February 2008

February 24, 2008

入籍の祝い

日が前後することになるが、私が博多・韓国へ旅立つ前であったから1月末であったろうか、入籍を済ませたY君とHさんを祝って夕食を共にした。

リタイヤした身とは言え、何かと付き合いが多い私ゆえに予定を立てにくい。

家内は家内で音楽関係のレッスンやコンサートと家を空けることが多い。

Hさんも医療関係の仕事で研修だの何のと特定の日を定めることは簡単ではなく、Y君は’手配師’・・・これは聞こえが悪いので言い換えると人事関係の仕事を統括する立場にいるので忙しい。

だから事前に一堂に会する日時を設定するのは難しいのだが、この時に限っては多少時間的に無理をしてはもらったものの揃って集まることができた。

もっともY君については現場関係の仕事が24時間体制で動いているため、携帯電話により、いつでもどこでも指示が出せる半勤務状態にはあるのだが。

結婚はしない、してもまだまだ先などとY君が語っていたのは、ほんの1年前のこと。

そのY君とHさんの挙式・披露宴が、もう目前に迫ってきた。

古来、『縁は異なもの味なもの』などと言うが、Y君の人生観を変革させる何があったのか、Hさんがどのような作用を果たしたのか、二人の心理に多少の興味はあるものの、ツマラン三流週刊誌やテレビのワイドショー的悪趣味は私には無いので二人にそれを訊ねることは無い。
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ともあれ、二人の新戸籍が作成されたことを祝いたい。

おめでとう

二人のご両親も喜んで下さっているようで何よりのことである。

年齢的には二人のご両親と同じような私どももご両親同様とても嬉しく思っている。

二人とは年齢的に懸け離れているので、二人の思惑とは別に、ついつい親の立場から二人を見、接するようになっているのだが、私どもにはそうした関係にある若い人たちが身近に沢山いる。

独身であったものが旦那を持ち、或いは嫁をもらい、そして子どもが出来る。

私達夫婦は、その都度、舅になったり姑になったり、そして今や孫たちが10人を超えてしまったが、何とも有り難くも嬉しいことである。

インドネシアとタイの里子も小学5年生に成長したし、中国の娘は日本の大学院で心理学を専攻中である。

それぞれにしっかりした人生観を持ち、他の人々に喜んでもらい、そしてまた自分たちも喜んでもらえる、そんな人生という道程を歩んでくれたらと常々密かに思い願っているのであるが・・・
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八寸が配膳され話も盛り上がったところで『ブリのカマの塩焼き』が出された。

これはY君が好む料理の一つで追加したものだが、これを酒肴に一杯飲む彼の表情は特上のものであり、私はそれを見るだけで楽しい。

『ブリのカマの塩焼き』が大好物という息子の一人にSちゃんと呼ぶ者もいるが、今では可愛いお嬢ちゃんが二人の父親で、私達はお爺ちゃんとお婆ちゃんになってしまった。

孫たちに「お爺ちゃん」とか「ジイジイ」などと呼ばれると何とも面映いものであるが、これは幸福感に満ち溢れるものである。

春の披露の宴では珍しい焼酎で参会者に喜んでもらいたいというY君とHさんの希望を受け、友人達の協力を得て半年がかりで集めてきた’幻の’などと言われる珍しい芋焼酎も手元に揃ってきた。

プレミアムなどという価格では買わない。お金を出して買う気になれば直ぐにでも揃うが、そんな馬鹿げたことはしない。たかだか酒のことではあるが、1升のビンを手に入れるために込められた気持ちは私の息子たちのために、そして喜んでもらえるならという気持ちが山ほど詰められているのである。

Y君やHさんと親しい友人ではなく、全く面識も無い人たちが二人の新しい人生の出発をともに祝ってあげようという気持ちが込められているのである。

我が身可愛いではない、人の立場や思いを理解・共感し、そして行動できる。そんな人たちが世に満ち満ちてくれば地球世界、どれほど素晴らしいものになるか、Y君やHさんにもそんな一翼を担ってほしいと願いつつ、もう一度新世帯の誕生、
おめでとう。




at 09:06|Permalink

February 23, 2008

広島・流川あたり・『通』

この『通』という割烹は私が見付けた店であり、広島へ行けば訪れる店の一軒である。

以前にも紹介しているので細かいことは省くことにする。

この店は夫婦で経営しているのだが、ビル1階でカウンター席がせいぜい10人分程度の小さな店である。
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この店でもアレコレやと今は注文は付けない。

今日はドコソコの何が良く、ドウイウ料理にすると主人が言えば「タノム」と言うだけである。

上の数の子の和え物の先付の後に出てきたのが下の『アラの刺身』である。

身も皮もキモも、それぞれに美味い。

これは玄海モノである。

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下は、ワカサギを塩焼きにして出してくれた。

これは宍道湖モノである。
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私が魚の骨を取るのが苦手なことを知ってくれているので、骨のある魚であっても、取りやすいとか、骨ごと食べても大丈夫なモノを用意してくれる。

大変に、ええこっちゃ。

下は、安芸モンの生ガキである。

水温の低いこの時期であるからこそ、美味しいし安全なのである。
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ここの主人、野中完二氏と言うが、仕入れた魚をスケッチして水彩絵の具で色付けて額に納めて店に掛けている。

下は、今回掛けられていたトラフグである。

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過去、店を訪れる度に絵が替えられ、中にはオモシロイ作品もあった。

絵そのものは図鑑的で精微であるが、技量的にはシロウトの域を出るものではない。

しかし、懸命に描いていることが分かる作品なので、今回初めて「くれ!」と言って貰ってきた。

勿論、絵の具代、額代、労賃程度の代償は渡したが、当然、額付きと思いきや、裸のまんま。

これには少々・・・

持ち帰るのに苦労しましたでえ。

私が広島の夜の最後に訪れ、ノンビリ寛ぐ場所の一つが、このビルの上。

『火の鳥』

ただし、他の客がウルサかったり、つまりカラオケで歌っていたり、グループで高声を上げていたりすれば寄らないか早々に引き上げる。

そんな時には本町通り・仏壇通り角のビルの上にある『ラ・ポール』へ行き、ピアノ演奏を聴きながら静かに飲んでホテルに帰ることにしている。

ここはプロのピアニストか現職の音大の先生が弾いているのである。

音大の先生と言っても教授なら・・・講師待遇では収入は微々たるものゆえアルバイトせざるを得ないのが現状である。


at 09:48|Permalink

広島・流川あたり・『若竹邑』

居酒屋『どんどん』については既に書いた通り、私の夜の散歩の出発点である。

最初に私を『どんどん』に案内してくれたのは後輩で、私が広島を訪れるごとに相手をしてくれていたが、頻繁に異動する立場なので現在はいない。

県教育庁、寺院、広大と先輩、同輩数多くいるが、前述の後輩の他は退職したか、東広島へ移って共に飲む機会が少なくなってしまった。

昼間にお茶をというのもいるが、これはあまり面白くない。

先輩で広島の寺院住職(現在は息子さんに譲っている)をしていた人に紹介された店に流川の『白鷹』がある。
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奥には座敷もあるが、店に入った所は白木カウンターの割烹店である。

大将夫婦に熟練の板前氏がカウンター内にいるが、大将は調理を引退し、現在は息子の洋平氏が加わっている。

旬の素材を用いての料理はなかなかのものである。

が、老舗で人気の高い店というのは常連さんも多く、予約をしておかないと席を確保出来ないので私のように予定を立てずに訪れる者にとっては行きにくい店となる。

先述した元・住職の先輩が1年ほど前、「器に凝っておる主人の店がある」と教えてくれたことがあった。

この先輩、美術品に対する造詣深く、民芸運動で活躍した河井寛次郎、浜田庄司、富本憲吉、柳宗悦、バーナード・リーチなどの作品も蒐集しておる。
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流川・仏壇通りに面した上の写真のビルの3階『若竹邑(わかたけむら)』が教えてもらった店である。

休日はコンビニ以外にほとんど店を開けていない流川にあって、この若竹邑』は営業していたので入ってみることにした。

エレベータで3階、出た所に入口があり、店に入って左手に長いカウンター席と背中合わせに座敷がある落ち着いた雰囲気の店であった。

オーナー兼調理長の奥 勝美氏はリーガロイヤル広島の和食『なにわ』の調理長をしていた人で、仙台のホテル『瑞鳳』の総料理長を務めた経歴の持ち主であり、自らカウンター内での調理にあたっている。

カウンターに座った私からは右手奥の厨房の中を見ることは出来なかったが、私が訪れた時はカウンターに奥氏、厨房に板前氏が一人、お運びの女性が一人と、休日は3人体制のように見ることができた。

下は、先付けとして出された茶碗蒸しに葛餡をかけたものであったが、葛餡に工夫があったが忘れてしまった。お出汁は程良く、写真では見にくいが椿の花を添えてある。
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下は、注文した刺身の盛り合わせ。
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ヨコワとハリイカを盛ってもらったのだが、脚付の漆器にカマクラ風の盛り付けと、見た目にも楽しめ高級感を出していた。

タマリだけでは無く岩塩を添えてあるのも素材の良さを証明するものである。

蒸し物は有田焼かと思われたが、先輩が「荒々しい焼き物」と言っていた器を見ることはできなかった。

しかし、焼酎の湯割りを青磁のような焼き物(蒸し物の写真の右手)にて提供する心遣い、つまり通常の湯呑み茶碗に被せるように網目の部分を焼いている二重構造の器を使用していることで湯呑み茶碗を持つ時に熱さを直接感じないようにさせる気配りがある点、これはなかなかのもの。


私のように料理を頂き、酒を飲み、時にタバコを吸う者にとっては若干窮屈な思いをするが、全体的な雰囲気としては女性に好まれそうな店である。

事実、昼食時にも営業しており、女性客が多いということも聞いた。

我が先輩も喜寿を迎えてオトコを卒業、女性的になったということなのかも・・・

私はマダマダ・・・ぶっははははは


at 07:24|Permalink

February 22, 2008

広島・居酒屋『どんどん』(ナガハマ)

久し振りの広島であるが、夕暮れともなると自然と本通りから流川方面に足が向く。

私が、いつもオモロイなあと思うのが下の写真、中央通り堀川町の信号を渡る時である。
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写真の茶色いビルはアサヒビールのビルなのだが、見て分かる通りキリンビールのデッカイ’ネオンゲート’がビルの1階部分を覆い隠すように立っている。

どちらが先に立ったのか知らないが、エゲツナイ熾烈な企業の宣伝戦争をやってるなあと思うのである。

私は熱烈なサッポロビールのファンであるから、ドウデモヨイことではあるのだが。

私の広島の夜は新天地の居酒屋『どんどん』から始まる。
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ちょっと早く着いたものだから未だ暖簾が巻かれているが正面の黒っぽい所が入口である。

画面直ぐ左手に地下への階段があるが、『どんどん』と系列を同じくする炉端の居酒屋『ナガハマ』がある。

前日が定休日だったので従業員全体が地下の店に集うて会議を行っていたらしいが、雪が舞い散る寒い外で開店を待つのも辛いものである。

流川から薬研堀、仏壇通りと歩き、時間つぶしにゲームセンターを覗くも面白くもなく、4巡して、やっと入店。

店長の川口氏や長浜さんのご長男の顔が・・・

「やあ、久し振り」

「いらっしゃい、お元気でしたか?」

ほのぼのと、何だか我が家に帰ってきたような気分になるのが不思議である。

以前にいた長浜さんのご次男は現在ロンドンで修行中。

健君がどちらだったか、ややこしくなってしまったのでお名前は省く。

以前にも書いているが、『どんどん』では川口店長の勧めるままに頂くことにしている。
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お通しは『つみれ』、それに薄い薄い芋焼酎の湯割りである。

下は刺身で頂いた『小イワシ』。

小さいながらもシッカリと良い脂が乗っていて美味い。
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次は『かわはぎ』の薄造り。 カワ(ハゲ) デハ ナイ。 
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『フキノトウ』や『タラの芽』の緑が綺麗だったので揚げてもらったのが下の天ぷら。
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本日の調理はご長男。

板場には、もうお一方若いニイチャンがおられた。

話をする中で、我がページをご覧頂いたとのこと・・・

うーーん、これはチト、いや大いに恥ずかしく、今回もひょっとしたらご覧になられるかも。

恥ずかしいと言えば。

店のお運びさん、ホール担当と言うのだろうか、小奇麗な、私は40後半のお歳と見たのだが、初めての方だったので世間話をするように倉橋島や鹿島の昔話をしておった。

「主人は鹿島出身です。」

「ほう。」

私は、その女性の年齢を予想していたし、ご主人が鹿島出身ということを知ったので、鹿島にしろ倉橋にしろ広島へ働きに出てきている人が多いのだと自分なりの理解を進めていた。

だから、多分子どもさんがおられても20歳前後であろうと想像し、「で、お子さんは未だ学生さん?」というような感じで問いかけた。

それに対して、その女性が手で板場の方を指していたのだが、私の頭の中には既に先入主として、その女性に関する像が形作られていたので咄嗟に理解することが出来ず、長浜さんのご長男を「息子です。」と彼女が言っても猶直ぐに理解することが出来なかった。

つまり、この店の経営者・長浜良二氏の奥さんであったというわけである。

言い換えれば、この店の女将。

何とも恥ずかしいことであった。


at 17:27|Permalink

ひろしま美術館

私が初めて広島を訪れたのは昭和33年か32年であったと思う。

原爆資料館の建物があり、平和大橋も架かっていたが自動車の姿は少なく道路はガラ空きで平和公園は木々の緑よりも黄土色の土の色の方が勝っていた。

原爆被災後、50年は木も茂らないだろうと言われていた広島を訪れ、まだ小さい若木ばかりではあったが緑の葉を認めて驚いた記憶がある。

ひろしま美術館』が出来たのは昭和53年(1978年)のことであるという。

広島銀行の創立100周年記念事業として設立されたらしいが、企業の社会還元の姿としては評価できる活動である。

もっとも、長年にわたって自民党という特定政党に政治資金を提供し続けている銀行協会の一員として広島銀行は粕のカスでしかないが。

一方、赤字財政解消を掲げ大阪府の文化施設を切り捨てようと大ナタを振りかざしている橋下知事だが、何でもかでもゼロベース見直しが正しいわけでもあるまいに。

日本の近代歴史において、曲がりなりにも教育・文化レベルの維持・発展に寄与してきた公けの行政施策を自ら切り捨てるという発想は果たして府民に目を向けたものと言えるのかどうか。

教育や文化というものは金儲けを基準にしてみるべきものではないはずだが、つまり儲からないで赤字、だから切り捨てるという単純なる発想は一面合理的ではあるが重さを物差しで計ろうというに似ているように思う。

それでなくとも文化醸成度の低い大阪府・・・ツマラン話は置いて『ひろしま美術館』の所蔵品に戻そう。

下は、オーギュスト・ルノワール 『パリスの審判
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           下は、エドゥワール・マネ 『灰色の羽根帽子の婦人
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下は、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 『アリスティド・ブリュアン
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下は、モーリス・ド・ヴラマンク 『木のある風景
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下は、レオナール・フジタ 『十字架降下

これは藤田嗣治の『受胎告知』、『三王礼拝』、『十字架降下』の祭壇画3連作の1枚である。
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上の写真は、いずれも『HIROSHIMA MUSEUM OF ART』(ひろしま美術館2002)より転写したものである。

今回は浅田 忠、岸田劉生など、明治期以後の日本人画家の作品を見ることが出来なかったが、ヨーロッパ絵画の名だたる画家たちの作品を鑑賞できて満足している。

リーガロイヤル広島の直ぐ前が『ひろしま美術館』なので、朝一番の空いた時間に散歩がてら、ゆっくり、のんびり、じっくりと時間をかけて眺めることができるので、これはもう最高の贅沢と言える。



at 11:50|Permalink
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