November 04, 2006

ポーランド・クラコフ 【写真を】

石畳を敷き詰めた道は歩きやすくは無い

とりわけヒールが細くて高い靴を履く女性には難儀する道であるが、しっとりと落ち着いた雰囲気を感じさせてくれるのである。

6月の夏至の頃よりヨーロッパの各地では夏の祭りが繰り広げられる。

燦燦と降り注ぐ陽光の下で繰り広げられる北欧の夏至祭は、人々の太陽の恵みに対する感謝と喜びで満ち満ちている。

ここクラコフでも6月末は織物会館のある中央市場広場に特設ステージを設置して夏の祭典が行われていた。

中世の人々の衣装を身に着けた人々、民族衣装に着飾った人々の歌や踊り。

be7eccd2.jpg
私達は、それに予定を合わせて訪れたのでは無く、全く偶然賑やかな祭典に行き合わせたのは幸運であった。

普段でも広い中央市場広場を取り囲むようにしてレストラン、バー等の店が並び、広場中心にある織物会館1階の何十軒とある土産物店は色とりどりの商品を並べ、観光客や地元の人々が寄り集う場所となっている。

昔は高価であった地元で採れる岩塩を詰めた小袋を祭典の祝いとして頂いた。

小雨模様の中央市場広場で
43c3c9fc.jpg
特設ステージで踊る民族衣装の人々
cedf0335.jpg
ポーランドは国民の殆どがカトリック教徒であるが、この歩いて巡ることの出来る旧市街の中だけでも10数箇所のキリスト教教会に修道院も何箇所かある。

土曜、日曜は、それらの教会で式を挙げるカップルと、彼らを祝う家族や若い友人達らで賑わっていた。

ジューン・ブライド・・・幸せに!

先年昇天されたローマ法王ヨハネ・パウロ2世はポーランド人であった。

下の写真は旧市庁舎
5a1705cd.jpg
下は、聖マリア教会
16efb66d.jpg
聖ペテロ聖パウロ教会聖アンドリュース教会だったと記憶しているが、日本の寺町のようにキリスト教会が並んで建っていても不思議に思えない旧市街。
64d1a606.jpg












at 08:27|Permalink

November 03, 2006

ポーランド・クラコフで

ポーランドの現在の首都はワルシャワであるが、中世の頃、ポーランド王国・ヤギェウオ王朝の首都がクラコフであり、東欧における文化の中心地の一つであった。

【ヤギェウオ王朝は1386年から1572年】

クラコフ旧市街はヴィスワ川に面する小高い丘の上に建つヴァヴェル城の北部に広がり、織物会館、市庁舎、聖マリア教会、ヤギェウォ大学、円形の砦・バルバカンなどの建造物群や石畳の舗装路などが残され、町全体が世界遺産に登録されて落ち着いた佇まいを見せている。

下は、ヴァヴェル城

19bc545b.jpg
下の写真は、円形の砦・バルバカン 右がフロリアンスカ門。

c1341d26.jpg


at 13:21|Permalink

ポーランド・クラコフ 親切 ?

タクシー乗り場と言っても広いスペースがあるわけではなく、2車線道路が駅前まで通じ、タクシーは客を乗せるとUターンして戻るという狭いもので、周囲には屋台のような新聞、雑誌などを売る店が何軒も並んでいた。

10人ばかりがタクシーに乗るために並んでいたが、行き交う人が多くゴチャゴチャした感じであり、タクシーはなかなか回って来なかった。

中央駅と私達が泊まるホテルの位置関係を地図として頭に描いていた私は、歩いても、そう遠くは無い距離と想像していたので、家内と歩いてホテルまで行くことにした。

しかし、しばらく歩いて行ったのだが、どうも地図上の目印となる施設などが見当たらず、幾本も並ぶ鉄道線路を潜る広い道路など、私がイメージする所とは異なる場所へやってきた感じがし、歩く人の数もまばらとなったために簡易地図を広げて見た。

が、どうも分からず、道端に掘っ建て小屋のように建つ売店でホテルへの道を尋ねることにした。

店の売り子の老婆に簡易地図を見せて尋ねたが分からず、客の中年男性は言葉が通じないまま、身振り手振りで教えてくれた(多分)のだが、よく分からないまま礼を言って、再び歩き始めることにした。

しかし、しばらく歩いたところで又々どの道を進めば良いのか迷ってしまった。

誰かに尋ねれば良いのであるが、誰も通りかかってはくれず、簡易地図と睨めっこしながら困り果てていた。

そこへ小走りに駆けてきたお嬢さんが、ホテルへ行く道に迷っていることを確かめた上で、自分が案内してあげると申し出てくれたのである。

このお嬢さん、掘っ建て小屋の暗い店の奥にいたのであるが、私が中年男性の説明を受けて理解出来たと思っていたらしい。

ところが私達が間違った道を歩んでいるのを見つけ、走って追いかけて来てくれたのである。

道案内してもらって判明したのは、私達は駅の反対側に出て、ホテルと離れる方向に随分歩いて来ていたということだったのである。

だから再び駅まで戻って、地下の連絡通路を越えて30分ばかり歩いて、やっとホテルにたどり着いたのである。

どんより曇って湿度の高い日だったので、私の額から、そして背中からは滝のように汗が流れ落ちていた。

このお嬢さん、ホテルまで連れて来てくれたのであるが、お嬢さんが帰る家は掘っ建て小屋の売店から更に30分ばかり歩いた所なのだそうな。

先のご婦人もそうであったが、往復にして1時間ばかりの距離を歩く労力と時間を私達への道案内のために費やしてくれたのである。

言葉だけの道案内でも嬉しいのに、わざわざ遠い所を一緒に歩いてまで案内してくれたという親切に、私達は、ただただ感謝の言葉を発する以外無かった。

国立ヤギェウオ大学で哲学を専攻しているという二十歳のお嬢さん。

私達がクラクフに来て、僅か数時間のうちに受けた心温かい親切、彼女が二人目であった。


at 12:01|Permalink
記事検索
月別アーカイブ