November 06, 2006

チェコ・プラハ

クラクフからプラハへのフライトは、滞空40分程度、快晴のもとで地上の景色も綺麗に眺めることができた。

プラハ・ルズィニェ空港は結構広いが、田舎空港の感じを否めない。

駐機している飛行機も中型ジェット機とプロペラ機が目についた。

私達が乗ってきた双発プロペラ機は空港の建物から随分離れた場所に止まり、バスで空港建物まで移動して入国手続きを行った。

入国手続きのための行列も短く、係官も愛想が良くて短時間で済み、荷物も間違いなく受け取れて気分を良くしたものであった。

入国審査官の態度一つで、その国に対するイメージが良くなりもするし悪くなりもする。

別に、象の尻尾に触れただけで象の全体を判断、評価するつもりはないが、物事の最初のイメージというものは重要ではある。

これまで、韓国と中国の入国審査官の態度にはムカツクほどの嫌悪感を感じたことがあった。ホトケとも呼ばれてきた私をしてである。

ま、それはさておき、プラハでは荷物が重く大きいことや、空港と旧市街の距離が随分離れていることもあり、タクシーでホテルに向かうこととした。

なだらかな丘陵地帯を走る道路は往復2車線で広いのだが、所々舗装工事を行っていたために何箇所か渋滞していた。

車窓からは丘陵に広がる緑色の畑と赤いレンガ色の住宅の屋根が、とても綺麗な景色を見せていた。

タクシーがどの道を走ったのかは分からないが、市街地に入ってから坂を上ったり下ったり、日本で言えば山の手の住宅街のような所を走って、私達が滞在するべラージオ(Bellagio)ホテルへ。

やや明るいレンガ色の6層の建物で、ヨーロッパではよくある個人が経営するホテルである。

ホテルの部屋の窓から・・・向かいは歴史を感じさせる教会。
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ホテルの部屋の窓から・・・教会との間の通り。
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全く静かな所である。

ホテル玄関に出迎えてくれたポーターは、スラリとした身長180センチくらいで鼻の下に立派なマスターシェを生やしてキチンとした身なりの50歳と少しくらいの紳士。

私達の大きく重いラッゲージを軽々と持ち、レセプションへ。

【私達は出迎えてくれたポーターをこのホテルの主人だと思い込んでいた】・・・実際、主人=経営者然としていた。


ホテルのロビーは30畳程度で、奥にソファーセットとバーカウンターがしつらえられた程度で、こじんまりした個人経営のホテルと想像できた。

レセプショニストは英語の堪能な若い女性でなかなかの美人。

at 09:59|Permalink

November 05, 2006

チェコ・プラハへ

中世の街並みをそのままに残すクラコフは私達にとっては安らぎを覚えるものであった。

どこへ運ばれてしまったのか分からなかった私達の2つの大きいラッゲージは、ホテル到着の日の夜中に宿泊していたホテルに無事届けられていた。

朝、外出するため、ホテルのレセプションにルームキーを預けた際に確認、ポーターに部屋まで運ぶように依頼しておいて出掛けた。

クラコフ空港で若い担当女性を叱り、行方不明となった私達のラッゲージを探すように電話をかけさせたり、パソコンを操作させたりと、私もイライラしていたのだが彼女も懸命に働いてくれた結果と喜び、安堵したものだった。

数日前にチェコ航空でミッシングに遭い、3日後になって荷物が届いたという話を聞いていたものだから、3日間も着替えも無く過ごさねばならないとすればと、その間の対策を考えるだけでも憂鬱だったのである。

クラコフではホテルでの朝食、夕食ともにポーランド料理を美味しく頂いた。

昼食と夕食には中央市場広場へ出掛け、広場周辺のレストランによく入った。

どのレストランも不味いと感じたことはなく、料金が安かったし、ウェイトレスはいずれも若く、注文料理の交渉が楽しかった。

英語を理解出来るお嬢さんもいたが、大概ポーランド語のみであった(多分)ために、身振り手振りを交えての交渉というのは実に楽しいものだったのだ。

料理の名前は分からない(ポーランド語で読めない)が、煮込み料理、揚げ物料理が主であったが、ワインもビールも良いものであった。

ただ、パンに関しては、日本のパンの方が断然ウマイ。

ヨーロッパは、どこのパンも余り美味しいとは言えん。

『ダ・ヴィンチ・コード』が話題になっていたからという訳でもないが、ダ・ヴィンチの『白貂(はくテン)を抱く貴婦人』という作品があるというのでチャルトリスキ美術館へ行った。

ところが、あるべき場所に美術館が無い。

実際にはあったのだが、見付けられなかったというわけ。

私が想像する美術館のイメージは建物の規模が大きく、外観もそれなりの飾りがあったりで風格のあるものを想像していたものだから、このチャルトリスキ美術館の前を行き来しながら見落としていたのである。

つまり外観だけで言うなら、並んでいる建物と何ら変わりの無い4~5階建ての民家なのである。

ヨーロッパの旧市街にはよく見られる建物で、長屋のように建っており、隣の家との境界となる空間が無いのである。

しかも門構えといったものも無く、建物のドアが入口になっているのである。

場所はフロリアンスカ門から直ぐの所だったのだが、ここだけは迷ってしまった。

元はアパートというか、住居であったものを展示室に改造したような感じを受けたが、収蔵品は絵画だけではなく、武具などもあり、年代的にも幅広く集め展示されており見応えのあるものであった。

オシフィエンチムへの慰霊と見学を終え、古都・クラコフをのんびりと楽しんだ私達はロマンさんのベンツで空港へ送ってもらい、チェコへ向かうことにした。

チェコ航空双発旅客機で1時間のフライト

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at 13:18|Permalink

旅行ガイドブックについて

既に書いてきたように、私達はクラコフ空港からポーランドへ入国して以来、行く先々でポーランドの人々の親切に接してきた

私が旅行前にガイドブックで得た知識の中で、スリ、置き引き、強盗の被害が続発しているので注意するようにとの記述があった。

私が呑気なのか、それとも私がお金とは縁遠い人物に見られていたのかは分からない。

確かに、これまでの海外への旅行で金品を盗まれることも傷害を負うような出来事にも幸いにして遭遇しなかった。

これは幸いと呼ぶのが正しいかもしれない。

デンマークのコペンハーゲンのホテルでの朝食中、バイキング形式であったために老夫婦が料理を取りに席を離れている間に現金、クレジットカードなどが入ったバッグが盗まれるという事件があった。

この時の旅行は老年夫婦向けの所謂パック旅行であったが豪華なものであった。つまり、私以外の人たちはお金持ちであったということ。

私は団体旅行というものが嫌いなのだが、この時、旅行社の企画主催旅行に初めて参加し、盗難事件というものにも初めて遭遇したのだった。

私に言わせれば、スリ、置き引きなどという事件は稀なことなのである。

この盗難事件(置き引き)にしても、老夫婦のいずれかが自席でバッグを管理していたならば起きるはずも無い事件だったのである。

特定のゲストしか入れないレストランの朝食時、多くのゲストが食事をしている最中に、捕まる危険を冒すようなマヌケな強盗など居よう筈もない。

こんな状況判断も出来ないような馬鹿な強盗に遭遇したなら、これは不運としか言いようが無いことである。

私が言いたいのは、それほど頻繁に、いつでも、どこでもスリ、強盗の被害に遭うものでは無いということである。

しかし、旅行ガイドブックにスリや強盗事件が頻発・注意との記述があれば、読む人にとっては、その地域は犯罪が多くて危険であるとの認識を持つものである。

確かに注意を促すことは必要であろうとは思う、が、そうすることが特定の地域の安全評価を下げる働きをも併せてすることを考えれば、その記述については慎重であらねばならない。

私が体験したポーランドでのこと・・・多くの人々と接したことも含めて、素敵なことばかりであった。

僅かな記述でポーランドやポーランドの人々に対するイメージを傷つけ壊すようなことはマスメディアとしては厳に慎むべきことである。

つまり、象の尻尾に触れただけで象全体を理解したことにはならないのと同じように、『一事が万事』という俚諺は当たらず、読む人も注意しなければならないということである。

弁解がましく聞こえるかもしれないが、私はオーストリア航空について苦言を呈した。

しかし、この苦言はポーランドの不特定多数の人々に対するようなものとは違い、私自身がオーストリア航空との間で経験した不愉快であったことを特定して記述したのであって、先のマスメディアに自戒を求めたものとは問題も観点も全く異なるものなので敢えて書き添えておく。

ついでだが、コペンハーゲンでの盗難事件発生によって、添乗員のお嬢さんと被害者の老夫婦は警察へ出頭させられることとなり、次の訪問地であるロシアへの出国手続き、搭乗手続きなど、皆さん方のパスポートをお預かりして私が臨時に代行せざるを得なかった。

添乗員と老夫婦は、幸いにして飛行機の出発時刻には間に合ったものの、警察での手続きが遅れたならロシアでの皆さん方の入国手続きもしなくてはならないと、私は腹を決めて引き受けたものの、やはり不安ではあった。

犯罪を未然に防ぐため、それぞれが注意することは必要ではあるが、ガイドブックに記載されてあるからと言って過剰に反応することは避けたいものである。




at 11:49|Permalink
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