April 12, 2007

ソウル滞在 10

ソウルが休戦状態にあるとはいえ、戦時下にあることは既に書いた。

しかし、韓流ドラマに涙し、ペー様、ヨン様と熱を上げる日本の女性たちには『国土の分断』や『民族の分断』などは頭に無いのか、ソウルのロッテホテルや新羅の免税店で目を輝かせ、グループで焼肉店へ押しかけ、カルビじゃ何じゃと日本語で嬌声を上げている。

まっ、それも良いであろう。

妓生が廃止され、表向き禁止されているはずの売春婦をホテルの部屋に連れ込んでいる日本の男どもに比べりゃ可愛いものである。

チェックインの段階では日本の男ばかりのグループが、夜になれば韓国女性を連れて部屋に帰り、朝になれば二人でレストランへ朝食を食べに現れる。

自由恋愛??

そう言われれば何も言えないが、ソウルのポン引き君、模範(モボン)タクシーの運転手氏、カラオケ店やクラブのマネージャー氏と、私の知り合いたちは自由恋愛とは言わない。

需要と供給という経済の原則に立っているだけなのだそうで、そこに金銭の授受があることを彼らは認めている。

そんなソウルの街の北、わずか52kmの地点にまで北朝鮮が掘削した韓国侵攻のための地下トンネルが伸びてきている。

私が訪れたのは第3地下トンネル

現在まで4つのトンネルが発見されているが、北朝鮮より韓国へ亡命した者達の供述から20数本のトンネルがあるらしい。

1970年代に南侵トンネルが発見されたという韓国報道を聞き知った時、私は韓国側の反北朝鮮宣伝工作の一環であろうと思い、北朝鮮が掘り進んできたという報道には半信半疑であった。

しかし、今回第三地下トンネルに入って我が目で確認したことは、北朝鮮の反論は道理が通らないということであった。

その一つ。

北朝鮮側は石炭鉱脈があるから掘ったというのだが、幅2m、高さ2mの坑道内部に鉱脈どころか、石炭の『せ』の字も発見できない花崗岩の岩脈を貫いたものであったということである。

次に、韓国がトンネルを掘って、それを北朝鮮が掘ったと宣伝しているのだという北朝鮮側の主張についてであるが、

トンネル掘削の際に使用される削岩機が掘削したホールの痕跡の角度からは韓国側から掘ったとは考えられないものであった。

他にも韓国側の説明はあったが、この2点で充分であろう。

トンネルの長さ ・ 1635m

1時間以内に30000人の完全武装兵士が移動できる規模だと言う。

トンネルの入口付近こそ整備されていたものの、地下数10メートルまでドンドン急角度で下る坑道は岩面むき出しで、地下水が滴り落ち、ヘルメットを被った頭が時々坑道補強材にぶつかりそうな感じであった。

最奥部は分厚いコンクリート壁で固められており、ダイナマイトの爆破でも崩れないそうだが、地上へ戻るまでの急な坑道は、とても一気に登れるようなものではなかった。

この場所については写真が無い・・・つまり撮影不可。


at 10:04|Permalink

April 07, 2007

ソウル滞在 9 板門店

軍事境界線(休戦ライン)=38度線は朝鮮半島の東西248kmにわたって敷かれているが、その南北それぞれ2km幅、つまり4km幅のDMZ=非武装地帯が南北朝鮮を隔てている。

そして、南朝鮮の韓国側では、DMZラインよりも更に2km幅で一般人立ち入り禁止区域を設け、韓国軍の管理下においている。

つまり軍事境界線(休戦ライン)=38度線から南側の2km幅の地帯を国連軍の監視下におき、それから更に南側の2km幅を韓国軍の管理下においているのである。

そうした南北分断状態の中、唯一『板門店』だけが軍事境界線(休戦ライン)=38度線に接しており、その境界線上に軍事停戦委員会本会議場が建てられており、直径800mの円形の場所をJSA(Joint Security Area)=共同警備区域として北朝鮮軍と国連軍が共同で警備にあたっているのである。

下の写真は軍事停戦委員会本会議場の建物の中。

テーブルの右側が北朝鮮代表の席で左側が韓国側(国連側)の席、そして拳銃携帯の監視兵は軍事境界線(休戦ライン)を跨ぐように24時間交代の歩哨に立っている。
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下は本会議場の隣の建物であるが、本会議場も同様の建物であり、建物を結ぶように敷かれたコンクリートが軍事境界線(休戦ライン)である。
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軍事停戦委員会本会議場のテーブルを置いてある場所だけは北側へも南側へも軍事境界線(休戦ライン)を越えて移動することは出来るが、建物の南北に設けられた出入り口を一歩出れば元へ再び戻ることは出来ないのである。

元へ再び戻ることが出来ないと言うのは許可無く国境を越えたという行為によって狙撃され、再び生の世界に戻れないという意味である。

過去に外国のジャーナリストが取材目的で休戦ラインを越えたことから銃撃戦に発展し、南北双方の兵士数人が亡くなったことがあったそうだ。

下の写真は軍事停戦委員会本会議場の建物と、向こう側の一段高い場所に建っているのが北朝鮮側の監視所である。
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北朝鮮軍の歩哨兵士が建物入口に立ち、肉眼では分からなかったが建物の窓からは監視が行われているということであった。
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下の写真は、韓国側の『統一自由の家』である。
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我々が本会議場見学からの帰路、警備の国連軍兵士達が敬礼で送ってくれた。
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写真撮影は禁止されていたが、特定の場所でのみ許可が出た。
本会議場見学の間、私たちの緊張は続き大きい声も出なかったけれど、警備にあたっていた兵士達の緊張はそれ以上のものであろう。

私たちの見学時間は極僅かだが、彼らは任務の期間の何年間か、ずっと緊張が続くのだから。

休戦であって終戦では無いのである。

小銃、拳銃を携え、一触即発、まさに戦場なのである。

ソウルの街は華やかで戦争とは無縁のように見えたが、戒厳令の夜間外出禁止令が解除されたとは言え、韓国は未だ戦時下にあるのだという状況がひしひしと感じられた板門店の見学であった。


at 07:33|Permalink

ソウル滞在 8 板門店

見学の順序は違うが、板門店から思い出すままに。

もう一度整理しておくと、朝鮮民族が住んでいる朝鮮半島は1910年以降、太平洋戦争が終結した1945年まで日本の武力的恫喝により植民地とされ不幸な時代を過ごした。

日本の敗戦がポツダム宣言の受諾によって決定された時、アメリカはソ連に対して朝鮮半島の38度線を境界とした分割占領案を提起し、イギリス、ソ連、中国に伝達した。

日本の敗戦後、朝鮮人民は自らの力で朝鮮人民共和国を樹立したが、アメリカ軍が朝鮮南部に進駐し、南朝鮮を軍政下においてしまったため北朝鮮と南朝鮮の分離が実際のものとなり、1946年5月には『38度線の無許可越境禁止』布告をアメリカ軍政府が出すに至った。

第二回国連総会では、朝鮮で総選挙を実施し、すみやかに国民政府を樹立することを決議したが、金日成もソ連も38度線以北への立ち入りを拒否し、アメリカは国連小委員会で南朝鮮だけでも占拠を実施するとの決議を採択させた。

この後、南朝鮮では大韓民国が樹立し李承晩政府が誕生、北朝鮮では朝鮮民主主義人民共和国が樹立された。

下の写真の木々が並ぶ辺りが軍事境界線(休戦ライン)であり、そこから南北それぞれ2kmの幅でDMZ(Demilitarized Zone)・・・非武装地帯が続いている。
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しかし1950年6月25日、韓国軍と共和国警備隊の武力衝突を契機に『朝鮮戦争』が勃発。

『朝鮮戦争』は大きく4つの戦局に分けられ、第一は北朝鮮軍が朝鮮半島のほぼ全域を支配した時期、第二はアメリカ軍がほとんどの国連軍が仁川上陸作戦を実施・展開した時期、第三は中国の人民志願軍が北朝鮮軍と合同で先頭に加わった時期、第四は戦争状態の膠着が続き、停戦協定が結ばれたまでの時期で、3年と1ヶ月の期間続いた。

下の写真の凍てつく道の先に『帰らざる橋』がある。
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捕虜の交換が行われてきた場所であり、再び元へは戻れないという意味で名付けられたらしい。

朝鮮半島の38度線での南北の分断、南北それぞれに政権を樹立させたことによる南北分断の固定化、そして、それは朝鮮民族の分断化という植民地支配とは異なる新たな悲劇を生み出してきた。

こうした道筋は朝鮮民族自身が望んで生み出したと言うよりも、第二次世界大戦終了後の世界支配を目論んだアメリカやソ連といった大国のエゴが渦巻く中で、朝鮮民族が翻弄されてきたものと見るべきであろう。









at 04:44|Permalink
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