January 2007

January 16, 2007

昨日に続いて

教育基本法改正案は昨年4月末に政府が国会に提出し、民主党も独自の教育基本法案を提出していたが、昨年末に国会で可決・成立されました。

安倍内閣は昨年の臨時国会で改正教育基本法の成立を最優先課題としてきましたが、今年は憲法改正を掲げています。

自民党・安倍政権が何を目論んでいるか、誰の目にも明らかになってきたと言えるのではないでしょうか。

慎重な態度を取ってきた公明党も、政府与党に組してモノ言えぬ政党に成り下がったのか、はたまた『大臣なりたい病』に侵されたのか、自民党に寄り添ってばかりいます。

構造改革だ、自民党をぶっ壊すと叫び、郵政民営化を踏み絵にして多数議席を占めた小泉自民党を支持した人たちの全てが教育基本法の改正や防衛庁の省への昇格、そして日本国憲法の改正にまで賛成して投票したのでしょうか。

非常に大きい疑問を私は感じておりますが、法律を作り、改正する権限が立法府である国会の、国民に選挙で選ばれた国会議員らにある以上、制定された法律を認めないわけには参りません。

それだけに国会では充分なる審議を行ってもらいたいと、私も『日本教育学会歴代会長「教育基本法改正継続審議に向けての見解と要望」に対する教育学研究者賛同署名への署名をもって意思表示をして参りました。

なぜ今、改正の必要があるのか、しかも全面改正の必要があるのか、新法を制定する、或いは全面改正なら、その廃止の理由も含めて充分に審議し、説明をしなければなりませんでした。

しかし、前・教育基本法の限界や問題点、或いは運用によって改善可能な事柄、また改正することによる利点や弊害の予測などに関して、とても充分と言える審議は行われてはきませんでした。

教育基本法を急ぎ改正しなければ出来ない教育改革とは一体何なのか。

前・教育基本法は、教育は政治から独立し、法はそのための限界を定めるもので、教育への不当な支配をチェックすることが精神となっており、これは日本国憲法の精神でもあるが、改正教育基本法では、教育は法に従うべきことを強調しています。

この法を作るのが立法府である国会、つまり国会議員、その法律の範囲で実際に政治を行うのが行政府としての政府ですから、政府・各行政官庁の指示・管理が強まることは充分に予想できます。

これまででさえ教育現場や教員の自主的教育活動が制約を受け、制限されてきた状況から管理主義的教育に拍車がかかることは明らかです。

国家による道徳教育が強制され、愛国心というものも押し付けられることになるでしょうし、教員免許状の更新や教員に対する評価が行われることにより、一層モノ言えぬ状況が生じ、教員も子どもたちも国が示す特定の方向だけを見るように規制されて行くでしょう。

これは非常に危険なことです。

また、防衛庁が防衛省に昇格したことは、単に役所の格が上がっただけではありません。

これまでの自衛隊はdefense for securityで海外へ出て行くことは憲法上出来なかった為、周辺事態法やイラク特措法など、こじ付けの法律を作って、アメリカのポチよろしく尻尾を振っていたのです。

しかし、防衛省というのは国軍の統合本部、言い換えれば参謀本部であり、海外での活動も通常活動となってしまったのです。

これまでも海外現地での軍事・戦地の境界を曖昧にし、国民に対して自衛隊の行動を秘密にしてきたことが、軍事機密として更に国民の目から遠ざけられることとなることが充分に予想されます。

いつか来た道と忘れ去る程遠い昔のことではありません。

わずか70年ばかり前に、モノ言えぬ、いや、モノを言わせぬ状況を作り出し、無謀な戦争に国民全てを引きずり込んだ道を再び歩んでいるように思えます。

国家統制の教育を進める教育基本法の改正。

海外での軍事行動を通常任務とする防衛省への格上げ。

このように外堀を埋めて、いよいよ平和憲法に手をかけようと、なし崩し的に推し進める自民党安倍政権に、待ての指示を下せるのは私たち国民以外に無いのです。

太平洋戦争で多くの犠牲者を出し、過ちを再び起こさないと誓って制定した日本国憲法を、戦力を持たず、国と国の交戦権を認めないと定めた世界に冠たる私達の日本国憲法を改正する必要を私は認めません。

私だけでなく、息子たち、娘たち、そして孫たちにも平和で安心して暮らせる国際社会を創りだし、継承していってほしいから。


at 10:29|Permalink

January 15, 2007

小正月を迎えて

前回、年の初めを寿ぎ、皆さん方とともに新年を迎えることができた喜びを言葉にしてみました。

事実、今年も又、若い方達が沢山我が家へお越し下さり、新年の宴を催しました。

私は、彼らのことを息子・娘と思い接していますので、彼らの子どもは私の孫ということになります。

今年は、昨年誕生した孫が3人新たに加わり、ジイジイとしては一層嬉しい正月となりました。

しかしながら、今日1月15日。

1926年の今日、悪名高き『治安維持法』が学生社会科学連合会弾圧のために初めて適用されました。

京都の大学を中心に学生運動、労働者運動に関わりを持つとされた大学教官や学生多数を検束。
司法省・検事局・全国警察が一体となり、国家権力を傘に着て報道の差し止めを行い、民主運動の弾圧にかかったのです。

その時の文部大臣・岡田良平は全国における社会科学研究を禁止するというメチャクチャなことを行いました。

これ以後、国家権力は弾圧を強化し、社会・共産主義者の検挙・拘束を繰り返し、警察での拷問は当たり前で、虐殺行為まで行ってきました。

その結果、モノ言えぬ社会風潮が広まり、やがて大政翼賛会という一国一党の考えをもとに国民全てを戦争の泥沼に引きずり込むという暗い歴史を我が国は辿ってきました。

ところで、昨年末より教育基本法の改正、防衛庁の防衛省への昇格が自民、公明、民主の各政党の賛成により国会で可決・成立しました。

イジメと、それに関連した児童・生徒の自殺、大学進学に関連しての高校における世界史未履修、教員の適性にかかる諸々の問題など、マスコミはこぞって教育界に問題があると、教育基本法改正への援護射撃を行っているかのように私の目には映りました。

同様に、国籍不明船の国境侵犯、北朝鮮の日本人拉致、北朝鮮のミサイル発射、北朝鮮の核実験、韓国や中国との国境線引きなどの問題は日本の主権を侵害されたものとして、国民に対して不安と同時にナショナリズムを喚起させるものでもあります。

それらは、日本の防衛は現状で良いのかといった防衛論議を巻き起こさせ、日本の国の根幹である憲法を改正するという論議までも、何に躊躇することもなく行わせるという背景になっています。

これまでタブーとされてきた憲法改正論議。

それをタブーでは無く、まな板の上に平気で載せるような状況を作り上げてきました。

論議することが悪いのではなく、何ゆえにタブーとされてきたのか、そのことをしっかりと見据えてかからねばならないと思うのですが、アメリカが押し付けた憲法だからだとか、軍隊を持たぬ国は世界に無いからとか、危機感ばかりを強調して9条を変えるなどと、私には小手先で弄んでいるようにしか見えないのです。


日本国憲法は、日本の国と国民の在り方を示し、日本と世界の国々の進むべき方向を指し示す原典であると私は考えています。

非道な侵略を行い、馬鹿げた戦争に国民全体を駆り出し、その結果、国土は焦土と化し、死ぬ必要も無かった多くの国民の犠牲を出してきたことに対して、それらの反省の上に立って、戦力を保持しない、国と国の交戦権を認めないという世界に比類なき、世界に誇れる憲法を制定してきたのです。

平和』。
これは世界中の人々が等しく求めるものです。

平和を希求するために、世界の国々と手をたずさえて進むための日本独自の憲法があって良いではないですか。

それゆえに、現憲法の改正論議はタブーとされてきているのです。

近年、行政府にしろ立法府にしろ、しかも司法も含めた日本国の舵取り役たちが進める日本の国の将来に対して、不安と恐れを抱いているのは私だけでしょうか。

年の初めに、国の未来を担う息子や娘たち、そして孫たちに安心して暮らせる平和な国を譲り渡すことが出来るのだろうかといった思いを抱いた正月の宴でもありました。


at 08:22|Permalink

January 05, 2007

新春を寿ぎ ご挨拶を

新しい年を

皆様方と共に

迎えることができましたことを

心より喜び感謝いたします


昨年夏の旅行記が仕上がらず
新年のご祝辞を申し上げるのが遅くなってしまいました。

旅行記は、やや駆け足で終了いたしました。

夏以降今日までも、いろんな出来事がありました。

なかなか書き続けるというのは大変なこと。

旧年に遡ることは好ましくありませんが、
幾つかは書くことになるかも・・・


本年も
何卒よろしく
お願いいたします。




at 15:38|Permalink

フランクフルト ?

ライン川クルーズから帰って風邪がブリ返した家内は一晩寝ても完全には復調せず、残念ながらハイデルベルクへのツアーはキャンセルすることにしました。

当日キャンセルですから、これはどうしようもありません。

体が第一ですから・・・

フランクフルトには神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われた大聖堂や旧市庁舎、旧オペラ座、そしてゲーテの生家などがレーマー広場から近いところに建っています。

ee095fff.jpg

9cdfd659.jpg

3f9c37a9.jpg

82d09b86.jpg
また、マイン川の両岸には歴史博物館やシュテーデル美術館など、多くの博物館が軒を連ねています。

その他、メッセ地区へ行けば旧市街とは全く異なる現代的な街並みを見ることができます。

ゲーテ・ハウスは第二次大戦後に復元されたものですが、19世紀以前の町の風情を残す市庁舎(レーマー)広場と、数々の国際見本市が開催される現代的なメッセとでは全く対称的とも言えるものです。


at 14:47|Permalink

フランクフルト ?

フランクフルトを東欧旅行の基点にした理由の一つは以上に記載したライン川クルーズに家内を連れて行くことでした。

二つ目には、今回訪問する予定地であったオーストリアポーランドチェコの国々と関西国際空港との間に直行便が無かったことです。

当初、サッカー・ワールドカップ開催期日とかぶるため、混雑が予想されるルフトハンザ航空ではなくオーストリア航空でと考えていたのですが、関空・ウィーン直行便が成田発着だけになったものですから、オーストリアに入国するのに最も便利と思われるフランクフルト経由ザルツブルクへのルフトハンザ便にしたのです。

その他の航空会社もあったのですが、若い頃ならともかく、8時間や10時間もの飛行時間は苦痛ですし、更に乗り換えて1時間以上の飛行はキツイものですから・・・。

それにスターアライアンスのマイレージが随分貯まっていましたし・・・。

今ひとつ、つまり三つ目の理由は、訪れてみたかったドイツの町ハイデルベルクフランクフルトから近いということだったのです。

ハイデルベルクは大学の町とも呼ばれ、戦災にも遭わずに古い街並みが残っているということです。

ハイデルベルク大学で教え、学んだ学究の徒にはノーベル賞を受賞した人たちが多くいますし、私が書籍を通じて学んだ人たちもいます。

哲学ではヘーゲルヴィンデルバントクノー・フィッシャーフォイエルバッハ、精神病理学のカール・ヤスペルスや社会学のマックス・ヴェーバー、化学のローベルト・ブンゼンなどがいます。

彼らが、どのような環境のもとで研究していたのか、自分の目で確かめるべく訪れてみたいというのが三つ目の理由でした。

しかし、ライン川クルーズからホテルに帰ると、家内は又もや咳き込み始め、熱が出てきました。

日本食と果物を食べたいと言うのですが、ホテルに和食レストランはありませんので、メッセハウプトヴァッヘあたりの日本食レストランまで行かねばなりません。

しかし、体調が悪いのに外へ連れて行くことは良くないし、日曜だったものですから何軒かの和食レストランが閉まっていたので私一人で持ち帰れるものを探しに出かけました。

時刻も遅くなっており、有名ブランドショップが並ぶゲーテ通りも店は閉じられ歩く人もまばらな中、裏通りで小さな1軒の寿司屋を見つけました。

職人・実は主ですが、その若い日本人男性に事情を話したところ、味噌汁の持ち帰りは無いけれどと言いながらインスタントの味噌汁と紙コップを用意してくれました。

この味噌汁とキュウリ巻きを作ってもらい、帰る途中の露店でトマトとイチゴを買ってホテルに戻りました。

普段から少食の家内ですが、それぞれを少しずつ食べ、味噌汁を飲み干しましたので、朝になれば回復してくれるかと願っておりました。

家内が元気なら、マイン川を越えたザクセンハウゼン地区リンゴ酒でも飲んでツム・グラウエン・ボックでドイツ料理でも食べようかと思っていたのですが、残念でした。

ちなみに、このレストランは15世紀に建てられたドイツの歴史的建造物で創業約100年。ソーセージは全て自家製でウマイらしいのです。

仕方なくホテル前の屋台でリンゴ酒を。

ソーダで割ったリンゴ酒は酸味がきつく、サッパリはするものの、一人で飲むのは一層淋しい思いに駆られます。

炭酸ですから胃ばかりが膨れ上がって・・・

ツマランからホテルのバーへ行ってスコッチをダブル・フィンガーでチビリチビリ。

ところが、ひとり者は私一人。

皆さん、素敵な女性を伴って・・・ムムム

こんな時は美味しいものを食べて満腹感に浸るべしとレストランへ移動。

食事時間がズレていたのか席はガラガラ。

300グラムのビーフステーキをオーダーして不味いパンを食べていると、昨夜スープを頼んだ時の可愛い女性マネージャーがやってきて奥さんの具合はどうかと尋ねてくれました。

調子が悪くてなどと話していたのですが、ウェイターが料理を運んできて、私が料理を食べ始めても話し相手を続けてくれました。

他に客がいなかったからなのでしょうが、それとも余程私がツマラン淋しそうな顔をしていたからなのでしょうか、真実のところは分かりませんが、私にとっては美味しい食事となりました。


at 11:39|Permalink
記事検索
月別アーカイブ