March 2008

March 29, 2008

華燭の典まで六日

Y君とHさんの挙式・披露宴まで残すところ6日となった。

Y君にしろHさんにしろ何かと慌しく気持ちの落ち着かない日々を過ごしているのではないだろうか。

人事だけではなく経理面までをも統括するY君の立場は年度末でもあり一層忙しさを増していることと想像する。

Hさんにしても宿直は入らないにせよ白い建物での勤務を続けながら挙式の準備をするのは何かと大変であろうと思う。

二人が揃って動かなければ出来ない準備、つまり式場となるホテルの担当部署との折衝などについては日曜日でないと出来ないであろうし、個々に行う日常的な作業も日曜日に集中するであろう。

唯一の休日である日曜日に用事が集中することで精神的にも肉体的にも‘休息’という時間を確保出来ないため、あらゆる意味での疲労が蓄積しているのではないかと推測する。

36に30と、まだまだ若い二人ゆえに疲れるというほどのことは無いかもしれない。

彼らを我が息子・娘などと勝手に思い込み夕食など共にする機会を度々もってきたが、2月、3月と極力声を掛けないようにしてきたのは私の配慮である。

声を掛ければ義理堅い二人ゆえ私の誘いに応じるだろうと思うからなのだが・・・

ともあれ華燭の典まで本日を含めて正味6日。

彼らと約束をし、あちらこちらに声をかけて入手してもらった‘祝いの酒’も出番を待っている。
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結婚披露の祝宴には焼酎が好きだという友人、親族が多く来られるとのこと。

幻の焼酎』を用意して‘来賓の皆さんに喜んで頂きたい’という二人の希望に沿って幾人もの人たちが奔走し祝意を表してくれたのである。

芋焼酎・・・『森伊蔵』『佐藤(黒)』『魔王』『村尾』『伊佐美』『甕雫』

麦焼酎・・・『佐藤』『兼八』

米焼酎・・・『豊永蔵』

披露の席で出番を待つ彼らをどのように紹介すれば良いだろうか。

新郎新婦が語るわけにはいかないし、プロの司会者がいるようだが、果たして二人の思いやその意に沿って奔走してくれた人たちの二人の門出を祝う気持ちをきちんと伝えてくれるものやら・・・

やはり私が『挨拶』の中に含めるべきか、むむむ。

祝宴の初めに長い挨拶というのも・・・

しかし、二人を知る立場からは当然外すことの出来ない事柄もある。

私にとっても残すところ6日間である。


at 21:37|Permalink

東京・赤坂 ジャズ・クラブ『Kei』 (続き2)

どのような音楽であっても生が最も良いことは誰もが認めるところであろう。

レコードやテープ、CDで聴くよりも例えだだっ広くてもホールで聴く方が素晴らしいし、まして目の前での演奏を聴くことができたジャズクラブKei』での体験は如何に素敵なことであったか想像して頂けるものと考える。

ジャズ・ピアニスト青木弘武氏は東京を中心に活躍中であるが、豊中の大阪音大の出身だとか。
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ピアノを弾かれるので横顔の写真になってしまったが、優しそうな笑顔のハンサムな方である。

ジャズのリズムに乗った彼の軽快な演奏は聴いている者を引き込み、聴く者をしてついつい体全体が動いてしまうという魅力を持つものである。

演奏の合間に話をしたが、ロサンゼルスで録音したCDを間も無くリリースするとのことだったので、帰宅してから送ってもらうことにしていた。

既に送られてきたCD(The Best Thing For You )を聴いているのだが、ドヴォルザークの『新世界』より『家路』、そして『琵琶湖周航の歌』などのアレンジも入っていてジャズにド素人の私でも聴きやすい。

そんな素敵なピアニストだから、きっと手が大きく指も長いのであろうと思っていたのだが、なんと、随分小さく可愛い手をされていたのには驚いてしまった。

帰宅してから彼の名刺に記載されていたホームページを訪れてみると、略歴がスゴイ。

クルージング用の客船『飛鳥』の船上では11年連続で演奏していたとか。

逆に随分手が大きくブットイ指をしていたのがStan Gilbert氏である。

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背が高く大きい体であることは一見して分かったが、ベースの弦を爪弾く指は私の指の倍ほどもあるのではないかと思えた。

明くる日の夜、やはりベースを担当する小川 誠氏に聞いたところでは、スタン氏の太く大きい指が全日空(ANA)の飛行機と共にテレビのコマーシャルに出ているのだそうだ。

私は未だ見ていないが・・・多分。

当夜、スタン氏は何枚かCDを持参してきていたのでケイ・石田女史のCDとともに分けてもらった。

力強く爪弾かれるスタン氏のベースと軽やかに奏でられる青木氏のピアノの音色が相互に絡み合う演奏は、「成る程、これがジャズなんだ」と、その魅力を充分に教えてくれたように思った。

このスタン氏、正しくはStanley Gilbertらしいが、分けてもらったCDのサインは全てStan Gilbertとしてあった。

ついでにと言っては失礼だが、彼らのホームページを紹介しておこう。

Stan Gilbert氏


http://www.stangilbert.com/index.html

青木 弘武氏

http://www.aokihiromu.com/

ケイ・石田女史

http://www.casa-da-kei.com/

吉澤 紀子女史

http://star.ap.teacup.com/norinori/





at 14:18|Permalink

東京・赤坂 ジャズ・クラブ『Kei』 (続き1)

私にしても家内にしても生の演奏を聴くというのはクラシックだけと言っても良いくらいで、昨年、息子からチケットを貰ったので『天童よしみ』のコンサートに行った他、ポピュラーな演奏会に出掛けるということはなかった。

私が高校生の頃、何かと世話を焼いてくれていた女性に『うたごえ喫茶』へよく連れて行ってもらった。

3つ年上の女性であるが、私と恋人関係にあったとか私がヒモ的存在であったというわけではない。語れば長くなるのでここでは省くことにする。

当時、大阪キタに『こだま』という『うたごえ喫茶』があり、今流に言えばライブハウスである。

今も当時の歌集を大事に持っているが、豊中の音大や大阪学大(現・教育大)の学生らによる歌唱指導と生伴奏で客が合唱したのである。

国家権力が牙を剥いて国民を弾圧した60年安保の翌年の頃であった。

確か、『炎』や『ともしび』等という名の『うたごえ喫茶』もあったが、ポピュラーという意味でのライブ・ハウスは、これらの『うたごえ喫茶』以後40数年行ったことが無い。

この赤坂のジャズ・クラブ『Kei』へは明くる夜も娘の一人を連れて行った。 

娘というのは東京で‘画家’として頑張っている千春(当ページよりリンク可能)であり、若い彼女もジャズ・ライブ・ハウスは初めての経験であった。

この夜は演奏者も歌手も交代しており、ピアノ奏者が女性でベースは小川誠氏、ボーカルは飯田さつき・由季のお二人。

どうやら毎晩プレーヤーが交代するようである。

このジャズクラブKei』というのはケイ・石田女史が経営するお店で、店名の『Kei』というのは石田女史の名前に由来するようである。
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ケイ・石田女史は歌手であり『波間・Waves Cradle』という題名のCDを発売しているが、なかなか艶っぽい魅力ある歌声である。

お歳は家内と変わらないくらいだろうか、年齢に触れるのは失礼かと思うが綺麗な方でありラテン・ボサノバのリズムでゆったりした曲を歌われるとゾクゾクするような感触を覚えるのである。

昨夜のボーカル・吉澤紀子女史はCD作成を考慮中とのことであるが、明くる日のお若い方たちよりも私には素敵に思えた。
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ジャズ・ピアニスト青木弘武氏とは初の共演ということで緊張していると話していたが、なかなかどうして、感情のこもった歌唱の表現力は大したもの。

とても可愛くチャーミングな方であった。


at 08:57|Permalink

March 28, 2008

東京・赤坂 ジャズ・クラブ『Kei』 素敵な宵

東京滞在中に私達は記念日を迎えることとなった。

人生におけるMemorial dayというのは結構沢山あるものだ。

最も一般的なのは誕生日であるが、両親らの命日も記念日であるし、夫婦の場合には結婚記念日もそうであり、後々の思い出に残しておくべき日付や出来事、或いはモノそのものに『記念』という言葉を付して表している。

英語では記念【日】を総称してAnniversarryを用いるが、これはanni+verse、つまり毎年+巡り来るという語源を持つ複合語である。

私は、その記念日を家内の‘誕生日’と称したが、これについては赤坂のジャズクラブKei』で当夜私たちを楽しませてくれた人たちに謝らねばならない。

少々照れくさかったこともあって‘結婚記念日’を‘誕生日’と言ってしまったのである。

赤坂の『うまい鮨勘』で食事をし、イッパイ機嫌の私は『勇気を出して!』と掲示板に書かれた店の広告に触発されてビルのエレベーターで2階に上がった。

そこがジャズクラブKei』のフロアで、キャッシュ・カウンターと店内へのドアが設けられている。

ドアを入るとバー・カウンターがあり、その奥のフロアの壁面に沿ってソファとテーブルが並べられ、それらの席と向き合うようにグランドピアノが置かれベース(コントラバス)が立てかけられてあった。

この夜の演奏者は、

ピアノが青木弘武(あおき・ひろむ)氏
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             ベースがStan Gilbert氏
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シンガーは、

             ケイ・石田女史

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                  吉澤紀子女史
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素敵なジャズ・ライブを楽しんでいるところで先に書いた‘誕生日’という‘結婚記念日’を祝っていただいた。

ガーベラの花束にイチゴのデコレーション・ケーキ。

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36周年の‘結婚記念日’にしてはローソクの数が多いようだし、家内の‘誕生日’とすれば足りないような・・・

ははははは、この場合ローソクは少ない方がええか。

ともあれ素晴らしい演奏と歌声を楽しませて頂いた上、ハッピー・バースデーの歌とともに皆さん方に祝って頂けたことは誠に嬉しく有難いことであった。

初めての出会いで・・・

青木さん、スタンさん、ケイさん、吉澤さん、そしてケーキと花束を買いに走ってくれたお嬢さんには、このページにおいてお礼を申し上げる。


ありがとうございました。

素敵な彼らについては、次回にでももう少し書き綴ってみようと思う。






at 16:31|Permalink

東京から横浜へ・中華街

少し雨が降っていたが、久し振りに横浜まで出ることにした。

東京駅からJRで横浜まで行ったが、こんなに距離があったかと思うほどで昔の記憶など飛んでしまっていた。

家内は6年ほど前に鎌倉、横浜と観光に来ているのだが、私の場合は・・・

横浜国大での会合に出た時だから30年ほど昔になるのだろうか。

先日は横浜駅『みなみ西口』だったろうか、工事中でよく分からないままに西口方向の地上へ出たものの駅前風景に記憶は無かった。

私が昔訪れた時、駅前では天理ビルが大きい目印となっていたのだが、沢山のビルが建ち並んでいて暫く見つけることが出来ず、浦島太郎の状態であった。

止む無く観光案内所へ行って観光地図を入手。

ところが地下鉄が出来ていることも知らなかったのである。

全くの‘お上りさん’である。

駅周辺をウロウロし、地下鉄で関内へ出て横浜市役所から横浜スタジアムの横を通って中華街へ。

随分遠いなあと感じたが、以前来た時には山下公園の直ぐ前にある横浜グランドだかニューグランドだかのホテルに泊まっていたので中華街も直ぐの所だったのである。
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少し遠回りをしたようだが、みなと総合高校の角にある『延平門』(上の写真)をくぐって、『善隣門』から中華街通りへ入っていった。
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中華街も以前に比べたら綺麗になり、商店の数も増えたのではないだろうかと思った。

日本では横浜、神戸、長崎の中華街が知られているが、この順番は中華街の規模の順でも言えるようだ。

もっとも神戸は『南京町』と呼んでいるが・・・

下は『聘珍樓』(へいちんろう)横浜本店。
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この店も建て変わっている。

以前も大きい店ではあったが、違う店のようだった。

1887年(明治20年)の創業で今年120年目を迎えるらしい。

高級レストランであり、以前は私に用の無い店で連れてきてもらったのだが、今回は家内を連れての入店となった。

普段はあまり中華料理店に入ることは無い。

中華料理の場合、単菜で取ると一皿に3~4人前盛られてくるため一人の場合は敬遠し、4~5人以上の場合に利用することにしてきた。

しかし、ランチタイムには1品の量を少なくしたコースメニューがあったり、飲茶のコースがあったりするので、たまにではあるが利用することもある。

レストランには入口に必ずメニューがあるので、品物と値段をしっかり見てから店に入るかどうか決めれば良いのであるが、今回は当初より中華街(聘珍樓)でお昼を食べようと東京を出てきたので迷うほどのこともなく入店。
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ランチコースでも良かったのだが、少食の家内ゆえ、自分のお腹の具合で何時でもストップでき、しかも好みの素材を用いたものを注文できることから飲茶で単菜で取ることにした。

蒸し物、揚げ物、炒め物、煮物といろいろあるので楽しいものである。

上の写真は、蒸し物を食べ、デッカイ、プリプリの海老の揚げ物を注文した時だったか・・・勿論、私はサッポロビール。
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上はアワビの蒸し物だったかな? なかなか美味しいものであった。

下の蒸篭は小龍包(シャオロンパオ)だったか、小龍包と言えば台北に本店がある鼎泰豊(ティンタイフォン)のが肉汁がジュワっと出て美味しいが、聘珍樓の包子の蒸し物は全体的に汁気が少ないように感じた。
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幾つもの種類(大概2つずつ)を注文したので覚えてはおれない。

叉焼(チャーシュー)、青菜の炒め物、東坡肉(トンポーロ)などなど。

どれも美味しいものだから、ついつい・・・お腹が満腹を通り越してしまったようで、食後も暫く動けなかったくらいである。

そんなこんなで、しかも外は雨。

お天気が回復するなら外国人墓地、港の見える丘公園から山下公園へ歩くつもりだったが、タクシーで『みなとみらい』も含め、グルッと巡ってもらった。

以前に無かった陸地が出現し、そこに高層ビルディングがボコボコ建っているのだから時代の変化というものはスゴイと実感。

タクシーの運ちゃん曰く、若い人たちのデートコースも変わってきたと。

昔は、外国人墓地、港の見える丘公園から山下公園だったのが、最近は『みなとみらい』あたりが多いそうな。

しかも『♪赤い靴はいてた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった』なーんて歌を知ってる若い子はいないんじゃないかって。

私も、いよいよ年寄りの仲間入りなんだろうか。



at 06:33|Permalink
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