December 2006

December 22, 2006

フランクフルト ?

フランクフルトの中心部は歩いて巡ることができるくらいに小さい町です。

家内とは散歩を楽しむつもりでいたのですが、家内が風邪で寝込んでしまったものですから、買ってきた薬を飲ませてから私一人でブラブラ出かけました。 

メリディアン・パーク・ホテルを出て左、つまり南方向にほんの少し歩くとマイン川の畔にインターコンチネンタル・ホテルが建っています。
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写真はインターコンチネンタル・ホテルの前あたり、マイン川でボートに興じていた人たちです。

このマイン川、向かって右の方へ行けば、やがてライン川に合流しますし、左手へ行けばドナウ川へもつながっています。

ライン川はスイス・アルプスに源流を発し、ドイツとフランスの国境に沿って流れ、やがてオランダのロッテルダムで北海に出ます。

ライン川同様スイス・アルプスに源流を発するドナウ川(ダニュウブ川)とは、ドイツ南部のケルハイムあたりでマイン川の上流にあるマイン・ドナウ運河が合流し、ウィーン、ブラチスラバ、ブダペストなどを経て黒海へ流れ込んでいます。

つまり、フランクフルトはヨーロッパ内陸部における水上交通において北海と黒海を結ぶ要衝にあると言えるのです。
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下の写真はドライケーニヒス教会とマイン川沿いに並ぶ祭りのテント、それに船上レストランです。
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下はマイン川に架かるアイゼルナー・シュテークから歴史博物館、大聖堂、観覧車を眺めたものです。
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at 14:02|Permalink

December 18, 2006

フランクフルト

朝9時過ぎにホテルをベンツのタクシーで出発。

ベルリン北部にあるテーゲル空港からルフトハンザのジェット機で1時間。

オーストリアへのトランジットのために降り立ったフランクフルト国際空港に再び戻ってきました。

フランクフルトでの滞在は3泊、ホテルはメリディアン。

今回の旅行で最もグレードの高いホテルです。

新館の最上階2ルームのスウィート。
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ホテルの部屋からの夜景の一部です。

右端の建物が旧館、右手の遠くにある高い建物がメッセ塔です。

国際見本市会場があるメッセ地区は近代的なビルが建ち並ぶビジネス街です。

私も家内もチェコ滞在時から風邪気味で、プラハでは薬局を探し回って気管支の炎症と発熱を抑える薬を買い求めておりました。

チェコの薬学は有名ですから、きっと市販薬も良いものだろうと思って。

しかし、チェコ語での薬局の表記が分からずに随分探しましたが、薬局には青十字の看板がかかっていました。

所変わればの類いです。

私の方は随分良くなったのですが、ベルリンでの寝不足もあってかフランクフルトに到着してから家内の発熱がひどく、ゼエゼエと肺炎の症状を呈してきたものですから医者を呼ぼうかと心配しておりました。

しかし、家内が薬を買ってきてほしいと言いますし、私もテーゲル空港で老眼鏡を紛失して困っていたものですから、家内を寝かせたまま買い物に出掛けました。
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上の写真はフランクフルト中央駅です。

メリディアンホテルは中央駅に近い所にあります。

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上の写真は、中央駅からメッセ方向を見たものです。

中央駅前付近は比較的古い建物が建ち並び、飲食店などの商店も沢山あります。

ドイツ語での薬局はApothekeだし、眼鏡屋はOptikerであるくらいは分かっていましたから、今回は店を探すのに苦労はしませんでした。

薬局では英語が通じましたので、症状を説明すれば3種の薬を出してくれました。

しかし、症状からすれば気管支炎から肺炎の疑いもあるので医者に診せた方が良いとのこと。

やはり医者を呼ぶべきかと思案しながら眼鏡屋へ。

ここでは驚くばかりに綺麗で可愛いお嬢さんが応対してくれたのですが、何と、ドイツ語でベラベラしゃべられるのでチンプンカンプン。

ゲーテ・インスティチュートで学習したドイツ語ながら殆ど聞き取れず、ところどころに理解可能な言葉を聞き取るものの全くイミフ。

それでも身振り手振りを交えて、何とか度の合う眼鏡を購入して急いでホテルへ戻ったのです。


at 18:41|Permalink

ベルリンからフランクフルトへ

ベルリンでは博物館を堪能し、主に、旧・東ドイツの地域を中心にテクテク歩き回りました。

ベルリンで効率良く動くにはUバーン(地下鉄)やトラム、バスを使いこなすのが一番。

でも、広い都市を思った場所へ素早く行くためにはタクシーを利用するのが最も良いと思いました。

初乗りが2.5ユーロでしたか、ちょくちょく乗っても支払ったのは全て10ユーロ以内であったと思います。

つまり日本円にして1000円程度であったと。

タクシーは殆どがベンツ。どのタクシー運転手も観光案内までしてくれる陽気な人たちで、車での移動も楽しいものでした。

アデナウアースプラッツの駅の近くに安くて美味しいビーフステーキを出す店がありましたので、連夜、夕食をその店で食べました。

勿論、ビールも美味しくいただきました。

300グラム超のステーキにヴァイスビール、添え物のグリーンサラダもタップリ。

必ずポテトがついてきますから、不味いパンを食べることもなく毎晩素敵な夕食をいただくことが出来ました。

ベルリンでの滞在は短かったのですが、道路は車道も歩道もゆったりしており、車は思っていたほど多くも無く、緑が多く、人の数も少なく、とても落ち着いた良い町だなあって印象を持っています。



at 17:46|Permalink

December 14, 2006

ベルリン?

ベルリン滞在中も連日猛暑が続きました。

以前も書きましたが、ヨーロッパのホテルは5つ星の一部のホテルを除いて冷房のきくエアコンディショナーを設置しているところは少なく、私達が滞在したLOUISA' PLACE (SUITE)も例外ではありませんでした。

しかし、道路に面した大きい窓を開ければ風が入ってきますので別段不都合を感じなかったのです。

ところが、サッカーでドイツとイタリアが対戦した日は大変でした。

あちこちでドイツ国旗とイタリア国旗がはためき、私達のホテルの1階レストランがイタリア料理店で、ヨーロッパでよく見られる歩道にテーブルを並べてのオープンエアーの店を開いていたのです。

車道と同じくらいに広い歩道ですから、テーブルも沢山並べられています。

私達のホテルの並びに20メートルほどの間を空けて左右に2軒、これも同じようなオープンエアーのレストランがあり、うち1軒がイタリア料理店でした。

そして、車道を挟んで向かいにも同様のイタリア料理店がありました。

私達は夕食を終えて9時過ぎにはベッドで横になっていたのですが、道路を走る車がホーンを鳴らしながら走るのでなかなか寝付けませんでした。

夜10時を回った頃、遠くからラテン系の楽団演奏が聞こえてきたのです。

こんな時間にと思っていましたら、その音が徐々に近付いて来たのです。

ウルサイなあと思って部屋の窓から下の歩道を見ますと、ギターにベース、トランペットにドラムまで備えた5人の楽団が下のレストランの前にやってきたのです。

すると、あろうことかレストラン前の歩道で楽団のライブ演奏が始まったのです。

ギターやベース程度なら我慢しますが、ブンガチャカ・ドンドン・ブンガチャカ・ドンドン。

トランペットの破裂音にドラムにシンバルですから眠れたものではありません。

風が入るように開けていた二重窓を閉めても煩くて。

楽団の演奏が1曲終わる毎に、いつのまにか集まっていた並びのレストランや向かいのレストランの客たちまでが、ヤンヤの喝采。

おまけにイタリア国旗を屋根に掲げて車道を走る車からも彼らに呼応するかのようなホーンの連発。

この楽団、我が部屋の下にあるレストランで11時過ぎまで、その後、近くのレストラン前でも演奏を続け、やっと楽団の騒音が消えたのが夜中の2時。

その後も時折、自動車のホーンが騒音を撒き散らし、私達が眠りにつくことが出来たのが午前3時でした。

サッカー試合でイタリアが勝利を収めた日の夜のことです。



at 16:19|Permalink

ベルリン?

下の写真はパリザープラッツにあるブランデンブルグ門です。

プロイセン王国の凱旋門であり、1791年に建てられました。

門の上部は、4頭立ての騎馬に乗る勝利の女神ヴィクトリアです。
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ブランデンブルグ門から西側にはティーアガルテンという19世紀まで王族達が狩猟の場所として使っていた広大な森の公園が広がっているのですが、サッカー応援のための野外特設会場が組まれていて全域許可された者以外の入園が禁止されとった。

至る所、警察官がウジャウジャ。

ティーアガルテンを南北に分けるように6月17日通りという名前の道路があるのですが、ブランデンブルグ門と下の写真の戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)の間、約2kmが通行止めになっていました。
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戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)というのは、大きい5つの道路のロータリー交差の中心になっており、デンマーク、オーストリア、フランスとの3度の戦争での勝利を記念して1873年に建てられたもので頂には勝利の女神ヴィクトリアが乗っています。

at 14:59|Permalink
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