April 15, 2018

酒 盗

昨日の本稿でも山本一力 氏の作品の追っかけをしていることを書いたが、氏の作品の9割以上が時代小説であると私は推測する。追っかけの最中ゆえに全作品を承知していないので推測と表現したが多分間違ってはいないだろう。
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以前にも書いたが山本氏の作品に触れたのは『ジョン万次郎漂流記』(井伏鱒二・著)をもう一度読んでみたいと思ったところ氏の作品『ジョン・マン』を発見したからだった。
『ジョン・マン』は中浜万次郎の人生を柱とする作品ゆえ、彼の生地・土佐と、遭難した彼を救った米国捕鯨船船長ホイットフィールドとの関わりから米国や捕鯨船の寄港地が舞台になっている。
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私が読んだ限り、山本一力 氏の作品は江戸時代後期、とりわけ1700年代の江戸・深川を舞台とするものが多いようだ。s-2018-04-15_210106
勿論深川以外の町も舞台となり、加賀・金沢、紀州・新宮、大坂や土佐が舞台となる作品もある。
それらの作品に見られる人々の暮らし(貨幣価値、物流、風俗習慣など)について私が幼少期に経験してきたことと重なることも多く、そうしたことが作品のストーリーや作者の表現力にプラスして氏の作品を余計に楽しめているというわけだ。
s-2018-04-15_202654勿論私は昭和生まれで江戸の生まれではない、が、私の幼児期には箱膳を使ったし母親が箱枕を使った様子も記憶しているなど江戸後期と昭和との文化的共通性が結構あるのだ。
山本氏の作品の追っかけをしていると時代考証に関する取材もしっかりしておられると感じるのだ。
ただ『牡丹酒』という作品を読んだ折に『ええっ?』『そやったかなあ?』と、以前より聞き知っていたこととの違いに戸惑ったのだった。
s-2018-03-21_085852鰹のハラワタの塩辛『酒盗』だ。
山本氏は『牡丹酒』の中で酒盗と名付けたのは柳沢吉保だと書いていたが、私の古ーい記憶では高知の殿様、山内氏だったと。
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山本氏の取材はしっかりしているから多分根拠があるのだろうが、いったいどちらが・・・。
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masatukamoto at 21:40|PermalinkComments(0)

April 14, 2018

転 機

先日 A 氏に頂いた作品の猪口で酒盛りのつもりが酒漏りしたので大笑いしたのだった。
酒豪の多い土佐では手から離せぬ、膳に置けぬ盃、可杯(べくはい)というものがあることも書いておs-2018-04-14_104821いた。
ラインオレンジ色濃い目
その土佐で少年期まで過ごした山本一力 氏の作品の追っかけをしていると昨年に書いた。追っかけなどと言っても目が覚めた折と眠る前にベッドで読むだけのファンである。だから未だに氏が発表されている作品の半分ほどを読了したに過ぎない。
それでも追っかけと自称するのは、小説について現在は氏の作品のみを楽しんでおり他を読み漁ることをしないからだ。
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これについては私の読書との向き合い方を書かねばならない。
小学生や中学1年生頃までは、凡そ文学作品というものは手当たり次第に読んでいた。しかし以後は存命作家の作品か否かで分けてきた。その理由は物故作家の作品だけでも読み切れないほど膨大な量があることと、何事も今を知るには元始まりより今に至る道筋を辿ることが最重要であるとする私自身の価値観が作用していたと言える。
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そうした私の姿勢が崩れたのは昭和55年頃、何かと支援頂いていた出版会社社長・某氏と北新地のクラブで飲んでいた時だった。
信条とも言うべき私の読書姿勢を知っている某氏が「 T 氏の作品だが面白いし直ぐに読み終わるから」と『権力の朝』(和久俊三・文庫本)をくれたのだ。
s-2018-04-14_102834確かに翌日には読み終えたが、存命作家の作品を読むという私にとっては宗旨替えとも言える大転機となったのだった。
一人の作家さんを追っかけるという読書姿勢は今も変化はないが、推理小説の類いも含めて本選びの制限枠を取っ払ったのがこの時だったのだ。
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ところで10年ほど前のこと、古紙回収業者に軽トラックの荷台がいっぱいになるほど専門書は勿論のこと読み終えた文庫本や新書などを引き取ってもらった。
書籍を積み終えた荷台の本の山を見た業者、「全部、紙クズでんな。」だと。
悲しく、寂しく、情けなかったが、『本は財産』と思う世代も私たちが最後かも。
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山本一力 氏の作品については私が読み終えた後に全て引き受け読んでくれる人がいるので嬉しい限りだ。
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masatukamoto at 14:36|PermalinkComments(0)

April 12, 2018

佛の顔も三度

まったく舌先三寸の口先三太郎めが、そう思っているのは私だけではないと思うが・・・。
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紀元前500年頃、ギリシャで多くの寓話を作ったイソップの作品にオオカミと羊飼いの少年の話がある。
「オオカミが来た」と、少年がウソを繰り返したから本当にオオカミが現れた時には誰にも信じてもらえず少年の羊は食べられてしまったという説話だ。(再話本には少年自身がオオカミに食べられたとするのもある。)
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『佛の顔も三度まで』との俚諺もある。
いかに慈悲深き仏様であってもウソ・悪行が繰り返されれば怒るものだと、つまり我慢にも限度があるということだ。
『真摯に』『誠実に』『丁寧に』・・・
いったい何度聞かされたことか。
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日本人が優しいのか、喉元過ぎれば熱さ忘れるが如く淡泊なのか、はたまた阿保らしさを通り越して諦めの境地に至っているのか、いったい・・・
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隣国では大統領でさえも悪は悪として公に罰している。
佛心は大切だが、怒るべき時に怒らないのは阿呆だと私は思う。
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3月30日に頂いた上からルッコラ、タラの芽、菜の花、山椒の木の芽、それに下の椎茸。
おひたし、天ぷら、すまし汁にと春を味わわせてもらった。
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masatukamoto at 16:39|PermalinkComments(0)
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