December 12, 2006

チェコ・プラハ?

前回、ドイツがチェコを支配していた頃の抑圧について、国民劇場に関わって少しだけ触れました。

しかし、迫害と差別の歴史というものを振り返り見れば古代、いや、人類の誕生にまでさかのぼることが出来るかもしれないほどのものであるように思えます。

民族、国家といったものには、それぞれ固有の文化・伝統というものが形成されてきており、それを構成する個人には他との差異を認識し、そこに優越感や奢侈を望むという『欲』が生じます。

『欲』と言う言葉は宗教的観点からの表現ですが、『~したい』とか『欲しい』『惜しい』といった人間的欲望が国家や民族間に於ける戦争、或いは個々の人々の間で起きてきた紛争といったものを起こしてきたと言っても決して過言では無いと考えます。

宗教戦争、民族紛争といった問題から、人種、言語、階級差別、そして現代日本における『イジメ』も含め、それらの根幹には人間の『欲』が作用していると私は考えるのです。

ともあれ世界の歴史を顧みた時、民族的迫害と差別を受けてきた最たるものはユダヤ人に対するものであると言えるでしょう。

旧約聖書におけるアブラハムは信仰心厚く、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においても尊敬される人で、イスラム教のコーランではイブラーヒームとされています。

ユダヤ人を語るには、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、それにメソポタミアのバビロンと、話の幅が広くなりすぎますので、ここでは省きます。

史実が明らかなところで言えば、十字軍遠征の頃より、ヨーロッパ・中東におけるキリスト教徒のユダヤ人に対する差別と迫害は厳しく、彼らの居住する地区は隔離、強制されてきました。

それを『ユダヤ人ゲットー』と言いますが、ここプラハにもユダヤ人地区と称される街区があります。

プラハ旧市街の北側外に隣接する地域ですが、ヨゼホフ(Josefov)と呼ばれています。

18世紀に皇帝ヨゼフ2世による施策で差別が少し緩和されたということから、皇帝の名前をとって地区の名前としていますが『ユダヤ人ゲットー』としてはヨーロッパにおいて、かなり広い地域であるように感じました。

19世紀末までは、密集した家々と狭い道が入り組み、非衛生的な環境に置かれていたようですが、現在は道路も整備されて当時の様子はほとんど窺い知ることはできません。

シナゴーグ(ユダヤ教の教会)の建物などがユダヤ人地区であることを示している程度です。

下の写真はユダヤ人地区の建物です。
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at 08:41|Permalink

December 11, 2006

チェコ・プラハ?

下の写真は火薬塔と呼ばれているものですが、もともとは旧市街を囲う城壁の門の1つだったそうです。
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下の写真はヴルタヴァ川に架かるチェコ軍団橋のたもとに建つ国民劇場。
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この劇場は1883年に完成したものですが、チェコ人の独立と文化・伝統を守るという意識の象徴ともされるものです。

チェコがドイツの支配を受けていた当時、チェコ語を話すことは厳しく抑制されていました。

そのため、『チェコ語によるチェコ人のための舞台を』と人々の寄付により、全てをチェコ人の手によって造られたもので、舞台の初演はスメタナのオペラ『リブシェ』であったとのことです。

文化の抑圧、とりわけ言語の抑制というものは、その国の人々の心・人格を認めないに等しく、ドイツが侵攻した先々で行ってきたことは歴史が証明しています。

これはドイツだけのことではありません。

我が日本も朝鮮への侵略において同様のことを行ってきました。

日本の皇民化政策を押し付け、朝鮮語の使用禁止、創氏改名の強制により、朝鮮名を捨てさせ無理やり日本人名を名乗らせるという全く馬鹿げたことを行ってきた歴史が日本にもあることを私達は忘れてはなりません。



at 18:40|Permalink

チェコ・プラハ?

暫くぶりの更新です。

ヨーロッパの街は何処へ行っても落ち着きを感じるのですが、このプラハも例外ではありません。

やはり街全体が統一して醸し出す雰囲気というものが、和みといったものを感じさせるのかなあって思いました。

私達も慌しく観光してまわるのではなく、ひとつの町に何日も滞在し、その町の住人のような気持ちでいるということからの落ち着きもあると思います。

また、自動車の数が少なくて騒音を感じにくいことや、人の数が少ないことも大きく作用しているのだと思います。

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写真は旧市庁舎とティーン教会を眺めたもの。
手前ゴシック様式の旧市庁舎の建物には大きい『天文時計』が組み込まれており、15世紀に造られたとのことでした。

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上下2つの円盤があり、上の方は地球を中心に回る太陽と月の1年間の動きを表しながら年月日と時刻を表示するようになっています。

また下の円盤は黄道12宮を表示し、農事暦ともなっています。
これは1日に1目盛ずつ動きます。

この仕掛け時計が造られた15世紀頃はローマ教皇の権力が絶大の時期にあったので、人々の天文観は天動説の立場でしたから、地球の周りを太陽や月が周回しているのだという考えをもとに造られたのです。

この仕掛け時計が有名なのは、上下2つの時計が連動して太陽や月、その他の天体の動きを表示し、農事暦までをも表示するだけではなく、毎正時になると鐘の音と共に、上部の四角い窓の中にキリスト教12使徒が順に出て来るのです。

そして、それらが一巡すると最上部の四角い窓から鶏が出てきて鳴くのです。

相当複雑な歯車の組み合わせになっているのでしょうけれど、これを考案、製作した人はスゴイものだと感心しました。


at 17:48|Permalink
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