November 2008

November 24, 2008

九州への旅・・・11 長崎・雲仙~島原へ(続き)

ホテル前の道路(国道57号線)を仁田峠循環道路に向けて出発。

循環道路との名前の通り、野岳の周囲を回って妙見岳との峠、仁田峠を越えて再び雲仙温泉方面への国道57号線か、もしくは島原半島北端の多比良港へ通ずる国道389号線に接続する道路である。

仁田峠駐車場から少し登ったところから妙見岳(1333m)へはロープウェイが通じており、そこから1時間程度で普賢岳(1359m)へ行くことが出来るし、普賢岳の直ぐ前に平成新山(1486m)が見える。

また、仁田峠駐車場の手前にも展望所があり、そこからも普賢岳と平成新山を眺めることが出来る。

下は仁田峠手前の展望所で撮った写真で、背景は島原湾と天草の島々の方向であるが曇っていてハッキリとは見えなかった。
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下の写真も同じ展望所で撮ったものだが、低い雲のために平成新山の頂上部を望むことは出来なかった。

しかし、1990年(平成2年)と翌年の爆発による荒々しい山肌や火砕流、或いは火山灰の土石流が流れた跡(写真右手の斜面)を間近に見ることが出来た。

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曇っていたため適当な写真が手元に無いので、宮崎在住・MORIMORIさんのページに掲載されている写真をDLして使用させて頂くことにする。

下の写真は上の写真とほぼ同じ位置から撮影されたものと思われる(倍率は違う)ので、平成新山の頂上に近い部分を参考にしていただけたらと思う。
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雲仙・普賢岳は先に書いた通りに標高1359mの山であるが、1990年(平成2年)からの噴火活動、とりわけ翌1991年(平成3年)の溶岩ドーム出現以来、崩壊と形成を繰り返し、とうとう母体である普賢岳より150mも高い平成新山と名付けられる山にまで成長してしまった。

下の写真で山の斜面から島原湾の方へ続く茶色の帯状の部分が火砕流、土石流の流れた跡である。
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下の写真が仁田峠駐車場から妙見岳(1333m)へのロープウェイの駅(赤い屋根の建物)である。写真の赤い色はミヤマキリシマの群落らしいから春の写真であると推量する。
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仁田峠駐車場は写真右下より更に右手方向になる。

私達が仁田峠駐車場に着いた時にはロープウェイの駅の直ぐ上まで雲が垂れ下がっており、妙見岳まで登っても視界が開けることも無さそうに思えたので国道57号線を下り、火砕流、土石流の被害が大きかった大野木場・水無地区へ向かった。


at 06:23|Permalink

November 23, 2008

九州への旅・・・11 長崎・雲仙~島原へ

いつからのことになるだろうか、今や習慣化してしまった私の起床時刻。

余程のこと、つまり疲れた状態で就寝が深夜になってしまった場合を除き、早朝4時前後に目覚めてしまうのであるが、家族の者たちは未だ寝ているので一人書斎に籠もってしまうのである。

実はこの時間帯というもの、頭はスッキリ物音もせず最も仕事が捗る時間帯であって、読み物書き物に最適なのである。

しかしながら旅先では一人目覚めても困るのである。照明を点けるわけにもいかず、テレビのスイッチを入れるわけにもいかず、24時間温泉が湧き続けているとは言え、あまりに早い入浴も気がひけ、結局6時になるのを待って家内を誘い浴場へ。

朝風呂に浸る心地良さは小原庄助氏にしても同じであったのだろう。ジュワジュワっと皮膚表面から湯の温かさが内部に染み込んでくる、これはまさに快感と言える。

朝湯の後に暫く部屋で寛ぎ『百年ダイニング・ルーム』へ朝食を摂りに出向いた。

九州ホテル』も朝食はバイキング形式。

私の朝食‘三種の神器’があったので満足。もっとも玉子は温泉玉子と茹で玉子ではあったが、まあ良しとしよう。チリメンジャコに大根おろし、ほうれん草に納豆、明太子まであり、私としては大満足の朝食であった。

旅行を『非日常』という言葉に求める人が多い。勿論私もその一人ではあるが、『非日常』の中にも我が家にて寛ぐという感覚を得る事が無ければ、それは探検に等しい。

チェックアウト時、スタッフの女性から“若女将は所用のため外出しているが、「是非よろしく」とのことでした”との伝言を聞き、特段親しいという間柄でもない私達に、単に言葉がけであるにせよ、こまかな気配りに心安らぐ思いをし、同時に若女将としての成長を感じ取ることができ、ほのぼのとした気分で『九州ホテル』を後にすることができた。

通常は、レセプショニストが型通り「ありがとうございました。またのお越しをお待ち致しております。」などと述べるだけである。欧米のホテルでも同様で、ただ「Thank you.」とだけ、時に「Have a nice ~.」と付け加える程度で、日本人としては無愛想と思えるような姿勢をよく見かけてきたものだから、若女将の伝言がとても新鮮なものに思えたのである。

ところで前ページで『九州ホテル』の直ぐ隣に地獄谷が広がっていることを書いたが、雲仙地獄と呼ばれる蒸気の噴気孔がホテルの裏側の方に点在しており、それの案内図を見つけたので紹介しておきたい。

雲仙温泉ビジターセンター運営協議会の監修・発行のPDF資料であり、雲仙地獄案内図と雲仙地獄の自然ガイドの2つがダウンロード出来るようになっている。

リゾートとしての雲仙

関西から雲仙へ交通の便は良いとは言い難い。長崎空港まで飛行機で行き、その後、バスかレンタカーの利用が最も良いのかなあと思えるが、1泊では疲れるし、もったいない気がするのである。

私たちの場合は旅行コース上の休息点のひとつであったため疲れるということは無かったが、もう1泊、2泊は滞在したかったという思いを持ったのである。

リゾートと言えば海を思い浮かべる人が多いようだが、静かな山の湯宿は立派なリゾートである。

‘動の海’に対して‘静の山’と言えるかもしれない。アクティブにいろんな遊びが出来る海のリゾートに対して山のリゾートは確かに遊びの種類は少なく静的なものが多いようにも感じる。

と言って山のリゾートにいろんな物を持ち込んで‘動の海’と同じようにしてほしいとは思わない。‘静の山’には‘静の山’としての良さがあるのだから。

‘動の海’=‘若さの海’? ‘静の山’=‘老いの山’??

そんなことナイナイ。 (私のつぶやき)

at 07:27|Permalink

November 21, 2008

九州への旅・・・10 長崎・雲仙『九州ホテル』(つづき)

歩き疲れに運転疲れ、そんな状態の体には静かでノビノビできる温泉入浴は一番である。

湯上りに浴室担当の女性からチョコアイスを頂いたが温まった体に冷たいものが気持ち良く、家内が浴室から出てくるまで雑談の相手をしてもらった。 旅の楽しさは、こうした小さな交流からも感じられるものなのである。

温泉入浴で「心も体も」と言いたいが、心というものは実体が無いだけに軽々しくは使えない言葉ではあるものの慣用的には気持ち良さ伝える場合に最も良い表現であるように思う。

このように「心も体も」リラックスした時に頂く酒と食事は更に一層充足感を高めるものである。

夕食は前ページでも触れたが『百年ダイニング・ルーム』で頂くことになっていた。

高い格天井は‘百年’をイメージさせるものであるが、大きいガラス張りにした壁面からは地獄谷を見下ろすことができ、古さと新しさを融合させたダイニング・ルームといった感じであった。

格天井と言えば京都・二条城や西本願寺の書院など歴史的建造物に多く見ることが出来るし、ヨーロッパでも教会建築に見られるので我が国独自の様式ではないように思うが、通常新しい建築物では見かけたことがない。

レストランでは奈良ホテルの‘三笠’、箱根の 富士屋ホテルのダイニングルーム ‘The Fujiya’が記憶にあるが、なかなか立派なものである。
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さて、夕食のメニューであるが、スープと主菜である魚料理と肉料理はそれぞれ2種類の内の1品を好みで選ぶことができる。

魚料理では追加料金を支払うことによってアワビのステーキ、肉料理では長崎牛のステーキを注文することも出来るようになっていた。

前菜と向付・・・当然の如くコダワリのサッポロ黒ラベルである。

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やはり星のマークが美味い。

アサヒ、キリンの宣伝が上手なのか、それともキックバックがあるのか、私には分からないが一般旅館ではこの2社のビールしか置いていないところが多い。

辛口だのキレだのと宣伝しているが、私は昔ながらの味が好き。

最近は地ビールを置いているところもあるが、アサヒかキリンしか置いていない旅館を私は三流旅館と決め付けている。

ビール専門の飲み屋ではないのだから世界のビールを扱えなどと無理は言わない。が、日本のビール販売量の多い4社、つまりサッポロ、サントリー、アサヒ、キリンは取り揃えるべきと考えている。

いずれの旅館も「お客様を大切に」なーーんて言ってはいるが、真実そうした考え態度に徹するならば、ビールを取り揃えるについても配慮が見られなければならないと私は思う。

経営上の問題があって立ち直る過程にある(と思う)長崎・梅松閣は‘目こぼし’とし、今後に期待しよう。

つまり、この『九州ホテル』はサッポロビールを置いていたので、コダワリ派の私としてはコレだけでも『優』の評価をあげたいのだ。

最近の大学のように決して『優』を安売り乱発しているのではない。

夕食はメニューの通り地産素材を用いた創作のコース料理でフレンチともイタリアンとも分別し難いものであったが、家内も共に味わえるのはワインなのでボトルを一本。 
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一昨年に手術を受けて以来体調を回復した家内は少量ではあるがワインを口にするようになった。

我が家では私の好みから30数年にわたりドイツ・ラインヘッセンやモーゼルあたりの白ワインを仕入れている。

しかし、私も家内も甘いワインは好みではないので必然的に安いカビネットになるのだが、最近はチリ、アルゼンチン、オーストラリアなど南半球の美味しくて安いものが出回ってきているのでそうした物も買っている。

写真の物はカンポ・チェニ、イタリア、トスカーナのワインである。

イタリアは石灰岩質の土地が多く至る所でブドウが栽培されているが、中でもフィレンツェのトスカーナ地方でのブドウ栽培とワイン造りは盛んである。

トスカーナ地方はキャンティ・ワイン生産の地として有名であるが、最近では白ワインも随分造られていることを昨年フィレンツェを訪れた折に知った。

町のスーパーマーケットやドライブ・インでも各種のワインが売られていたが、フルボトル1本が300円程度から並んでいるのである。ゼロの数を間違えているのではない

イタリア・ワインについては良く知らないが、バローネ・リカゾリ(BARONE RICASOLI)と記してあるのでリカゾリ男爵とかリカゾリ領主園とでも訳すのだろうか。

ラテンのバローネは英語のバロンに当たるから、まあそんなとこであろう。

カンポ・チェニ(2005)の味は甘過ぎもせず苦過ぎもせず、適度な酸味と渋みをともなう私達好みのものであった。

が、レストランでワインを選ぶのは難しいもので、仮にソムリエがいたとしても白か赤か、甘口か辛口か、更にもう少し詳しく渋みなどの好みを伝えたところで、いかにバッジを付けた専門職とは言え、個々人の嗜好に合ったワインを提供できるなんてことは有り得ないこと。

ましてコルク栓で封印してある中身について、ド素人の私達が選ぶというのは博打に似たようなもの。まさに『開けてビックリ玉手箱』のように味わう、いや、ワインというのはそれが楽しみなのかもしれないが・・・・・
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それはともかくとして、「車の運転ご苦労さま」と、大蔵大臣の家内が奮発してくれた料理である。

有難く美味しく頂いた。
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メニューにあった通り2品の内から好きなものを1つ選ぶというのは夫婦にとっては楽しい料理提供の方法だと思う。

二つの品物を別々に注文し、提供された料理を2人で仲良く分け合って食べれば倍の味を楽しめるのだから・・・
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もっとも追加料金が必要な2品、つまり、アワビも長崎牛も家内は好まないので全て私の胃に納まってしまったが。

ぶっははははは

これは家内と一緒になる前からのパターン。が、それが理由で結婚したわけではない、ぶっははははは


at 14:29|Permalink

November 20, 2008

九州への旅・・・10 長崎・雲仙『九州ホテル』

国道57号線は雲仙西登山口から登坂路が主となり、大曲がり小曲がりのカーブが続くようになる。

先頭を走っていた観光バスが雲仙温泉方面に左折したが、他の車は直進して行ったので口之津からフェリーにでも乗るのだろうか。

前方にノロノロ運転の観光バスが1台走るだけになったので、それを追い越しはしたものの道が曲がりくねるため大きく速度を上げることは出来なかった。

20分ばかり坂道走行が続いただろうか、比較的平坦な道路となり建物が見え出したなら雲仙温泉であり、左へカーブする道路の右前方に『九州ホテル』の建物が見えた。
雲仙『九州ホテル』をクリックすればホテルの公式サイトにリンクする。

2度目の訪問であるが、何となく懐かしい実家へ帰ってきたような気分でホテル玄関の車寄せに入れて停車。

着物姿の若い女性達数人が迎えに出てきてくれた。

この光景を以前訪れた時に見かけているが、その時、私はラッキータクシーでホテルに到着し、ホテルスタッフが観光バスから降り立つ客を出迎える様子を車内より眺めていたのである。

だから、客観視していた前回と異なり、出迎えられるという感覚を直接に味わうことになった今回は懐かしいという思いに新鮮さが加わったような気分であった。

私が乗っていたタクシーのドライバーは観光専門の男性で、佐世保から平戸、有田、長崎と3日間行動をともにし、私のラッゲージ運搬からホテルのチェックインまで代行してくれていたため『九州ホテル』に到着した時も同じで、出迎えてくれるホテルスタッフはいなかった。

だから今回は新鮮な気分を味わえたのである。

コレハ ヒガミ デハナイ 念のため

たまたま観光バスが到着した後に私の乗るタクシーが到着し、出迎えのホテルスタッフたちは観光バスの乗客たちを迎えるのに気持ちが集中しており、私のタクシー到着に気が付かなかったのであろう。

そのような記憶が甦り、前回との差異を感じながらレセプションへ。

来客が無いとホテル側としては困るだろうが、ゴチャゴチャ騒がしいことをあまり好まない私には静粛なレセプションでのチェックインも気持ちの良いものであった。

気分が良いと饒舌となる私は現職の頃も本論の展開に止まらず、授業はタコの足のように八方へ広がり、学習している者たちは寧ろ足の方を喜んで聴いておったような感じであったが、多分チェックイン時も同様であったのだろう。

前回宿泊の後、自宅に送られてきた手描きの挿絵入り礼状を話題にレセプショニストと着物姿の若い女性たちに話しかけていた。
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上の礼状は今回の旅行後、我が家に届いたものであるが、基本文型や下絵のデザインが定型化されたものがあったにせよ、それが印刷物でないところに人物の気持ち、心根といったものを感じ取ることができる。

前回頂いた礼状も同様のものであったが、それを書いたのが若女将であり、私の前に立つ着物姿の女性であるとレセプショニストの男性が紹介してくれた。

確かに。 前回来訪時も観光バス出迎えの女性たちの中に見ていた。

あの折は失礼ながら、とても若女将という体裁ではなかったが、今回我が車で到着してから後の彼女の立ち居振る舞いは‘なかなかのもの’。

もう4年の月日が経っただろうか・・・一所懸命に精進すれば・・・

我が子であれ他家の子であれ人の成長を見るというのは嬉しく楽しいものである。若女将のことではないが、たとえ秀でた能力が無くとも一生懸命に打ち込み努力する者が私は好きであり可愛いとも思う。

ロビーラウンジでお茶を頂き終わった時に追い越してきた観光バスが入ってきた。

部屋へ行こうとしかけた私達に若女将が案内係の女性をつけてくれたが、観光バスで団体客が到着した折の繁雑振りを私は知っているのでそれを断った。

が、相手は若女将である。

案内係の女性には範を示すことも大切であろうことを慮り、勝手知ったる館内ではあるが案内をお願いした。

前回は『地獄谷』(下の写真)を眺められる部屋であったが、今回は中庭を眺められる和洋2間のツインルームでゆったりとしていた。
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『九州ホテル』の隣に『地獄谷』が広がっており、写真のように地中から噴出する水蒸気が地表で冷やされ白く立ち上る様子が露店風呂の塀越しや、『百年ダイニングルーム』などから眺めることができる。

夕食は『百年ダイニングルーム』で摂ることになっているが、先ずは温泉である。

団体客が到着したので、彼らが入浴する前にノンビリと静かに湯を楽しもうと家内とともに浴場に向かった。

前回は『ひのきの湯』、今回は『大地の湯』に入ったが気持ちの良い湯であるのは同じ。

『地獄谷』という火山活動の場所に湧く温泉であるから硫黄泉に違いはないはずだが、硫黄臭が鼻を突くほど強く臭うこともない透明な湯である。

しかし、『大地の湯』に併設され、その塀越しに『地獄谷』を眺めることの出来る露天風呂の湯は少し青みがかって白濁しているから、ミョウバンかアルミニウムが少しばかり含まれているのかもしれない。

硫黄泉と言っても透明な湯なのだが、他の含有物の種類や、その量の多少によって湯の色合いや粘性も変わってくるので、この露天風呂の湯の成分が何なのかは定量分析の結果を見なければ分からない。

広い湯船を独り占め出来るってことは幸せな気分に浸ることと同義。全く気持ちの良いものであった。


at 10:06|Permalink

November 19, 2008

九州への旅・・・9 長崎・雲仙への道で

長崎市営・松が枝駐車場を出庫して雲仙へ向かうには国道34号線を走らねばならないのだが、右折レーンに入れなかったりカーナビの案内がイマイチであったため市街地をグルグル。

結局、オランダ坂トンネルを抜けて一部開通している長崎道に入り、諫早ICから国道57号線で橘湾の千々石に出た。

少々遠回りになったかもしれないが、一部区間とはいえ高速走行できたので時間的には多少は早かったかもしれない。

知人に長崎県千々石出身のH氏がいたが、彼は故郷千々石の海の景色を誉め、コップ酒を汲み交わす私に是非訪ねてほしいと機会あるごとに語っていた。

その彼の郷土自慢は千々石の海岸に止まらず、大阪・長崎県人会のメンバーでミナミの中央軒(チャンポンで有名)の社長のこと、そして時代は遡るが日露戦争時、静岡歩兵第三十四聯隊の大隊長として首山堡の激戦を指揮して戦死した橘中佐のことにまで及ぶ。

と言って彼が右翼主義者でも戦争肯定・推進の軍国主義者でもないのだが、橘中佐が千々石出身で、後に軍神として崇められ郷土には橘神社まで造営されていることからH氏にとっては郷土の偉人として幼い頃より刷り込まれてきた結果であろう。

そうした経緯もあって、前回長崎を訪れた折にはタクシーの運転手氏に千々石に立ち寄ってもらったのであった。

今回は自分でハンドルを握り、千々石の浜で橘中佐の名前を出したが家内は「誰?その人」。

普通はそのようなもので、特別、日露戦争に興味を持っている人で無い限り知っているひとは稀だと思う。

私の場合は何故知っていたのか・・・千々石出身のH氏との出会いは、かれこれ30年近く前になるが、それ以前に橘中佐のことを知った機会が何時どこで、どうして知ったのか記憶にない。

だが10年ばかり前に司馬遼太郎の『坂の上の雲』を呼んだ時に、遼陽会戦の項で橘中佐戦死の記述があったのは覚えている。

あらためて見直してみたところ、戦死の詳細についての記述は無かったが、遼陽会戦における標高97メートルばかりの首山を西端とする東西の線で防御を張るクロパトキン将軍率いるロシア軍と日本軍の首山堡攻防の大激戦の詳細について書かれてあった。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、幕末から明治にかけて薩長土肥閥には属さなかった四国・松山藩の下級武士の子どもとして生まれた正岡子規秋山兄弟が欧米列強と肩を並べるために近代化を進める明治時代において、それぞれが力一杯に生き抜いて行く人生を描きあげた力作である。

正岡子規は俳人として名を知られているので説明は要らない。

秋山兄弟の兄・好古(よしふる)は大阪師範、陸士、陸大(第一期)卒業後フランスへ留学、騎兵戦術を学び日本陸軍に西洋式騎兵を創設・育成。
日露戦争においては世界に名だたるコサック騎兵を撃滅、敵陣を大いに撹乱し、『日本騎兵の父』と称される人物。

後、近衛師団長、陸軍大将、陸軍教育総監を歴任。

弟の真之(さねゆき)は、親友の正岡子規の上京に刺激されて松山の中学を中退して上京。兄・好古の援助を受けながら大学予備門(後の第一高等学校)を卒業後、経済的事由から海軍兵学校へ進学、首席で卒業後に海軍へ。
正岡子規は東京帝国大学文学部へ進学。

その後、真之はアメリカへ留学し海戦兵術の理論研究を行い、日露戦争では兄・好古は陸軍、秋山騎兵旅団長として、真之は連合艦隊旗艦「三笠」に乗艦し、司令長官・東郷平八郎の下で作戦参謀となり、「敵艦見ゆ」の信号を受信してバルチック艦隊撃滅の指揮を執った。

日本海戦時の下の信号文は有名であるが、秋山真之の作文である。

本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ

正岡子規とは特別に親交のあった秋山真之であり、文学的な素養でも優秀であったのであろう。短い文での的確な表現にはそうした卓越した能力が見て取れる。

随分の横道になってしまった。

千々石・木場から雲仙への道もあったが、他の車の1台もそちらへ入る車がいそうに無かったので私も長い車列に続いて小浜温泉経由(雲仙西登山口)で雲仙温泉まで登ることにした。

しかし、トロトロトロと、先頭に観光バスが走っており、それが長--い車の行列を作っている。平地走行でこの調子じゃ上り坂になれば一体・・・

雲仙温泉までの上り坂は長いのだ。


at 06:41|Permalink
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