April 2007

April 27, 2007

東京行 続き-1

『おのぼりさん』の私達のことだから、どこに何があって、そこへはどのようにして行けば良いのかということが分からない。

はっきり言って、ガイドブックを見てスッスッと行けるものではない。

土地勘が無いものだから位置関係もエエ加減なものなのである。

そんな中、上野公園と、その周辺へは何度も足を運んだ。

興味がある、見応えがある、しかも範囲が広いといったような理由から連日というわけではなかったが、日を分けて何度か通った。

博物館、美術館だけでも上野公園には5つある。

南の方から『上野の森美術館』、『国立西洋美術館』、『国立科学博物館』、『東京都美術館』、『東京国立博物館』と。

下は『東京都美術館』
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また上野公園やその周辺で博物館に類いする施設や歴史的建造物なども多くある。

『下町風俗資料館』、『横山大観記念館』、『森鴎外旧邸』、『旧・岩崎邸と庭園』、『赤門』、『三四郎池』、『三菱史料館』、『竹久夢二美術館』、『湯島天神』、そして上野公園内には『奏楽堂(旧・東京音楽学校)』、『不忍池と弁天堂』、『西郷隆盛銅像』、『彰義隊の墓』、『上野東照宮』、『お化け燈籠』、『鐘楼(時の鐘)』、『旧・寛永寺五重塔』、『清水観音堂』、『寛永寺旧本坊表門』、『因州・池田藩屋敷表門』、『滝廉太郎銅像』等々

下は)『旧・寛永寺五重塔』(国・重文)
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下は『因州・池田藩屋敷表門』(国・重文)
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下は『奏楽堂(旧・東京音楽学校)』の『滝廉太郎銅像』
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続きは、また。



at 14:50|Permalink

April 26, 2007

東京へ 続き

滅多に行くことがない東京。

私の学生の頃も東京は通過点に過ぎなかった。

東京という土地に対していかほどの魅力も感じなかったこともあるが、学生時代の私は“柳田國男"の民俗学に傾倒し、“みちのくの山々"に惚れ、友人が東北大のボロボロの寮に住まいしていたこともあってよく東北地方に出向いて行った。

私が初めて“みちのく"を訪れたのは昭和39年の夏であったが、この時も東京は経由地に過ぎなかった。

それから毎年、年に3度は東京駅・上野駅を経由していた。

東京で下車し、東京に初めて滞在したのは昭和40年の夏であった。

某寺院の息子で高校時代の友人が、自分の下宿に遊びに来いというので世田谷を訪ねた時のことである。

東京には友人が何人も下宿生活をしていたが、この頃のことはいずれ書くこともあるかもしれない。

これ以後、千葉、埼玉、横浜、東京と何度も訪れてはいるが、仕事上の用事であり、その目的以外での滞在というものではなかった。

都内では都立大、学芸大、東大、法政大、教育大しか行ったことがないし、宿も虎ノ門と青山だけで、その他の土地は知らないも同然であった。

比較的最近になって、千葉のご婦人と上野で会ったり、私が応援している若き女流画家と銀座で会ったり、後輩が上野に近い某有名神社の宮司をしているので会ったりと、多少は東京のことを知ってはいるものの『おのぼりさん』に違いはない。

家内など、学生運動の集会か何かで夜行列車を利用した日帰りのような東京行だったとかで、場所すら覚えていないと言う。

40年も昔のことだから当然であろう。

そのような『おのぼりさん』の東京見物ゆえ、毎日の行動にガイドブックと地図は必携品、たびたび利用して便利だと思ったのは東京地下鉄(株)が発行して地下鉄駅で配布している『メトロネットワーク』というA4サイズの路線図。

もっとも老眼鏡をかけないと見えないのだが、路線ごとに色分けしてあるし、地名の場所の見当をつけやすく、乗り換えについても何とか理解できるという便利なものであった。

こうして家内と2人、連日3万歩を越える東京見物を楽しんだのである。

いろいろ巡ったが、いずれ・・・・・


at 10:24|Permalink

April 23, 2007

選挙・・・・・私見

昨日の選挙結果が出た。

私も含め、全国的に注目を浴びた選挙の一つ長崎市長選。

『弔い』だの『同情』だのといった思いで選挙に望むことに対し、私は以前のページで苦言を呈しておいた。

その際、選挙活動半ばにして右翼・暴力団幹部が発射した凶弾に倒れた伊藤前市長に対し哀悼の意を表してきた。

民主主義に敵対する実力行使によって生命まで奪い取られた伊藤氏に対しては心より同情するものである。

しかし、伊藤氏の不慮の死によって立候補を表明した人は身内や部下であり伊藤氏と『同じ』では無いのである。

この1点において、今回の長崎市民の見識は高く評価できるものと考える。

当選した人が良くて他の人が良くないと言っているのではないので誤解なきよう付記しておく。

一方、『恥を知れ』と言いたい事件が起きた。

世の中全体狂っていると言えばそれまでだが、『清廉潔白の士』が極端に少なくなってきていることを憂う。

奈良県・生駒市の山林売買における背任容疑で酒井 隆・現職市議会議長が大阪地検特捜部に逮捕された。

逮捕されただけで犯罪が立証されたわけではないから容疑者であるというだけのことではある。

しかし、市民から市政の審議権を付託された重責を担う立場でありながら背任の嫌疑をかけられたということだけをもってしても許されるものではない。

李下に冠を正さず』という俚諺がある。

しかし、この酒井 隆という男、初めて市会議員に立候補当選した時も地元では買収贈賄の疑いが囁かれていた。

その後、市議会議長に名乗りを上げた時には同僚の自民・保守系の議員への買収贈賄が明らかとなり実刑判決を受けた曰く付きの人物である。

昨日終了した市会議員選挙において、この酒井という男は1417票を集めて当選している。

この酒井という男に投票した1417人は何を考えているのだろうか。

私なら恥ずかしいと・・・もっとも、そう感じる以前に、こんな人物の名前を投票用紙に書くわけは無いが。

既に逮捕されている中本幸一・前市長は、若い頃、ヤクザの賭場で草履とりをしていたらしく、その能力に対する疑問と共に暗い噂がつきまとってきた。

政治家ならぬ『政治屋』の暗躍。

国政に於いても地方政治に於いても『清廉潔白』・『誠実さ』という姿勢が消え、「自分さえ良ければ」「我がため」のことのみを考え、自らの職責も顧みない『政治屋』が横行する現状に腹立ちを感じる。

政治家の目的・目標は『世の為人の為』であり、民主主義はそれを実現するための手段に過ぎない。

この手段を歪めたり、誤った用い方をする者に対し、国民ひとりひとりが自ら兜の緒を締め、厳正な態度で臨まなくてはならないことは言うを待たない。

情実、ムラ選挙、所属(宗教など)等々に縛られた安易な選択は自らの墓穴を掘る結果につながることを肝に銘じなければならないと私は考える。


at 08:09|Permalink

April 22, 2007

東京へ

『東下り』などと言うと時代錯誤も甚だしいと叱られそうである。

東京が日本の首都となって既に139年の歳月を経ているのであるから、東京へ行くことを『下り』と表現するのは国語上間違っていると言わねばならない。

それでもなお、『上方』を意識の芯に据えて考えるというのは東京に対する対抗心のようなものが作用しているからなのであろう。

それはそれとして、『国立新美術館』の開館記念として開催されている『ポンピドー・センター所蔵作品展』「異邦人たちのパリ」の招待を受けたので、家内と共に『東下りの旅』を楽しんできた。

新幹線で2時間30分。

時間的には近いが、そうそう行くことも無いので、今回は滞在期間を長く、のんびりとあちこち見て回ることにした。

そのため一般のシティ・ホテルではなく、マンスリー・マンションを借りることにした。

宿となったのは赤坂の丘陵地、交通至便、環境優秀な場所に建つマンションである。

地下鉄・千代田線の赤坂駅が最も近いが地下鉄・丸の内線の国会議事堂駅と地下通路でつながる南北線、銀座線の溜池山王駅にも近い。

都営大江戸線の六本木駅や乃木坂駅も歩けない距離ではない。

氷川神社、アメリカ大使館宿舎、TBSに近く、勝安房や勝麟太郎(海舟)の邸跡のあたりになる。

TBSの敷地は安芸・広島藩、松平安芸守の中屋敷の跡であるから、江戸城に近い赤坂のあたりは譜代の大名たちの屋敷が建ち並んでいたのであろう。

現・赤坂御用地は徳川御三家の一つ紀伊殿の中屋敷跡である。

下が『国立新美術館』で『政策研究大学院』と向かい合って建ち、地下鉄・乃木坂駅から美術館へは地下からエスカレーターで直結している。
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何気なく美術館の正面入口を撮影していたのだが、その写真の中に、偶然にも『篠山紀信』(下)氏が・・・(ちょっと部分拡大)

私は気付かなかったのだが、家内が「カメラマンの篠山さんよ。」と教えてくれたのだ。
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国立新美術館』の概観。
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この美術館の設計は『黒川紀章』氏。

壁面はガラスで構成され、美術館自体が現代建築美術としての価値ある建造物である。

内部は床面を自然木とし、ガラス壁を通して広い吹き抜けのホールに入る柔らかな光が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。



at 16:12|Permalink

武勇伝?? 続き

お酒というのは人を大胆にする働きがあるらしい。

友人に言わせると、焼肉レストランは良いとして、その後のクラブ、それにママの家とやらによく行ったものだと驚きつつ、私がとった行動は余りにも無防備であり、危機管理以前のことだと手厳しいものであった。

飛行機で一緒だった女性と、そのママがつるんでいたかもしれないし、ボッタクリの暴力クラブだったかもしれない、それにママの家と言っても、連れ込まれたが最後、身ぐるみ脱いで置いて行けってことになったかもしれない。

全く知らない地域で、しかも深夜のこと、ようやったなあと呆れ顔の友人に、私自身もその通りだと納得。

しかし、そのママ、フラつきながらも我々二人を歓待してくれ、いいと言うのに何も無いがと数種類のキムチを皿に盛ってビールを出してくれた。

韓国の一般家庭では、どの家でもキムチを何種類か漬け込んでいるそうな。

このママも今は少ないけれどと見せてくれたのがキッチンに続く納戸のような部屋。

そこに500リットル以上はあると思える大型冷蔵庫が置いてあり、それ全てがキムチ専用なのだとか。

そう言えば広いダイニング・キッチンにもデッカイ冷蔵庫が置いてあった。

韓国の一般家庭を訪問するのは初めてだったので、物珍しい思いでキョロキョロ見回していたら韓国風のラーメンを作って出してくれた。

韓国風ラーメンと言っても韓国の冷麺風の物ではなく、素麺のようなもので、ダシ汁も和風で胃に優しい感じのものであった。

この時既に田さんは酔いつぶれて寝ており、ママも寝るからと広いリビングルームに私のための布団を敷いてくれた。

2つのベッドルームにそれぞれママと田さんが寝て、私がリビング・ルームの布団で・・・ZZZZZ

その日、予定を持っていた私は田さんに見送られてタクシーに。

車の中まで射し込む陽の光が何とも目に沁みる朝であった。

ホテルからの朝帰りではなく、ホテルへの朝帰り。

武勇伝と言えるかどうか・・・


at 11:03|Permalink
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