June 2008
June 28, 2008
歴史認識と稚拙さ
ひどい『めまい』について結局、昨日主治医のもとを訪ねると、大学病院への紹介状を書いてくれた。
と言うのは、『眩暈(めまい)』に関する専門診療域が耳鼻科に属するため、専門的な検査と治療のできる病院への通院を勧められたということである。
本日は午前中だけ外来診療があるのだが、未だに酔っ払い気分でバス、電車を乗り継いでという行動に自信が無い。まして、自分で車を運転など・・・。
イライラ気分の時は何にでも当たり散らしたくなるものだが、ここに取り上げる件は何にでもという取るに足らないような小さな事では無い。
イタリアの都市・フィレンツェと言えばルネサンスと関わり深く、文学・芸術のパトロンとして名高いメディチ家と切っても切れない関係の町であり、旧市街がフィレンツェ歴史地区として世界遺産にも登録されている人類全体の宝物と言っても良い町である。
美術品、建築物、街路など、多くの貴重な宝物が保存されており、これらの一部については以前の『フィレンツェの項』に書き記してある通りである。
このフィレンツェ歴史地区の中心にあるのがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂であり、このドームに日本の大学生が落書きをしたというのである。
岐阜市立女子短期大学の学生達、それに京都産業大学の学生であり、いずれの大学も謝罪したとのことであるが、大学生の質低下がここまできていることにあきれ返るばかりである。
ちょっとしたイタズラと注意を受けるのは小学生や中学生までのことであろう。
もっとも、義務教育期間の子ども達であるから、親や教師の管理、監督が必要不可欠という条件内に限られるが。
大学生は原則的に18歳以上であり、法律的には未成年の者が含まれてはいても、これまで社会的には『大学人』として一人前の人間として認められてきたのである。
その一人前と扱われる『大学人』が人類の歴史的宝物である世界遺産に落書きとは・・・
自らの行動に対する責任感も歴史についての認識も幼稚でオソマツとしか言いようのない今回の彼らの行為。
果たして大学生としての資格有りと言えるものやら・・・
歴史認識と言えば、山口県下関市の教育長が、山口朝鮮学園の理事長や保護者が教育補助金の増額を要請した席上、「植民地支配という部分については歴史的事実に反するので受け入れられない」と言ったらしいが、ひとつの市の教育行政のトップたる教育長の歴史認識としては余りにも偏向的と言わねばならない。
日韓併合条約が結ばれたのは1910年(明治43)のことであり、以後1945年(昭和20)に日本が敗戦するまでの間、日本が朝鮮に対して行ってきたことには人権無視の強制連行を始め、創氏改名・朝鮮語の使用禁止など史実に明らかにされていることが多い。
また、この日韓併合条約が或る日突然両国が歩み寄って結ばれたものでないことも歴史的事実で明らかにされている。
1873年当時、既に征韓論が規定路線となり、その実施時期において西郷隆盛らと岩倉具視らとの対立が深まり、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアという列強の影響を受ける中で、日本が朝鮮に対してどのような地位を占めるかが清との関係においても重要であると考えていた明治政府は軍艦・雲揚号を江華島に侵入させた。
いわゆる雲揚号事件であるが、これを契機に江華島条約を結び、日本の朝鮮支配を軍事力をバックにして徐々に進めていったのである。
「植民地支配が歴史的事実に反する」と下関市教委の教育長が言ったというが、こうした歴史的事実を踏まえて猶植民地支配と言わないならば一体何と言えば良いのであろうか。
下関市の教育機関の長たる人物の歴史認識がこの程度では単に失言では済まされないであろうし、確信的恣意的発言であるならば公的立場の長として相応しいかどうか大いに問題であると考える。
大学生の歴史認識もさることながら、一行政区の教育委員会とは言え、そのトップの歴史認識(朝鮮における植民地支配の表現)がこれでは隣国としても黙過できることではないと思うが・・・。
と言うのは、『眩暈(めまい)』に関する専門診療域が耳鼻科に属するため、専門的な検査と治療のできる病院への通院を勧められたということである。
本日は午前中だけ外来診療があるのだが、未だに酔っ払い気分でバス、電車を乗り継いでという行動に自信が無い。まして、自分で車を運転など・・・。
イライラ気分の時は何にでも当たり散らしたくなるものだが、ここに取り上げる件は何にでもという取るに足らないような小さな事では無い。
イタリアの都市・フィレンツェと言えばルネサンスと関わり深く、文学・芸術のパトロンとして名高いメディチ家と切っても切れない関係の町であり、旧市街がフィレンツェ歴史地区として世界遺産にも登録されている人類全体の宝物と言っても良い町である。
美術品、建築物、街路など、多くの貴重な宝物が保存されており、これらの一部については以前の『フィレンツェの項』に書き記してある通りである。
このフィレンツェ歴史地区の中心にあるのがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂であり、このドームに日本の大学生が落書きをしたというのである。
岐阜市立女子短期大学の学生達、それに京都産業大学の学生であり、いずれの大学も謝罪したとのことであるが、大学生の質低下がここまできていることにあきれ返るばかりである。
ちょっとしたイタズラと注意を受けるのは小学生や中学生までのことであろう。
もっとも、義務教育期間の子ども達であるから、親や教師の管理、監督が必要不可欠という条件内に限られるが。
大学生は原則的に18歳以上であり、法律的には未成年の者が含まれてはいても、これまで社会的には『大学人』として一人前の人間として認められてきたのである。
その一人前と扱われる『大学人』が人類の歴史的宝物である世界遺産に落書きとは・・・
自らの行動に対する責任感も歴史についての認識も幼稚でオソマツとしか言いようのない今回の彼らの行為。
果たして大学生としての資格有りと言えるものやら・・・
歴史認識と言えば、山口県下関市の教育長が、山口朝鮮学園の理事長や保護者が教育補助金の増額を要請した席上、「植民地支配という部分については歴史的事実に反するので受け入れられない」と言ったらしいが、ひとつの市の教育行政のトップたる教育長の歴史認識としては余りにも偏向的と言わねばならない。
日韓併合条約が結ばれたのは1910年(明治43)のことであり、以後1945年(昭和20)に日本が敗戦するまでの間、日本が朝鮮に対して行ってきたことには人権無視の強制連行を始め、創氏改名・朝鮮語の使用禁止など史実に明らかにされていることが多い。
また、この日韓併合条約が或る日突然両国が歩み寄って結ばれたものでないことも歴史的事実で明らかにされている。
1873年当時、既に征韓論が規定路線となり、その実施時期において西郷隆盛らと岩倉具視らとの対立が深まり、イギリス、フランス、アメリカ、ロシアという列強の影響を受ける中で、日本が朝鮮に対してどのような地位を占めるかが清との関係においても重要であると考えていた明治政府は軍艦・雲揚号を江華島に侵入させた。
いわゆる雲揚号事件であるが、これを契機に江華島条約を結び、日本の朝鮮支配を軍事力をバックにして徐々に進めていったのである。
「植民地支配が歴史的事実に反する」と下関市教委の教育長が言ったというが、こうした歴史的事実を踏まえて猶植民地支配と言わないならば一体何と言えば良いのであろうか。
下関市の教育機関の長たる人物の歴史認識がこの程度では単に失言では済まされないであろうし、確信的恣意的発言であるならば公的立場の長として相応しいかどうか大いに問題であると考える。
大学生の歴史認識もさることながら、一行政区の教育委員会とは言え、そのトップの歴史認識(朝鮮における植民地支配の表現)がこれでは隣国としても黙過できることではないと思うが・・・。
at 08:22|Permalink│
June 27, 2008
It is so bad dizziness.
ベッドから起き上がり歩こうとたらスゴイ眩暈。
ヨロヨロッと左に傾く。
瞬間的に‘危ない’と危険衝撃回避姿勢が取れたのは三半規管が未だ正常に機能していたということだろうか。
平らな床面を歩くにしても、階段の昇降にしても壁面に手を当てた姿勢でなければ進退の自由がきかず、座っていても横になっていても頭も目もグルグル回っている状態が丸々2日間続き、今3日目の朝を迎えている。
暫く前に同じ症状が1度あったが、この時は1日で収まった。
今回は今日が3日目だが、軽い酔っ払いの気分である。
病院へ行けと家の者は言うが、病院へ行くことも出来ないくらいに眩暈と吐き気が強かったのである。
歩くことも安定せず、まして車の運転など出来る状態ではなく、タクシーなどに乗せてもらったら、乗った時点で嘔吐を繰り返していたであろう。
今朝は少しマシになったとは言え、後頭部に側頭部がシラーッと何やら感覚が無いといった感じで酔っ払っている気分。
前回も今回も耳鳴りが聞こえ続けていたので、内耳関係の障害かメヌエル?
いやいや、血圧が高いから・・・、脳梗塞の場合も・・・
肩こりがひどかったから頚骨の異常が出ているのかも・・・
気にはなるし、原因をハッキリ知って治療して楽になりたいとは思うものの、検査を受けること、その結果を聞くこと、これが病院へ足の向かない大きい原因となっている。
しかも3日目の今日は随分マシになっており、このままの状態で元通りに戻って行くような感じもする、そのため余計に病院が遠い存在となっていくのである。
原因が分からないので根本的な治療・解決にはつながらないが、人間には病気に限ること無く、こうしたことがよくある。
良くは無いのだが・・・
ヨロヨロッと左に傾く。
瞬間的に‘危ない’と危険衝撃回避姿勢が取れたのは三半規管が未だ正常に機能していたということだろうか。
平らな床面を歩くにしても、階段の昇降にしても壁面に手を当てた姿勢でなければ進退の自由がきかず、座っていても横になっていても頭も目もグルグル回っている状態が丸々2日間続き、今3日目の朝を迎えている。
暫く前に同じ症状が1度あったが、この時は1日で収まった。
今回は今日が3日目だが、軽い酔っ払いの気分である。
病院へ行けと家の者は言うが、病院へ行くことも出来ないくらいに眩暈と吐き気が強かったのである。
歩くことも安定せず、まして車の運転など出来る状態ではなく、タクシーなどに乗せてもらったら、乗った時点で嘔吐を繰り返していたであろう。
今朝は少しマシになったとは言え、後頭部に側頭部がシラーッと何やら感覚が無いといった感じで酔っ払っている気分。
前回も今回も耳鳴りが聞こえ続けていたので、内耳関係の障害かメヌエル?
いやいや、血圧が高いから・・・、脳梗塞の場合も・・・
肩こりがひどかったから頚骨の異常が出ているのかも・・・
気にはなるし、原因をハッキリ知って治療して楽になりたいとは思うものの、検査を受けること、その結果を聞くこと、これが病院へ足の向かない大きい原因となっている。
しかも3日目の今日は随分マシになっており、このままの状態で元通りに戻って行くような感じもする、そのため余計に病院が遠い存在となっていくのである。
原因が分からないので根本的な治療・解決にはつながらないが、人間には病気に限ること無く、こうしたことがよくある。
良くは無いのだが・・・
at 08:11|Permalink│
June 25, 2008
韓国・慶州のお嬢さんよりメールを頂いた。
韓国の慶州で出会った人のことを書いた。
その人が広島で原爆を体験されたことも紹介しておいた。
昨日、その人の孫娘からのメールが届いた。
お祖父さんとお祖母さんの代理として、私が写真を送ってあげたことに対するお礼のメールを送ってくれたのである。
大学生のお嬢さんだとか。
日本と韓国の関係が良くなることを願っていた。
勿論、私も同じ思いである。
日本語が理解できないので、このブログの写真を熱心に何度も見てくれたそうである。
有難いことだ。
お祖父さんとの出会いをきっかけにして、また、新しい出会いがあった。
感謝、感謝である。
このブログのページにおいては、ハングル文字での表記が可能なのだろうか。
試験的に表示してみよう。
시험적으로 표시해 보자.
上の一文を韓国語に翻訳してハングル文字として記載するとピンク色の表示となり、やはりダメであった。
彼女、足跡を残そうとしてくれたらしいがダメだったらしい。
私が行ってもやはりダメであった。
その人が広島で原爆を体験されたことも紹介しておいた。
昨日、その人の孫娘からのメールが届いた。
お祖父さんとお祖母さんの代理として、私が写真を送ってあげたことに対するお礼のメールを送ってくれたのである。
大学生のお嬢さんだとか。
日本と韓国の関係が良くなることを願っていた。
勿論、私も同じ思いである。
日本語が理解できないので、このブログの写真を熱心に何度も見てくれたそうである。
有難いことだ。
お祖父さんとの出会いをきっかけにして、また、新しい出会いがあった。
感謝、感謝である。
このブログのページにおいては、ハングル文字での表記が可能なのだろうか。
試験的に表示してみよう。
시험적으로 표시해 보자.
上の一文を韓国語に翻訳してハングル文字として記載するとピンク色の表示となり、やはりダメであった。
彼女、足跡を残そうとしてくれたらしいがダメだったらしい。
私が行ってもやはりダメであった。
at 17:49|Permalink│
June 24, 2008
『加藤眞琴』氏の絵
5月21日であったろうか、『加藤眞琴』氏の個展会場である広島へ向かったのは。
確か明くる日の朝一番に『ひろしま美術館』で開催中の‘マティスとルオー展’を鑑賞した後、安佐北区のギャラリー『バザレ』へ向かったのだったと思う。
大阪のギャラリー『天音堂(あまねどう)』での個展以来、どのような作品が制作されたのか楽しみと期待をもって新幹線に飛び乗ったのであった。
既に書いたが、ギャラリー『バザレ』の打ちっ放しのコンクリートの広い空間は加藤氏の作品と良くマッチする。
大作から小品、寒色系から暖色系と、いずれの作品も展示環境に映えて良い展覧会であった。
いろんな画家の展覧会を見て回っているが、気になる・・・つまり好める作品は一応記憶しておき、条件が許せば清水の舞台から飛び降りるのである。
が、これまでのところ、まだ骨折はしていない。
もっとも『加藤眞琴』氏の作品は価格を低く抑えていただいているので舞台に上がるほどでは無いのだが、それでも飲みに行くのを数回は我慢しなければならない。
私の購入条件と言うのは、その絵が私の気に入るものかどうかが先ず第一条件であることは当然であるが、次に我が家で鑑賞可能な作品であるかどうかという絵の大きさ(号)のことがある。
100号のような大きい作品でも良いが、狭い壁面では絵を殺してしまうことになるので大きさは重要な条件となる。
3つ目は、やはり価格である。
何度かの飲み代が飛んでしまうのは残念であるが、飲食は直ぐに消えてしまうが絵画は何度でも楽しめるという絶対的な違いがある。
最後は付け足しみたいなことだが、私は水彩よりも油やアクリルを好むし、紙や板よりもカンヴァスを好む。
こうした条件に合った作品の中の1枚である。
テーマは『赤い屋根』。
じっと見つめていると、いろんな思いが浮かんでくる。
つまり、この絵を通して感じること。
それは、この絵が“語りかけている”のである。
はてさて、皆さんには何が聞こえるだろうか・・・
私にとって残念だったのは、この作品が『紙』で『水彩』であったこと。
確か明くる日の朝一番に『ひろしま美術館』で開催中の‘マティスとルオー展’を鑑賞した後、安佐北区のギャラリー『バザレ』へ向かったのだったと思う。
大阪のギャラリー『天音堂(あまねどう)』での個展以来、どのような作品が制作されたのか楽しみと期待をもって新幹線に飛び乗ったのであった。
既に書いたが、ギャラリー『バザレ』の打ちっ放しのコンクリートの広い空間は加藤氏の作品と良くマッチする。
大作から小品、寒色系から暖色系と、いずれの作品も展示環境に映えて良い展覧会であった。
いろんな画家の展覧会を見て回っているが、気になる・・・つまり好める作品は一応記憶しておき、条件が許せば清水の舞台から飛び降りるのである。
が、これまでのところ、まだ骨折はしていない。
もっとも『加藤眞琴』氏の作品は価格を低く抑えていただいているので舞台に上がるほどでは無いのだが、それでも飲みに行くのを数回は我慢しなければならない。
私の購入条件と言うのは、その絵が私の気に入るものかどうかが先ず第一条件であることは当然であるが、次に我が家で鑑賞可能な作品であるかどうかという絵の大きさ(号)のことがある。
100号のような大きい作品でも良いが、狭い壁面では絵を殺してしまうことになるので大きさは重要な条件となる。
3つ目は、やはり価格である。
何度かの飲み代が飛んでしまうのは残念であるが、飲食は直ぐに消えてしまうが絵画は何度でも楽しめるという絶対的な違いがある。
最後は付け足しみたいなことだが、私は水彩よりも油やアクリルを好むし、紙や板よりもカンヴァスを好む。
こうした条件に合った作品の中の1枚である。
テーマは『赤い屋根』。
じっと見つめていると、いろんな思いが浮かんでくる。
つまり、この絵を通して感じること。
それは、この絵が“語りかけている”のである。
はてさて、皆さんには何が聞こえるだろうか・・・
私にとって残念だったのは、この作品が『紙』で『水彩』であったこと。
at 13:41|Permalink│
June 23, 2008
えらい雨やった
ジャンジャカジャンジャカ
一時小降りになったものの、一日中雨降りの日曜日だった。
午後から出掛ける行事があったのだが、予定が立たずに欠席。
久し振りに家族揃って夕飯となったが、昨夜はテレビを観るのに忙しかった。
阪神の野球中継を見ながら“イイゾ・イイゾ”とグビッグビッ。
1缶のつもりが2缶に・・・
勿論、サッポロさんやが、応援するチームの調子の良い時は飲酒量も増える傾向となる。
佐藤の黒ラベルをロックでチビリチビリ。
この焼酎だけは割らないで香りと味を楽しむ。
その間にもサッカーの試合を・・・、そして女子バレーをとチャンネル操作に忙しい。
酔いもまわり、ぼちぼち『篤姫』でも観ようかとゴロリ。
家内に後で聞くと『即・いびき』をかいていたらしい。
再びテレビを見た時には金本選手のインタビュー。
そして、サッカー試合のロスタイムでの『棚からぼた餅』式のゴール。
私にはそのように思えたのだが、解説者の弁ではキチンとしたゴールらしいが、まあどうでもヨロシイ、勝てば官軍との言葉もある。
で、直ぐにベッドへ。
これは最悪の流れである。
阪神が勝ち、日本が勝ち、それはそれで良いのだが、食って飲んで寝る。
これでダイエットなど出来るわけが無い。
涼しい風が吹いて寝やすかったのだが、夜半の雨音で1時間ごとに目覚めてしまった。
『山あれば 山を見る』
『雨の日は 雨を聴く』 山頭火
とてもとても、
私はまだまだ俗人。
一時小降りになったものの、一日中雨降りの日曜日だった。
午後から出掛ける行事があったのだが、予定が立たずに欠席。
久し振りに家族揃って夕飯となったが、昨夜はテレビを観るのに忙しかった。
阪神の野球中継を見ながら“イイゾ・イイゾ”とグビッグビッ。
1缶のつもりが2缶に・・・
勿論、サッポロさんやが、応援するチームの調子の良い時は飲酒量も増える傾向となる。
佐藤の黒ラベルをロックでチビリチビリ。
この焼酎だけは割らないで香りと味を楽しむ。
その間にもサッカーの試合を・・・、そして女子バレーをとチャンネル操作に忙しい。
酔いもまわり、ぼちぼち『篤姫』でも観ようかとゴロリ。
家内に後で聞くと『即・いびき』をかいていたらしい。
再びテレビを見た時には金本選手のインタビュー。
そして、サッカー試合のロスタイムでの『棚からぼた餅』式のゴール。
私にはそのように思えたのだが、解説者の弁ではキチンとしたゴールらしいが、まあどうでもヨロシイ、勝てば官軍との言葉もある。
で、直ぐにベッドへ。
これは最悪の流れである。
阪神が勝ち、日本が勝ち、それはそれで良いのだが、食って飲んで寝る。
これでダイエットなど出来るわけが無い。
涼しい風が吹いて寝やすかったのだが、夜半の雨音で1時間ごとに目覚めてしまった。
『山あれば 山を見る』
『雨の日は 雨を聴く』 山頭火
とてもとても、
私はまだまだ俗人。
at 05:10|Permalink│