October 15, 2006

信用出来ないオーストリア航空

オーストリア航空(OS597)便は13時05分発なので、私達は12時20分にボーディングゲート前の小さいスペースの待合所の椅子に座って搭乗を待っていた。

通常、出発30分前には手続きが始まるのだが、なかなか始まらなくて10分前になって、ようやく搭乗開始の手続きが始まった。

帽子をかぶったユダヤ人の団体がいたので、彼らがゲートを通ってからと思い、しばらく列に並ばずに座っていた。

列の残りが僅かになったので私たちも並び、そしてチケットを提示したところ、しばらく待ってくれとオーストリア航空のオバハン職員が言うものだから、また座り直して待っていた。

しかし、出発時刻まで僅かになったし、待合所の座席に座っているのは他の便に乗る客のようだったので、どうなっているのか、そのオバハン職員に訊ねるとオーバーブッキングだから乗れないとぬかしおった

オーストリアでは良い思い出ばかりが残っているのに、このウィーン空港へやって来て、オーストリア航空の男の職員、コンピューターの故障は仕方が無いとしても、何の説明も詫びも無く、待たせ続けた不手際、更には待たせるだけ待たせた挙句にオーバーブッキングだから乗れないとは・・・・・

『ホトケ』と呼ばれた私でも流石に我慢出来ず、そのオバハンを大声で怒鳴りつけた。

コンピューターの故障だから・・・」と・・・オバハン。

「誰のコンピューターやねん。」

「俺のコンピューターかね。」

「言い訳はいらん。馬鹿もん。」

私が怒ったのはオーストリア航空の職員の接客態度にもだが、この便を逃したら本日の後の便が無いということと、日本で便を予約する際にオーストリア航空が信頼出来ると信じたことに対する裏切りであったからである。

早くに日本でチケットを買って、当日も早くチェックインを済ませ、座席も家内との並びで取れておった。

怒鳴り散らした為かどうかは知らないけれど、それから搭乗ゲートにいた職員が走り回りよった。

その結果、空席の確認が取れたようで、階下のバスに乗り込む事が出来た。

途中、私達のラッゲージがカートで運ばれていくのも目にし、やっと安堵した。


しかし、私は前の方の座席、家内は後ろの方の座席でバラバラ。

チェックインの際の座席の指定は、どないなってんねん。

並びの座席については、日本での発券の際にも確認できてたはず。


オーストリア航空という会社はアカン。

まだ続く信用出来ないオーストリア航空(つづく)





at 15:06|Permalink

ウィーンにての続き4

オーストリアでの、のんびりした滞在を経て、いよいよポーランドへ向かうことになった。

ウィーンは勿論ザルツブルクも含め、オーストリア滞在は私たちにとって、とても素晴らしいものであった。

私達が乗るオーストリア航空のポーランド・クラコフ行きの飛行機は13時05分発だが、初めて訪れる空港だし、出国手続きやお昼の食事も済ませなければならないと考え、空港へは10時に着いた。

ホテルから空港まで1時間程度かと予想していたが、ベンツのタクシーは高速道路をビュンビュン飛ばし、15分程度で到着した。

シュベッヒャート・ウィーン国際空港は大きい空港ではあるが、タクシーなどの乗降のための半円形の駐停車スペースに面した建物にチェックイン・カウンターが設置されているので迷うということはなかった。

しかし、チェックインが自動化されてきているので、操作に不慣れな私はオーストリア航空の男の職員に手伝ってくれるように要請したのだが、何と自分でやれと。


ワカランから訊ねているのに、何とも無礼な奴であった。

そこへ通りかかった赤い制服のオーストリア航空の女性職員に手伝いを依頼したところ、懇切丁寧に、一つ一つの動作を確認しながら私と共に親切にしてくれた。

多分、身長180数センチはあるスラッとしたアフリカ系黒人の美人であった。

次に、私と家内の荷物を預けにバッゲージカウンターへ行ったのだが、どのカウンターも業務をストップしたまま。

カウンターの女性職員はコンピュータ画面を見つめたまま、凍りついたように身動き一つせず。

荷物を預ける乗客が次々と並び、長い列を為すそんな状態で40分も待たされてしまった。

この間、乗客たちには何の説明も無く、職員同士の会話から、どうやらコンピューターにトラブルがあったらしいと知ることができた。

ようやくのこと荷物を預けた私達は、早めに空港に来ておいて良かったなあと言いながらレストランへ入った。

レストランと言ってもテーブルと椅子があるだけで、パンやシチュー、飲み物など、自分で好きなものを選んでキャッシャーでお金を支払う大学の生協食堂のようなセルフサービスのレストランである。

が、駐機場を眺めていて驚いた。

ウィーン・フィルの専用機が駐機していたのである。

e7134edc.jpg





at 13:51|Permalink

October 03, 2006

ウィーンにての続きの3

前回、シトー派について触れました。

シトー派が自給自足に近い生活を行なうために開墾作業も各地で行なってきました。

そして聖餐用のワイン造りのためにブドウも栽培していました。

今日のワイン発展の歴史と修道院でのワイン造りは決して無縁のものでは無かったということです。


ウィーン市にはドナウ運河が流れていますが、このドナウ川、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、そしてルーマニアを経て黒海へ流れています。

確か、全長3000kmにおよぶ長さであったように・・・。

昔から水上交通として利用されていた川ですが、ヴァッハウ渓谷を2時間ばかりかけて巡るドナウクルーズという観光船があります。

下の写真は、ドナウ川クルーズの際のものです。

下はベネディクト派のメルク修道院。

お城や宮殿を思わせる大きい建物は聖堂のほかに学校、それに10万冊を超える蔵書を持つ図書館などもあり、一部は博物館として公開しています。

035a124f.jpg
下の写真は、修道院のテラスよりメルクの街並みを眺めたものです。
右側の茶色の部分がドナウ川の船着場あたり。
336df3da.jpg
下はドナウ川の船着場と、遠景はメルク修道院。
08291825.jpg
クルーズの途中川の両岸には落ち着いた街並みや中世の古城を見ることができます。
7d5d34bf.jpg
デュルンシュタイン、とても素敵な町です。6a6c4a10.jpg
クルーズの観光船はとても長くて大きいのです。

そしてドナウは美しく青きものではありませんでした。

茶色く、とても流れの速いドナウ川での操船は、きっと大変に難しいものだろうと思いました。
0e92928a.jpg





at 11:36|Permalink
記事検索
月別アーカイブ