May 01, 2018

旬のもの《1》

今日は5月1日。お水取りを終えたのはついこの間の事のように思うが、6日にはもう立夏を迎えるのだ。
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上の写真は一昨日に撮ったものだが、日の出の位置が随分移動し、日の出時刻も5時30分と早くなった。
前回ボラの旬について書いたが、今月初めに Ⅰ氏の店で旬のものをいろいろと頂くことが出来た。
先ずは地物のタケノコ。 毎年U氏が掘った物をⅠ氏がアク抜きなど調理を担当するのだ。
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4月7日、大阪での会合を終えての帰路、足の調子が悪く外出する機会が無かったことと、大阪での会合で気分が昂揚していたことも手伝い、タクシーの運転手に我が家では無く Ⅰ氏の店へ向かうよう依頼した。s-2018-04-09_172606
座席確保のため車中よりⅠ氏に電話したところ、我が留守宅にアク抜きしたタケノコを届けておいたと。むむむ。朝から家内の介助で出かけていたものだから・・・、いつもいつも心遣い頂き有難いことである。
s-2018-04-09_173033少し早い時間帯だったので他に客は居ず、久し振りにⅠ氏にビールのお付き合いをしてもらった。ここは嬉しいサッポロである。
家内はお茶だが決して我慢してもらっているわけではない。アルコールに強いわけでも特にお酒が好きというわけでもない家内は特別な理由が無い限り外でお酒を飲むことは極めて稀。
上はホタテ貝の焼き物。ホタテ貝の旬は冬場だが、貝柱は春から夏が美味いと言う。私は好きだから年中美味しく頂くが。
下はこの日、旬の物として盛ってもらった皿。
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手前左より鰹、鯛、鳥貝、奥に鱧の焼き霜、鮪、鱸。s-2018-04-30_224552
ハモは今年初めて仕入れたものだと。
春から初夏へ季節が移りつつあることを感じる刺身であった。
これらの肴には、やはり日本酒が合う(と私はオモフ)。
s-2018-04-09_180339この日頂いたお酒は
春鹿(奈良)、南(高知)、八海山(新潟)。
Ⅰ氏が調理中なので家内が冷蔵庫から酒瓶を取り出してきてくれるのだ。
冷酒グラスの容量は多分130~140ml程度なのでグラスの7割くらい入れて5勺(半合)くらいだから、まあ2合以内だったろう。もう少し欲しいところだったが隣でコワーイ家内の目が光っていたのでザンネン。
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しかし昼もご馳走、夜もご馳走と、食いしん坊の私にとっては大満足の一日になったのだ。

《記事内容に随分の遅れが生じてしまったが、まあ已むを得まい》
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masatukamoto at 13:50|PermalinkComments(0)

April 29, 2018

ボラに関連して(つづき)

安政江戸地震はNHKの大河ドラマ『西郷どん』の一場面としても撮られており、3月に放映されたのだったか・・・。
地震発生の折、薩摩藩邸上屋敷(三田)に駆け付けた吉之助〔西郷〕が崩れる屋敷の中で篤姫を救うというシーンであった。
緑色-2
篤姫や吉之助が、その時実際にどのよう行動をとったのか、そんな記録があるとは聞いたことがないのs-2018-04-21_153323で、分からない或いは知らないと言うのが正しい。しかし、当時の吉之助は一介の御庭番に過ぎぬ身分。それが如何に危急の事態とは言え、将軍のもとへ輿入れしようとする女御の寝所へ立ち入るなど有り得ないことである。
s-2018-04-21_153429史実として明確になっていることについての作り話は許されない。しかし、曖昧な部分について空言を並べ綴るのは自由である。作家にすれば自分の思いや考えを好き放題に広げられる場がこの曖昧で不明瞭な部分なのだ。地震の際の篤姫と吉之助の言動は、実は作家が思い願っていたことのアラワレ?
音符-13
ところでボラの旬だが卵を抱える晩秋から冬場だと聞く。が、私は食べない。所謂食わず嫌いの類いかs-2018-04-21_153950もしれないが、ボラの姿形を思い浮かべると、もう
ダメ。
もっともボラの卵巣を加工したカラスミは台湾のものを一番として大好物である。
病いを得て以来出来ていないが、I氏にカラスミ造りを教えてもらって以来毎年造ってきた。塩加減、飴色の色加減など自分の好み通りに仕上げることが出来ない年もあったが、楽しさプラス美味しさを味わえるので、今年は何とか再開してみたいものだ。
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masatukamoto at 16:25|PermalinkComments(0)

ボラに関連して(1)

随分以前になるが夏初めに洲本(淡路島)の小さな川でボラの一群が泳いでいる様子を見たことがある。頭が扁平で三角形だから直ぐにボラだと分かったが、大きさはイナ程度であった。川上に向かって一群を形成、編隊飛行をしているように見えたのだった。
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ボラについては山本一力氏が彼の作品『いすゞ鳴る』で書いている。
彼は安政江戸地震の前兆現象としてボラの異常行動を取り上げていた。地震発生とその予兆と考えられる様々な現象や行動についての報告は多い。しかし未だそれらの因果関係が証明されたとは聞いていない。が、それはともかく関係する部分を抜き書きしてみる。
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『群れになったボラが、川面を膨らませ』『小さな川舟の底がボラに押し上げられ』『舟底にぶつかったボラが、鈍い音をたてた』『川面を魚の群れが埋めているさまは、不気味で』『大横川が盛り上がっ2018-04-27_131228て見えるほどの群れを目にすると、気丈なおきねでも腰がひけた』『見た目にきれいなはずのボラの背なのに、いまはおきねも朝太も耕造も、身体を震わせながら見ていた。朝日に照らされた大横川が、群青色の染料を流したような色味に見えた。数え切れない数のボラが、大川を目指して泳いでいる』『船着き場につないだ耕造の川舟が、ゴツン、ゴツンと音を立てている。小舟の底に、ボラの群れがぶつかり続けているからだろう』
水色線-5
江戸時代の大横川は仙台掘などと共に大川(隅田川)につながる運河で、現代は『お江戸深川さくらまつり』が催され、川舟による花見クルーズも行われているようだ。
紫色-2
ところで安政の頃は天変地異が集中的に起きた時期。『泰平の眠りを覚ます上喜撰、たった四はいで夜s-2018-04-25_104130も寝られず』との狂歌の通り、ペリーが4隻の蒸気船で浦賀に来航、鎖国中の日本に大混乱を起こしたのが1853年7月8日(嘉永6年
6月3日)、伊賀上野地震1854年7月9日(嘉永7年6月15日)、安政東海地震
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)
安政南海地震1854年12月24日(嘉永7年11月5日)と災厄が続いたため年号を嘉永から安政に改めた《1855年1月
15日(嘉永7年11月27日)》のだ。
そして1855年11月11日(安政2年10月2日)『いすゞ鳴る』の一場面『安政江戸地震』が起きたのだ。
ラインオレンジ色濃い目
上に挙げた地震は古記録などからマグニチュード 7.0 或いはそれ以上とされる大地震で、『いすゞ鳴る』では『地震で家屋が潰された町は真ったいらである。かろうじて潰れずに残った町の大木戸に立つと、隣町のみならず、そのはるか先まで見通すことができた。』と地震被害の大きさを書いている。
       《もう少し続く》
※ スズランも咲いた。今春の風蘭は花数が多く16も咲いた。
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masatukamoto at 11:40|PermalinkComments(0)
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