November 04, 2017

円卓への思いから

私は中華料理に限らず円卓というのが結構好きだと書いた。
中華料理店に設えられている中央部の台が回転するテーブルは便利ではあるが、私が好きだという円卓はそれに限ったわけでなく、台面が円形になったテーブルが好きなのだ。
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『卓』という字は中国語の漢字では『桌』と書くのだったと・・・・・。
記憶がええ加減だし、中国語を学んでいた1965、6年の頃は文化大革命が始まりだして漢字の簡略化も同時進行s-2017-11-01_164227しているような時期であった。
日常的に使用するか否かは別にして、総数5万とも6万とも言われる漢字である。漢字の数は少なくて簡単に読み書き出来ることが望ましいが、知っている漢字であっても簡略化されることでイチから覚え直さねばならなかったのは苦痛というほかなかった。
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『桌』は餐桌とか飯桌と使われるように英語でのダイニング・テーブルと同じであり、日本では食卓、ちゃぶ台、お膳と呼んできた。
私が育った環境を振り返ると、ちゃぶ台という呼び方をしたことはなく、ずっとお膳と呼んできた。そのお膳をちゃぶs-2017-10-26_120557台と呼ぶ人たちがフツウにいることを知ったのは、たまたまテレビ番組『寺内貫太郎一家』で貫太郎を演ずる小林亜星がちゃぶ台をひっくり返す場面を見てからであった。
挿し絵として挙げたお膳(ちゃぶ台)は、私が小学校3,4年の頃まで我が家の食卓(お膳)として使っていたものをイメージしたもので、円卓の直径が1mか、1m20cm程度だったろう。
このようなお膳を家族三人が囲んで食事したり団らんの時を楽しんでいたのだ。
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私が円卓を好むという意識形成の元始まりがこの辺りにあったのかもしれないとも思う。
もっとも私の記憶に残る最も古いものが円卓のお膳ではなかった。
s-2017-10-26_121703円卓のお膳以前は記憶によるイメージ図だが、私のお膳は朱色の箱膳であった。
認知能力の点から、誕生時からなのか食い初めの時からなのか箱膳を用意してもらった最初が何時なのかは分からないが、箱膳から円卓のお膳に変わったのは私が保育所に入所した頃であったことは明確に記憶している。
多分私が5歳になったことを節目として両親は箱膳から円卓のお膳に変えたのではないかと想像する。
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箱膳は遠い記憶の中でモノとしてあったという事実を示しているだけだが、円卓のお膳は両親と過ごした懐かしい様々な情景まで細かく語ってくれるのだ。
そんな円卓のお膳が方形のお膳に変わったのが昭和30年代半ばだったように思う。
s-2017-11-01_145604父親が親しくしていた大島敬治氏(大阪市立工業研究所長)の研究資材を天板とするものでスティール製の脚を取り付けただけのお膳だった。
しかし光沢良く撥水性に優れ耐熱性能もそこそこで汚れが目立たず、台布巾で拭くだけで常に綺麗な膳面で重宝したものだ。天板をデコラというのだと後に聞いたように思うが、大島氏はプラスチックが専門ゆえ工研所長退職後は住友ベークライト㈱に勤められたのだった。
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方形のお膳も我が三人家族にとってなら不都合なことはなかった。
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October 31, 2017

《続》 中華料理 

北京料理か北京〔風〕料理かはさておき、かれこれ30何年かぶりに土佐堀の徐園を訪れた。
以前訪れた時はジェトロだったか貿易に関わるパーティーだったように記憶しているので多分叔父の仕事に関わってのことだったのだろう。
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随分久し振りだったが兄の好みが中華料理であることや内輪でゆっくり落ち着いて会食したいと、私の希望も入れて『個室・円卓・4人』という条件で店を探したのだった。
私は中華料理に限らず円卓というのが結構好きなのだ。勿論方形のテーブルも悪くはないが人数が多くなると向かい合う席は良いが頭を右に左に振らねばならないのがオモシロクないのだ。
s-2017-10-22_160857ともあれ見事な飾り掘り(切り)の前菜から会食が始まった。
この席を設けた目的はいろいろとある。が、呼びかけは私の半快祝いとしておいた。
早く全快祝いをしたいのだが現状は未だ未だ遠いが故に、半分快癒で半分壊れているという何とも中途半端な祝いとも言えぬ祝いとしたのだ。
ともかく何やかやと気遣い苦労してくれている姉夫婦と家内に僅かなひと時でも寛いでもらえたらと、そんな思いも込めての席であった。
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北京料理は宮廷料理の流れを汲むものと聞くが中国の宮廷料理など食べたことがないので北京料理と宮廷料理の繫がりなど分からない。ただ私は北京料理として食べたものについて、あっさりした料理という印象をもってきた。
今回の料理もあっさり系の味わいで食材・調理・盛り付け・料理提供のタイミングなど、私にとっては満足出来る内容であった。
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私たちが使った個室は多分8~10人程度対象の部屋だろうと推量したが、とても静かで落ち着いた感じを受け、環s-2017-10-22_161142境的にも満足出来るものであった。
コース料理もフカひれ煮込みまでは写真に収めたものの、後はお喋りを楽しみながら美味し料理に舌鼓を打ち、兄とは旨酒を酌み交わすのに夢中で写真撮影は何処かへ飛んでしまっていた。
写真を撮るのは忘れたが、北京ダックの他、牛肉や海老、アワビや松茸の料理などなど食べたものは覚えている。
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ちなみにお酒は乾杯時のビールの他、日本酒(冷酒)と瓶ごと温めてもらった紹興酒。
2017-10-31_110931私は大満足だったが、厳しくアルコールなど食事制限をしている兄の体が大丈夫か気になりながら・・・・・ついつい、楽しみの方に重きを置いてしまった。

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October 29, 2017

秋の便り

季節の移ろいは様々なことから感じられる。
1番はカレンダーで。
s-2017-10-28_142508ぶっはははは、後の順番は付けにくいが強いて付けるとすれば下のようになろうか。
2番、日の出と日の入り時刻の変化。目覚めた時の窓外の明るさの違い。
3番、気温の変化。暖かいとか肌寒いとか微妙な変化。
4番、食べ物、特に食材の変化。
5番、生けてくれる花によっても感じるものだ。
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先日、寿司屋の大将Ⅰ氏が自宅庭の渋柿を摘んで持って来てくれた。
外歩きが自由に出来ない私だが、色付いた柿が摘まれる季節になってきたのだと視覚的に感じ取れたのだった。
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昨年は11月半ばから干し柿作りに取り掛かったが今年は
20日ばかり早くなった。
今年はⅠ氏から柿を頂いたので買わなくても良いかもしれないと思いつつ、どうしようかと思案している。
s-2017-10-28_133952毎年結構美味しい干し柿に仕上がるので私たちのおやつに丁度良いし、プレゼントしても喜ばれるので家内も楽しんで作業してくれるものだから・・・。
ともかく家内が皮むきをして私が紐かけ、外へ吊るすのは家内がと、協同作業である。
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日が前後するが、9月20日の彼岸の入りに家内が栗ご飯を炊いてくれた。
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食べ物の変化で季節を感じるのは何とも楽しく、食いしん坊の私にとってはサイコーに嬉しいことである。
もう暫くすれば柚子もレモンも黄色く色付くが、9月29日にⅠ氏の店で食事をした時、庭に成っていた実だと頂いたのが下の青柚子と青レモン。
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黄色くなったレモンは酸味が強くなるが青レモンは甘味さえ感じるほどで私は好きだ。
沢山手に入った時は果実・汁だけでなく、皮は蜂蜜と混ぜてマーマレードにしていた。
10月に入ってSさんが実家の山の栗だとどっさり持って来てくれたので栗ご飯を炊く日が続いた。
かやくご飯(炊きこみご飯)が好きな私には嬉しい毎日。
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写真左上の漬物は水菜で家内の作。
栗ご飯は大好きなのだが、栗は皮むきが大変。
簡単で上手にむける方法を聞いて真似をするが私には出来ない作業だ。
栗は皮をむくのが大変だが魚は骨を取るのがタイヘン。
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上はサンマご飯。
タイに比べれば大した骨ではないが、それでも骨があると
ご飯全体がマズイものになってしまう。
かと言って中骨、腹骨をゴッソリ取り去ると身が情けないほどのモノになる。
しかし、そんなことはナイナイの、実に美味いウマイ炊きこみご飯であった。
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季節を感じさせてくれるということでは枝豆ご飯も今の旬のものだ。
食で旬を感じ味わう。
何とスバラシイことではないか。
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masatukamoto at 20:56|PermalinkComments(0)
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