July 14, 2014
雨だ・・・
午後からは曇り空が続き、時々小雨がけぶる日であった。
月曜の今朝も雨降りである。
明け方の3時頃より時々強い雨音が・・・・・
午前4時を過ぎ、外が薄っすら白んではいるが夜明けはまだまだ遠い。
今日は我が家の石垣に生えた笹を刈り取り、併せて家内が育てている草花の鉢用の木製垣根が朽ちてきているので新しいものに取り換え、塗料を塗る作業を H 氏に依頼しているのだ。
しかし、この天候では・・・・・
笹が生えている場所が高さ 3メートルの石垣上、幅 4~50cmの通路?なので雨で濡れているとアブナイので中止か延期かを考えねばならない。
などと思いを巡らせながら今朝は久し振りにグレン・ミラーと彼のオーケケストラの演奏を楽しんでいる。
Little Brown Jug, In The Mood, Moonlight Serenade, American Patrol etc,.
懐かしい曲がいっぱいいっぱいである。
もっとも私は本物のグレン・ミラー ( Alton Glenn Miller 写真右上 ) に会ったことがない。 彼は第二次大戦中にイギリスで亡くなっているのだから、私は彼が演奏するトロンボーンの音でしか彼を知らないのだ。
こうしてグレン・ミラーと彼のオーケケストラの演奏を楽しみつつ、もう暫くすればサッカーが始まるなあとテレビのスイッチも入れた。
今朝だけは NHK だ。
『 The 2014 FIFA
World Cup 』 、
いよいよ決勝戦である。
ブラジル各地の競技場で開催されてきたが、ドイツとアルゼンチンの対戦だ。
両チームとも優勝を争うだけの組織力と技量を充分に兼ね備えているチームである。
得点しにくいサッカーは見ていて余り面白く思わない私だが、さすがに決勝戦となれば興味も湧いてくる。
しかも今回テレビ画面を観ていると両チームとも動きが活発で退屈することなく、いつの間にかゲームに引きずり込まれていたのだ。
サッカー・ワールド・カップと言えば、
2006年 7月 4日から数日、私たちはベルリンのホテルに滞在していた。
2006年のサッカー・ワールド・カップ開催国はドイツ。 国内各都市で試合が行われて
7月 9日にベルリンのオリンピアシュタディオンで決勝戦が行われることになっていた。
この大会で優勝を争ったのはイタリアとフランスで、会場までは私たちのホテルから直線距離にして 5kmほど。
一般観光でベルリンを訪れた私と家内は町のあちらこちらと訪ねていたのだが、サッカー・ワールド・カップに関わる看板や幟など期間限定の飾りなどが目につき賑やかだなあと思っていた。
写真はブランデンブルク門の前に飾られた巨大なサッカーボール。
4日の時点で勝ち残っていたのがドイツ、イタリア、ポルトガル、フランスの 4ヶ国。
このうちドイツ・イタリア戦がドルトムントの会場だが 4日の夜。 5日の夜はミュンヘンでポルトガル・フランス戦。
ドルトムントという都市はベルリンの遥か西方でオランダに近い。 しかしベスト 4にドイツが残っている上、FIFA-W・C開催国としての意気込みも高く、ベルリンの街中でもドイツ国旗を手にするだけでなく体に巻き付けたり黒赤黄色の三色帽子をかぶったり、絵具で顔に描いたり。
ベスト 4に残っていた独伊葡仏は全てユーロ内でシェンゲン協定によって国境に関わりなく互いに自由に行き来できることもあって他国からの人々や自動車が多く見られた。
イタリアは緑白赤、フランスは青白赤、ポルトガルは国章を除いて緑と赤。 これらがドイツ国旗の色と共に街中を彩るのだから、視覚的にどれほどの賑わいになったか想像できるだろう。
そしてこの 4日の夜、延長戦でイタリアが 2 対 0 でドイツに勝ったのだが、ベルリン市内のイタリア人が運転する車、多分多分間違いないと思うがクラクションを鳴らしながら走るものだからウルサイの何の。
いくら試合に勝ったからって開催国、つまり他所の国で、しかも夜間にプーパープーパー大きいホーンを鳴らしながら車を走らせるかって。
ラテン系の人間はスッゴイなあと思ったものだったが、この喜びの感情表現が午前 2時まで楽器演奏付きでやられたってことを 『 ベルリン行 』(Dec 14, 2006付) で書いている。
私たちが滞在したホテルの写真が見つからないので Google のストリート・ビューを参考に。 このホテルはベルリンの地下鉄・アデナウアー広場駅 ( Adenauer Platz ) に近く、ショッピング街と言えるクアフュルステンダム
(Kurfürstendamm) 大通りに面している。
写真右手の街路樹のところと、自動車道路を挟んだ右手にオープンエアーのレストランがあり、そこでブンガチャカブンガチャカと夜中の 2時まで。
熱い奴らで、そのため我が部屋も暑かったことをしっかり記憶しているってわけ。
それと、この2006年のサッカー・ワールド・カップ、ドイツ大会の優勝決定戦、イタリア対フランスで戦われたが、
ジダン ( Z.Y.Zidane・仏 ) とマテラッツィ ( M.Materazzi・伊 ) が其々1点ずつ取って同点であったため PK戦となった。
その結果、5 対 3 でイタリアが優勝したのだが、マテラッツィの差別侮辱発言に対するジダンの頭突き問題が起きたゲームでもあった。
差別侮辱発言は問題だが、ラテンの連中のアツいこと熱いこと、ただただ感心するばかりである。
さて、今朝のドイツとアルゼンチンの決勝戦だが、双方とも初めっから活発な動きを見せ、得点することこそ無かったが前半後半とも退屈することなくゲーム展開を楽しむことができた。
0 対 0 で延長戦に入り、ゲッツェ ( Mario Götze ) がゴールを決めてドイツを優勝に導いた。
先にも書いたが、どこが優勝しても不思議ではないくらいの素晴らしいナショナルチームが揃っていたように思う。
スペインが、そしてイングランドもフランスも私の予想を外れて戦線を離れていった。 それに不運ではあったが主力選手を欠いたブラジルも立派なチームだったし、オランダやコロンビアもだ。
勝ち負けは時の運。
負けたとは言えアルゼンチンはよく戦ったし心より素晴らしいチームだと私は思っている。
アルゼンチンの監督も選手たちも気落ちしていることは充分、十分に理解できる。
1点という点だけで負けた。
試合が勝負である以上、負けは負けであり、アルゼンチン・チームの連中に何を言っても仕方がないのだろうけど、繰り返すが君たちは最高のチームだと私は思っている。
ドイツのノイアー ( Manuel Neuer ) 君、ゴールデン・グラブ賞受賞おめでとう。
そしてアルゼンチンのメッシ ( Lionel Andrés Messi Cuccittini ) 君、ゴールデン・ボール賞受賞おめでとう。
他にもシルバー・ボール賞がドイツのミューラー君、ブロンズ・ボール賞がオランダのロッベン君らに与えられたらしいが、ドイツチームの表彰が行われている場面までしか観ていないので他の詳しいことは知らない。
が、とにかくドイツとアルゼンチンのチームには 『 おめでとう 』 の言葉を贈り、いずれのチームもよく頑張ったと労いの言葉を贈ろう。
さて、午後から小雨が降ったり上がったりでヤヤコシイお天気であったが、H 氏に感謝。
明日もまた続きの仕事をして頂くらしいが、ごくろうさま。
July 13, 2014
ある日曜日のこと
就寝時刻が早いのでゆっくり眠っていることもできず、午前 4時には目がパッチリと・・・・・
「 就寝時刻が早いって言うが、一体何時なんだい?」
この質問にはちょっと恥ずかしい思いが先立つのだ。
つまり、早く目覚めるのは早く眠るから。 こうした傾向は老いの特徴だと私自身が思ってきたことで、将に思ってきた通りの姿を現在の私自身が示していることに気恥ずかしい思いを感じているということだ。
何時に床に入るかは置いとくとして、太陽が東の丘陵上に顔を出す時刻が昨 7月12日は 5時12分になっていた。
夏至前日の 6月20日には
5時丁度に日の出が見られたのだが・・・・
もっとも今朝(13日の日曜日)は雨雲が低く垂れこめて日の出は見れなかった。
ところで演奏会はイギリスの古楽器合奏団の The English Concert ( 写真・上 ) らによるヘンリー・パーセル ( Henry Purcell ) の作品を演目としている。
パーセルが活躍していたのは1670年代から90年代頃のイギリスである。
バッハ (J.S.Bach) より以前に活躍したバロックを代表する音楽家の一人であり、歌劇 『 ディドとアエネアス (Dido and
Aeneas)』、『 アーサー王 (King Arthur)』、『 妖精の女王
(The Fairy Queen)』 などの他、宗教曲もある。
そのような演目の中には
『 聖セシリア ( Hail, bright Cecilia !)』 がソプラノ歌手・スーザン・ヘミントン・ジョーンズ
(Susan Hemington Jones) らによって歌われているものもある。
聖セシリアは音楽家の守護聖人でもある。
以前に書いたかもしれないが、Cecilia を英語的に読めば シーシ(オ)リア だが、イタリア語的には チェチーリア、スペイン語的には セシーラ で、ポルトガル語的には
セシリャ、フランス語的には シーチレ と、ラテン系各国ではよく似た読み方をする。
まあ読み方はさて置き、セシリアは 2世紀に生きたローマの女性(貴族)だったが、キリスト教を迫害するローマ帝国によってシチリア島で殉教したとされている。 よく楽器を奏でていたことから音楽家の守護神とされるようになったが、聖セシリアの祝日は11月22日。
右上の絵はグイド・レーニの 『 聖セシリア 』 でバイオリンを持っているのかな。 左の絵はカルロ・サラチェーニの 『 聖セシリアとエンジェル 』 で、こちらはリュートを抱えている。
パーセルの曲を聴いたり朝のニュース番組を見たり、そんなことをしている間に朝ご飯の時間。
このところ買いだめした、食パンとしてはサイズが小さいアン食とレモン・ピールのマーマレード、タマネギの炒め物のサラダ、野菜入りスープと、ほぼ定番と言える朝食を食べている。
下の写真の朝食は昨日だったか一昨日だったか、今朝はデザートがサクランボだった。
沢山買ってくれたサクランボも多分今夏はコレ ( 写真・下 ) で終わりになるだろう。
山形・東根の佐藤錦である。
佐藤錦よりも実成り時期が遅い品種や、山形以北、北海道産のモノが未だ少しの間市場に出るだろうが、関西まで出回ることはないだろう。
が、もういい。 昨年は病院で好きなように食べることが出来なかったが今夏は満足させてもらった。 アリガタイことだ。
これからはデラウェアから巨峰、そしてピオーネへと・・・・・
アリガタサにウレシサが加わり、まだまだモットモットと、人間の欲の心は止まるところが無いようでコマッタモノダ。
ところで足の機能回復の具合を確かめ実感するために、これまで成し遂げ出来たことを反復復習することが多い。
ただ、そのことによっては毎日出来ないこともあり、車の運転などがそれにあたる。
今日は朝から雨が降り始めているし、買い物に行くことが出来ていなかった家内が買い物に行くと言う。
丁度今日は日曜日で私のリハビリも休みだし車の通行量も少ない。 と、何もかも条件が揃っているので家内を助手席に乗せて買い物に行ってきた。
ところが留守中に来訪者が・・・・・
1人は野菜作りのオジイチャンの T さん。
そして郵便屋さんに宅急便屋さん。
写真は南高梅の梅干しを炙り焼いた 『 焼き梅 』 というもの。
私も家内も梅干しは好物。
しかし数年前に私が漬け込んだ梅干し、これは 3 Lサイズの大粒だが少々硬めで塩分酸味ともに強い昔ながらの味わいのモノなのだが、もう殆ど残りが無い状況だった。
そこへ届いた梅干し。 しかもひとつひとつ炙り焼いたという代物。 珍しい初めて見聞する梅干しである。
早速頂いてみたが、塩分酸味とも抑えられ若干の甘味すら感じる果肉豊かで柔らかい梅干し。
ぶっははははは。負けた負けた。
比べることがオカシイのだが、私だって負けたくはないのだ。
が・・・・・やはり美味い。 茶請けにもいける。
いつもいつも気遣ってくれる O 氏には感謝。
July 11, 2014
グレーな部分は有って良いのだ
さて、『 近くの、むかしむかし 』 について、どこまで書いたか忘れてしまうほどの間隔が空いてしまった。
しかしながらスペインやフランスの洞窟壁画が 2万年から 3万年前に描かれ、エジプトの絵文字・ヒエログリフが使われ始めたのが
紀元前 3100年頃からだと言われている。
だから人類が文字言語を使用し始めたのは今から凡そ 5千年前頃のこととなる。
地球が誕生したのは 45億年余りも前のことだと言われている。
2万年前だ 3万年前だと言ったところで桁違い、人類の始祖と言ったところで高々 6~700万年前のことである。
私が忘れるほどの間隔だなどと言っても地球の歴史に比べれば、ぶっははははは、電子顕微鏡をもってしても見ることさえ出来ぬ、つまり有るや無しやもワカランくらいの微々たることでしかない。
まあそれほどにスゴーーイ時間の中で生命体が誕生、進化し、その過程で単なる音が音声言語に発展し、更に文字言語へと進展してきたことは想像できるが、5 W のうち What が文字言語だとして外したとしても、『いつ』、『誰が』、『どこで』、『何故』 といったことの解答を見い出すことは出来なかった。
何でもキッチリ明らかにされたり証明出来たりすることは気分的にはスッキリして良いものだが、何もかも四角四面にキッチリ明快にしなくても良いような・・・・・
時には、物事によってはだがグレーな部分があっても良いではないか。
優柔不断という言葉がある。
黒白つけられず、煮え切らない、物事の決断が出来ないなど弱腰な言動で明確な態度を示すことが出来ないことを言い表す言葉である。
「 あんた、ハッキリしなさいよ。 行くの、行かないの?」
映画演劇などでシッカリ女性に
せっつかれているか弱き男性の姿が思い浮かぶ。
ぶっはははは
我が家は、・・・・・うーーむ。
キッチリしてはいるが、シッカリしていると言えるかどうか・・・・・
せっつくような女性は嫌いだし、せっつかれるような男性もイヤ。
が、まあそれはともかくグレーで優柔不断な面があっても私は良いと思っている。
が、まあ先に書いたように時と場合によってのことだけど。
単なる音が音声言語に、それが更に文字言語に発展してきた道筋が、5 W 1H の構文でキッチリ明快な説明がされたなら、そこには何も入り込む隙も無くなり、いろいろ想いを馳せるという楽しみが無くなってしまうように思えるのだ。
古代ギリシャやローマの彫像が歴史としての事実や神話に基づいて制作された作品であっても、作品そのものが事細かく状況を言語として明確に説明しているわけではない。 だからこそ、彼らの表情や姿から彼らが発っしているであろう言葉や動きを想い浮かべることが出来るのである。
まあいろんな考え方や思いというものはあるだろうが、何もかもハッキリ右か左を示すことはないだろう。
勿論、生死いずれ、善悪いずれ、こうした生命や時間など取り戻せないものや個の倫理観に対峙、関わる場合は論外であり、
将に That depends on circumstances. ということである。
さて、少しゆとりが出来そうなので 『 近くの、むかしむかし 』 について夢を加えながら書き続けることにするか。
(※ ナポリ国立考古学博物館 Museo Archeologico Nazionale di Napoli )