July 07, 2017

今日は七夕

今宵、『おりひめ星』と『ひこ星』のデートはどうなるのだろう。
毎年お天気が気になるのだが、今朝の日の出時刻には雲が多くて太陽を見ることは出来ず、日の出時刻を20分ほど過ぎてボヤケタ太陽をつかの間見ることが出来た。
s-2017-07-07_061918
上の写真の通りほんの暫く雲間に見えたのは赤みの強いオレンジ色の太陽だった、
先日は熟れた柿色という表現を用いたが、どうも言葉通りの色合いが携帯電話の写真では出なかった。
それで今朝は富士フィルムのデジカメ(Fine Pix)で撮ってみたのが下の写真。。
s-2017-07-07_065015やはり画素数が多い分、実際の光景に近い写真に撮れているようで満足したのだ。
しかし、この朝の空の様子では今夜のデートは、ムムムと思っていると、昼過ぎからは青空が広がり始めた。
私の記憶だと、七夕の夜は曇り空か雨空の割合が高いようなのだが・・・
実際に記録を調べたことが無いので高いかどうかは分からない。
深緑色-2
分からないと言えば七夕伝説に幾つか疑問に思うことがある。
今宵、『おりひめ星』と『ひこ星』に逢瀬を楽しんでもらうため、世のカササギたち全てが寄り集うて天の川に彼らによる橋を造ることになっている。
いったい何羽のカササギが集まるのだろうか。
カササギの橋を渡って逢いに行くのは『ひこ星』か『おりひめ星』か?それとも互いに歩んで来るのだろうか。
空色-2
幼い頃には、「ふーん」「へえー」と先ずまず納得していたことが、成長するにつれて疑問から疑念に発展することはよくあることだ。
私自身、天文知識が少しだけ広がった頃、『おりひめ星』と『ひこ星』はデートするため天の川をどれほど歩くのか。いったい彼らの足の速さは如何ほどなのか、など、まあドーデモええことが妙に気になったものだった。
7_天の川
上の赤い線の部分にカササギたちが橋を造るのだが、当時ざっと14光年と割り出したのだった。
1光年、つまり光が1年で進む距離は約9兆4600億キロメートルなのだ。
光が進む速さ、つまり光速は1秒間に約30万キロメートルということだ。
s-2017-07-07_151645新幹線の『ひかり』は時速300キロメートルで走行する。
光を時速に換算すると
約10億8000万kmだから、これはもう想像可能な域を超えており、比較することなど論外と言える。
まあ理屈はさておき、今日は七夕さまを。
願いも書いておこう。
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masatukamoto at 21:04|PermalinkComments(0)

July 03, 2017

西島サンの童画 【3】

西島氏の童画(集)を私の観点から紹介してきた。
s-2017-06-24_205817つまり独善的で独断ということだが、物事の感じ方というものは個々人の自由の範疇に属することゆえご寛容に。
『西島伊三雄 画文集 すんまっせん』
(1993年刊)についても紹介しておくことに。
この画集は表題を『画文集』とし、副題として『すんまっせん』としている。s-2017-06-25_064601

『画文集』という表題の通り内容は絵や文や写真などで構成されたものだ。
『すんまっせん』というのは西日本新聞・朝刊(平成4年1月18日~4月27日)が連載した西島氏よりの聞き取り記事のテーマであったとのことだ。
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『画文集』の内容を簡単にまとめると、西島伊三雄氏が生きてきた時代と彼の人生、それらと関わって彼が行ってきた仕事を紹介した本だと言えそうだ。


童画のページがあったり、彼の生い立ちや様々な人との関わりなどについて書かれたページ、デザイナーとして制作された観光ポスターなどのページ、そして博多もんの祭s-2017-06-25_070116のページもある。
s-2017-06-25_065658博多どんたくの絵(右)や祇園山笠の絵(下)もある。
















この『画文集』には西島氏制作の観光ポスターも紹介されているのだが、
「このポスター見たことがある。」
「へえー、西島氏の作品やったんや。」
そんなふうに新発見やと思った作品が三つ。
s-2017-07-03_140757それに切り絵風(多分)の作品だが、いいなあと思ったのが『からつ』の観光ポスター。
白砂青松、唐津・虹の松原をイメージした作品のように思えるのだ。
この作品は1959年(昭和34)の制作だ。


下のポスターは鹿児島でだったか大阪でだったか見たことがあるのだ。
s-2017-07-03_141532桜島と錦江湾をイメージしたものと思うが、油絵風のタッチで火山の山肌をよく表現しているもので印象に残っているものだ。
この作品は1965年(昭和40)の制作だと。



次のポスターもよく記憶に残っているもので、ポスターの絵柄から奄美s-2017-07-03_140334諸島について充分想像できたが1965年(昭和40)2月に屋久島へ渡って以後、南の島へは行ってはいない。
ちなみにこのポスターが制作されたのは1975年(昭和50)のこと。


下のポスターは1979年(昭和54)制作の宮崎県s-2017-07-03_141310の観光ポスター。
私たちのハネムーン最終の地が宮崎・日向港で、記念に買ったのが高千穂神楽の人形(手力雄命)だった。
だからこのポスターを見た時に旅行のアレコレを思い出したものだった。



masatukamoto at 16:13|PermalinkComments(0)

西島サンの童画 【2】

7月3日。
梅雨の時節とはいえスッキリした日の出を見ることが出来ない日が続く。
今朝は熟れた柿のような色をした太陽が出てきたが今更波長の学習でもなかろう。
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急ぎ昇る太陽は 6時30分には化粧を済ませ、白い顔で私を見下ろしていた。
今日も暑い一日になりそうだ。
2017-06-29_060226
昨日は留守番をしながら西島サンの画集の紹介をしてみた。
私は西島氏の童画が好きだから画集を見たり、中洲流の扇子や手ぬぐいを飾ったりしている。
s-2017-07-03_093455彼の画集は昨日紹介した『西島伊三雄 童画集 日本の十二ヶ月』(1973年刊)、これが多分画集として発刊された最初だと思う。
次に発刊されたのが『西島伊三雄 童画集 わたしの思い出』(1979年刊)、その後、『西島伊三雄 画文集 すんまっせん』(1993年刊)、そして既に紹介した『画帖 緬甸』(2003年刊)だと。
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※ 上は『博多どんたく』
※ 右下は『祇園山笠』
西島研究のための資料集めをしているわけではないので画集がこれだけなのかどうか私は知らないし、公にはなっていない作品はまだまだ沢山あることだろうと思う。2017-07-03_100832
実際、私が博多を訪れた折に立ち寄る割烹店の座敷には月替わりで西島氏の絵が掛けられていることを知り、懇意にしている S 君にそれらを写真に撮って送ってもらった。
福岡の政財界人御用達の西中洲の店。今は無いが、この店を仕切っていたのが当該割烹店の気風のいい女将である。
西島氏には九州電力や福岡相互銀行などの大企業がパトロン的に支援していたから、女将が直接西島氏に描いてもらう機会があったのだろうと私は推測する。
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※ 上は『チンチン電車』
割烹店へは私一人で行くので、いつもカウンター席に座る。そのため座敷に掛けられている絵を見る機会が無かったのだ。余談だが、私ばかりが飲み食いを楽しんどると思われるのもイヤなので、家内と共にカウンター席に並び座ったこともあるお店だということも付け加えておこう。
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《 か や 》
『はじめて蚊帳を吊ってもらった日は、よその家に泊まるようで嬉しかった。(後略)』と西島氏は添え書きをしているが、『大正12年、博多駅の近くで生まれ育った私の子供の頃の記憶です。』と彼が懐かしく思う当時の情景を絵と文で表しているのがこの童画集だ。
2017-07-03_101224西島氏とは親子ほど年齢差のある私だが、彼の描く絵や文には共有共感出来ることが多く、童画集を開く度にほんわかした気分に浸ることが出来るのだ。

まだ梅雨が明けたとは聞いていないが、毎日暑い日が続くので西島氏の絵とともに、
『暑中お見舞い申し上げます』



masatukamoto at 11:34|PermalinkComments(0)
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