April 2006

April 30, 2006

広島にて3

私は海産物が好きであるということもあるのだが、通う店はどうしても和風の割烹料理屋が多くなる。

今回も訪れたが、流川の『割烹・白鷹』。

少々値が張るものの板前の腕は立派なものである。

ご主人は一線を退き?酒の接待と会計専門。

べっぴんの女将がお運び。

板前は二人で賄っているが、息子のY氏がどんどん腕を上げている。

丁度、山菜の時期で美味しいものに巡りあうことができた。

いつも無理を言うのは『割烹・通』。

主人も女将も、すこぶるええ人物である。

ラ・ポール』に『火の鳥』。

広島でも祝ってもろうた。

有難いことだと思う。

次に向かう先は博多



at 16:18|Permalink

広島にて3

後輩の大ちゃんと会ったのは、彼が仕事を終えての午後7時30分。

彼と最初に行く店は決まっている。

新天地の居酒屋『どんどん』。

このチェーン店のオーナーが、倉橋島南端の鹿老渡から更に先の鹿島(現在は橋が架かっている)の出身。
4級下の大ちゃんは倉橋島の出身。
私は学生時代、ある調査のために10日ばかり鹿島に滞在したことがあった。
どんどん』の調理長K氏が鹿島、同じく板前のT氏が倉橋島倉橋島、それにオーナーの息子T君がいる。

いずれもが鹿島に何らかの関わりを持っている。


私としては懐かしい思いをもって訪れている。

私が学生の頃、大阪・広島間が急行列車で8時間かかった。
までが2時間ぐらいかかったように思う。
そのから倉橋島の南の端の室尾という集落まで4時間ちょっとかかったと記憶しているが、そのバスたるや、1日に4本しか無かった
室尾鹿島の間はポンポン船で20分ほどの距離なのだが、朝夕の通学用のために2往復しか便が無かった。

将に僻地だったのである。

若い息子T君も調理がうまくなってきた。

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今が旬の瀬戸内のサヨリの刺身である。

いつも調理長K氏に料理はお願いしている。

鹿島周辺で獲れた魚を調理してくれるので、新鮮で美味しくもあるし、私としては懐かしい鹿島の魚という思いもプラスされるのである。

刺身、焼き物、揚げ物、酢の物、魚は勿論のこと、貝類、海草、野菜、その他の食材と何でもできる。

at 15:32|Permalink

広島にて2

何日も何日も滞在できるわけではないので、自ずと訪れる店は決まってしまう。

昼間に先輩や友人に会う。

後輩たちは勤務中なので訪問したりはしない。

先輩の一人は、宮島・厳島神社での能楽会で張り切りすぎたとか。

体調を崩して寝込んでおられた。

歳も歳なんだから大事にと、無理はいかん。

散歩に出かけた広島城。

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新緑に変わろうとする樹木の中で桜吹雪が舞っていた。

散る桜 残る桜も 散る桜

はかなき思いを抱きながら場内を巡ると木陰に椿の赤い花。

ふと見ると、場内の護国神社の向こうにリーガロイヤル広島の建物。

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鳥の囀りを聞きながら天守閣の下を堀に沿って回って行くと黒一色、白一色に塗装した大型バス。

胴体に日章旗や旭日旗が描かれているから右翼の街宣車と直ぐに分かった。

大型バスの運転席だけがガラス窓、他の窓は全て鉄板で封じられて塗装が施されている。

何とも気色悪い奇怪な車が何台も駐車していた。

日の丸に旭日旗、迷彩色と街宣車、右翼政治結社の者たち、参拝を終えたのか、竹島に関する対韓国抗議集会を終えたのか、街宣車に分乗して城外へ。

公安と、それと分かる連中がお守をし、制服警官が「どうぞ、どうぞ」と交通整理。

政治結社と言うものの、私にはヤクザ(暴力団員)と同じように見えるけど・・・。

暴対法施行前、暴力団が代紋下ろして競うように政治結社の看板を掲げたことがあった。

穏やかな春の日の広島城に、何ともそぐわぬ集団と遭遇したもんや。

が、侵略や何やら言うて日本を攻撃してる韓国が、李承晩ラインというアメリカの傀儡政権の大統領が決めた韓国側の侵略ラインをもって竹島を自国の領土やと騒ぎまくっておるんは、これも何ともケッタイなもんですなあ。

それをほったらかしにしてきた歴代の自民党政府も今更何ということでしょう。


at 14:21|Permalink

広島にて

退職してからは東雲への用事も無くなった。
広島では先輩、後輩と友人たちに会うこと、美術館に行くことと、夜の流川薬研堀を楽しむだけになってしまった。

今回、『ひろしま美術館』も『県立美術館』も私の興味を掻き立てるものではなかった。
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写真は県立美術館。
いずれもリーガロイヤルからは散歩圏内。

今回はK子はんと合同庁舎近くのランドタワー、アーバンビューグランドタワーアランビック12階にある『サロン・ミクニ』で昼食を食べに出かけた。
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写真はアーバンビューグランドタワーアランビック。

サロン・ミクニ』は、フランス料理のシェフ・三国清三氏の店舗である。

三国氏は1954年、北海道・留萌に生まれ、札幌グランドホテル、帝国ホテルを経てスイス・ジュネーブ日本大使館の料理長に就任。
その後、東京に『オテル・ドゥ・ミクニ』を開店されてからの世界的な活躍についてはマスコミでもよく報じられている。

サロン・ミクニ』は12階の西側にあり、広島城を眺める20席程度のこじんまりしたレストランであるが、シェフの島村氏は三国氏の思想を受け、ランチと言えどコース料理に手抜きは無かった。

『本日のアミューズ』は、瀬戸内、中国・四国の地の素材を生かし、その持ち味を充分に引き出したものであった。

旬の素材を道いるのは料理の常道であるが、『生ハムにイチジク』には私も驚いた。

シェフ・島村氏によると、三国氏の考え方では旬よりも少し早めに素材として活用することによってサプライズを感じさせることもあるのだとか。

K子はんとのランチは楽しいものであったが、提供される料理は残さず頂くという私にとって、昼のコースはドッシリと重いものとなった。

このビルの1階には『ミクニズ・カフェ』もあり、パンにコーヒーなどが楽しめる。

サロン・ミクニ』も『ミクニズ・カフェ』も味は私の太鼓(腹)判、料金は、すこぶるリーズナブルであり、上八丁堀で推薦できる店である。

ディナーに来て下さい』と島村シェフ。
広島に住んでいればなあ・・・・・


at 11:18|Permalink

尾道から広島へ

千光寺の桜は満開を過ぎ、遠目からも葉桜の時期に入っている事が分かった。

雲の多い午後であったが、時折顔を見せる太陽は瀬戸の青い海を鮮やかな色に変え、幾重にも重なり合う島々を黒く浮かび上がらせていた。

久し振りの尾道で、ゆっくりした時間を友人たちと過ごした私は、次なる訪問地・広島市に向かった。

随分以前は職域の組合施設に泊まったり、全国チェーンのビジネスホテルに泊まったりしていたが、ちょっとしたきっかけから全日空ホテルを利用し始めた。

しかし、ここ何年かは改築なったリーガロイヤル広島を常宿としている。
理由を挙げれば沢山あるが、それらは以前のブログに記してあるので省く。
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今回、広島での2泊はリーガロイヤル広島の南側の部屋である。

私がリーガロイヤルを好む一つの理由は、部屋からの眺望である。

この日も雲が多かったものの、広島湾から広がる瀬戸内海に沢山の島影を望むことができた。

私の後方にある黒く大きい島影が安芸の宮島である。

私の背の部分には、太田川元安川に挟まれた中洲に平和記念公園があり、写真右下の辺りに原爆ドームもある。

カープ・ファンの歓声が上がる広島市民球場は、その直ぐ右手に位置する。

また、写真左の下が紙屋町の交差点であり、広島の繁華街の中心である。

今回リーガで驚いたことは、エレベーターに乗り込もうとした際、数人の女子中学生が乗り合わせていたことだった。

彼女たちの会話のイントネーションから察するに、多分東北地方南部の子たち、きっと山形県か福島県の子たちだと想像した。

どうやら修学旅行で広島に来てリーガロイヤルに宿泊しているようであった。

私が驚いたのは、女子中学生とエレベーターに乗り合わせたというだけではなく、その彼女たちが東北地方から来ているということと、リーガに宿泊しているということである。

修学旅行地として広島を選ばれた学校関係者、それに保護者の方たちには敬意を表したい。

それは取りも直さず平和教育の原点として広島には多くの教材があり、生命を大切にするという人生における全ての根源を自ら考えるきっかけになるという点で、広島という土地が人々に与えるものは大きく意義あるものと私自身が考えているからである。

それはともかくとして、リーガロイヤルは広島に限らず1等のホテルである。

施設、設備は勿論のこと、当然料金も比例する。

これは、やはりヤッカミと言えるものだろうか。

私が全日空やリーガ、ハイアットなどを利用するようになったのは随分歳を経て、収入や社会的地位が安定してからのことであった。


時代が変わったと言えば、ただそれだけのことではあるのだが・・・・。



at 08:46|Permalink
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