February 13, 2007

広島の話題に戻る 鹿島 1

閑話休題

閑話休題という言葉は、『それは、さておき』という用い方をされるが『無駄話を置いて話の筋を元に戻す』という意味が含まれている。

と、すれば、これまでの話は無駄であったのかということになってしまうが、イヤイヤ、そんなことは無い。

それぞれの人の物の見方や感じ方といったものは、その人の言動に表れるものであり、私の、あらゆるものに対する価値観も、これまでの文章表現の中に滲み出ていると言える。

そうした意味においても、これまでの寄り道には、それなりの意味がある。

ところで『寄り道』と言えば、私は新大阪から博多へ行くまでの経路や、或いは滞在する広島や博多を起点に近郊への寄り道をよくする。

下の写真は鹿島大橋から撮影した鹿島・瀬戸地区の姿(平成18年・2006年)である。
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昭和41年(1966年)当時には、係留される船も、これほど多くはなかったし、もっと小さい舟ばかりであった。

鹿島というのは周囲が8kmほどの小島で瀬戸内海にある。

広島市の南東に呉市がある。

呉は明治22年(1889年)に呉鎮守府【横須賀・佐世保・舞鶴と並ぶ帝国海軍区の機関】、明治36年(1903年)には呉海軍工廠が設置され、明治21年(1888年)には対岸の江田島に海軍兵学校が東京築地から移転してきており、戦前・昭和20年(1945年)8月までは軍港の町として栄えていた。


呉の海軍兵学校は、軍歌『同期の桜』に歌われ、また、イギリスのダートマス海軍兵学校やアメリカ合衆国のアナポリス海軍兵学校と並び称せられた海軍指揮官養成の施設で、当時、海軍には呉の海軍兵学校の他、海軍機関学校、海軍経理学校が設立されていたが、いずれも卒業後は少尉(学士は中尉)に任官されるという士官養成のための優秀な学校であった。

戦前、昭和16年(1941年)呉海軍工廠で大型戦艦・大和が完成就役したが、呉は地形的に江田島と倉橋島に囲われ、それらの島々が天然の防波堤となり戦前には軍港として栄えた町である。

特攻と言えば陸・海軍の航空隊による『特別攻撃隊』(後に神風特別攻撃隊と称せられる)を思い浮かべるが、敗戦の色濃くなり始めた昭和19年(1944年)8月には山口県大津島に人間魚雷『回天』の特別攻撃隊の基地が設けられたが、この『回天』の試作が前月の7月に呉海軍工廠で行われたことは余り知られていない。

翌昭和20年(1945年)1月18日には『全軍の特攻化』が大本営・政府連絡会議で決定され、『1億火の玉・総玉砕』戦略が至上のものとなって8月の敗戦まで更に一層多くの人命を犠牲にさせる結果となっていった。






at 05:33|Permalink

February 10, 2007

『はざま』 生駒の割烹

このお店についても、そろそろ紹介しても良い頃かと思う。

私が初めて、このお店を訪れたのは・・・もう4年前になるだろうか。

確か平成14年(2002年)の秋だったように記憶している。

友人の奥さんに店のことを教えてもらって一緒に訪れたのだが、開店して間もない頃であったように思う。

今年は2007年だから、多分、開店5周年目を迎えたのだろうと思う。

旬彩割烹『はざま』
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近鉄・奈良線、生駒駅下車、駅から言えば近鉄デパートの北東方向へ歩いて数分の場所にある。

4階建てのビルの1階に駐車場と、上の写真のような階段状の入口がバス通りに面してある。

             下は、階段を上った所にある玄関である。

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下は、玄関を入った位置からの2階の客席。
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上の写真・左奥から玄関方向を見た写真。
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2階は写真のようなテーブルと椅子を置いた席と、カウンター席があり、カウンターの奥が厨房になっている。

3階は掘り炬燵式の和室仕様になっており、小部屋に仕切られているが、仕切りを外すことも出来る。

道路に面してはいるものの、静けさを確保出来た良い店構えである。

何ゆえに『はざま』を紹介するか・・・

私は、前ページまでに店を選ぶ3つの条件について書いてきた。

この旬彩割烹『はざま』は、それに合致すると判断するからである。

一品料理もあるが、コース料理として3種類ある。

お昼には、コース料理と同じ食材を用いた箱膳風のものを提供し、ご婦人方の人気を集めている。
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上の写真は、ある月の『先付け』であるが、私は家内と2人で月に一度は訪れている。

一つには、月ごとに献立が変わるので、それを楽しみにしているのである。

勿論、料理について不足を抱いたことはこれまで無い。

お運びは、若いお嬢さんと店長氏が行っているが、配膳のタイミングが良いのである。

それに、若いお嬢さんでありながら、気配りに優れているのである。

以前のフロア・マネージャー氏も現在の店長氏も、なかなかお酒の造詣深く、酒類についても安心できる。

酒に関して不足を述べれば、サッポロ・ビールを置いていないこと。

しかし、ヱビス・ビールがあるので、ちょっと贅沢な瓶で満足はしている。

カウンターにいる板前のA氏は人柄良く、刺身を担当しているが向上心強く好ましく思える。

あまり誉め言葉を並べるのも良くないが、割烹『はざま』の味を決めるのは厨房で監督、自ら腕を振るうH氏である。

初めて店を訪れた時から、生駒にもエエ店が出来たもんやと、料理の美味しさについて感心していたのだが、後に聞き知ったのだが、H氏は高麗橋『吉兆』本店で修行していたのだとか。
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それを聞いて納得。

料理の味わい、器の選定、盛り付けの美的感覚・・・配膳のタイミングなど、どれをとっても流石に『吉兆』・湯木氏のもとで学ばれただけのことはあると感心した次第。

高麗橋の座敷に連れてもらったのは随分昔。

『吉兆』も帝国ホテルをはじめ、リーガロイヤル京都、嵐山など、もう20店舗を超えているのではないだろうか。

湯木氏の料理や器などの文化観は、茶の湯に通じた日本文化そのものである。

『おもてなしの心』・・・旬彩割烹『はざま』で感じられることは誠に嬉しいことである。


at 14:37|Permalink

横道へのついでに 料理(店)を論ず 4

つまり『雰囲気』というものは醸し出す方も感じ取る方も、物質を介在する場合もあるが、精神的な感情が交差することによって得られるものであり、現象ではない場合が圧倒的に多い。

客に良い雰囲気を感じ取ってもらおうと、取って付けた様な態度を見せてもダメである。

勿論、それを努力として認めないわけではない、それが至極通常の何気ない平時の姿勢となった時、そこには素晴らしい雰囲気が生まれていると私は確信に近い思いを持っているのである。

例を挙げた方が分かりやすいかもしれない。

『マナガツオの西京焼』を例に。

名前の通り、マナガツオの切り身を京都産の白味噌に漬けた焼き物である。

素材と味噌の吟味、魚の下処理、味噌への漬け込み時間、焼き加減などは当然上々の出来映えとし、盛り付けも色合い、大きさなどを考え合わせ、黒っぽい粟田焼の平皿に盛ったとする。

器の質量感と色合いにマッチし、視覚、嗅覚、味覚に食感と文句の付けようもない。

これらは客が現象として認め、自らの感覚として納得し得ることである。

ところが、この調理長、マナガツオを盛り付ける前に器の平皿を温めておいた。

これは、客が皿に手を触れなければ分からないことである。

通常、箸と椀には触れても、他の鉢や皿に手を触れることは少ない。

つまり、現象としては客には見えない行為、これが心配りなのである。

客に分かってもらおうとする行為ではなく、分かってもらえなくとも最高の状態で客に食べてもらおうという料理人の気遣いなのである。

こうした気遣いのもとに、調理人の自信と誇りに満ちた作品が生まれるのである。

『一期一会』とは、目に見えない気配り、心配りを相手の立場に立って行うということであり、宗教を引き合いに求めるならば、代償を求めない愛、或いは阿弥陀仏の無量光(本願)の如き広大無辺なる慈悲にも通じるものと私は考えている。

茶の湯における亭主の客に対する歓待の姿勢・『一期一会』。

お店の『雰囲気』は、張りぼての見せ掛けではない。

随分の『横道』となってしまったが、私が通うに値する店と評定する店が、いかに少ないか分かっていただけたであろうか。




at 13:17|Permalink
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