April 18, 2007

韓国 水原 4

私が利用したシティーツアーバスは、ツアーのルート全てを乗せて巡る車窓観光ではなく、最初に『華西門』で私達を降ろした後、私達が城壁や楼閣を歩いて巡っていった先で待機し、少し離れた場所までの移動時間を短縮する形で運行されるものであった。

下は、華城の広い城壁に囲まれた、ほぼ中央部に位置する『華城行宮』の入口『新豊楼』である。
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華城行宮』というのは王の別邸にあたるもので、日本では『御所』や『離宮』にあたる。

新豊楼』の新豊というのは王の新しい故郷という意味である。

新豊楼』の左右には写真のような塀で囲まれたブロックがあり、それぞれに護衛の兵士が詰める『南軍営』『北軍営』の建物がある。

華城行宮』は『新豊楼』を入ると、次に『左翊門』があり、更に『中陽門』へと続くが、下の写真は『左翊門』。
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左翊門』前の広場(写真)の左右のブロックには『執事庁』、『書吏庁』、『裨将庁』、『外整理所』といった建物が塀に囲まれるようにして建っている。

中陽門』を入った所の広場の奥の一角が王が住まうスペースであり、『奉寿堂』、『長楽堂』、『福内堂』、『老来堂』、『洛南軒』、『得中亭』、などの建物が並び、『維与宅』という臣下と接見するための建物もある。

写真の山の中腹には『内舗舎』(写真)や『未老閑亭』といった建物もあるが、朝鮮戦争時代に焼失して復元されていない建物も『華城行宮』にはあるということだった。


at 07:28|Permalink

韓国 水原 3

水原の華城は、水原川を円の直径とするように城壁を構築されている。

自然の地形を利用した城壁であるが、比較的平坦な土地で、なだらかな起伏の場所に構築されているので中国の万里の長城のように山の尾根に築かれたように高い位置にあるものではない。

以下、写真で紹介しよう。

下の写真は『華虹門』である。
水原川が流れ込んでくる北の水門である。
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冬季のため水量は少ないが、7連アーチの石造りの水門上に楼閣が築かれた様は見事なものである。

訪花随柳亭』より『華虹門』の北側を眺める。
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防塁の上に築かれた城壁が延々と延びている様子が見える。

下はレンガ積みの城壁の一部。
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下は『北暗門』から『東北舗楼』を眺めたもの。
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城壁の外にある池畔から『訪花随柳亭』を眺めた景観。
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池は厚い氷が張っていたが、冬枯れの景色も一服ものである。


at 06:42|Permalink

追 悼

長崎市長を務めてきた伊藤一長氏が暴漢の銃撃により亡くなったことを知り、驚愕すると同時に暴力でもって事を制するという全く馬鹿げた理不尽なる行為が行われたことに強い憤りを感じている。

バージニア工科大学で多数の学生たちが射殺されたという報道を耳にして、日を空けずに伊藤氏の悲報に接した。

アメリカは銃規制が甘い社会であるということが事件のバックグラウンドにあると報道各社が指摘していた。

日本はどうか。

日本は銃刀法により、銃を保持すること自体が規制されている筈である。

しかるに事件は起きた。

犯人は暴力団幹部であるという。

暴力団に対する規正法も日本にはある。

しかし、事件は起きた。

銃の規制も暴力団の規制も、その法の執行は警察が所管するところである。

何よりも、日本は個人の生命・思想・財産などを守り尊重する日本国憲法に保障された民主主義国家である。

その民主主義の根幹を揺るがす悲しむべき事件が起きた背景には、勿論、暴力団とそれを構成する組織員らの反民主主義的思想が存在することは言うを待たない。

暴力団が右翼政治結社を標榜し、或いは個々の組織員が憲法に保障された思想の自由や結社の自由を隠れ蓑にして行っている反社会的行為の数々は、これまでにもマスコミで多く取り上げてこられた。

しかし、同時に法治国家を維持すべき責任のある警察が、暴力団や銃に対する規制を厳格に行い得なかったということも遠因として指摘せねばなるまい。

民主国家にあって、考え方が違うからとか自分の意に染まないから『問答無用』とばかりに暴力で封殺することなど、これこそ『問答無用』の愚行である。

伊藤氏を銃撃した犯人は死に相当する罪を負うべきことは当然であるが、この犯人と、犯人が属していた裏社会の思想と行動に対し、警察も我々の社会全体も厳しい目をもって対処していかねばならないものと考える。

伊藤氏の不慮の死に対し、心底より哀悼の意を捧げる。





at 04:41|Permalink
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