April 13, 2007

閑 話

韓国の話が続いているので暫し休憩して。

閑話と題したものの、別に無駄話のつもりではないのだが・・・

3月3日と言えば『女の子の節句・雛祭り』。

息子がくれた阪神対オリックスのオープン戦の観戦に『大阪ドーム』へ出かけた。

『大阪ドーム』、現在は『京セラドーム』と言うが、地下鉄が便利で駅を出ると直ぐにドームがある。

オープン戦なので余り意気は上がらないが、ビールとお弁当を買い込んで3塁側の席に家内と並んで腰掛けた。

3塁側というのは勿論『阪神タイガース』の応援席。
dfe43c59.jpg
しっかり応援したものの、オリックスにリードされたまま7回を迎えることに。
db194f94.jpg
風船に願いを込めて、ピューーーーーー、ヒュルヒュルヒュル。
5bdb4c60.jpg

                残念!

ここんとこ巨人にしてやられ・・・・・

もおーっ、しっかりせえよ。

健太郎君、頑張ってくれよ。

頼んまっせ。


at 15:28|Permalink

水原へ

初めて訪れる町の様子を知る方法として私は3つの手段を考えている。

1番目には、下車した駅なり宿泊するホテルから近場から順に範囲を広げて歩いて巡る方法。

2番目には、シティーツアーバス(ガイド付きの)に乗る方法。

3番目には市内循環の鉄道(大阪環状線や山手線など)、トラム(市電など)、公共バスなどで概観を知る方法。

上の3つの方法を用いるが、最も多いのは歩いて巡ることである。

少々疲れるが、確かな土地勘を得るためには最も良い方法であると私は考えている。

通常、最初っから地下鉄には乗らないし、タクシーも使わない。

行く先が決まっていて、その距離が半端でない時には使う。

今回、ソウルから水原(スウォン)までは地下鉄でも1時間の距離なので、これは当然地下鉄を利用した。

下は水原(スウォン)駅で、この駅は地下鉄と京釜線(ソウル~プサン)の総合駅で銀行や様々なショップが店を連ねるデパートのようなものである。
123a67a4.jpg
私が水原(スウォン)を訪れたのは世界文化遺産に登録されている華城(ファソン)を見たかったからで、駅前にある観光案内所で情報を仕入れることにした。(下が観光案内所)
6af32924.jpg
案内所は長いカウンターで担当者フロアー部分とゲストフロアー部分を分けるように仕切ってあり、4人の若く綺麗なお嬢さんが観光案内を担当していた。

案内所に入った時、どのお嬢さんとお話をしようか少々胸をドキドキさせながら、目が合ったお嬢さんと話を始めたのだが、どちらから来たのかとのお嬢さんの問いかけに「JAPAN」と応えると、日本語の応対が出来る者がおりますからとの返事。

そのお嬢さんが少し離れた所に座っていたお嬢さんに韓国語で話しかけ、直ぐに英語で「彼女が日本語を話しますのでアチラへ」と。

すると、端っこのお嬢さんが「おはようございます。こちらへどうぞ」と流暢な日本語で声をかけてくれた。

そこへ韓国女性が小学生の高学年くらいの男の子と女の子を連れて入ってきてお嬢さんの一人と韓国語でやりとり。

韓国語は当然として、英語に日本語の対応までも出来るのには感心した。


at 12:08|Permalink

ソウル滞在 12

これまでDMZ(Demilitarized zone)の南北分断の状況について書いてきた。

北緯38度の休戦ライン(事実上の国境)を唯一またぐ『板門店』(正確には北緯37度、東経126度)、『臨津閣観光地』、『第3地下トンネル』。

今回の韓国滞在中も何人かの韓国人たちと突っ込んだ話をすることができた。

しかし、私が日本人であることから、彼らの多くは豊臣秀吉の朝鮮侵略、それに明治政府の侵略から太平洋戦争終結までの日本が行ってきた植民地支配について手厳しい非難の言葉を浴びせてきた。

私の正直な気持ちを明らかにすれば、「もうウンザリ」という気分で彼らの話を聞いたこともあった。

だが、「ウンザリ」で話を終えればそれまでのことであるが、彼らはそれで終わりとするのではなく、「だから、これから、このようにして行こう」という希望と展望を語るのである。

詳しくは述べないが、簡単に言えば、しっかりした歴史観を持ち、それを基盤に希望や展望を語ろうというわけである。

靖国参拝に拘泥するどこぞの政治屋とは思考レベルも違うし、歴史的事実を歪曲させるような盗人猛々しい言動を行う連中との違いを彼らとの会話で感じた次第。

そうした彼らの『南北統一』を願う気持ちは強く、DMZに近い位置には北を望む展望台が設置されたり、ソウルから北へ向けて延びる京義(キョンウィ)線にはDMZから700mの位置に都羅(トラ)山駅という最北端の国際駅を設置し、いつでも南北が行き来できるように準備している。

下の写真は都羅(トラ)山展望台で、この展望所からは北朝鮮の農地や開城(ケソン)市街地、開城公団などを眺めることができる。
b5251a62.jpg
展望所とはいえ、建物は迷彩色に塗装され、同様迷彩色の軍服で拳銃、自動小銃を携帯する韓国軍兵士が何人も警備にあたっている様は、やはり戦時下にあることを実感する。

下は、まだ真新しい京義(キョンウィ)線都羅(トラ)山駅の外観である。
af8672ed.jpg
駅の敷地は広く、構内は明るく清潔感に溢れ、国際駅として機能するように出入国管理所、税関なども設けられている。

太平洋戦争終結以前、この京義(キョンウィ)線は北朝鮮の平壌(ピョンヤン)を経て満鉄(南満州鉄道)に接続、中国北部からカザフスタンを経由してヨーロッパまでの鉄道延線が考えられていたものである。

しかし、朝鮮戦争の結果、現在はこの都羅(トラ)山駅の先で線路が分断されている。

下は都羅(トラ)山駅のプラットホーム。

広軌の線路が北朝鮮の平壌(ピョンヤン)に向けて延びている。
cdc2bf72.jpg
上の写真の場所は撮影禁止区域であったらしく、見上げるほどゴツイ韓国軍兵士(MP)から注意を受けた。

しかし撮影内容の確認や消去までの要求は無かったので、まっ、いいか。

都羅(トラ)山駅の見学を終えて帰ろうとした時、北朝鮮から建築用の土石を積み、ナンバープレートを隠した旧式トラックが数十台、ノロノロと私達が横切ろうとする未舗装路を進んでいった。

南北共同声明』が発表されて以後、韓国から北朝鮮の金剛山への観光訪問が認められたり、商業活動での交流が進められたり、民衆間での『南北統一』に向けての努力は続けられているらしく、これらのトラックがもっと自由に行き来できるようにと願いつつ車列を見送っていた。



at 09:18|Permalink
記事検索
月別アーカイブ