June 2007

June 27, 2007

北海道へ向う ?

日々の多忙さゆえ、5月中旬に出発した北海道旅行について、なかなか書き綴れないのでイライラしている。
期限の決まっているコンサート、展覧会、同窓会、それに研究誌への寄稿、研究会機関誌の制作。
その間を縫うに家の用事や手紙の返事。
書斎で読書する時間がほとんど無い。
息抜きにY君を誘って飲みに行ったりもするが、それも暫く無い。

ところで北海道旅行であるが、愛車で家内と我が家を出発したのが午前0時。

雨天の中、名神・北陸を走って、途中、石川県のPAで2時間ばかりの仮眠後、富山県のSAで味噌汁の朝食。

海外では我慢するのだが、日本では・・・
ほぼ50数年間、『味噌汁・玉子焼き・ご飯』、これが私の朝食『三種の神器』であり、この朝食を摂らないと一日のリズムが狂うのである。

その後も走り続け、新潟県・米山SAで軽い昼食と給油。
これからの旅程は長いのに、『かんずり』と『干した小海老』を土産に購入。

その後、新潟中央JCTから磐越道に入り、雨雲の中に磐梯山の裾野を見ながら郡山JCTから東北道に入り、途中、仙台あたりのSAで給油と休憩後、ひたすら北に向けて走行。

青森東インターに着いたのが午後4時になっており、青函フェリーに乗れたとしても函館に着くのが夜遅くなるために青森で泊まることにした。
そのため旅館を手配するべく青森駅に向かったのだが、ナビの3年前の地図と実際の地理が異なり、何度か市内をクルクル回ることとなってしまった。

ようやく青森駅前の地下駐車場に車を駐車して駅前の観光案内所に着いたのが4時20分。
若い担当女性の丁寧な応対で、宿泊は浅虫温泉の『萩乃』に決定。
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家族的な雰囲気の旅館であるとの説明で、手際よく一泊二食付きの料金を問い合わせ、予約代行(手数料を取る営業業務ではない)をしてくれた。

長いドライブ後で疲れていたため、丁寧で手際良く、しかも適切な応対をしてくれた若い女性に感心しつつ礼の言葉を述べた。

その時、目にした名札に“研修”の文字を発見。
実質、1ヶ月ばかりの現場研修で適切な対応業務。

隣に指導担当らしき女性もいたのでゲストの立場からの評価が分かるように、大きい声で誉めておいた。

個人の名前は伏せておくが、『青森市観光案内所』、なかなか素晴らしい人材を抱えたものだ。

青森駅から浅虫温泉までは車で約1時間、陸奥湾に面した昔からの温泉地であり、息子達が小学生であった頃に連れてきたことがある。

海岸に沿って国道が通り、その内側に温泉街、JR線と浅虫駅、その内側にも温泉街が並ぶが静かな町であり、私達の宿『萩乃』はJR線より内側に位置する中規模の旅館であった。

泉質はナトリウム、カルシウムを含む塩化物泉と記憶しているが、無色透明で塩味のする湯である。

夕食後、近くの大きいホテルのロビーで『津軽三味線』の演奏会が開かれるというので、同宿のアメリカ人夫婦と共に聴きに出かけた。

高橋竹山氏の孫弟子ということであったが、静けさを感じさせる弾き始めから徐々にテンポが速くなり、やがてロックにも似たリズムで勢い良く終曲に至る津軽三味線独特の演奏に、観客の大きい拍手喝采が浴びせられていた。

萩乃』は観光案内所の女性が言っていた通り、家族的な雰囲気で、仲居さんが私達に接する態度も親しみを感じさせるものであった。

部屋に運ばれた夕食の膳は取り立てて書くほどのものではなかったが、つまり、ありふれた会席膳であったが、朝食は私達にとっては珍しくも嬉しいものであった。

味噌汁には姫竹(根曲がり竹とも言う山菜の一種)がドッサリはいっていたし、貝焼き味噌(大きい帆立貝の貝殻に山菜・玉子・味噌を入れ、少量の湯で溶いて固形燃料で熱する)をご飯にかけて食べるのだが、もう最高。

あまりの美味しさに写真を撮ろうと気付いた時には全て胃袋に入った後であった。

学生の頃、仙台で“貝焼き”のことを“かやき”と読むと教えてもらった(塩汁貝焼き=しょっつるかやき)が、浅虫の旅館の仲居さんは“かいやき”だと言っていた。

仙台と青森では違うのだろうか。
“ズーズー弁”だばさ、仙台より青森の方が訛りが強いべ。
“かやき”と読む方が訛ってるように思うだば違ってるべ?

コレハ ドコノ言葉だろうか。

at 07:05|Permalink

June 26, 2007

義家弘介、君も、その程度か・・・・・

義家弘介、『ヤンキー先生』と言えば結構名前が売れている。

先だって北海道を旅した時に、余市町の街並みと『
北星学園余市高等学校』の施設の外部だけ見てきた。

大麻事件で大量の逮捕者が出たという学校がどのような環境にあるのかを知りたかっただけのことで、公的な用事で行ったわけでもなかったから概観を知るに留めた。


そもそもは『ヤンキー母校に生きる』(文藝春秋 2003年刊)を読んだことがあるし、若いながら、なかなか活動的な教員との印象を抱いていたこともあり、小樽から余市へ足を延ばしたのである。

彼は余市高校の教員を務めた後、横浜市教育委員、東北福祉大学特任准教授、そして、安倍内閣の教育再生会議委員も勤めている。

今回の北海道旅行からの帰路、宮城県某町で彼を迎えて講演会が催されていることも知ったが、現在36歳であろうか。

ところで彼をこれほど有名にしたのは、やはり余市高校での教員としての指導実践と、彼の高校時代の不良行為、単車事故で生死の間を彷徨ったヤンキーとしての生活を送った、そのギャップ、言い換えれば生き方を180度転換したことを記した彼の著作であったと考える。

そんな彼に興味を持っていたので調べてみたのだが、彼をこれほどまでに有名にした大麻事件の際の生徒指導の実践は、彼が余市高校の学級担任として勤めた3年間だけのものであった。

彼の履歴を見れば、『北星学園余市高等学校』の専任講師を1年間務めた後に大麻事件の学年の担任となり、彼らを卒業させるのに3年間、その後1年を生活指導部長として勤めて退職している。

つまり、困難ではあったろうが、僅か3年間の担任実績を本に著したに過ぎず、たまたま辺鄙な田舎町で起きたセンセーショナルな事件と、当時の担任教員であった彼の破天荒な生い立ちが教育界でのイジメ問題などと対比する形でマスメディアによってクローズアップされたことが彼を有名にしたのであると私は考えている。

多くの人達の評価がどうであれ、彼のその後の言動に関心を抱いて見てきた私は、彼のことを単に『時代の寵児』であると見ている。

彼は2・3年前、日本国憲法の平和主義に賛同し、イラク戦争に反対するようなことを『世界』?だったかに意見を書いていたし、『日の丸』『君が代』の強制化に反対の考えを持っていた。

私は、適材適所、分相応(能力主義による競争ではない)というものを是とする考え方に立つので、ヤンキーこと義家氏が内閣府の教育再生会議委員や横浜市教育委員として自己の教育理念を語ることについて何ら反対するものでは無い。

しかし、今回の参議院議員選挙に自民党から『教育の義家』として立候補するに至っては彼の変節と言うか、彼の頭の程度を疑うのである

国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を三本柱とする日本国憲法において、彼が何を言おうが、何党から立候補しようが、それらの自由は保障されている。

しかし、現・日本国憲法が戦力を持たず、武力による解決方法をとらないとする平和主義であることに賛同する考えを表明しておきながら、軍隊を持ち、戦争行為を可能とする憲法への改正を推し進めている安倍・自民党から立候補するとは・・・変節と言うか、自己の名誉欲の追求と言うか、何とも嘆かわしくも恥ずかしい姿と言わねばならない

そればかりか、『日の丸』『君が代』の強制化に反対の姿勢を示していたのに、それらを強制する立場に立つ自民党、イラク戦争にも反対する立場に立っていたはずなのに、アメリカに追随して、開戦の根拠が無かったことが明確になった現在もなお駐留を指令し続けている安倍内閣・自民党から参議に立候補すると言う。

彼が生き方を180度転回するのは今回が初めてではないが、何とも、オソマツな頭のオトコである。

コロコロと 目の色変わるは ニャンコの目

将来を委ねる若者たちの素晴らしい未来を保障する『政治』や『教育』など、重要な職責を担う国会にニャンコを送るつもりはサラサラ無い。

年金問題は重要であり、選挙の争点の1つになるであろうが、その裏に、ひっそり隠されている『戦争の出来る国』にしようと憲法改悪をたくらむ自民党や、それに同調する政党や人を選べば取り返しのつかない大変な事態になってしまうことを国民全てが肝に銘じなければならない



at 20:36|Permalink

June 22, 2007

竹鶴35 & 法善寺・に志むら

朝から京都での用事を片付け、京阪・淀屋橋から難波へ。

久し振りの友人と語らって5時少し前に別れたものの、外は明るい陽射しで目映いほどであった。

夏至の前日、まだまだ日は長い。

夕刻5時に店を開ける法善寺のバー『斛(マスメ)』に寄った。

ここでは大概スコッチ・モルトウィスキー“グレンフィディック”のソーダ割りを飲む。

好きな酒なのでキープしており、随分以前はストレートで飲んでいたのだが、流石にキツク感じるようになってからはハイボールにしている。

しばらく亭主と奥さんと3人で語らっていたのだが、リタイヤ先輩(随分と)の2人組がやってきて歌を唄い始めた。

私はウルサイのを好まないので帰ろうかと思っていると、亭主(マスター)が「竹鶴の35年ものを飲まれたことがありますか。」と問うてきた。

これは先日、函館のホテルのラウンジで飲んだことがあり、素晴らしく美味しい酒だと話すと、店にも置いていると言う。

ワン・フィンガーで2500円。

ボトルの小売価格が50000円だから、そんなものかもしれない。

もっとも、函館ではホテルのラウンジで飲んだので、もっと高かったように思う。

しかし、美味いのは確かなので一杯引っ掛けることにした。

ウマイ。  これは世界に誇れるモノである。 色・香り・味わい共に。

ジッ様たちの歌声が一層耳に障るようになったので店を出ることにした。

しかし、外はまだまだ日が高い。

その足で『法善寺横丁』の『に志むら』へ入った。

店の外に設えられたカマドでは、若い板前が萱に火を付け、カツオの4分の1本を炙るところであった。

この『に志むら』は大阪での“土佐料理”の老舗であり、桂 春団治氏をはじめ、有名人もよく来る店である。

以前にも、このページで紹介したことがあるが、この店のメインは“鰹のたたき”である。

萱を燃やして強い火力で一気に焼く“鰹のたたき”は、『まっこと香ばしゅうて絶品ぜよ。』となる。

が、この日は大将の勧めに従って“鰹の刺身”で一杯飲むことにした。
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鰹の刺身
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先 付
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手前の1品は“ハモの柳川流し”に木の芽の香り。

奥の1品は“鯛の子と豆の流し”。

真ん中は“南京・ほおずき”。

右端の1品は、“鯛の切り身の白瓜詰め”。

いずれも美味しいものであった。

ご飯ものも幾つかメニューにはあるが、お勧めは何と言っても“土佐寿司”である。

秋から冬にかけては脂の乗ったサバを用いた棒寿司であるが、春から夏場にかけてはアジを用いたものになる。

メシには白ゴマが混ぜられ、魚の塩加減、酢での〆加減、これらが上手く調和して最高の食加減となっているのである。

もっとも、最高というのは私の舌を基準に、それらプラス、店の諸々の条件全てが相乗的に加わっていることは言うまでもないことだが・・・。





at 13:25|Permalink

安 堵

一昨日、Y君とHさんを夕食に誘うべく電話を入れた。

いつものようにY君が車で迎えに来てくれたのだが、助手席にHさんの姿が見えない。

そのことを訊くと、彼女は仕事に関わる研修会に出掛けて帰りが遅くなると言う。

そのためY君と2人で馴染みの焼肉店へ行くことにした。

ホルモン(臓物)が好きではないというHさんはロースなどを食べるため、今日は安く収まると、財布の中身を思い出しながら少々『安堵』の気持ちで出掛けたのだ。

Y君と2人ならオーダーするものが凡そ決まっている。

タンの塩焼き(レモン風味)、ミノサンド、ハラミ、ツラミにココロのタレ焼き、レバーの刺身、それとサンチュ(野菜の葉っぱ)にキムチかな?

酒は、ビールにマックォリ。

いつも通り予定のコースを終了しようかという頃になって、息子が一人の女性を連れてやってきた。

以前に、息子から結婚しようかと思っている女性がいると聞かされていた。

多分、その女性であろうと推測したのだが、キチンと紹介してくれるまでは分からない。

話に聞いてはいても会った事が無いのだから。

果たして、その女性であった。

息子も何時に無く固い雰囲気で話していたが、可愛そうなのはその女性。

事前に私と会うということを聞かされ、そのつもりで来たのだろうが、ガチガチのカチカチ、見ていて気の毒なくらいであった。

Y君も気遣ってくれていたが、先ず雰囲気を和らげなければ話にもならないので、平易な話題を出しながら間を空けないように努め、女性も話に参加出来るよう適度に話題を振るように仕向けていった。

息子がどのような女性と真剣に交際しているのか、気にならない親などいない。

私とて同様であるが、身上調査書を作成するような尋ね方も出来ず、適当な話題から不自然にならない程度に関連させて徐々に女性の輪郭が浮き彫りになるよう話を進めていった。

一度会っただけで相手を理解することなど出来ないことではあるが、こうした場合、これまでの仕事や長い人生経験が大いなるプラス条件となり作用する。

結婚するとなれば、本人同士の意思が最重要であることは言うまでも無いことではあるが、2次的には親の思いも考慮できることが望ましいと私は考える。

息子の気持ちを最大限尊重することは当然であるが、親としては息子たちが長く仲良く暮らして行けるか、息子が騙されてはいないか、将に親バカ、老婆心とも言える気持ちで、女性を、そして2人を観察したのである。

Y君が紹介してくれたHさんを見た時の私の目も同じであった。

結婚なんて・・・と、つい数ヶ月前まで結婚することに対して否定的であったY君が、来月にはHさんの両親に会うために西下すると心定めしたことを聞かせてくれた。

当人に語ったことはないが、私は『安堵』の気持ちを抱いたものだった。

そして、息子と、息子がお付き合いしている女性を観察して、同様深い『安堵』の気持ちに浸る事が出来たのであった。

場合によっては近い将来、私は東奔西走、片肌どころか諸肌脱いででもとの決意を固めた。

勿論のこと、この夜は熟睡。(若い連中は爆睡と言うが)



at 10:33|Permalink

June 20, 2007

美術鑑賞に続いて

中之島の国立国際美術館には地下にレストランがある。

クィーン・アリス・スクウェア』という。

“フレンチの鉄人・石鍋 裕シェフによる『食と美の融合』を唱えて開いたレストラン”ということらしいが、展覧会に合わせて『ベルギー・コース』ということで、「ベルギー王立美術館展」期間限定・メニューというランチ・コースをいただいた。

前菜、メイン、デザートとチョイスできるメニューであり、私達は、それぞれに料理を注文、私はメインに『ムール貝の白ワイン蒸し』は外せないと選び、家内は、『豚バラ肉のビール煮込み』をチョイス。

パンは石焼の塩パンと、四角くく、バターをしっかり練り込んだパンの2種類であったが、バターを練り込んだパンはお代わりするほどに美味しいものであった。

デザートの『ブリュッセル風ワッフル』も『ガトー・ショコラ』も、味わいは先ずまずのものであり、若干の不足はあったものの、ランチ・コースとして2500円の料理としては良いものであった。

ベルギー・ビールとして、写真の『Duvel』があったことが嬉しく、ついつい2本空けてしまった。
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しかし、『Duvel』360ml一本が1200円というのは、ちょっと引っ掛かる値段ではあった。

ま、久し振りに好きな味わいのビールに出会ったのだから仕方がないが、サッポロ黒ラベルなら、ヱビスなら何本?と、価格だけで比較するならばツマランことをしたとは思う。

しかし、驚いたのは、ここのウェイター氏、ワイン・ソムリエの金バッジを付けておったことだ。

もう少し早く気が付けば、ベルギーのワインを楽しむことができたろうにと、ちょっぴり残念。

美術鑑賞を終えた後、私の母親の家、大阪大空襲で焼け野原になってしまい、今は『靭公園』となってしまった場所を家内と散策、その後、アメリカ村を通って難波までブラブラ小一時間歩いていった。

午後3時半開場という新歌舞伎座での『天童よしみ特別公演』を楽しみ、帰りに馴染みの寿司屋で夕食を食べて帰ったのである。

歌謡ショウというのは、家内も私も生まれて初めての経験であり、なかなか楽しいものであった。

しかも、歌唱力、声量ともに優れる天童よしみの歌声であったので、これもなかなか素晴らしいものであった。

もっとも第一部が演劇で、第二部が『天童よしみ』の歌謡ショウだったのであるが、歌は最高、しかし、演劇はイマイチというのが私どもの印象であった。








at 23:52|Permalink
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