February 2008

February 22, 2008

さて、広島 (ひろしま美術館)

私が西へ向かったり、或いはその帰路必ず立ち寄るのが広島。

勿論、お参りが目的で広島を目的地として行く8月6日もある。

今回は博多の帰路に立ち寄った。

広島は私にとって懐かしい所のひとつである。

初めて広島を訪れてから、かれこれ半世紀。街も随分変わってしまった。

平和公園は緑が濃くなったし、広島城も縮景園も。

何よりもビルが沢山建ち並び、広島へ行くたびに訪れる『ひろしま美術館』などは無かったのである。
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上の写真は広島城であるが、下部の緑青色の円形の建物部分が『ひろしま美術館

下は正面玄関。
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玄関の建物を抜けた中庭にブールデルとグレコの作品が据えられている。
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果物を持つ裸婦』 アントワーヌ・ブールデル
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                    ラウラ』 エミリオ・グレコ

今回は常設展であり、館所蔵の作品展示だけであったが、四角く回廊で囲まれた円形の建物は彫刻を中心にした円形フロアの周縁に4つの展示室を構成し、それぞれ『ロマン主義から印象派まで』(第一展示室)、『新印象派と後期印象派』(第二展示室)、『フォーヴィズムとピカソ』(第三展示室)、『エコール・ド・パリ』(第四展示室)と展示されている。

今回は別館(写真・円形の本館の上部分)での展示も無く残念であった。





at 09:26|Permalink

February 21, 2008

再び博多

娘とは朝食を最後にして、私は博多の友人たちとデート、と言っても異性ばかりではない。

舅、姑、小姑らとの関係で悩むT子の話を聞いてやったり、友人と会ったり、久し振りに博多に行けば電話では話しきれない四方山話の数々。

楽しい面もあれば、ともに悩まねばならないシンドイこともある。

が、総じて皆の元気そうな顔を見ることが出来て嬉しい。

韓国に渡る前も帰国してからも博多滞在は楽しい時間であった。
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T君とは何度も会った。

Y君とHさんの披露宴用に’幻の焼酎’の入手を依頼することも用件の一つではあるが、T君の良きお相手探しの件も用件の一つである。

もっとも共に飲み食いすることが主要な目的ではあるのだが、私が摂生中のため、今回の博多滞在では二次的、三次的なものであった。

上と下の写真は船長の店に立ち寄った時のものである。

上はアラカブの活け造りと刺身の盛り合わせ。

下はアラカブの煮付け。
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アラカブはメバルのよなカサゴのような・・・しかし、ちょっと違う。

船長も一緒になって飲む。

有朋自遠方來、不亦樂乎。』

漢文を横書きにすると何だかオカシイものだ。

論語・學而第一の抜粋であるが、『子曰く、學びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋、遠方自り來る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍らず、亦君子ならずや。』の部分だけをとらえては本来の意味を曲げることになりはするが、楽しき気持ちは同じであろう。

易経には『類を以って集まる』とあり、『類は友を呼ぶ』とも。

英語では『Birds of a feather flock together.』

私達はいったいどんな関係なのだろうか、イマイチ、ワカラン。

今回、銀寿司の女将が待っているからと、春吉橋の小さなスタンドバーへT君と行った。

50代らしいが品の良い素敵なママさん一人が切り盛りする店であった。

博多に住んでおれば通うかも・・・

なーんちゃって、ぶっはははは。

それくらいに魅力的な女性だということ。

劇団『四季』の何とかという女優のお母さんだとか。

歌手に女優、タレントがどうのと言われても私にはワカラン。

聞いても関心が無いし、覚えようともせんから全くワカラン。

『お母さん』だけは、見た、知った、分かった。


at 11:23|Permalink

博多・船長と

話が前後するが、我が娘のように接している子の一人が、そのカレシの実家である熊本へ行って入籍するということについて以前に書いた。

実の親ではないが・・・その娘を可愛がっている私の気持ちは、妊娠したことは仕方がないと言うより喜ばしいことではある。

愛し合っている二人に子が授かったのであるから。

しかし、子を授かったということはとても有難くも嬉しく喜ばしいことであるが、同時に生まれてくる子を大切に守り育てていくだけの気概や経済的裏づけとともに法的にもきちんと認められ保障できる状況が確保されているかどうかということが私としては心配するところであった。

二人の仕事の関係、つまり勤務態様違いから私も含めて揃って顔を合わせることが難しいこともあって、入籍の後に博多から新幹線で帰る予定であったことから、私が博多に出向いて会うことにしたのである。

博多には娘のことを気にかけてくれていた友人(船長ら)たちもいたので、皆が一堂に会せるという意味でも博多という場所は良かったのである。
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船長と娘に挟まれ押しつぶされそうになっているカレシ。

喜んでくれた船長も含め全員黒色の眼鏡をかけさせた。

居酒屋・第三共進丸を営む船長であり玄界灘の魚料理を専門にしているが、しばらくシケが続いていたために本人曰く、「ロクなものが入らんけん」と言いつつも何やかやと次々に料理を出してくれた。

前もって行く日を言っておいたから取り置いてくれた魚なのだろう。

他にもグループの客が3組いたが、私達のイカや、その他の魚を揚げたら二つの水槽が空っぽになってしまった。

シケの為に魚の入荷が少ないけれど客からの注文はある。しかし我々が来ることが分かっているから生かしている魚の注文を受けても断らざるを得ない。

多分船長は気を遣ったことであろうと思う。

ただでさえ、そういう奴なのだ。
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熊本の実家では母親、姉、妹の歓迎を受け、入籍についても快く、そして妊娠の事実も喜んでもらえたらしい。

母子家庭であることも初めて聞き知ったが、出産後の経済的援助もすると母親が約束してくれたらしい。

カレシの仕事は安定しているとは言い難いし、出産・育児となれば収入はカレシの肩にかかる。

そうした経済的に不安定要素を抱える若い二人に対して、母親が経済的援助を申し出てくれたことは当人達にとっては有難いことであったろうし、私にとっても嬉しいことである。

何よりも、まだ高校生かと見間違えそうなカレシが『何が何でもしっかり働いて自分が全てを支えます。」と私に言い切った、その言葉に安堵し、信じても良かろうと思ったのである。

午後6時に博多駅に着いた彼らを中洲の銀寿司に呼んで内祝いをし、船長の店で皆で祝ってやり、カレシが「ラーメンを食べたい。」と言うので長浜の安っさんの店へ連れて行き・・・二人のために取ってやったホテルへ連れて帰るためにタクシーに乗せた。

が、途中でダウン。

船長の店での祝いの途中、カレシの目の様子や言動を見て、既にダメだと私は判断して娘にもソレを伝えていたのだが・・・

コンビニのトイレを借りてもどして来たのだろうか、青い顔で出てきたカレシ、シンドイと娘に甘えておった。

サッブイ深夜の路上で、ホテルまで歩いて帰るには遠いしタクシーに乗るほどの距離でもない。

むむむ

オジンの私でさえなどとは言わない。私はほとんどお白湯のような焼酎の湯割りでお付き合いしていたのだから。

しかし、カレシは自分の自由意志で飲んでたのだから・・・

朝食のチケットを渡しておいたので、朝8時になって声がけしたのだが、レストランに出てきたのは娘だけ。

カレシは頭が痛くてシンドイと言っているそうな。

信頼という言葉が少しばかり音を立てた ? ような感じがしたが・・・

以後連絡も無い。


at 09:37|Permalink

February 20, 2008

釜山港から博多へ

そんなこんなで・・・結局何のために対馬海峡を渡ったのか。

強いて理由付ければ、『韓国の旧正月事情見聞と金井山城の見学』ってとこだろうか。

当初はソウルへ足を伸ばすか、済州島観光に飛ぶかといったところを考えていたのだが、発熱に気管支炎という風邪症状による体調不良は意欲をそいだだけでなく、不安感を増大させホームシックの精神状態を一層助長する働きをし、とうとう中途半端なままに帰国する道を選ばせることとなってしまった。

前ページで金氏の携帯を記載したが、韓国の国番号は『82であり、『』のマークは『』のことである。

だから韓国国内では、016-824-2165である。

ところで、以前の韓国は飛行場、港、鉄道、地下鉄もだったか、軍事機密に関連するような施設や場所の写真撮影が禁止されていたのだが、今回の旅行に関する限り、そうした注意や指示を聞くことも受けることも無かった。

昨年、ソウル北方の38度線(休戦協定ライン)辺りを巡った時には厳重な指示を受けたが多少ゆるやかになっているのだろうか。
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上の写真は国際旅客ターミナルの3階からの眺めであるが、右の白い船は関釜フェリー、中央の白い小型船がビートルで、写真左奥には韓国海軍のイージス艦の姿が見える。

博多や大阪・下関から船で到着すると、入管・税関を通って国際旅客ターミナルの1階に出てくる。

1階には銀行の両替窓口やインフォーメーションなどが並び、帰国便のビートルやコビーの発券・港湾利用料支払いの窓口、小さな土産物売店、それに出国ゲートは2階にある。

3階は展望デッキと韓国料理のレストラン『伽耶』がある。

私は乗船券の予約を終えたら、この『伽耶』で簡単な食事、それにお酒を少々頂いて韓国に別れを告げることにしている。

カルビやホルモンを焼くのも良いだろうし、春から夏にかけては私の好きなサンナッチ(手長ダコのぶつ切りを塩と胡麻油で食べる)もある。
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今回は上の写真のように骨付きヤンニョンカルビを焼いてビールを頂いた。

店のアジュマ(おばちゃん)がハサミで肉を切りながら焼いてくれる。

適当な時間になれば2階へ降りて、出国ゲートで旅券を提示して船の待合所に入る。

下の写真が待合所であり、写真左手が出国管理ゲートだが、流石にソコは撮影禁止
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上の写真にあるようにスペースは広くは無いが免税店が写真に写っている部分と、その左手にもある。

しかし、酒、タバコ、朝鮮人参などが主で、空港のようにブランドショップが並んでいるわけではない。

いわゆるブランド商品は西面のロッテデパートの8階だったか、それに海雲台のパラダイスなどの免税店で買って、商品は、この待合所にある下の受け取り所でもらうのである。
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ブランド品に関心の無い私が利用することは無いカウンターである。

下の写真はピンクの方が小さな売店でサンドウィッチや飲み物を売っている。

白字で表示されている小さな部屋が喫煙所である。
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こうしてビートルで3時間、居眠りしているうちに博多港に入港。






at 15:58|Permalink

February 19, 2008

韓国・釜山・通訳の金さんと金井山城へ

今回の釜山旅行で事前に電話で依頼しておこうかとも思っていたのだが、正月の連休中のことでもあり、あえて遠慮して連絡しなかったのだが、釜山においては以前にも世話になっている通訳模範タクシーのドライバー金重斤(キムジュンコン)』氏がいる。

釜山への高速船・ビートルで風邪症状が出て、結局ホテルで寝込んでしまったために金氏と約束をせずに良かったわけだが、正月休みも明けたし、今回は立ち寄ってみたかった金井山城(クンジョンサンソン)へ案内してくれないかと彼に電話をかけてみた。

帰りの船の便を伝えて頼んだところ、朝10時にホテルへ迎えにきて、金井山城へ登り、その後、国際旅客ターミナルまで送りましょうと言ってくれた。

金井山城というのは朝鮮王朝の中期、1703年に山の尾根に石塁を築き連ねた’万里の長城’のようなもので、全長17kmと規模こそ中国に劣るものの広大な山の尾根を縫う城塞は一見の価値ありと思う。

もっとも、ほとんどは崩壊し、東西南北の4つの城門と城塞が復元されているそうだが、今回は東門へ案内してもらった。

場所は東莱(トンネ)で釜山大学の横から山道をクネクネと登って行くのである。

地下鉄1号線の東莱温泉場駅から歩いて金剛公園まで行き、そこからロープウェイで山頂の南門へ行くことも出来るが、地元でもハイキング・山登りコースになっているので時間がタップリある場合の観光地と言える。

車を降りて少しばかり山道を歩いて登らねばならないのだが、金氏に付いて行くとシタノな守護神が祀られてあった。

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『男大将軍』・『女大将軍』である。

途中で登山グループの人たち?が『山の神様(サンシン)』に供え物を捧げお参りしている様子も見ることができた。

         下は山道を登りきったところに建つ『東門』である。
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『東門』から山の尾根を城塞が続き、遥か山の向こうに『北門』。更にその向こうに678年の新羅時代に建てられた古刹『梵魚寺(ポモサ)』が建つ山に至る。
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火成岩がゴツゴツ、ゴロゴロと露出する韓国の山は独特な雰囲気を醸し出している。

下は、『金重斤(キムジュンコン)』氏と彼の車である。
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ゆったりした高級車であるだけでく、金氏の運転は穏やかで安心して乗っておれるのである。

彼の宣伝をするわけではないのだが、ハングル文字、韓国語が理解出来ない、旅行での相談をしたい、釜山で道に迷ったなど困ったことがあれば携帯電話をかければ日本語で手助けをしてくれる。

私が釜山で道に迷ってしまった時に助けてもらったこともあった。

旅行される場合に、書き記して持っていかれれば良いと思う。

(82)-016-824-2165

彼の携帯である。

at 20:12|Permalink
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