July 2005

July 28, 2005

ツライですなあ。

「痛いですかはてな
「嘘、偽りなく関節の注射は痛いもんです。
ガーーン

この2ヶ月ばかり、
左肘から手先にかけてのシビレと痛みに耐えかね、
今日、整形外科医の診察を受けてきました。

診察ーレントゲンー診断

「腱鞘炎のようなものですね。」
「はあ。」
「歳を取ると、多かれ少なかれ誰もが・・・。」
「治りますか?」
「注射にしましょうか?」
「ええっ?」

と、このような会話の後、
勿論、お断りしました。

他人の血を見るのは平気なのですが、我が身については・・・。
動脈を切った者、癲癇で倒れた者、
チアノーゼの者、溺れている者、
骨折した者・・・・・・
いろんな状態にあるものを助けてきたけれど、
ははは、自分自身に関しては、てんでダメダメ

結局、痛み止めの薬を飲み、湿布を続け、
2週間、左腕を使用しないという治療を選択。

ゆっくりと、しかし、着実に老化の道を歩んでいることを確かめる結果となり、
淋しくもツライ、悲しい日となってしまいました困った

  若さが  恋しいびっくりびっくり


at 21:00|Permalink

July 21, 2005

暑中お見舞い申し上げます。



毎日、ほんまに太陽暑うおますなあ困った

ややこしい天気の梅雨が祇園さんと共に終わり、カンカン照りの中で天神さんを迎える。
毎年同じように過ごさしてもろうてる風物詩のひとコマでおまっさかいに、もう当たり前のようになって、このことを誰も不思議にも、有り難いとも思わしまへん。

梅雨時にしっかり雨が降ってくれるんでイネの生長にええんで、カンカン照りの日が続くんで、果実が甘く美味しゅうなるんでっけど、これも当然のことと。
そやなかったら、雨が降らん、陽が照らんと不足が口から出ます。

人間っちゅうもん、実に身勝手なもんやと思うんですわ。

しかし、そう言う俺も蒸し暑いのんは嫌いやし、カンカン照りの暑いのんも嫌いでおます。

ところが昨秋から冬、そして春を過ぎて、つい最近まで口にせえへんかったジョッキビールがウマイ!

この暑い中、汗をタラタラ流した後のビールは将に『生命の水』びっくり

心地良く冷えたビールをゴクンゴクンと喉に流し込む度、『五臓六腑に染み渡る』のを実感するんですなあ。
これがサッポロ黒ラベルなら俺としては最高の気分に浸れるんですがな笑い

一人なら一人で楽しむ飲み方がおます。
二人なら二人の飲み方。
大勢でなら大勢での飲み方がおます。

酒と料理をじっくりと楽しむ。
酒や料理を楽しむことで気分も高揚。
この相乗的作用が大勢の場を一層盛り上げることにクラッカーロケット・・・・・

昨夜は一人酒やった。

その前は、草刈りなど我が家の雑用を手伝いに来てくれた若い衆らと一緒に。
二十歳過ぎの女の子は、よう食べよった。
分厚い塩タン(1人前は100グラム)をパクパク。
一緒におった男どもがアレヨアレヨと言う間に盛り皿が・・・・・。
怒る間もなく、皆が笑い転げる。
これが、大勢で飲む時の酒と料理の効用でんがな。

その前???

それぞれには喜んでもらえたかもしれん。
しかし、『席』を設けた俺は、ホストとしては満足できんかった。
ホストとしての気遣いはしたけんど、俺はアカンかったと思うとる。
大勢で飲んで食べて、そこの場での共通の喜びが無かったというこっちゃ。

それぞれに飲んで食べて楽しむんやったら、一人でええがな。
二人なら二人で満足できるようにしたらええがな。
俺は自分自身のお人好しさ加減に腹が立ったんと、『席』を設けた『亭主』として『席』全体の盛り上がりの中に生まれる喜びを得てもらえなんだことが残念でしゃあなかった。
予測し得た状況やっただけに、余計につまらんこっちゃった落ち込み

ともあれ暑ーい暑ーい季節に突入。

アサヒやない、キリンでもサントリーでもない。
伝統の味を守るサッポロ黒ラベルで『カンパーーイ』びっくり拍手






at 07:25|Permalink

July 09, 2005

日記ちゅうもんは・・・・・

々のことを書きすから『日記』なんやが・・・・・
なかなか書けるもんやおまへん。

その日の出来事を書く。
それらの出来事に関わって感じたことを書く。

一日のうちに何の出来事も起きん、何も感じ思うことも無い日なんておまへんねんさかい、
誰でもが日記をつけることはできるはずですわ。

それが書けん。

いやぁ、時間がおまへんねん。
書くほどのこともおまへんねん。
おんなじようなことは、他の人も書いてはりますやろ。

なるほど、いろいろと理由はつけられるもんですわなあ。
しかし、いずれも日記を書かないことの弁明ですわ。
俺も、そのような理由で書きまへんでしたんや。

その日のことをその日に書くというのんも難しおます。

外で飲んで帰ってきたらバタンキューでっしゃろ。
鼾かいて
寝息かいて
寝汗までかいて
朝起きたら、自分の寝姿に
恥かいて
頭かいて
もう、わやですわ。

昨日は、天王寺の美術館へ行ってきましてな。
興福寺展』を見てきましたんや。
興福寺はご承知の通り法相宗の大本山。
南都七大寺の一つで、710年(和銅3年)に藤原不比等により飛鳥の厩坂寺から移されたと伝えられておます。
寺の起源を調べてみると、飛鳥の前、天智天皇の御世に山背国「山階寺」が起源となっとるようで、藤原鎌足の奥さんである鏡大王が夫の病気回復祈願のため669年に建立したとされとります。
だから藤原氏の氏寺とも言われてますんや。

我が名字も藤原の傍系ゆえに興福寺が氏寺なんやろか。
なーーーんて、今時、名字帯刀の家やなんて言うてもしゃあないこっちゃ。
明治以降、全ての人々が名字を名乗るようになってんさかいにええ加減なもんですがな。

むしろ、名字帯刀の家っちゅうのんは搾取する側にあったわけでっさかいに、ご先祖さんはズッコイ奴やったんかもしれまへん。

法相宗と言うたら京都の音羽山・清水寺も同じ教義に立つ寺でおます。
こちらは北法相宗の総本山。
創建は778年年でっさかいに興福寺よりは新しい寺ですけんど、794年に平安京として都が遷されるより以前に建てられた寺でっさかいに伝統はおますわなあ。

昔の寺は朝廷や貴族らによる寄進によって沢山の寺領(荘園)を持っとりました。
しかしその財を守るための争いもたんとあったみたいでおます。
毎年1月15日に行われる若草山の山焼きは、東大寺と興福寺の寺領争いから始まったと伝えられとりますさかいにな。
そうした寺の財産を守るために僧侶が武術を身につけ、『僧兵』に。
とりわけ人数が多く、強かった興福寺の僧兵は奈良法師、延暦寺の僧兵を山法師と呼んできたそうでおます。

京都の清水寺は興福寺と同じ法相宗であることから山法師の襲撃をよう受けて火事にもおうとるらしいけんど、やがて戦国時代に入って織田信長の焼き討ちで壊滅させられるまで延暦寺(北嶺)は僧兵の力を維持してきたんですなあ。
弁慶も僧兵の一人でおましたがな。

話が飛んでしまいましたけんど、『興福寺展』では鎌倉時代、1200年前後に制作された木彫佛を中心に観覧させてもらいました。

とりわけ俺の好きな力強いフォルムの金剛力士像の吽形、力強い中にも、どこかユーモラスな感じの天燈鬼立像四天王立像十二神将立像など、充分に満足させてもろうて、おまけに小野薬品の小野順造コレクションの中国・魏の頃の石彫佛まで見せてもろうて、これはもう大満足やった。

家内は先に帰宅したんやが、俺は約束があったんで飲みに・・・・。

先ずは行きつけの寿司屋へ。
稚鮎を唐揚げにしてもろうて生ビールをコップに一杯だけ。
これがウマイんやなあ。
ビールは直ぐに腹が張ってしまうんで、あんまり飲まんようにしてまんねん。
後は、夏でも芋焼酎の湯割りですわ。
炊き合わせは鯛の子と水茄子
お刺身はイワシ
お寿司は好物のバッテラを少々。

途中で相方が二人来ましたんで、しばらく一緒に飲んどりましたが、後はいつものルートで焼肉屋へ。

ここの大将、在日の2世。
もともとというか、本店は大池橋にあるんやけど、息子を連れて店を開いてはりまんねん。
ここは、肉がエエ。
文句なしにウマイ。
分厚いタンは国産もの。
仙台の連中がびっくりするんやないかってもんや。
鹿児島牛のミスジ
常温で油脂分が溶ける特上のカルビ
脂ののったミノ
酒は、よう冷えたマッコリ

相方の二人の若衆は、ご飯にゴマの葉も食べるけんど、俺は、タンとミノをそれぞれ3切れか4切れ程度で充分。

これで最高にご機嫌となり、タクシーでご帰還ですわ。

そんなもん日記なんか書いてられまっかいな









at 12:25|Permalink

July 05, 2005

雨の京都

書きかけの原稿が消えてしもうて・・・・・・

ある女性について書いておったんやけんど、ざ・ん・ね・ん。

いずれ気が向いたら書くことにしまっさ。

雨の日曜日。

京の町を見たいっていう九州の女性が案内を乞うてきたので出迎えに京都駅まで。

京都は初めてで、新幹線も初めてということだったので、電車にホテル、タクシーに食事どころと万事を手配して改札口で待っておったのですが、待てど暮らせど来まへん。
『のぞみ』の到着時刻になっても改札口に出てこんもんでっさかいに、彼女の携帯電話にメールを送ろうとしてバッグの携帯電話を取り出したんですわ。

そしたら、彼女からのメールが3本も入ってましたんや。

「電車が停まったたい。」
「まだ動かんたい。」
「やっと、動いた。」

ありゃー、延着やわい。
そう思ってJRの係員に、
「10時7分着の『のぞみ』はどれぐらい遅れてまんねん?」
って尋ねると、
「ちょっとお待ち下さい。調べてきますから。」
と言って改札口横の係員がいる小部屋へ行き、戻ってくると、
「只今の遅れは、100分です。」

ウン? ナニ? 

「100ぷん???」

「ええーっと、100分と言うことは~
   1時間が60分やさかいに~~
       ええーっと、1時間とお~~40分かあ?」

「はい、1時間40分遅れています。」

馬鹿モンがーーーー。
普通、私達一般の人間は1時間を超える場合、『分』単位で表現することが多いでしょうか。
講義の時間を90分とカウントすることはありますが、他の場合1時間半とか1時間と30分というように言いませんかねえ。

単位のトリック。

『100分』と言う場合と、『1時間40分』と言う場合の受け手の取り方。

これは、

『綿を1000グラムと鉄のカタマリ1キログラムでは、どちらが重いでしょうか?』

という問いかけに似ています。

知らない人と話す場合、相手の人によりよく分かっていただくために気にかけるべきことが幾つかあります。

例えば、相手が子どもの場合には、用いる言葉を分かりやすい平易な言葉で話すのは当然のことです。
しかも、ゆっくりと。
同じ目線で話してあげることが重要です。

これは大人であっても配慮すべき大切なことなのですが・・・・。

果たして、JRの係員さん、
私が、
「ええーっと、100分と言うことは~、1時間が60分やさかいに~~」
などと、わざと注意を喚起するために表現したことに気付いたでしょうか。

九州から初めて新幹線に乗って来た女性、山口県と広島県の境で豪雨のための運転停止。
東京行きであった列車が遅延のために新大阪で運休。
他の列車に乗り換えて、やっと京都へ。

局地的豪雨という自然条件ですから仕方がないのですが、いやはや大変な経験をしてもらいました。

日曜、月曜と1泊2日の京都観光。
コースを短くし、割愛した所もありましたが、何とか喜んで帰っていただきましたので良かったなあと思っておりますが、JRさん、自然が相手とは言え、もっと素直になれませんか。

1時間40分も。

列車が停まって待っている間の乗客の不安な気持ち。
全ての予定が遅れてしまうこと。
到着するのを待っている人の気持ち。

どれだけ遅れていますって、改札口へ迎えに来ている人に分かるようにできませんか。
それも分かりやすく、掲示物を用いるとか・・・・・・。

1時間40分の遅れですって。













at 21:00|Permalink
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