April 12, 2007

ソウル滞在 11

ある日突然に引かれた北緯38度線に沿ったDMZ(非武装地帯)によって南北の分断が行われて既に半世紀を経た朝鮮半島。

その日を境にして、北朝鮮にいた者達は南へ行くことも戻ることも出来なくなり、同様、韓国にいた者達も北へ行くことも帰ることも出来なくなってしまった。

夫婦、親子、兄弟、親戚であろうとも事実上の国境となってしまったDMZを越えることが出来なくなってしまったのである。

軍事的政治的な分断は、単に地理的な分断だけではなく『民族の分断』であったのである。

イムジン河』という歌を知っておられるだろうか。

作詞は朴 世泳(パッ・セヨン)、作曲は高 宗漢(コ・ジョンハン)であり、朴は朝鮮プロレタリアート文学運動に名を連ねたしジンである。

日本においては、何級か後輩のフォークソング・グループが紹介していたので歌詞もメロディーも記憶に残っている。

南北分断の悲哀を歌い上げたものであり、私の好きな歌の部類に入る。

日本語の歌詞は、

イムジン河 水清く
滔々(とうとう)と 流る
水鳥 自由に
群がり 飛び交うよ
我が祖国 南の地
思いは 遥か
イムジン河 水清く
滔々と 流る


私の記憶に違いが無ければ、このような歌である。

南北分断の意味も、『イムジン河』についても知識としては知っていたのだが、実は今回DMZに近い『臨津閣観光地』を訪れ、初めて『イムジン河』を見ることとなった。


下の写真は『イムジン河』に架かる鉄橋であり、南北統一観光地である『臨津閣観光地』の展望所から眺めた景色である。

現在列車は走っていないが、霞んで見える白い鉄橋を渡って行けば北朝鮮である。
1db5e7a3.jpg
イムジン河』を漢字で書くと『臨津江』。

韓国語読みで『イムジン・ガン』。

その『イムジン河』の堤防には鉄条網が張り巡らされ、韓国軍の兵士が常時警戒にあたっていた。

随所に設けられた警備所は撮影禁止。

鉄条網の向こうに広がる枯野の先に『イムジン河』が流れ、遠くに煙る山並みが北朝鮮になる。
c1f451cd.jpg
この『臨津閣観光地』から向こうは韓国軍の管理下にあり、一般人の立ち入りは禁じられている。

私が訪れた折、『イムジン河』は平たく白い氷を幾千枚となく川面に浮かべて流れていた。

河の両岸には冬の枯野が広がり、カモや鶴など幾種類も、何羽いるとも知れない鳥たちがエサを啄ばんだり大空を舞ったりしていた。

イムジン河』の詩が詠む通り、水は清く滔々と流れ、水鳥たちは鉄条網の及ばぬ大空を自由に群がり飛び交っていた。

彼らが望む『南北統一』、『祖国統一』の強い願いが、この『イムジン河』の詩に託されていることを実感したのである。


at 16:06|Permalink

ソウル滞在 10

ソウルが休戦状態にあるとはいえ、戦時下にあることは既に書いた。

しかし、韓流ドラマに涙し、ペー様、ヨン様と熱を上げる日本の女性たちには『国土の分断』や『民族の分断』などは頭に無いのか、ソウルのロッテホテルや新羅の免税店で目を輝かせ、グループで焼肉店へ押しかけ、カルビじゃ何じゃと日本語で嬌声を上げている。

まっ、それも良いであろう。

妓生が廃止され、表向き禁止されているはずの売春婦をホテルの部屋に連れ込んでいる日本の男どもに比べりゃ可愛いものである。

チェックインの段階では日本の男ばかりのグループが、夜になれば韓国女性を連れて部屋に帰り、朝になれば二人でレストランへ朝食を食べに現れる。

自由恋愛??

そう言われれば何も言えないが、ソウルのポン引き君、模範(モボン)タクシーの運転手氏、カラオケ店やクラブのマネージャー氏と、私の知り合いたちは自由恋愛とは言わない。

需要と供給という経済の原則に立っているだけなのだそうで、そこに金銭の授受があることを彼らは認めている。

そんなソウルの街の北、わずか52kmの地点にまで北朝鮮が掘削した韓国侵攻のための地下トンネルが伸びてきている。

私が訪れたのは第3地下トンネル

現在まで4つのトンネルが発見されているが、北朝鮮より韓国へ亡命した者達の供述から20数本のトンネルがあるらしい。

1970年代に南侵トンネルが発見されたという韓国報道を聞き知った時、私は韓国側の反北朝鮮宣伝工作の一環であろうと思い、北朝鮮が掘り進んできたという報道には半信半疑であった。

しかし、今回第三地下トンネルに入って我が目で確認したことは、北朝鮮の反論は道理が通らないということであった。

その一つ。

北朝鮮側は石炭鉱脈があるから掘ったというのだが、幅2m、高さ2mの坑道内部に鉱脈どころか、石炭の『せ』の字も発見できない花崗岩の岩脈を貫いたものであったということである。

次に、韓国がトンネルを掘って、それを北朝鮮が掘ったと宣伝しているのだという北朝鮮側の主張についてであるが、

トンネル掘削の際に使用される削岩機が掘削したホールの痕跡の角度からは韓国側から掘ったとは考えられないものであった。

他にも韓国側の説明はあったが、この2点で充分であろう。

トンネルの長さ ・ 1635m

1時間以内に30000人の完全武装兵士が移動できる規模だと言う。

トンネルの入口付近こそ整備されていたものの、地下数10メートルまでドンドン急角度で下る坑道は岩面むき出しで、地下水が滴り落ち、ヘルメットを被った頭が時々坑道補強材にぶつかりそうな感じであった。

最奥部は分厚いコンクリート壁で固められており、ダイナマイトの爆破でも崩れないそうだが、地上へ戻るまでの急な坑道は、とても一気に登れるようなものではなかった。

この場所については写真が無い・・・つまり撮影不可。


at 10:04|Permalink

April 07, 2007

ソウル滞在 9 板門店

軍事境界線(休戦ライン)=38度線は朝鮮半島の東西248kmにわたって敷かれているが、その南北それぞれ2km幅、つまり4km幅のDMZ=非武装地帯が南北朝鮮を隔てている。

そして、南朝鮮の韓国側では、DMZラインよりも更に2km幅で一般人立ち入り禁止区域を設け、韓国軍の管理下においている。

つまり軍事境界線(休戦ライン)=38度線から南側の2km幅の地帯を国連軍の監視下におき、それから更に南側の2km幅を韓国軍の管理下においているのである。

そうした南北分断状態の中、唯一『板門店』だけが軍事境界線(休戦ライン)=38度線に接しており、その境界線上に軍事停戦委員会本会議場が建てられており、直径800mの円形の場所をJSA(Joint Security Area)=共同警備区域として北朝鮮軍と国連軍が共同で警備にあたっているのである。

下の写真は軍事停戦委員会本会議場の建物の中。

テーブルの右側が北朝鮮代表の席で左側が韓国側(国連側)の席、そして拳銃携帯の監視兵は軍事境界線(休戦ライン)を跨ぐように24時間交代の歩哨に立っている。
369f8592.jpg
下は本会議場の隣の建物であるが、本会議場も同様の建物であり、建物を結ぶように敷かれたコンクリートが軍事境界線(休戦ライン)である。
7779fc1e.jpg
軍事停戦委員会本会議場のテーブルを置いてある場所だけは北側へも南側へも軍事境界線(休戦ライン)を越えて移動することは出来るが、建物の南北に設けられた出入り口を一歩出れば元へ再び戻ることは出来ないのである。

元へ再び戻ることが出来ないと言うのは許可無く国境を越えたという行為によって狙撃され、再び生の世界に戻れないという意味である。

過去に外国のジャーナリストが取材目的で休戦ラインを越えたことから銃撃戦に発展し、南北双方の兵士数人が亡くなったことがあったそうだ。

下の写真は軍事停戦委員会本会議場の建物と、向こう側の一段高い場所に建っているのが北朝鮮側の監視所である。
0c9e169d.jpg
北朝鮮軍の歩哨兵士が建物入口に立ち、肉眼では分からなかったが建物の窓からは監視が行われているということであった。
25b088a3.jpg
下の写真は、韓国側の『統一自由の家』である。
f9e46930.jpg
我々が本会議場見学からの帰路、警備の国連軍兵士達が敬礼で送ってくれた。
5ca19be7.jpg
写真撮影は禁止されていたが、特定の場所でのみ許可が出た。
本会議場見学の間、私たちの緊張は続き大きい声も出なかったけれど、警備にあたっていた兵士達の緊張はそれ以上のものであろう。

私たちの見学時間は極僅かだが、彼らは任務の期間の何年間か、ずっと緊張が続くのだから。

休戦であって終戦では無いのである。

小銃、拳銃を携え、一触即発、まさに戦場なのである。

ソウルの街は華やかで戦争とは無縁のように見えたが、戒厳令の夜間外出禁止令が解除されたとは言え、韓国は未だ戦時下にあるのだという状況がひしひしと感じられた板門店の見学であった。


at 07:33|Permalink
記事検索
月別アーカイブ