November 03, 2006

ポーランド・クラコフ 親切 ?

タクシー乗り場と言っても広いスペースがあるわけではなく、2車線道路が駅前まで通じ、タクシーは客を乗せるとUターンして戻るという狭いもので、周囲には屋台のような新聞、雑誌などを売る店が何軒も並んでいた。

10人ばかりがタクシーに乗るために並んでいたが、行き交う人が多くゴチャゴチャした感じであり、タクシーはなかなか回って来なかった。

中央駅と私達が泊まるホテルの位置関係を地図として頭に描いていた私は、歩いても、そう遠くは無い距離と想像していたので、家内と歩いてホテルまで行くことにした。

しかし、しばらく歩いて行ったのだが、どうも地図上の目印となる施設などが見当たらず、幾本も並ぶ鉄道線路を潜る広い道路など、私がイメージする所とは異なる場所へやってきた感じがし、歩く人の数もまばらとなったために簡易地図を広げて見た。

が、どうも分からず、道端に掘っ建て小屋のように建つ売店でホテルへの道を尋ねることにした。

店の売り子の老婆に簡易地図を見せて尋ねたが分からず、客の中年男性は言葉が通じないまま、身振り手振りで教えてくれた(多分)のだが、よく分からないまま礼を言って、再び歩き始めることにした。

しかし、しばらく歩いたところで又々どの道を進めば良いのか迷ってしまった。

誰かに尋ねれば良いのであるが、誰も通りかかってはくれず、簡易地図と睨めっこしながら困り果てていた。

そこへ小走りに駆けてきたお嬢さんが、ホテルへ行く道に迷っていることを確かめた上で、自分が案内してあげると申し出てくれたのである。

このお嬢さん、掘っ建て小屋の暗い店の奥にいたのであるが、私が中年男性の説明を受けて理解出来たと思っていたらしい。

ところが私達が間違った道を歩んでいるのを見つけ、走って追いかけて来てくれたのである。

道案内してもらって判明したのは、私達は駅の反対側に出て、ホテルと離れる方向に随分歩いて来ていたということだったのである。

だから再び駅まで戻って、地下の連絡通路を越えて30分ばかり歩いて、やっとホテルにたどり着いたのである。

どんより曇って湿度の高い日だったので、私の額から、そして背中からは滝のように汗が流れ落ちていた。

このお嬢さん、ホテルまで連れて来てくれたのであるが、お嬢さんが帰る家は掘っ建て小屋の売店から更に30分ばかり歩いた所なのだそうな。

先のご婦人もそうであったが、往復にして1時間ばかりの距離を歩く労力と時間を私達への道案内のために費やしてくれたのである。

言葉だけの道案内でも嬉しいのに、わざわざ遠い所を一緒に歩いてまで案内してくれたという親切に、私達は、ただただ感謝の言葉を発する以外無かった。

国立ヤギェウオ大学で哲学を専攻しているという二十歳のお嬢さん。

私達がクラクフに来て、僅か数時間のうちに受けた心温かい親切、彼女が二人目であった。


at 12:01|Permalink

ポーランド・クラクフ 親切な婦人

駅舎も無く、野原に少し盛り土をしたプラットホームに入ってきたのは気動車。

私達は空いていた4人掛けの席に座ったが、ポーランド兵士たちが立ったまま話し合っていただけで、ほぼ満席状態。

私達が掛けた席には先ほどの婦人が同席。

先ほど、バスの乗車について教えてもらったことの礼を言い、クラクフ中央駅までの20分程度の乗車中、この婦人と楽しく語らうことができた。

アメリカ系のポーランド人だという婦人との交流は、落ち込んでいた私達の気持ちを和らげる特効薬となった。

中央駅というだけあって、かなり大きい駅のように思えたが、日本のターミナル駅のように明るくてキレイなものではなく、プラットホームから下りた地下連絡通路も4~50年前の大阪駅のようなものであった。

行き交う人は多いのだが、何か野暮ったくて暗い感が強い駅であった。

家内と二人なら多分迷っていたと思うが、先の婦人が、ホテルへ行くのはタクシーを利用するのが良いと、ややこしい駅構内をスイスイと通り抜けてタクシー乗り場まで案内してくれた。

私は彼女にお礼を言ったのだが、その別れ際の会話の中で、彼女の住まいは鉄道で更に40分も離れた場所にあり、そこへ帰る途中、私達の道案内をしてくれたことが分かった。

初めての土地で迷ってばかりいた私達のために時間を割いてくれたのである。

最近の日本では少なくなってきたように感じるポーランド人の『親切』。

どれだけ嬉しく思ったか、言葉では充分表現しきれない。

私達が受けた親切は、これだけでは無かった。




at 10:05|Permalink

October 16, 2006

ポーランド ・ クラコフ

前回、クラコフ空港でのラッゲージ受取りに関するトラブルについて書いた。

オーストリア航空のズサンさや職員の接客態度の悪さ、勿論、全てが悪いわけでは無いであろう。

実際、赤いオーストリア航空の制服を着たアフリカ系黒人の地上アテンダントの女性の対応は、日本の航空会社各社の職員にも学んでもらいたいほどのあたたかさ溢れる対応であった。

しかし、『信用』とか『信頼』、これは企業が事業を行う上で最低限保持しなければならない基礎的基本的なことであると同時に、人として生きていく上で身に付けなければならない最も大切なことでもある。

これらは実績として、業務上の結果という形で目に見える場合もあるが、感情的なものとして表には表れず、人々の『思い』という観念として定着してしまうことも多い。

一事が万事』という俚諺がある。

また『ホトケの顔も三度』という俚諺もある。

オーストリア航空は、しっかりと自戒してもらいたいものと思う。

クラコフ空港におけるバッゲージ・クレームで時間を取られてしまった私達は暗澹とした気分のまま手荷物だけで小さな空港を出た。

空港前にはレンタカーがズラリと並べられてあり、タクシーが数台、青色のリムジン・バスが1台停車し、離着陸便が少ないのか行き交う人の数は僅かであった。

私達はホテルまでタクシーに乗るつもりでいたが、大きいラッゲージも無いのでリムジン・バスを利用することにし、バスの運転手に料金について訊ねたのだが、この運転手、全く英語を解さないため、バスに乗って良いのかどうかも分からず、沈み込んでいた気持ちが一層落ち込んでいった。

途方に暮れていたところ、このバスに乗り込んでいた老婦人が運転席横まで来てくれ、どうしたの?と英語で尋ねてくれた。

ホッとした私が、クラコフの町まで行きたいことを伝えると、このバスに乗れば良い、バス代を払う必要はないと教えてくれた。

え?と不思議に思いつつも、私達は、このバスに乗り込んだ。

乗客は、私達も含めて7人のみ。

やがてバスが発車し、林間の道をほんの少し走ったところでバスが停車。

運転手も私達以外の客も降りていった。

しかし、そこは町らしい雰囲気など全く無い野原の真ん中のような所。

不思議に思って座っていた私達に、先ほどの老婦人が、「ここで降りて鉄道に乗り換えるのよ。」と教えに来てくれた。

よく分からないままに私達が降り立った所は、野原に少し盛り土をしたようなプラットホームであった。

バスの乗客の他、一般の人が2人、それに6人のポーランド兵士がプラットホームに立って列車が来るのを待った。

リムジン・バスというのは、空港と都会(町)の中心部を結ぶものだと思っていた私の頭は混乱し、荷物が行方不明で暗澹とした気持ちになっているのに、更に英語も通じない国にやってきたということに完全に打ちのめされた気分になってしまっていた。

一体、この先、どうなるの?



at 04:57|Permalink
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