October 2007

October 12, 2007

ツマラン風潮 (どっちがゴキブリ?)

スポーツと名の付く種目で、とりわけボクシングを私は嫌う。

権力、権威を傘に着る輩、それに腕力を誇示して相手を徹底的に痛めつける奴は心底スカン。

一般に格闘技と呼ばれるスポーツが嫌いであるというわけではない。

私自身もラグビーをやり、柔道もチョイかじる程度にはやってきているので、運動・ゲームをする楽しさは分かっているつもりである。

ラグビーの場合、ゲームの最中には相当荒っぽく乱暴なプレイをする。しかし、ゲーム終了のホイッスルが吹かれ、レフリーが両手を上げれば“ノーサイド”。つまり、“どちら側”と言うものは無い、敵味方の関係では無くなるのである。

個人の格闘技ということでは柔道も剣道も空手も、投げあい、叩きあい、蹴りあう乱暴なスポーツでありボクシングと似ている。

ジャッジにおいても判定が採用されている点でも似ている。

柔道も剣道も空手も相手に技を決めることで勝ちとし、時に拙い攻防のために怪我を生じる場合もあるが、怪我を負わせる寸前までをスポーツとしてのゲームとしているのであり、相手が起き上がれない程のダメージを与えることを許すボクシングとは異なる。

そして、柔道、剣道、空手は“礼に始まり礼に終わる”と、これもラグビーの“ノーサイド”と同じことであると言えよう。

昨夜、プロボクシング、WBC世界フライ級タイトルマッチがあった。

この前段で協栄ジムの挑戦者・18歳の亀田大毅は、チャンピオンである33歳の内藤大助に対して“名前を呼び捨て”にし、自分が負けたら“切腹する”と、亀田の父親はチャンピオン・内藤に対し“ゴキブリ”と表現するなど、親子揃って礼節のの字も知らない失礼さ

全く、亀田大毅の兄もそうであるが、この親子の無礼さには呆れ返る。

しかし、試合前の闘争心をかき立てるために言ったのだと、百歩譲ることにしよう。

で、昨夜の試合はどうだったか

相手の攻撃を逃れるためにクリンチング状態になることは仕方がないことは認めよう。しかし、昨夜の亀田大毅の行為はそんな甘っちょろいもので無かったことは私のようなド素人でも分かるものであった

自ら組み付き、チャンピオンを抱えて投げつける

これがボクシングの、しかもチャンピオンベルトを賭けた試合かびっくり

しかも判定結果をレフリーが告げると挨拶も無くリングを去る。

対戦相手のチャンピオンを称えるでも無く、礼も言わず挨拶もせず、これでスポーツマンと言えるかはてな

これではヤクザもんの殴り合いと変わらないではないか

粋がって、負けたらスゴスゴ尻尾巻いて逃げて行く

全くツマラン人間の品性に欠けるもんを感じる

最近のスポーツ界の疎ましい傾向ではあるが、これほどまでとはなあ・・・

勝てば良い・・・なるほど、勝ち負けのあるスポーツなら止むを得ないか。

大相撲の横綱・朝青龍も似てる。人格、品格。

が、こうした風潮は第一義的には当人の未熟さから生じるものであるが、第二義的には親であったり、親方であったり、当人たちを直接・間接に指導する立場にある者の責任であり、力量不足の結果である。

また一方でマスメディアの商業主義がこうした風潮を助長していることも否定出来ない。

亀田兄弟の傍若無人の無礼な言動に対して、テレビなどではチヤホヤと持ち上げることばかりしてきた。

『みのもんた』という男がそうである。

長男の亀田興毅がWBAライトフライ級の前王者となった頃以来、亀田親子をヨイショヨイショと持ち上げてきた。

横綱・朝青龍に対しても同じであった。

チャンピオンになった亀田興毅だから話題性としては抜群でありテレビ局は視聴率を稼げる、だからチヤホヤ。

朝青龍の病気治療中のサッカー問題以後、横綱の品格がどうのこうの言っているが、彼のスポーツマンとしての品性は横綱昇格以前から話題となっていたことである。

『勝てばいいんだろ』という彼の言葉や態度の中に人格や品格を見出すことは難しい、『勝てば官軍負ければ賊軍』『勝って兜の緒を締めよ』『実るほど頭の下がる稲穂かな』・・・良い俚諺があるのだが、彼らが自ら学べる人間であれば良いのにと願いつつ、還暦を越えて知識人の部類に入っている『みのもんた』氏よ、伊達に齢を重ねているんじゃねえ、テレビという社会的影響力の大きいメディアで教えてやれよ。



at 13:27|Permalink

October 06, 2007

期待と安堵 ・ 気持ち良い酔い

気持ちヨイヨイ。

なーんて“音頭とり”をしてるわけではない。

法善寺の『に志むら』でウマイもんを食べ、ウマイ酒を飲み、涼やかな秋の風を受けながら久し振りに道頓堀を越えて宗右衛門町へ。

しかし、宗右衛門町は歩かずに越えるだけ。好みの問題である。

久し振りに『本二鶴』の前を通ると主人が調理場で仕事をしている姿が目に入ったが、お嬢さんの姿が見えず、と、若い男が売り場に出てきた。

おやっ、息子はんやないかと店へ。

どないしたんや戻ってきたんかいな。」
ハイ10年の年季を終えましたんで・・・

この息子、高麗橋の某有名料亭での修行を終えて帰ってきたと。 

親父さんの跡を継ぐのかどうかは知らないが、高麗橋の料亭はそこらの割烹での修行とは異なるのである。

亡くなった先代・高麗橋の主人は好事家の茶人であり、博物館を建てて自らの収集品を収蔵・展示するほどの文化人でもあり、茶懐石を基本に据えた“もてなし”を行う料亭を経営していた。

現在は長男が継いでいるのか先代の女将が取り仕切っているのか知らない。 

随分昔に貿易関係の仕事をしていた叔父のお供をして何度か行ったことがあったが、自分達が行ける店ではないというのが当時の感想である。

つまり、茶の湯どころか、花、軸、器などの基本的なことが全く分からず、侘び寂びといったことを知識として知ってはいても内実を伴わない若い時期には理解することが困難な店なのである。

国賓を接待できるほどに文化度の高い料亭であり、美術館や博物館で保存・展示するような代物が惜しげもなく部屋に置かれ、食器としても用いられているのである。 

今なら或る程度は理解出来るという年齢になってはきたものの、この料亭で飲食と風雅を楽しむ経済的余裕は今もって無い。それに、多分今でも“一見お断り”の方針は変えていないのではないかと推測するので私が座敷に上がるのは無理であろう。

ともあれ、包丁の修行だけではなく、幅広く文化一般についての修行をも一応終えてきた『本二鶴』の息子はんの出発に期待したいものだ。

この『本二鶴』は寿司屋さんなのだが、この店で勧めたいのは“茶巾寿司”である。

冷たいままでも美味しいが、持ち帰って蒸すか電子レンジで温めて頂くのも美味しいのである。

こうして『に志むら』の“土佐寿司”と『本二鶴』の“茶巾寿司を土産に持ち帰り、Y君とHさんの夕飯に供することとした。

本日、Y君とご両親がHさんと共にHさんの実家のある九州へ出向くとか。

Hさんのご両親に結婚式の打ち合わせを含めてご挨拶に行くらしい。

どうやらココまで漕ぎ着けたと、喜びも含めて安堵の気持ちイッパイである。

Y君とHさんの将来についての期待もある。

僅かな時間に、美味しいもの、ウマイ酒、それに安堵と期待という素晴らしい気持ちを持つことまで与えて頂いたことに感謝である。

                     



at 12:07|Permalink

土佐料理 に志むら

この店については以前にも書いているように贔屓にしている割烹の一軒である。

9月末に寄った時、既に“戻り鰹”の良いのが入っていたので、昨夜行きつけのショット・バーで食前のマティーニを頂いてから出向いた。

上の座敷は満席。1階のテーブル席も詰まってカウンター席だけが空いていた。

金曜日とは言え、月初めから結構なことである。

もっとも、一人静かに楽しみたい(一人の時は)私はカウンターで良いのである。

カウンターの中では主人と若い板前が調理しているのであるが、少し背伸びをすると彼らの作業の様子が見えるし、主人との話も楽しいものなのである。

但し、のべつ幕無く話し掛けているわけではない。

酔うても酔わなくてもベラベラ喋りまくる人を見掛けることがあるが、これは板前にとって迷惑なものである。この店でそうした客を見掛けたことは未だ無い。

に志むら』の暖簾をくぐって店に入ると、顔を合わせた主人が、
おお、あるで2本。」
よっしゃツバつけた。」
今日からや。」
そうかええか?」
勿論やないかわしが見たんや。」
と、これだけの会話では何が何か分からないであろう。

が、私達にはコレで充分なのである。

解説すれば、これは『土佐寿司』と言う棒寿司についての会話であり、『に志むら』は寿司屋ではないので普段沢山の『土佐寿司』を作るわけではないため先客に売れてしまって、それを好物とする私が求めた場合に無い時が何度かあったことと、春から夏の間はアジを使うのだが、秋から冬の旬には真サバを使用する、この真サバの『土佐寿司』を私が好むことを知っている主人が、今旬初めて真サバを使った『土佐寿司』を作ったが、それが今なら2本あるから要るか?と言うことと、私が脂ののった良いサバだったかを訊ねるのに対して、自分が見立てて仕入れてきたモノだから自信を持って美味しいと言えるものであるという会話なのである。

昨夜の突き出しは『萩豆腐』。流し豆腐の上に小豆を載せ、オクラを刻み叩いたものをかけ、萩の花をあしらったものだが色合いが良くて美味しいものであった。

これの写真は無い。

下は、昨夜の酒肴。
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戻り鰹の刺身”と“銀杏”を炒ったもの。(上)

下は、“戻り鰹の刺身”。

写真でも分かるように、よく脂がのってきている。
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下は、外のカマドで萱を燃やして一気に焼き上げた“カツオのたたき“。
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萱が燃えた香りの付いた“鰹のたたき”は絶品。

ご機嫌になって暖簾をくぐって石畳の法善寺横丁に出る。

女将と仲居が出てきて『チュウ』。

いやいや、チューチュウ』ではない。

女将、「また来てね。まっチュウきに」

ははははは

大阪やったら、「また来(き)とくんなはれ。待ってまっさかい」というところだが、土佐の表現では上のようになる。


at 08:35|Permalink
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