August 2007

August 31, 2007

阿寒湖

宿泊予定の無いままの旅行なので、阿寒湖でも宿泊を予定していたわけでは無かったのだが、オンネチセでのアイヌの古舞踊が午後8時から演じられることを知り、急遽、阿寒湖温泉での宿泊を決めたのである。

で、どの旅館が良いかなあと、それとなく地元の人たちの話を総合すると鶴雅が良いという声を聞くことができた。しかし、鶴雅というのは遊久の里・鶴雅というのと、鶴雅別荘・鄙の座というのがあるらしい。

で、遊久の里・鶴雅に電話をかけると満室で断られ、次に鶴雅別荘・鄙の座に電話をすると、空室があるものの6万円何がしとの返事。

むむむむむ・・・こんな旅館に泊まる奴もおるんや。ちなみに『釧路・東急イン』は朝食付きで11000円やった。勿論2人分で。

鶴雅別荘・鄙の座は一泊二食付きではあるけど、70000円。

私達の生活には音符無縁坂譜面ならぬ無念坂か。

それでと言ったら失礼になるが、『ニュー阿寒ホテル』に電話を入れ、宿泊することにした。

最近のホテルは観光ホテルも含め、食事をバイキング形式にしている所が多くなってきた。

一方、部屋食を売り物に料金を高く設定している旅館もあるが、もともと旅館は部屋食が通常だったのだから、それをもって料金を高くするのはオカシイやないかと私は思う。

もっとも、人件費、部屋係りのスタッフの確保やスタッフの労働時間など、経営上の問題もいろいろあるのであろう。

そうしたことも考慮に入れ、バンケットルームに料理を揃えて客を集めるというバイキング形式は旅館経営にとっては利点が多いのかも知れないし、ゲストにしても食事のために、わざわざ足を運ばなければならないのは、ゆっくり寛ぎたいという気持ちにはマイナスの面があるものの、お仕着せの会席膳、冷たい天ぷらを食らうことを考えれば、品数の多い料理の中から好きな物を好きなだけ食べることが出来るという利点があって良いのかもしれない。

もっとも、大人数でワイワイガチャガチャ、自席の横を後ろを絶えず人が歩き回るという状況は全く落ち着かないものだが・・・

しかも、食事は一定時間帯に集中するのが常であるから、相席という状況も度々。これはツマラン。

今ひとつ、経費の上での心配をするのではないが、沢山の料理を提供してもゲストらが全てを平らげるわけではない。当然、残飯として残るものも沢山あるはずである。

旅館のスタッフたちの賄いとして処理されるなら納得するものがあるが、果たしてそうなのだろうか。飽食の日本、主食を含め食品輸入大国の日本となってしまった我が国の現状を併せ考えると、何だか心寒いものを感じるのである。

それはそれとして、この『ニュー阿寒ホテル』、聞いた限りでは人気が2番か3番であったが、私達の評価は頗る良い。

ホテルの施設、設備、つまり部屋や大浴場、廊下、バンケットルームを含む1階ホールなどの評価は『』である。

部屋については大きい出窓からの阿寒湖の眺望素晴らしく、部屋の広さもゆったりしており、とても良い。
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          アラブの女ではない・・・念のため
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         晴れていれば部屋からの眺望は、もっと素晴らしいものに・・・
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夕食の料理の品数、内容とも良かったので『』。バイキング形式については『』、大浴場の泉質、眺望、清掃、整理・整頓など『』。スタッフの姿勢は『概ね良』。晩酌のビール代金込みでの料金25160円で料金的にも『』。

ニュー阿寒ホテル』の総合評価『』。

あいにくの天気ではあったが、まずまずノンビリさせてもらった。

at 14:21|Permalink

北海道・阿寒湖(アイヌコタン)

鶴居村から、小雨状態になった中をほとんど車を見ることのない山間を通る道道で阿寒湖へ向かった。

阿寒湖は天然記念物のマリモが成育していることで昔っから有名である。

確か、小学校4年生の時の担任・KO先生が北海道での研修を終えて帰って来られた時に、マリモをガラス容器に入れて見せて下さったことがあった。

クロモやキンギョモなど、それに川底の石などの面にへばり付いているモしか知らなかった私は、円くボールのような形をしたモに不思議な、それでも綺麗だなあっていう気持ちで見ていたことを思い出す。

お土産用に人工マリモを売っていることは知っていた(今回は気が付かなかった)が、その昔、KO先生が持ち帰り見せて下さったのは本物だったのだろうか、大きいのと小さいのを数個見たように記憶しているのだが、阿寒湖の物ならば天然記念物の指定を受けていたはずだから持ち帰ることは出来なかったろうし、当時は人工のマリモは製造されていなかっただろうし・・・などと、半世紀以上昔のことを思い出していた。

実は、思い出す端緒となったのはマリモではなくアイヌ民族の踊りだったのだ。

阿寒湖には北海道で最大のアイヌコタンがある。コタンとは村という意味である。
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上は阿寒湖畔、阿寒湖温泉にあるコタン。左右にアイヌの人たちが木彫りなどの土産物を売る店が軒を連ね、写真中央最奥の三角屋根の建物がオンネチセ(大きい家)と呼ばれるアイヌの民族舞踊を演じる劇場(下の写真)である。
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このオンネチセの直ぐ左手にアイヌ生活館(写真下)があり、アイヌ民族の生活に関する資料展示がされている。
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わらぶきの館内では炉が切られ、昔のアイヌ人の住居を再現している。
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囲炉裏の自在鉤の周囲には保存食(燻製)とするため、いろいろな獲物が吊るされていた。写真は鮭であるが、小魚などもあった。
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下は祭儀式の場である。
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冒頭でアイヌの踊りについて触れたが、これは私が小学校の1年か2年の頃のことである。

当時、私が通っていた大阪市内の小学校に男女10人程度のアイヌの人たちがやってきて踊りを見せてくれたのである。

私にとって、アイヌ人との出会いはこの時が初めてであった。

年齢的には多分40歳から50歳までであったろうか。男の人は異様にヒゲが濃く長く伸ばしており、女の人もヒゲを生やしたように口の周りに青黒い刺青をしていたことに驚きを感じていたことを覚えている。

服装は男も女もアイヌ独特の文様が入ったものを着ており、男は上下に分かれた分厚い生地の服で、女は全体に文様の入った浴衣のような着物を着て同じ模様の鉢巻をしていた。

男はカンナで削ったような木の皮で作った帽子(冠)をかぶり、腰には刀を吊るしていた。

とにかく、それまで見たことのない格好であったものだから不思議で印象深く記憶に残ったに違いないのだが、その時に彼らが見せてくれた踊りに“熊を祀るもの”や“鶴の舞い”のようなものがあり、前者は勇壮で厳かなイメージ、後者の舞いは女の人たちだけだったように思うが、着物の袖を持って舞う様は鶴を模した踊りであることは私にも分かった。

そして女の人が『ビュンビュン』と哀調帯びた音を奏でた楽器・『ムックリ』。今回、これを探し当て、鳴らし方を教わった。今も鳴らせるが、紐を引きながら鳴らしていた当時の女の人のような音色は出ない。

今夜、雪が降りそうだとアイヌの人が語っていたが、夕刻から一層冷え込み、オンネチセで50数年ぶりに鑑賞を予定していたアイヌの古舞踊を見に行くことが出来ないまま眠ってしまったことが残念でならない。

次回、阿寒湖に来る折は、それを目的にと思っている。



at 11:09|Permalink

北海道・コッタロ湿原~

コッタロ湿原へ行くつもりが道を間違えたこともあり、国道391号線を50石まで行って逆戻り。再び塘路に戻って道道1060号線で釧路湿原の北部をコッタロ湿原へ移動。

時折激しく横殴りに降る雨の中を走行。

展望台と言うだけあって、しかも湿原を展望できる場所なのだから高い場所でなければならない。

共通しているのは車を置いて小高い丘に登るということ。

雨でぬかるんだ坂道を傘をさしながら登るというのは大変な労力が要ったが、雨天であったために他の見学客が殆どいなかったという点では良かったと言えるかもしれない。(しかし、ヒグマの里でもあることを忘れていた)
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35mmのカメラでは雄大なスケールをそのままに伝えることはできないが、せめて上下2枚の写真で想像して頂きたい。

これまでの湿原の写真と、この北部地域の写真。勿論、これらの写真に全ての地域が写されているかと言えば、とてもそんな程度ではない。

しかし、私は釧路湿原の極一部を垣間見たに過ぎないが、この広大な国土の一画をラムサール条約の批准によって日本が国として管理と保護の対象にしていることに何かしら心温まるものの中に誇らしさをも感じることができ、とても嬉しい気分に浸ることができた。

コッタロ湿原から鶴居村へ向かう途中の牧草地でエゾシカの群れとであった。
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車を止めて彼らを見ていると、彼らも不思議そうに(当方の主観)私達を暫く眺めていて、先頭の鹿がキョンと甲高い声を発すると一斉に跳ぶようにに駆けて行ってしまった。
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上の写真は牧場の『道産子』たちである。

胴長短足は日本人の特徴と言われたりするが、『道産子』は胴太短足である。

重量物をソリで運ぶに適した体つきであることを改めて理解した。


at 09:17|Permalink

釧路湿原へ

朝からどしゃ降り、吹き降りの悪天候のため、考えていた予定を変更してマイカーでの移動にした。

この183k?に及ぶ釧路湿原は、蛇行する釧路川や旧・釧路川に流れ込む幾つもの支流によって形成されている大湿地帯で、貴重な動植物の宝庫であり、ラムサール条約によって厳重に管理され、自然環境の保全と動植物の保護が行われている。

従って車の乗り入れは当然制限されているであろうという私の予測に従って、以前にテレビで見た『ノロッコ号』なる釧網本線を走る観光列車と地元の観光バスを利用して湿原を巡ってみようと考えていたのである。

この『ノロッコ号』という列車は釧路駅を10時56分に出て、湿原の東側部分に沿うように湿原北部の塘路駅まで40分ほどの時間をかけてノンビリと走り、塘路駅を12時7分に出て、釧路駅に戻ってくるもので1日に1往復(夏のシーズンは2往復運行するらしい)の便である。

ただ、往復同じ径路ではツマランと考え、片道を観光バスでというのが私達の考えであった。(阿寒観光バスが運行している)

しかし、現地で分かったことだが、湿原の周縁部辺りは国道や道道、それに農業用道路などが湿原内を通っており、展望台も何箇所か設置されていることでもあり、天候が優れない事情も考慮してマイカーで湿原を巡ることにしたのである。

釧路駅前から国道391号線を釧網本線と平行して走り、細岡展望台に行った。
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雨で煙っていたものの、湿原の広大さは細岡展望台から眺めただけで充分に予想できるものであった。

事実、細岡展望台から眺望できる湿原は、湿原全体のほんの一画なのだから。

細岡展望台から達古武湖へ出る途中、未舗装でデコボコの間道で見つけた。

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写真で確認できるだろうか・・・二羽のタンチョウヅルである。

5月26日だから、通常、シベリア方面に帰っているのではないのだろうか。

が、ここはモノも考えようとばかり、「きっと、私たちのために帰る期日を延ばして待っていてくれたんだ。」と。

背丈の高い葦のような枯れ草の叢の中に見つけたのだが、低速で運転していなければ気付かずに通り過ぎていたことと思う。ほんのちょっぴり赤い色を目の端に捉えたので停車して、じっと見ていてタンチョウヅルであることを確認したくらいなのだから。

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20m程度の距離をおいての観察・撮影であったが、車のエンジン音に驚いて逃げることもなく、きっと夫婦鶴なのであろう、朝の散歩を楽しんでいるかの様子に満足した私達は出来る限り静かに低速で移動していった。

この後、塘路湖(下の写真)からシラルトロ湖を巡り、コッタロ湿原に向かった。

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at 06:04|Permalink

August 30, 2007

釧路の朝 和商市場

5月26日、釧路は夜半からの雨が続き、朝、一時どしゃ降りの状態であった。

昨日、観光案内所で聞いていた釧路『和商市場』がホテルから近い駅前にあるので、どしゃ降りの中ではあったが出向くことにした。

釧路の台所としての『和商市場』は、さして広くもないが、店舗の殆どを鮮魚、塩干物で占めている。

私達は7時過ぎに行ったが、土曜日のためなのか市場の中はガラガラ。もう少し賑やかかと思っていたのだが、これは意外であった。

しかし、モノは新鮮でカニ、サケ、ホッケ、タラコ、シシャモなど、北海の水産物が所狭しと並んでいた。
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まだまだ旅行が長いからと、冷やかし程度の気持ちでいたのだが、トキジャケの良いのを見付けて立ち止まったところを捉まってしまった。

何を買ったかは内緒だが、と言うよりも買わされたと言った方が正しいかも。

6月の日付指定で送ってもらうことにした。

隣の店では“勝手どんぶり”なるものをやっていて、好みの魚などの切り身を売っており、直ぐ前の食堂で丼ご飯だけを注文し、買ったばかりの魚の切り身を載せて『海鮮丼』の自前流を作って食べるというわけである。
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その食堂では、汁物もあるし、他のメニューも沢山あるので、朝ごはんをここで食べるという観光客がチラホラやってきていた。

私はホテルで朝ご飯をとることにしていたので、面白半分、ものは経験とばかりに丼材料だけ買ってホテルへ持ち帰った。

ボタンエビ、ブドウエビ、とびこ、マグロの中トロ、などを買ったが、1匹、1切れ単位で買うもので、結果的に結構高いものとなった。
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この『勝手どんぶり』のネタであるが、観光客相手のものであり、決して安いものではない。

面白半分にやってみるのは良いが、高い代物であることを分かった上でやるべき。

朝ご飯をきちんと、良いものを安く食べるつもりなら、ホテルの朝食の方がグンと良いものである。

『東急イン』の朝食はバイキング形式であるが、料金(1000円?)の割には立派なものであった。

朝から食べきれるものではないが、レストランの広さ、食材の豊富さ、料理の品数など、多分どれを取っても世界最高クラスのホテルの一つはソウルのロッテホテルの朝食バイキングであると私は思う。

もっとも、それほどの朝食を私は必要とはしないが・・・


at 21:12|Permalink
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