。
 ※ 大七・生酛(福島・二本松)
私はひもじい思いをしたことは無かったが、戦時中と同様食糧難の時代であったため好き嫌いなど言えない世の中であった。食べるものがあるだけでも幸せと思い思わねばならない世上であったのだ。
そんな時代に育った私だから嫌いに近い食べ物はあれど嫌いなものは無いのだ。モッタイナイという言葉と行動がが頭に浮かぶし、言葉が浮かぶ以前に頂くという行動を起こしているのだ。
s-2018-06-23_173224ところでこの日、I氏は石垣島釣行から戻ったところだと赤魚の刺身(上の写真)を出してくれた。魚の名前を忘れてしまったが、釣った場所や姿形、色合いなどの記憶からアカジンミーバイではなかったかと今は思っているのだ。
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さて、好き嫌いなど言えない時代に育っている家内が生ものを好まないというのも解せないが、そのナマモノを好まないはずの家内がコレだけは好きだというのが新鮮な伊勢海老に生ウニだと言うのだから、これは・・・・・。
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この日もI氏は立派な伊勢海老の活け造りを家内の前に置いた。
家内の好みはI氏も私たちも承知しているのだから。
そして天ぷらもいろいろ揚げてもらった。
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好きだと言っても沢山食べるわけではない家内だ。いろんな食べ物を少しずつ少しずつ食べることが楽しいらしい。それでも家内の食事総量は私の量からみれば僅かなものだ。
父の日ということでの食事会であったが、そんなことはドーデモエエこと。
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美味しい物を沢山頂き、楽しい時を過ごさせて頂いた。
謝謝



masatukamoto at 18:00|PermalinkComments(0)

September 17, 2018

落ち穂拾い〔1〕

落ち穂拾いと言えばミレーの作品を思い浮かべるが、ここでは別段深い意味を込めているわけではない。ブログに用いるつもりだったが使用しなかった写真を拾い出し、時期はズレるが記憶するままに記してみようというだけのことだ。
下の写真は6月23日の朝食を撮ったもので、上の段は、生卵、紅ジャケ塩焼き、トマト。下の段は、ご飯、オクラ、ワカメの味噌汁。
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私が食べ物に好き嫌いを言うことは殆ど無い。好きか嫌いかどちらかをと強いて問われれば『どちらかと言えば嫌いに近いかな?』と答えるものが少し有る程度だ。
上のお膳の生卵は下の写真の通り玉子かけご飯にして食べたが、ご飯の量がお椀に軽く一膳分しか無かったというのがサビシイ。
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6年前までは平均して日に1個は必ず食べていた玉子だが、この数年間は2週間に1個食べるか食べないかといった程度。ご飯にしても毎食二膳か三膳は食べていたが・・・。今は1日で一膳か二膳。
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ご飯も玉子も大好きな私だが、私の食事と栄養を管理(監視)する家内の考えは私の好きなようにはさせないということが基本になっているようで・・・ぶっはははは。
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好きな物を好きな時に好きなだけ食べたいというのが私の願いだが、これは叶わぬ願いだ。勿論ムチャはしないし、するつもりも無い、が、今の状況に不足を感じているのは事実。しかし私の健康維持と回復を考えながら日々の食事を作ってくれている家内に不足は言えない。
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この日、夕食は鶏のから揚げと野菜サラダを用意してくれた。
それにビール(箕面ピルスナー、330ml)も飲むことが出来た。もっともビールはご飯の代用であり、日本酒でも焼酎(湯割り)でもお酒を飲めばご飯は無しになるのだ。
もっとも来客と食事を共にする場合や、自宅以外で家内と飲食する場合は『目こぼし』にあずかるのだ。
s-2018-06-23_164923先に書いた卵は玉子かけご飯にして食べると美味しいからと息子が持って来てくれたもので、玉子好きのお父さんにと持ってきてくれたものだから食べさせないわけにはいかなかったのだろう。
夕飯時の来客、外食の機会、私が特に好むものを持って息子が来てくれること、それらが度々あれば嬉しいと私は思うのだが、ぶっはははは。

柿色-1





masatukamoto at 14:31|PermalinkComments(0)
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