April 09, 2013

テスト外泊・・・Ⅰ

病院が派遣する理学療法士 ( PT ) による家屋調査というのは、患者である私がリハビリ訓練を継続して受けつつも、主たる生活場所を病院から自宅へ移した時に、私にとって安全かつ機能的な住環境を整えるためにどのような設備・備品が必要か、また家屋内の改修工事を実施(推奨)すべき箇所が有るかどうか、またそれらの形状がどのようなものになるかを実地に調査することが目的である。

硬い表現で書いたが、もっと簡単に書けば私が我が家の門を入って玄関ポーチに辿り着くまでに段差が無いかどうか、あるとすれば段差高低が何センチメートルか、その歩行行程に手すりの設置が必要か否かということの調査を実地に行うということだ。

ぶっははははは。 この表現も、我が家が一体全体どれほどの敷地の豪邸なのかと思わせるような書き方だなあ。(私自身の願望が籠っているゆえのことかも・・・ぶっはははは)

ともかく私のリハビリ主担である山口先生と我が家へ向かったのが8日(月)の午後1時過ぎ。

病院と我が家は直線距離にすれば4~500m程度。 山坂があるので迂回しなければならないが、介護タクシー、つまり車椅子によって病室から自宅まで送ってもらったのだが、所要10数分、メーター表示料金580円のみ。 タクシーで小型の初乗り料金が640円だから、一般タクシーと介護タクシーを比べれば、これは絶対に介護タクシーが安いと言える。

介護タクシーに載せている車椅子を病室まで運び、病室で私を車椅子に乗せてタクシーまで徒歩によって押し、その後タクシー後部に車椅子を固定して我が家まで輸送、私がロフストランド・クラッチ2本を用いて歩ける体勢をとるまでが介護タクシー料金であった。

ちなみに、この介護タクシーは『愛友ケア』と言う名前であった。

ついでに以前に利用した介護タクシー『Ⅰ』ケアの場合、直線距離にして2.5km程度でメーター表示料金は2500円。 実際に支払う料金は介助料金500円を加算した金額とあったが、家内が請求された金額は3500円。

この時は介護タクシーの利用が初めてで、何が何だか分からぬまま請求された金額を支払ったものの、今もって3000円であるはずの料金が何故3500円支払わされたのか分からないままでいる。

どうでもいいような僅かな金額であるが、スッキリしないわだかまりのようなシコリは長く胸に残るものである。
それに、この時の運転手氏は終始暗く鬱々と、風邪引きで体調も悪かったのであろうと思うがマスクの奥ではあるもののゴホッゴホッの連続であった。

今回の『愛友ケア』は料金の明朗さも運転手氏の感じも含め何もかも『丸まるマル』で評価は上々である。




masatukamoto at 14:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 06, 2013

何もかも『清明』哉

昨日は暦の二十四節気の『清明』であり、気分も清明であった。
既に4月1日以来どう見てもニューリクルートという人たちが病院内を歩く姿を目にしてきたが、聞くところによると50数名の新人が入ってくるそうだ。 リハビリ科でも数人を既に見かけているし、小児科の新設に伴う人員、それに退職者などの補充もあるのだろう。
pict-20130325我が家の花-1いずれにせよ新人たちが歩き回る姿は清々しくも頼もしくもある。

ところで学校園に入学する場合は入学(園)式、会社ならば入社式、研究所なら入所式、銀行なら入行式、省庁なら入省(庁)式、一般に役所の場合は辞令交付式と言ったりするが、病院の場合は何と言うのだろう。

『入院式』では、オカシかろう。
突然思いついた疑問であった。

《 写真は家内が育てている庭先の花々 》

病院のセレモニーは昨5日(金曜)に隣接の保育園『こぐま園』のホールで行われたらしいが、『入職式』と言うのだそうな。
この年齢になって初めて(多分)知り得た貴重な知識(ことば)である。 
全くお恥ずかしい限りであるが、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』とも言う。
一生を終える以前に知り得て良かったと、こんな小さなどうでも良いようなことにも良かったと感じ入る昨今である。

それはともかくとして、12月に救急車で我が家を出て以来、ずっと我が家とはご無沙汰である。
pict-20130325-1杉本・川原-2長期の旅行でと思えば3ヶ月でも4ヶ月でも構いはしないが、今回は全く異なる事情で家を離れている、と言うよりも離れざるを得ない事情で、しかも自分の意志・体力を持って帰ることが出来ないという私にとっては何とも致し難い状況下での病院暮らしが続いてきた。

例年、年末年始は特段のことが無くても気分は慌ただしく、何だか浮き浮きする思いで過ごしてきたものであるが、昨年のクリスマス前から今年の正月にかけては沈み込んだ気分をどうすることも出来なかった。

病室での言動に出さなかった(つもり)が、当時私の頭の中は下半身マヒの状態で何をすpict-20130323山口-5-1るについても思い通りに体が動かず、もどかしい思いに苛立ち狂乱寸前の自分の姿を思い描く鬱々とした日々が続いていたのである。 毎日休むことなく通って来てくれていた家内には私の心情がバレていたかもしれないが・・・。

この沈み込んだ気持ちにポッとほのかな灯を点けてくれたのは足指の『にぎにぎ』の動きであった。

これが無意識ではなく、私が足の指に対して『にぎにぎ』せよと脳より指示を出した反応であることを確認した時、私の喜びはロウソクの灯りが太陽の輝きに変わるほどのものであった。
脳からの信号が全く不通になってしまったと、世も末と嘆き沈み込pict-20130402-2-1んでいた私の心の隅に一点の灯を見出したのだから。

以来、近大奈良病院、阪奈中央病院を通し、家へ帰りたい、それも一日でも早くという一心で頑張ってきた機能回復訓練の結果、写真のように未だ安定はしないもののロフストランド・クラッチを片手にして 5m の距離を歩くことが出来るようになった。

こうしたリハビリの成果(?)を基に主治医である平松謙一郎 Dr (脳神経外科)や川原リハビリ科長、それに直接リハビリを担当してくれている山口先生や杉本先生に早く退院させてくれるよう以前より頼んでいたのだ。
そうした依頼の効果があったのかどうか分からないが、家屋調査という目的で自宅へ帰る機会を与えてもらうことになった。
たった一泊のことだが、何と嬉しいことではないか。
足かけ5ヶ月、実質4ヶ月ぶりの帰宅となる。
このテスト外泊の許可が5日に出たものだから、早速に調整をとって8日(月)~9日(火)にテスト外泊を設定して届けた。

5日は暦だけではない、将に心からの『清明』となった。




masatukamoto at 14:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 05, 2013

『清明』 4/5

今日は二十四節気の『清明』。
草木の花が咲き、全てのものに清々しが感じられる頃を言う。


今朝は病室の窓からわずかに見える空が青々として気持ちが良かった。
先週の半ば以来ずっと引いていた風邪も、どうやら終わりに近付いたといった感じ。
それにしても病院で風邪を引くなどとは思いもよらぬことであったが、医師も看護師もあまり大したこととは捉えていないようであった。

患う私にすれば、鼻づまり、からむ痰、微熱とは言え熱っぽく体の節々が痛み、目はトロンとして何をする気も起こらず、このまま肺炎にでもなって・・・・・などとツマランことばかり考えておった。

病室で一人ってのは、これは結構不安なものなのである。
1週間経っても風邪症状が治まらないので、私の担当医は脳外科だが内科医に診察を依頼した方が良いのではないだろうかなどと看護師に話しかけたほど心配していたのである。

その言葉が伝わったのかどうか、昨日の朝からX線胸部撮影、血液検査、尿検査が担当医から指示され、午後には検査結果をもとに担当医から、
「現在の症状に深く憂慮すべきものは認められないから引き続き処方薬を飲み続けるように」、
このように言われると体調は変わらないのに気分は妙に安堵してしまうものなのだ。

そして今朝は、何となく風邪引きも終わったのかと思えるような気分・・・

そんなことを看護師に話していたら、『初めヤブ医者、あと名医とも言いますからね。』だと。
昔から『後医は名医』と言うが、今回は当てはまるのかな?

初診時では見えなかった症状が再診時には見え、そのため病因を絞り込むことが出来ることもあるだろう、とすれば、手当てが早かったとか適切であったとかは別にして、初診時はヤブ医者であっても再診時は名医と評される可能性は大ということになる。

初期症状に見られなかった新たな重要な症状を訴えたにも拘らず、何ら観点を変えることなく前日に別な医師が診断したのと全く同じ診断をした医師。

このツマラン診断のために私の今の苦しみがあると言っても良いと私は思っているのだが・・・。
この医師の奴めは前医も後医も関係なく『ヤブ』と言う以外に言いようは無い。
ぶっはははは、
『清明』の気持ちの良い日にツマラン奴を思い出してしまった。

しかし今日は心の底から気分が良いのである。
『清明』の気分に戻ることにしよう。





masatukamoto at 19:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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