November 05, 2006

旅行ガイドブックについて

既に書いてきたように、私達はクラコフ空港からポーランドへ入国して以来、行く先々でポーランドの人々の親切に接してきた

私が旅行前にガイドブックで得た知識の中で、スリ、置き引き、強盗の被害が続発しているので注意するようにとの記述があった。

私が呑気なのか、それとも私がお金とは縁遠い人物に見られていたのかは分からない。

確かに、これまでの海外への旅行で金品を盗まれることも傷害を負うような出来事にも幸いにして遭遇しなかった。

これは幸いと呼ぶのが正しいかもしれない。

デンマークのコペンハーゲンのホテルでの朝食中、バイキング形式であったために老夫婦が料理を取りに席を離れている間に現金、クレジットカードなどが入ったバッグが盗まれるという事件があった。

この時の旅行は老年夫婦向けの所謂パック旅行であったが豪華なものであった。つまり、私以外の人たちはお金持ちであったということ。

私は団体旅行というものが嫌いなのだが、この時、旅行社の企画主催旅行に初めて参加し、盗難事件というものにも初めて遭遇したのだった。

私に言わせれば、スリ、置き引きなどという事件は稀なことなのである。

この盗難事件(置き引き)にしても、老夫婦のいずれかが自席でバッグを管理していたならば起きるはずも無い事件だったのである。

特定のゲストしか入れないレストランの朝食時、多くのゲストが食事をしている最中に、捕まる危険を冒すようなマヌケな強盗など居よう筈もない。

こんな状況判断も出来ないような馬鹿な強盗に遭遇したなら、これは不運としか言いようが無いことである。

私が言いたいのは、それほど頻繁に、いつでも、どこでもスリ、強盗の被害に遭うものでは無いということである。

しかし、旅行ガイドブックにスリや強盗事件が頻発・注意との記述があれば、読む人にとっては、その地域は犯罪が多くて危険であるとの認識を持つものである。

確かに注意を促すことは必要であろうとは思う、が、そうすることが特定の地域の安全評価を下げる働きをも併せてすることを考えれば、その記述については慎重であらねばならない。

私が体験したポーランドでのこと・・・多くの人々と接したことも含めて、素敵なことばかりであった。

僅かな記述でポーランドやポーランドの人々に対するイメージを傷つけ壊すようなことはマスメディアとしては厳に慎むべきことである。

つまり、象の尻尾に触れただけで象全体を理解したことにはならないのと同じように、『一事が万事』という俚諺は当たらず、読む人も注意しなければならないということである。

弁解がましく聞こえるかもしれないが、私はオーストリア航空について苦言を呈した。

しかし、この苦言はポーランドの不特定多数の人々に対するようなものとは違い、私自身がオーストリア航空との間で経験した不愉快であったことを特定して記述したのであって、先のマスメディアに自戒を求めたものとは問題も観点も全く異なるものなので敢えて書き添えておく。

ついでだが、コペンハーゲンでの盗難事件発生によって、添乗員のお嬢さんと被害者の老夫婦は警察へ出頭させられることとなり、次の訪問地であるロシアへの出国手続き、搭乗手続きなど、皆さん方のパスポートをお預かりして私が臨時に代行せざるを得なかった。

添乗員と老夫婦は、幸いにして飛行機の出発時刻には間に合ったものの、警察での手続きが遅れたならロシアでの皆さん方の入国手続きもしなくてはならないと、私は腹を決めて引き受けたものの、やはり不安ではあった。

犯罪を未然に防ぐため、それぞれが注意することは必要ではあるが、ガイドブックに記載されてあるからと言って過剰に反応することは避けたいものである。




at 11:49|Permalink

November 04, 2006

アウシュヴィッツ・平和への祈り ?

囚人たちの生命と財産を奪い、劣悪な環境下で囚人同士を競わせ、将に飴と鞭を使い分けて囚人管理を行い、栄養失調、病気などの理由で働けなくなった者や反抗する者に対しては更なる手段を用いていた。

下の写真はビルケナウ収容所の共同便所である。
手前の方は壊れているが、ただ便器の穴が開けられているだけ。
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当初は妊婦と子どもは全てガス室送りであった。(後に子どもは収容されるようになった。)

地下の監房、その他の懲罰(鞭打ち、後ろ手に縛って体を吊るす)

生体による医学実験(男女の断種実験、有害物塗布など)

生体による薬学実験(新薬投与実験など)

集団絞首台

写真は『死の壁』と呼ばれる銃殺場
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ガス室と焼却炉

ナチ親衛隊員から、シャワーを浴びさせると言われた人々は脱衣場で衣類を脱ぎ、シャワー室に見せかけた600坪ほどの地下の部屋に2000人が詰め込まれ、扉を閉じた後、ナチ親衛隊員が天井の穴からチクロンBを投下。

中の人々は15分程度で全員が窒息死。

その後、死体から金歯が抜かれ、髪の毛が刈り取られ、指輪やピアスも取られた。

そして1階の焼却炉で焼かれたのである。

死体が多い時には外へ運び出し、積み上げて焼いた。

焼かれた灰は肥料として使われたり、近くの川や池に捨てられ、金歯は金の延べ棒として、髪の毛はマットレスや布として使っていた。

全くメチャクチャなことを行っていたのである。

ビルケナウの収容所跡には2棟の焼却炉とガス室が破壊された状態で残っているが、犯罪の証拠隠滅を図るためにナチ親衛隊によって爆破されたものである。

下の写真は、ナチス政権下犠牲者国際記念碑
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記念碑はビルケナウ収容所跡の引き込み線路の終着点、証拠隠滅のために爆破された焼却炉とガス室の側に建っている。

このビルケナウ(アウシュヴィッツ収容所2号)の面積が53万坪。
アウシュヴィッツ収容所(1号)も入れると相当な広さとなる全域を国立オシフィエンチム博物館としてポーランドが保存・公開している。

先に挙げた中谷 剛 氏は、この博物館の職員の一人で日本語担当のガイドを務めておられる。

オシフィエンチム博物館を訪れられる折には是非とも案内を乞うていただきたいものである。

と言うより、通り一遍の物見遊山の旅行ではなく、ほんの60数年前に行われた蛮行の歴史の場を是非訪れていただきたいものである。

広島、長崎を訪れると同じように・・・





at 15:58|Permalink

アウシュヴィッツ・平和への祈り ?

ヨーロッパ各地から収容所に送り込まれて来た人々はナチスから存在しない農場や土地を買わされたり、単に東ヨーロッパに移住させられるものと思い込まされていたので、持ち運び出来る貴重な物をトランクケースに詰め込んで収容所行きの列車に乗せられたのであった。
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ブジェジンカ・アウシュヴィッツ2号・ビルケナウ特別積み下ろし場。

遠方に引き込み線路を跨ぐ監視塔の棟が見える。(正門)

写真撮影の場所が終点。

線路は行き止まりである。

密閉された貨車に身動き出来ないほどに詰め込まれ、食料も無いまま7日間から10日間の旅をさせられて来た人々は、この積み下ろし場でナチ親衛隊の将校と医師の前に一列で並ばせられて『選別』が行われたのである。

医師の指1本が右に傾くか左に傾くか。

労働出来そうか出来そうにないか。

出来そうなら収容所へ。

出来そうでなければガス室へ。

運ばれてきた人々のうち、70%~75%をガス室へ送ったと、アウシュヴィッツ収容所の元・所長・ルドルフ・へス(ナチ親衛隊)が証言している。

人々が収容所に送り込まれた日、収容所の管理局長は囚人たちに対して、
お前たちに出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ。』
と言っていたそうである。

送り込まれた人たちは衣服を取られ、髪の毛を刈られ、貴重品なども全て取り上げられてガス室、或いは収容棟へ。

厳しい気候のアウシュヴィッツ。

詰め込み状態の収容所棟。

朝食はコーヒー?と呼ばれた500ccの液体。
昼食は腐った野菜で作られた水のような1ℓのスープ。
夕食は黒パン(300g)、マーガリン(3g)、薬草の飲み物。
1日の食事量1300~1700カロリー。

厳しい管理と監視下での重労働。

極悪の衛生状態。(伝染病の発生)

収容所へ送り込まれた人々も悲惨な状況下に置かれ、所内でも『選別』が行われていた。





at 14:28|Permalink
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