October 29, 2012
みちのく行 (1)
『みちのく行』から帰宅して1週間。 この間何をしていたのか、ひとつひとつの行動が思い出せない。 時間ばかりが過ぎてしまったなどということはないのだが・・・
今回の『みちのく』への旅は F 氏の蔵王・月山に関する紅葉ということばに触発されての行動であったことは確かだが、昨年3月11日以降出来るだけ早い機会に仙台を訪れたいと思い続けてきていたので、これらの思いが私たちの素早い行動につながったのだと思う。
旅行する場合、凡その行き先(方面)が決まれば飛行機か列車か、それとも自動車かと移動手段を考えるのだが、このところ家内との旅行は圧倒的に自動車が多い。 これは荷物が大きく重くても移動上の負担が無いことと、道路さえあれば気の向くまま時間に左右されることなく自由に動き回ることができる、つまり私たちのワガママ心を満足させてくれるというのが最も大きい理由である。
今回の『みちのく行』は一番の目的が2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震によって起きた大津波によって自宅や会社社屋だけでなく、自らも津波の濁流に呑み込まれ 7 キロメートルも上流に流されて九死に一生を得た安倍夫妻に会って互いに元気でいることを喜びあい、被災後自宅や会社再建に努力してこられたことに対し慰労したいということである。 そのため行く先(方面)は宮城県大崎市であり、蔵王や月山の紅葉を観るのは目的としては二番目、そしてそれらの地を結ぶルート上で訪れる地は付随する言わばオマケの訪問地となる。
(注1)これまで安倍夫妻のことは『東松島市の友人 A 氏』と表記してきたが、夫妻は新聞やテレビ・書籍などにおいて顔も氏名も公開(表)されている爲、当ブログページにおいても秘匿枠を外すことにした。
その今回の『みちのく行』であるが、地図に示した緑色の線がドライブ・ルートであり、赤い点が宿泊地である。
緑の線で分かるように名神高速道路の米原 JCTより北陸自動車道に入り『みちのく』へ向かったのだが、我が家を出発したのが夕刻に近かったので富山県の小矢部SAで遅い夕食をとった。
このサービスエリアは北陸鉄道が経営するレストランで、私は『富山味紀行』と名付けられた1100円の定食を、家内は1500円の『うな重』を注文した。 少食の家内としては珍しいものを注文したと思ったのだが、やはり4分の1は私の口に。 値段の割には肉厚の良いウナギで味つけも良く美味しい『うな重』であった。 私が注文したのは写真の『富山味紀行』。
盆に盛られているのは、鱒の押し寿し、ホタルイカの酢味噌和え、鱒と豆腐の揚げ物(あんかけ)、白エビのかき揚げ、うどんの5点。 うどんを除いて富山の名産と言える。 鱒の押し寿しをはじめ私の大好物ばかりで嬉しかったのだが、難点は私にとって味が濃すぎることであった。
食後しばらく休憩の後、柏崎の刈羽 PA まで走って仮眠を取った。
夜通し走ることも出来たのだが、やはり疲れるということが一番、二番目に友人を訪ねるのに何時でも良いというわけではない、それに三番目になるが先にも書いた通りルート上で訪れる土地はオマケの訪問地だからオマケも大いに楽しみたいという私たちのワガママ、これらの理由から敢えて刈羽 PA で仮眠したのである。
仮眠と書いたように時間的には2時間も無かったと思うが、疲れている時には例え1時間でも深い眠りに落ちるので覚醒後の疲労感は全く違ったものになるものなのだ。
午前4時少し前。 薄明どころか未だ真っ暗な中、刈羽 PA を出発して新潟中央 JCT から磐越自動車道に入った。 磐越自動車道は阿賀野川の流れに沿うように会津若松・猪苗代湖を経て福島県いわき市まで延びているが、阿賀野市(新潟県)から会津若松市(福島県)の間は山間部の渓谷に沿った道路なので殆ど全線が片道1車線となっている。 この道路を低速車が1台走行すると車列は延々と続き目的地到着時刻を予測できなくなることを以前に走って知っているので夜も明けきらぬうちに刈羽 PA を出発したのである。
ところが、山間部の渓谷沿いの道路というのは放射霧が発生しやすい。 しばらく上天気が続いていたからだろう。 放射冷却による霧の発生で超安全運転を余儀なくされた。 後ろから来る長距離トラックにせっつかれ、何度も道を譲ったが、それでも会津若松には午前6時過ぎに到着した。
《 以下つづく 》
今回の『みちのく』への旅は F 氏の蔵王・月山に関する紅葉ということばに触発されての行動であったことは確かだが、昨年3月11日以降出来るだけ早い機会に仙台を訪れたいと思い続けてきていたので、これらの思いが私たちの素早い行動につながったのだと思う。
旅行する場合、凡その行き先(方面)が決まれば飛行機か列車か、それとも自動車かと移動手段を考えるのだが、このところ家内との旅行は圧倒的に自動車が多い。 これは荷物が大きく重くても移動上の負担が無いことと、道路さえあれば気の向くまま時間に左右されることなく自由に動き回ることができる、つまり私たちのワガママ心を満足させてくれるというのが最も大きい理由である。
今回の『みちのく行』は一番の目的が2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震によって起きた大津波によって自宅や会社社屋だけでなく、自らも津波の濁流に呑み込まれ 7 キロメートルも上流に流されて九死に一生を得た安倍夫妻に会って互いに元気でいることを喜びあい、被災後自宅や会社再建に努力してこられたことに対し慰労したいということである。 そのため行く先(方面)は宮城県大崎市であり、蔵王や月山の紅葉を観るのは目的としては二番目、そしてそれらの地を結ぶルート上で訪れる地は付随する言わばオマケの訪問地となる。
(注1)これまで安倍夫妻のことは『東松島市の友人 A 氏』と表記してきたが、夫妻は新聞やテレビ・書籍などにおいて顔も氏名も公開(表)されている爲、当ブログページにおいても秘匿枠を外すことにした。
その今回の『みちのく行』であるが、地図に示した緑色の線がドライブ・ルートであり、赤い点が宿泊地である。
緑の線で分かるように名神高速道路の米原 JCTより北陸自動車道に入り『みちのく』へ向かったのだが、我が家を出発したのが夕刻に近かったので富山県の小矢部SAで遅い夕食をとった。
このサービスエリアは北陸鉄道が経営するレストランで、私は『富山味紀行』と名付けられた1100円の定食を、家内は1500円の『うな重』を注文した。 少食の家内としては珍しいものを注文したと思ったのだが、やはり4分の1は私の口に。 値段の割には肉厚の良いウナギで味つけも良く美味しい『うな重』であった。 私が注文したのは写真の『富山味紀行』。
盆に盛られているのは、鱒の押し寿し、ホタルイカの酢味噌和え、鱒と豆腐の揚げ物(あんかけ)、白エビのかき揚げ、うどんの5点。 うどんを除いて富山の名産と言える。 鱒の押し寿しをはじめ私の大好物ばかりで嬉しかったのだが、難点は私にとって味が濃すぎることであった。
食後しばらく休憩の後、柏崎の刈羽 PA まで走って仮眠を取った。
夜通し走ることも出来たのだが、やはり疲れるということが一番、二番目に友人を訪ねるのに何時でも良いというわけではない、それに三番目になるが先にも書いた通りルート上で訪れる土地はオマケの訪問地だからオマケも大いに楽しみたいという私たちのワガママ、これらの理由から敢えて刈羽 PA で仮眠したのである。
仮眠と書いたように時間的には2時間も無かったと思うが、疲れている時には例え1時間でも深い眠りに落ちるので覚醒後の疲労感は全く違ったものになるものなのだ。
午前4時少し前。 薄明どころか未だ真っ暗な中、刈羽 PA を出発して新潟中央 JCT から磐越自動車道に入った。 磐越自動車道は阿賀野川の流れに沿うように会津若松・猪苗代湖を経て福島県いわき市まで延びているが、阿賀野市(新潟県)から会津若松市(福島県)の間は山間部の渓谷に沿った道路なので殆ど全線が片道1車線となっている。 この道路を低速車が1台走行すると車列は延々と続き目的地到着時刻を予測できなくなることを以前に走って知っているので夜も明けきらぬうちに刈羽 PA を出発したのである。
ところが、山間部の渓谷沿いの道路というのは放射霧が発生しやすい。 しばらく上天気が続いていたからだろう。 放射冷却による霧の発生で超安全運転を余儀なくされた。 後ろから来る長距離トラックにせっつかれ、何度も道を譲ったが、それでも会津若松には午前6時過ぎに到着した。
《 以下つづく 》
October 15, 2012
紅葉だ紅葉だ。 F 氏の言葉に・・・
数日前、家内と秋植えの花の苗を買いに某ホームセンターへ行った。
その折、久し振りに弁護士 F 氏と会い、しばし立ち話。
数日前に蔵王と月山へ行ってきたけど上の方は紅葉まっさかりだったと。
うーーん、月山と言うのは山形県の羽黒山・湯殿山と合わせて修験道の聖地で『出羽三山』と呼ばれている山のひとつで標高は2000m近くあったと思う。 50年近く前の学生時代に登ったことがあるが頂上あたりは灌木群落で見晴らしが素晴らしかったことを記憶している。 頂上に月山神社があったが、夏の間だけ神職が常駐していたのではなかったろうか。 蔵王にしろ月山にしろ長い冬の間、厳しい風雪にさらされる地帯である。
もう『みちのく』の山々は紅葉に染まっているのだ。
そう言えば先日10月8日(寒露・体育の日)の日の出の写真を撮ったのが下の写真。
フィルター無しで撮影したために太陽の周縁が光線でハッキリしないが、日の出位置がテレビアンテナよりも随分右方向(南方向)になっているのが分かる。
それに対して夏至(6月21日)に近付く6月10日(入梅)に撮影した日の出の写真が下である。
上下2枚の写真は、ほぼ同じ位置からの撮影である。 2枚の写真をテレビアンテナを中心軸として見れば日の出の位置が随分動いていることが分かる。
冬至(12月21日)の日の出の位置は上の写真よりももっと右方向にズレることになる。
季節は明らかに秋、そして更に深まろうとしているのだ。
正直に言えば F 氏の言葉に触発されての行動となるが、今秋に予定していたフランス行きは懐が淋しいので中止して国内旅行で我慢しておこうという家内の言葉に応えた形になるかな?
学生時代も仕事に就いてからもだったが、秋の旅行など試験をはじめ行事繁多で考えられなかった。 懐は淋しいけれど毎日が日曜日となった今こそ紅葉の素敵な時期に『みちのく』を旅することができるのである。
思い立ったが吉日という言葉もある。 今日これから出発する。 当分ブログはお休みである。
その折、久し振りに弁護士 F 氏と会い、しばし立ち話。
数日前に蔵王と月山へ行ってきたけど上の方は紅葉まっさかりだったと。
うーーん、月山と言うのは山形県の羽黒山・湯殿山と合わせて修験道の聖地で『出羽三山』と呼ばれている山のひとつで標高は2000m近くあったと思う。 50年近く前の学生時代に登ったことがあるが頂上あたりは灌木群落で見晴らしが素晴らしかったことを記憶している。 頂上に月山神社があったが、夏の間だけ神職が常駐していたのではなかったろうか。 蔵王にしろ月山にしろ長い冬の間、厳しい風雪にさらされる地帯である。
もう『みちのく』の山々は紅葉に染まっているのだ。
そう言えば先日10月8日(寒露・体育の日)の日の出の写真を撮ったのが下の写真。
フィルター無しで撮影したために太陽の周縁が光線でハッキリしないが、日の出位置がテレビアンテナよりも随分右方向(南方向)になっているのが分かる。
それに対して夏至(6月21日)に近付く6月10日(入梅)に撮影した日の出の写真が下である。
上下2枚の写真は、ほぼ同じ位置からの撮影である。 2枚の写真をテレビアンテナを中心軸として見れば日の出の位置が随分動いていることが分かる。
冬至(12月21日)の日の出の位置は上の写真よりももっと右方向にズレることになる。
季節は明らかに秋、そして更に深まろうとしているのだ。
正直に言えば F 氏の言葉に触発されての行動となるが、今秋に予定していたフランス行きは懐が淋しいので中止して国内旅行で我慢しておこうという家内の言葉に応えた形になるかな?
学生時代も仕事に就いてからもだったが、秋の旅行など試験をはじめ行事繁多で考えられなかった。 懐は淋しいけれど毎日が日曜日となった今こそ紅葉の素敵な時期に『みちのく』を旅することができるのである。
思い立ったが吉日という言葉もある。 今日これから出発する。 当分ブログはお休みである。
October 11, 2012
今日の天声人語は小気味良い 2012.10.11
最近のマスコミの姿勢には賛同し難く感じることが多いのだが、今日の朝日新聞の第一面・『天声人語』は痛快であった。 この『天声人語』の筆者は最近の日中交流関係を包括的にとらえ、中国の行為を大人と子どもに対比させて論じているが、この筆者の指摘を私も支持したい。
ただ紙面枠との関係もあったのだろうか、「難じておく」で擱筆となったのは少し残念。
ともあれ原文を一読あれ。
August 18, 2012 付で『暑い熱い夏』という題で拙文を開陳したが、その折に8月16日付の『天声人語』を引用しつつ、《中国に真の『大人』はいなくなってしまったのだろうか。》と嘆息の一行を載せておいた。
『大人』。 中国語としてはターレンと読む(四声の発音を表記できないので省く)が、日本で言うところの『大人』イコール『おとな』とは意味合いが異なるのだ。 つまり、ただの『おとな』ではなく、中国(語)では人格的に高潔であって、その言動が人々に信頼されている『おとな』を『大人(ターレン)』と呼ぶのである。
従って『天声人語』の筆者が用いた『大人』と私の一文の『大人』とは少し意味合いが異なりはするが、とりわけ尖閣の問題がクローズアップされてから以後の中国は政府も国民の中にも『大人(ターレン)』は見当たらず、日本で言うところの『大人(おとな)』どころか全くジャリ(子どもの意味)ばかりに見えるのだ。
奈良文化財研究所飛鳥資料館は今月19日から日本・韓国・中国の重要文化財を集めて特別展『花開く都城文化』を開催する予定だが、中国側から輸出許可が下りないかもしれないと連絡が入り、93点の文物が未だに届いていないということも起きている。
『坊主憎けりゃ袈裟まで』という慣用語があるが、将に日本に対する現在の中国の姿勢を示しているようで言い得て妙である。
日本政府も経済界も、勿論日本国民全体もだが、単に中国(政府・国民)の言動をあざけり難じるだけでなく、中国の姿勢を『他山の石』として、『人のふり見て我がふり直せ』の俚言の通り自戒することも必要であろう。
中国との尖閣にしろ韓国との竹島にしろ、戦後処理をきちんと行ってこなかった自民党政治のツケが今になって回ってきたと受け止めるべきであり、いずれも領土・領海問題は存するとの認識で互いに友好の立場から解決策を模索すべきであると考える。
話は変わるが、先ごろ韓国の団体がニューヨークのタイムズ・スクウェアに慰安婦問題に関する広告を掲げたそうな。 西ドイツのブラント首相がポーランドを訪れ謝罪した時の写真を用いて。
この韓国の団体の行為がマスコミで云々されているが、そのことよりもドイツがユダヤ人迫害についての責任も含め何年にもわたって戦後処理をきちんと行ってきたことを日本政府も国民も気付かねばならないのではないだろうか。 マスコミも話題性のみで取り上げるだけなら人々の考えを一定方向に煽動するだけの結果にしかならないことは分かっているはずだ。
眠くて眠くて朝刊に目を通したら又寝入ってしまった。 先ほど目覚めたが、徹夜ができない年齢になってしまった。 言いたいことは未だあるが今回はこの辺で。
ただ紙面枠との関係もあったのだろうか、「難じておく」で擱筆となったのは少し残念。
ともあれ原文を一読あれ。
August 18, 2012 付で『暑い熱い夏』という題で拙文を開陳したが、その折に8月16日付の『天声人語』を引用しつつ、《中国に真の『大人』はいなくなってしまったのだろうか。》と嘆息の一行を載せておいた。
『大人』。 中国語としてはターレンと読む(四声の発音を表記できないので省く)が、日本で言うところの『大人』イコール『おとな』とは意味合いが異なるのだ。 つまり、ただの『おとな』ではなく、中国(語)では人格的に高潔であって、その言動が人々に信頼されている『おとな』を『大人(ターレン)』と呼ぶのである。
従って『天声人語』の筆者が用いた『大人』と私の一文の『大人』とは少し意味合いが異なりはするが、とりわけ尖閣の問題がクローズアップされてから以後の中国は政府も国民の中にも『大人(ターレン)』は見当たらず、日本で言うところの『大人(おとな)』どころか全くジャリ(子どもの意味)ばかりに見えるのだ。
奈良文化財研究所飛鳥資料館は今月19日から日本・韓国・中国の重要文化財を集めて特別展『花開く都城文化』を開催する予定だが、中国側から輸出許可が下りないかもしれないと連絡が入り、93点の文物が未だに届いていないということも起きている。
『坊主憎けりゃ袈裟まで』という慣用語があるが、将に日本に対する現在の中国の姿勢を示しているようで言い得て妙である。
日本政府も経済界も、勿論日本国民全体もだが、単に中国(政府・国民)の言動をあざけり難じるだけでなく、中国の姿勢を『他山の石』として、『人のふり見て我がふり直せ』の俚言の通り自戒することも必要であろう。
中国との尖閣にしろ韓国との竹島にしろ、戦後処理をきちんと行ってこなかった自民党政治のツケが今になって回ってきたと受け止めるべきであり、いずれも領土・領海問題は存するとの認識で互いに友好の立場から解決策を模索すべきであると考える。
話は変わるが、先ごろ韓国の団体がニューヨークのタイムズ・スクウェアに慰安婦問題に関する広告を掲げたそうな。 西ドイツのブラント首相がポーランドを訪れ謝罪した時の写真を用いて。
この韓国の団体の行為がマスコミで云々されているが、そのことよりもドイツがユダヤ人迫害についての責任も含め何年にもわたって戦後処理をきちんと行ってきたことを日本政府も国民も気付かねばならないのではないだろうか。 マスコミも話題性のみで取り上げるだけなら人々の考えを一定方向に煽動するだけの結果にしかならないことは分かっているはずだ。
眠くて眠くて朝刊に目を通したら又寝入ってしまった。 先ほど目覚めたが、徹夜ができない年齢になってしまった。 言いたいことは未だあるが今回はこの辺で。