October 2005
October 29, 2005
信州への旅 十一
秋色の志賀・草津ルート
今回の信州の旅で、最も素晴らしい景観であったところである。
ススキの穂が風になびき、空は晴れ渡り、遠くにはアルプスの連山を眺める。
ところどころナナカマドが真っ赤な果実をつけ、羽状の葉も赤く染まりかけている。
国道292号線は横手山の西から南へ回り込むように
最高点・渋峠(2172m)に至る。
木戸池付近で (上)
横手山付近から北アルプスを望む (上)
渋峠付近よりの雲海 (上)
今回の信州の旅で、最も素晴らしい景観であったところである。
ススキの穂が風になびき、空は晴れ渡り、遠くにはアルプスの連山を眺める。
ところどころナナカマドが真っ赤な果実をつけ、羽状の葉も赤く染まりかけている。
国道292号線は横手山の西から南へ回り込むように
最高点・渋峠(2172m)に至る。
木戸池付近で (上)
横手山付近から北アルプスを望む (上)
渋峠付近よりの雲海 (上)
at 13:39|Permalink│
信州への旅 第十
ホテル志賀サンバレー
このホテルは誉めておかねばならない。
宿というものは、その立地する環境条件という自然に与えられた景観などを基本としつつ、宿としてゲストに対する独自の配慮というサービスを提供できなければならない。
これが施設・設備にばかり目がいっているようでは、いかに資本注入量が大きくても湯田中温泉の『ど田舎観光ホテル』と変わらない。
『仏作って魂入れず』の喩えと同じである。
このホテル、写真に示したように外観はレンガ色に統一され、隣り合うヨーロッパアルプスにあるロッジ風のホテルなどと共に山のホテルらしい雰囲気を醸し出している。
写真手前に車の進入路があり、左上には駐車場を設け、施設の裏側は斜面となり沢となっている。
施設に面して(写真では手前)スキー客用のリフトがあり、シーズン中に訪れるゲストたちにとっては素晴らしい立地となるのであろう。
近くには丸池、信州大学の教育園があり、夏でも動植物の観察には高原気候ともあいまって良い環境条件を揃えている。
さて、このホテルであるが、主にはスキーシーズンの宿であることは言うまでもない。
このホテルに限らず志賀高原のホテルは悉皆同様である。
そこで施設の通年営業を考える場合、当然季節ごとの運営についての企画が重要になるが、競合する他のホテルとの差別化を図り、独自性を強調できるものにしなければならない。
と薀蓄を並べ立てても、私はこのホテルの1年を通した企画を知らないし、隣接するホテルの企画も知らないから比較することができないので、この件に関してはここまでとし、気に入ったことと、気掛かりなことについて一言。
先ず、食事内容が良い。
料理素材、品数共に良いし、味付けも良い。
更に、温かいものを温かい状態でテーブルに運んでくる。
これは料理を提供する上で大切な要件の1つである。
それにサプライズを加味している。
一人用の小さな鉄板焼を供することは多々あるし、焼く物も大体似たり寄ったりである。
ここは椎茸の栽培木を出し、ゲストがハサミで切って椎茸を焼くということをやっている。
更に食後、椎茸菌を植え付けてあるその原木を持ち帰っても良いとしている。
我が家ては既に新しい椎茸が育っている。
これは面白い企画であると私は思った。
レストラン・スタッフの対応も、とても感じの良いものであった。
勿論全てが良いというわけではない。
スキー客相手がメインとなるホテルゆえに、部屋に入った辺りは雪によって濡れるため、畳部分との段差を無くす簡易の箱状の床を設置してあったが、これのクッション、反響音が気になるところである。
丁度、写真教室の団体客が同宿していたのだが、彼らが早朝の撮影に出発するため、午前2時ごろから4時ごろまで動き回っている音が耳について熟睡できなかった。
これは建物の構造上からくる問題だったかもしれない。
しかし団体のゲストが早朝に出発することは、ホテル側として事前に分かっていたはずなので、他の客に対する配慮が足りなかったことは責められても仕方ないであろう。
夕食朝食共にレストランであったため、細やかなサービスが可能であったと考えられるが、それにしても食事に関しては申し分のないものであったと考える。
当然、宿泊料金に比してであるが。
ついでに付け加えれば、露天の家族風呂。
これを建設するために建物裏側の法面を利用した工夫は誉めて良いし、多くのゲストに供することを考えれば時間制にしたのも良いアイディアであると思うが、有料にまでしたのは、折角のアイディアがゲストのためにというより商売っ気を感じさせて、ちょっとつまらなく思えたことであった。
しかし、総合的には良い評価を与えてよいホテルであると判断した。
このホテルは誉めておかねばならない。
宿というものは、その立地する環境条件という自然に与えられた景観などを基本としつつ、宿としてゲストに対する独自の配慮というサービスを提供できなければならない。
これが施設・設備にばかり目がいっているようでは、いかに資本注入量が大きくても湯田中温泉の『ど田舎観光ホテル』と変わらない。
『仏作って魂入れず』の喩えと同じである。
このホテル、写真に示したように外観はレンガ色に統一され、隣り合うヨーロッパアルプスにあるロッジ風のホテルなどと共に山のホテルらしい雰囲気を醸し出している。
写真手前に車の進入路があり、左上には駐車場を設け、施設の裏側は斜面となり沢となっている。
施設に面して(写真では手前)スキー客用のリフトがあり、シーズン中に訪れるゲストたちにとっては素晴らしい立地となるのであろう。
近くには丸池、信州大学の教育園があり、夏でも動植物の観察には高原気候ともあいまって良い環境条件を揃えている。
さて、このホテルであるが、主にはスキーシーズンの宿であることは言うまでもない。
このホテルに限らず志賀高原のホテルは悉皆同様である。
そこで施設の通年営業を考える場合、当然季節ごとの運営についての企画が重要になるが、競合する他のホテルとの差別化を図り、独自性を強調できるものにしなければならない。
と薀蓄を並べ立てても、私はこのホテルの1年を通した企画を知らないし、隣接するホテルの企画も知らないから比較することができないので、この件に関してはここまでとし、気に入ったことと、気掛かりなことについて一言。
先ず、食事内容が良い。
料理素材、品数共に良いし、味付けも良い。
更に、温かいものを温かい状態でテーブルに運んでくる。
これは料理を提供する上で大切な要件の1つである。
それにサプライズを加味している。
一人用の小さな鉄板焼を供することは多々あるし、焼く物も大体似たり寄ったりである。
ここは椎茸の栽培木を出し、ゲストがハサミで切って椎茸を焼くということをやっている。
更に食後、椎茸菌を植え付けてあるその原木を持ち帰っても良いとしている。
我が家ては既に新しい椎茸が育っている。
これは面白い企画であると私は思った。
レストラン・スタッフの対応も、とても感じの良いものであった。
勿論全てが良いというわけではない。
スキー客相手がメインとなるホテルゆえに、部屋に入った辺りは雪によって濡れるため、畳部分との段差を無くす簡易の箱状の床を設置してあったが、これのクッション、反響音が気になるところである。
丁度、写真教室の団体客が同宿していたのだが、彼らが早朝の撮影に出発するため、午前2時ごろから4時ごろまで動き回っている音が耳について熟睡できなかった。
これは建物の構造上からくる問題だったかもしれない。
しかし団体のゲストが早朝に出発することは、ホテル側として事前に分かっていたはずなので、他の客に対する配慮が足りなかったことは責められても仕方ないであろう。
夕食朝食共にレストランであったため、細やかなサービスが可能であったと考えられるが、それにしても食事に関しては申し分のないものであったと考える。
当然、宿泊料金に比してであるが。
ついでに付け加えれば、露天の家族風呂。
これを建設するために建物裏側の法面を利用した工夫は誉めて良いし、多くのゲストに供することを考えれば時間制にしたのも良いアイディアであると思うが、有料にまでしたのは、折角のアイディアがゲストのためにというより商売っ気を感じさせて、ちょっとつまらなく思えたことであった。
しかし、総合的には良い評価を与えてよいホテルであると判断した。
at 10:29|Permalink│
October 28, 2005
信州への旅 第九
戸 隠 そ ば
信州は何処へ行っても『そば』を打っています。
近年、そば打ちの店が随分増えたように思います。
そばアレルギーが問題になる一方で、そば屋さんが増えているのは面白い現象です。
直接的な因果関係は何も無いと思いますが・・・
『そば』や『うどん』、それに『とち餅』や『粟餅』など、現在では好んで食べる人が多いし、確かに美味しいものです。
しかし、日本の農耕史は米中心であり、そば、小麦を作っていたのは気候条件や土地、水などの条件において、米を作ることができなかった、或いは作りにくかったことを表していると見て良いでしょう。
『とち餅』は木の実を、『粟餅』は雑穀を混ぜ込むことによって量を増やすという工夫であったと考えられます。
ところで『戸隠そば』ですが、これは家内がどうしても食べたいという願いからコースに入れたものです。
以前、息子たちを連れて戸隠神社に来たことがあるのです。
その際に、息子、とりわけ長男が美味しい美味しいと言って食べたのが『ザルそば』であったのですが、家内は体が丈夫ではないので食べなかったのです。
しかし、長男が亡くなってから、愚息が美味しいと言って食べていた蕎麦がどんなものなのか、気になっていたのでしょう。
家内の体調は常に優れませんし、しかも少食ですから、今回の旅行に出る前から体調を整えるようにしてきておりました。
この朝も、食事の内容と量を調整し、お昼を少し過ぎた時間に『戸隠そば』を口にできるよう、コース全体の計画をこの食事に合わせて動くようにしたのです。
善光寺から登り始めて宝光社、そして中社へ。
途中の坂道に以前食べた時の店、『岩戸屋』があったのですが、駐車場が分からなかったために中社の鳥居横にある『戸隠そば苑』に車を入れました。
注文は勿論、霧下蕎麦の
ぼっち盛りのザル。
茹で上がったそばが、山の伏流水でしっかり冷やされ、ザルに食べやすく五つに盛り分けられて供される。
美味しいつゆに浸けてズルズル
辛味が、つゆにアクセントとして加わり、蕎麦の味を一層引き立てる。
歯ごたえが食感を一段と増幅させる。
このために体調を整えてきた家内も「美味しい」を連発。
家内が「そば」を美味しいと言ったのは何度目だったでしょうか。
島根県・出雲市駅からほど近い『献上そば羽根屋』の3段積みの割子そば。
滋賀県大津市・坂本の『鶴喜そば』。
安曇野の『有明』のそば。
今回が4度目になりますかねえ。
40年間で4つ。
これら4つの店の蕎麦は、私も美味しいと思いました。
このあと奥社へ詣で、黒姫山から一茶記念館を経て上信越道へ、信州中野ICから志賀中野有料道路に入ると、あとは上り坂が連続します。
丸池を過ぎると、直ぐに幕岩温泉のホテル志賀サンバレー。(下)
午後4時のチェックイン、今夜の宿でのんびり寛ぎます。
信州は何処へ行っても『そば』を打っています。
近年、そば打ちの店が随分増えたように思います。
そばアレルギーが問題になる一方で、そば屋さんが増えているのは面白い現象です。
直接的な因果関係は何も無いと思いますが・・・
『そば』や『うどん』、それに『とち餅』や『粟餅』など、現在では好んで食べる人が多いし、確かに美味しいものです。
しかし、日本の農耕史は米中心であり、そば、小麦を作っていたのは気候条件や土地、水などの条件において、米を作ることができなかった、或いは作りにくかったことを表していると見て良いでしょう。
『とち餅』は木の実を、『粟餅』は雑穀を混ぜ込むことによって量を増やすという工夫であったと考えられます。
ところで『戸隠そば』ですが、これは家内がどうしても食べたいという願いからコースに入れたものです。
以前、息子たちを連れて戸隠神社に来たことがあるのです。
その際に、息子、とりわけ長男が美味しい美味しいと言って食べたのが『ザルそば』であったのですが、家内は体が丈夫ではないので食べなかったのです。
しかし、長男が亡くなってから、愚息が美味しいと言って食べていた蕎麦がどんなものなのか、気になっていたのでしょう。
家内の体調は常に優れませんし、しかも少食ですから、今回の旅行に出る前から体調を整えるようにしてきておりました。
この朝も、食事の内容と量を調整し、お昼を少し過ぎた時間に『戸隠そば』を口にできるよう、コース全体の計画をこの食事に合わせて動くようにしたのです。
善光寺から登り始めて宝光社、そして中社へ。
途中の坂道に以前食べた時の店、『岩戸屋』があったのですが、駐車場が分からなかったために中社の鳥居横にある『戸隠そば苑』に車を入れました。
注文は勿論、霧下蕎麦の
ぼっち盛りのザル。
茹で上がったそばが、山の伏流水でしっかり冷やされ、ザルに食べやすく五つに盛り分けられて供される。
美味しいつゆに浸けてズルズル
辛味が、つゆにアクセントとして加わり、蕎麦の味を一層引き立てる。
歯ごたえが食感を一段と増幅させる。
このために体調を整えてきた家内も「美味しい」を連発。
家内が「そば」を美味しいと言ったのは何度目だったでしょうか。
島根県・出雲市駅からほど近い『献上そば羽根屋』の3段積みの割子そば。
滋賀県大津市・坂本の『鶴喜そば』。
安曇野の『有明』のそば。
今回が4度目になりますかねえ。
40年間で4つ。
これら4つの店の蕎麦は、私も美味しいと思いました。
このあと奥社へ詣で、黒姫山から一茶記念館を経て上信越道へ、信州中野ICから志賀中野有料道路に入ると、あとは上り坂が連続します。
丸池を過ぎると、直ぐに幕岩温泉のホテル志賀サンバレー。(下)
午後4時のチェックイン、今夜の宿でのんびり寛ぎます。
at 14:45|Permalink│
信州への旅 第八
本日のコース
湯田中温泉⇒中山晋平記念館⇒岩松院⇒小布施・北斎館
⇒善光寺⇒戸隠⇒小林一茶旧宅・記念館⇒志賀高原
この日のメインは『戸隠そば』を食べることでした。
両親が生きていた頃、息子たちをセドリックに乗せて信州へは度々行きました。
その当時、中山晋平記念館も北斎館もありませんでした。
カチューシャ可愛いや別れの辛さ~
中山晋平記念館の中で流れる歌声に合わせて老人団体のご婦人たちが懐かしそうに唱っておられました。
シャボン玉、 てるてる坊主、 コガネムシ、 砂山、 証城寺の狸ばやし、
あの町この町、 ゴンドラの唄、 波浮の港、 船頭の唄など。
私にしても家内にしても懐かしい歌です。
老婦人たちが歌っていた『カチューシャの唄』。
これは島村抱月の作詞ですが、中山晋平が作曲を手がけた作品の作詞家たちには北原白秋、野口雨情、西条八十など、日本の童謡詩の黎明期を作り上げた人達の名前が挙がります。
記念館を出でてから舗装された農道を南へ。
道の左右には田んぼや果樹園が広がっているのですが、多く見かけるのがリンゴ園
未だ熟しきってはいないけれど、赤みを帯びたリンゴが沢山実っていました。
何度も訪れている信州ですが、リンゴが実っているのを見るのは初めて。
たまたま作業中の老夫婦がいたので写真を撮らせていただきました。
私達が見れば、沢山のリンゴが実っているように思うのですが、今年は台風の影響で、既にかなりの数の実が落ちてしまったそうな。
リンゴだけではなく、ブドウなど他の果樹も栽培しておられるとのことでありましたが、収穫時期が異なる果樹を育てているので1年を通じて農作業があるのだとか。
一般に果実は太陽の光りがよく当たる面が良く色付くそうで、果樹園の樹木の下一面にアルミ箔を敷きつめる仕事もあるそうな。
そうすることによって、リンゴは満遍なく赤く色付くんだと。
老夫婦のお話を聞いているだけで、果樹栽培農家の仕事の概要や苦労など、知らなかったことも多々あり、随分学習することとなりました。
もぎたてリンゴをいただき、お茶にお菓子まで頂戴することとなり、恐縮してしまいました。
写真は『ふじ』。 収穫は未だ先だそうですが、いい色合いに実っていました。
豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳七本槍の一人と言われた福島正則(関が原では徳川方に付き、安芸・備後50万石を所領したけれど広島城修築に関し問責を受け信濃川中島に移封)の霊廟があるのが曹洞宗・梅洞山岩松院です。
この寺の本堂天井に葛飾北斎88歳の時の『八方睨みの鳳凰』が描かれています。
畳21畳分の大きさであるから相当大きいものであり、寝転んで仰向けに見れば良いらしいのですが、観光客も多く、本堂床間に『コの字』型に長椅子を並べてあるので座って見上げることとなっていました。
天井画は撮影禁止なので、この写真は岩松院のホームページより拝借しました。
http://park19.wakwak.com/~gansho-in/happounirami.htm
岩松院から小布施の町の中心までは車で直ぐ。
小布施と言えば『栗菓子』が有名ですが、晩年の北斎が度々訪れ絵筆をとったこともよく知られています。
この北斎を招いたのが高井鴻山(1806~1883)です。
彼は酒造を営む恵まれた家に育ち、学問・芸術に造詣が深く、佐久間象山らとも交流があり、北斎も彼の招きで厚遇をうけていました。
現在彼の実家の酒造会社は高井鴻山記念館として、北斎のアトリエなどとして公開されています。
また筋向いには北斎館があり、彼の屏風画など数多くの作品が展示されています。
一帯は町立『おぶせミュージアム』や『あかり博物館』のほか、みやげ物店が建ち並ぶ地域で、私たちが訪れていた時間帯が昼時でもあったため平日というのにごった返しておりました。
多分、朝の早い時間帯や夕暮れ時なら、観光客も少なく田舎町の風情を感じることができたのではないかと思いました。
小さな町の小さな一角に観光客が集中するのですから、人口過多でデパートのバーゲン会場を訪れているようなものでした。
湯田中温泉⇒中山晋平記念館⇒岩松院⇒小布施・北斎館
⇒善光寺⇒戸隠⇒小林一茶旧宅・記念館⇒志賀高原
この日のメインは『戸隠そば』を食べることでした。
両親が生きていた頃、息子たちをセドリックに乗せて信州へは度々行きました。
その当時、中山晋平記念館も北斎館もありませんでした。
カチューシャ可愛いや別れの辛さ~
中山晋平記念館の中で流れる歌声に合わせて老人団体のご婦人たちが懐かしそうに唱っておられました。
シャボン玉、 てるてる坊主、 コガネムシ、 砂山、 証城寺の狸ばやし、
あの町この町、 ゴンドラの唄、 波浮の港、 船頭の唄など。
私にしても家内にしても懐かしい歌です。
老婦人たちが歌っていた『カチューシャの唄』。
これは島村抱月の作詞ですが、中山晋平が作曲を手がけた作品の作詞家たちには北原白秋、野口雨情、西条八十など、日本の童謡詩の黎明期を作り上げた人達の名前が挙がります。
記念館を出でてから舗装された農道を南へ。
道の左右には田んぼや果樹園が広がっているのですが、多く見かけるのがリンゴ園
未だ熟しきってはいないけれど、赤みを帯びたリンゴが沢山実っていました。
何度も訪れている信州ですが、リンゴが実っているのを見るのは初めて。
たまたま作業中の老夫婦がいたので写真を撮らせていただきました。
私達が見れば、沢山のリンゴが実っているように思うのですが、今年は台風の影響で、既にかなりの数の実が落ちてしまったそうな。
リンゴだけではなく、ブドウなど他の果樹も栽培しておられるとのことでありましたが、収穫時期が異なる果樹を育てているので1年を通じて農作業があるのだとか。
一般に果実は太陽の光りがよく当たる面が良く色付くそうで、果樹園の樹木の下一面にアルミ箔を敷きつめる仕事もあるそうな。
そうすることによって、リンゴは満遍なく赤く色付くんだと。
老夫婦のお話を聞いているだけで、果樹栽培農家の仕事の概要や苦労など、知らなかったことも多々あり、随分学習することとなりました。
もぎたてリンゴをいただき、お茶にお菓子まで頂戴することとなり、恐縮してしまいました。
写真は『ふじ』。 収穫は未だ先だそうですが、いい色合いに実っていました。
豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳七本槍の一人と言われた福島正則(関が原では徳川方に付き、安芸・備後50万石を所領したけれど広島城修築に関し問責を受け信濃川中島に移封)の霊廟があるのが曹洞宗・梅洞山岩松院です。
この寺の本堂天井に葛飾北斎88歳の時の『八方睨みの鳳凰』が描かれています。
畳21畳分の大きさであるから相当大きいものであり、寝転んで仰向けに見れば良いらしいのですが、観光客も多く、本堂床間に『コの字』型に長椅子を並べてあるので座って見上げることとなっていました。
天井画は撮影禁止なので、この写真は岩松院のホームページより拝借しました。
http://park19.wakwak.com/~gansho-in/happounirami.htm
岩松院から小布施の町の中心までは車で直ぐ。
小布施と言えば『栗菓子』が有名ですが、晩年の北斎が度々訪れ絵筆をとったこともよく知られています。
この北斎を招いたのが高井鴻山(1806~1883)です。
彼は酒造を営む恵まれた家に育ち、学問・芸術に造詣が深く、佐久間象山らとも交流があり、北斎も彼の招きで厚遇をうけていました。
現在彼の実家の酒造会社は高井鴻山記念館として、北斎のアトリエなどとして公開されています。
また筋向いには北斎館があり、彼の屏風画など数多くの作品が展示されています。
一帯は町立『おぶせミュージアム』や『あかり博物館』のほか、みやげ物店が建ち並ぶ地域で、私たちが訪れていた時間帯が昼時でもあったため平日というのにごった返しておりました。
多分、朝の早い時間帯や夕暮れ時なら、観光客も少なく田舎町の風情を感じることができたのではないかと思いました。
小さな町の小さな一角に観光客が集中するのですから、人口過多でデパートのバーゲン会場を訪れているようなものでした。
at 08:45|Permalink│
October 25, 2005
信州への旅 第七
信州への旅 第六の表題が抜けてましたんで、今回が第七になります。
宿は湯田中温泉に取ったんです。
現地の紹介業者に取ってもろうたんですが、湯田中温泉で最も規模の大きい旅館で、宿泊料金もかなり安いものでした。
しかし、規模が大きいだけに薄利多売の感はぬぐえなかったように思います。
夕食は部屋でいただきましたが、これはこれで良いのです。
料理の品数も多いし、見映えのするお膳でした。
しかし、料理の素材はとてもとても。
しかも、天ぷら盛り合わせは冷たいときてる。
食前酒の配膳を忘れたからと、商品宣伝のガラスコップに白ワインを入れて運んできて、お膳のリキュールグラスに注ぐという有様。
それが冷えてもいないマズイもの。
朝食はバイキング・スタイルで、広いコンベンションホールに客を集めるのは最近多くのホテルが取り入れてる方式。
和洋食と銘打ってはいるものの、コーヒーも紅茶も
ミルクも無い。
玉子も無い。
(玉子があるにはあったものの、砂糖入りの甘いお菓子のような冷たい玉子焼きが)
サラダは品数少なく、麺をマヨネーズで和えたようなもの。
人件費を抑え、料理の材料費を抑え、客の要求までをも抑えている感じ。
これが湯田中温泉で一番規模の大きいホテルなんだとか。
私には、ど田舎の安物観光ホテルに思えましたけどなあ。
そうそう、チェックアウトの際にレセプションでクレジットカードを提示すると、
「使えません。」ですって。
当該カード会社のプレートがキャッシャーの前には立ててあったのですがね。
1泊2食の宿泊料金が安かったからなのでしょうかねえ。
こんな旅館、二度と行くもんですか。
旅館名を挙げてやろうかと思うくらいに気分の悪い宿でした。
宿は湯田中温泉に取ったんです。
現地の紹介業者に取ってもろうたんですが、湯田中温泉で最も規模の大きい旅館で、宿泊料金もかなり安いものでした。
しかし、規模が大きいだけに薄利多売の感はぬぐえなかったように思います。
夕食は部屋でいただきましたが、これはこれで良いのです。
料理の品数も多いし、見映えのするお膳でした。
しかし、料理の素材はとてもとても。
しかも、天ぷら盛り合わせは冷たいときてる。
食前酒の配膳を忘れたからと、商品宣伝のガラスコップに白ワインを入れて運んできて、お膳のリキュールグラスに注ぐという有様。
それが冷えてもいないマズイもの。
朝食はバイキング・スタイルで、広いコンベンションホールに客を集めるのは最近多くのホテルが取り入れてる方式。
和洋食と銘打ってはいるものの、コーヒーも紅茶も
ミルクも無い。
玉子も無い。
(玉子があるにはあったものの、砂糖入りの甘いお菓子のような冷たい玉子焼きが)
サラダは品数少なく、麺をマヨネーズで和えたようなもの。
人件費を抑え、料理の材料費を抑え、客の要求までをも抑えている感じ。
これが湯田中温泉で一番規模の大きいホテルなんだとか。
私には、ど田舎の安物観光ホテルに思えましたけどなあ。
そうそう、チェックアウトの際にレセプションでクレジットカードを提示すると、
「使えません。」ですって。
当該カード会社のプレートがキャッシャーの前には立ててあったのですがね。
1泊2食の宿泊料金が安かったからなのでしょうかねえ。
こんな旅館、二度と行くもんですか。
旅館名を挙げてやろうかと思うくらいに気分の悪い宿でした。
at 20:43|Permalink│