January 2009

January 03, 2009

書初めに想う

久し振りに硯を出して墨をすった。

『の』の字を描くように墨をする。

このように墨をするのだと初めて教えてくれたのは父親であった。

硯池に水を注ぎ、墨を真っ直ぐに立てて一心不乱に墨をする。

字を教えてくれたのは母親であった。

爾来、筆を持って字を書く時には『このようにするものだ』ということを体が覚えてしまい、後に小学校で先生の指導を受けるようになっても当然のこととして受け容れていた。

しかし、小さい子どもにとって姿勢を正して墨をするのは苦痛であった。

墨をつかむ指先に力が入らなくなり、次に腕が痛くなり、端座した姿勢も崩れがちになるのである。

小学校の5年か6年か忘れたが、隣席の子が墨を斜めに立てて単純に墨堂(陸)上を前後に往復させている動作を見かけ、『それは違うやないか』と思った。

しかし、その子の方が断然墨のすり上がりが早いので、私は『の』の字を描くように墨をする方法が果たして良いものかどうか疑問に思い始めたことがあった。

つまり、墨をするという行為が何を目的とした行為であるのか、字を書くという目的のために墨をするのであれば、より早く疲れの少ない方法、つまり隣席にいた子がしていた墨のすり方を行うべきではないかと考えたのである。

もっとも、両親や担任の先生の教えに反する行動を取るだけの度胸もなく、私は今でも『の』の字を描くように墨をすっているが、この頃に精神的な成長のステップを一段のぼり始めていたのだなあと思う。

なぜ『の』の字を描くように墨をするのか正解は知らないが、多分硯石の墨堂(陸・丘)部分を満遍なく均一に磨耗させるためではないかというのが私なりに得ている解答である。
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今もって巧くならない毛筆の書であるが、ペン字とは異なり毛筆の場合は不思議と気持ちが引き締まるものである。

式辞や人名は沢山書いてきたが、今思えば恥ずかしい限りである。

最近は熨斗袋の上書きをする程度で、年賀状でさえ書かずに打つだけになってしまった。

今年は早々に仕上げなければならない仕事がある。

しっかりと龍に睛(瞳)を入れなければならない。

書初めに思いを致せば昔のことが次から次へと思い出された。

七夕に硯を洗うことや、天満宮に梶の葉を添えて供えることも父親が教えてくれた。 そして、我が家の家紋が『梶の葉』であることも。



at 08:13|Permalink

正月二日

以前にも書いたことがあったかもしれない。

などと言っても別に『ボケ』が始まっているわけではないし、仮に始まっていても始まったことなど認める気など更々無いが・・・。

しかし、何かをしようとしてその方向へ体は進むのだが、「はて、何をしようとしていたのだったかな?」と立ち止まり、思い出せずにいることが多くなってきたことは事実。

こうした現象も『ボケ』の兆候を表すものかどうかは知らないし、知りたくもない。

背骨は椎骨と椎骨が椎間板という組織を仲立ちとして連なっている。

椎間板の髄核は水分を多く含むゼリー状のもので、その周辺部の軟骨質の線維輪とで構成されているが、年齢とともに水分量が減ったり磨耗といった現象が生じる。

経年的に生じる磨耗など以外にも線維輪の損傷のために髄核がズレて脊髄や神経根を圧迫する、いわゆる椎間板ヘルニアという神経症状が出ることもある。

私は医者が嫌いなので・・・誤解があるといけないので、医師としての人間が嫌いなのではなく、診療を受ける・そのために病(医)院へ行くと言う事がキライなので血圧の降圧剤を貰うために行く以外、余程のことがなければ行かない。

3年ばかり前、手指の痺れと痛みがあまりにひどく、総合病院を訪ねたことがあったが、この時は“脳に欠損があるのかも”という重大な事態を考えたので行ったのだが、断層撮影した写真を見る限り脳に異常は無かった。確かに、確か、確かに無かった。

しかし、頚骨の椎間板が磨耗して神経根を圧迫していることが写真から判明。これに対する根本的治療策は無いと医師が言い、合わせて「順調に老化の道を歩んでおられます」と言われたことがあった。

若い医師が言わんとすることは分かったが、『順調に老化』とは・・・

医学は勉強したのかもしれないが、もうちょっと日本語も勉強せえって、言葉のデリカシーに欠ける奴だと思ったものであった。

それで、というわけではないが正月二日は書初め。
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古来、『吉書』と言い吉方に向かって目出度きことなどを書く慣わしが我が国にはあるので、寿ぎ祝う意味のものではないが自戒を込めて書いてみた。

20年前に目を剥くような値段のワープロを買って以来、書くことより打つ方が多く、小筆など手にする機会がとんと無くなってしまったので手が震えて仕方がなかった。

決してアル中ではないので念のため。

『曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。』

『曾子曰(そうし いわく)、吾日三省吾身(われ ひに みっつ わがみをかえりみる)、爲人謀而不忠乎(ひとのために はかりて ちゅうならざるか)。與朋友交而不信乎(ほうゆうと まじわりて しんならざるか)。傳不習乎(つたえられて ならわざるか)。』

漢文を横書きにするのはイマイチではあるし、同世代や先輩諸兄姉には読み方など必要なかろうが英文法と同様に日本文として読み下すのである。

論語・学而第一にあるが、曾子は孔子の高弟であり、『私は毎日三つの反省を行う。ひとつには、人の為に何かをしようとした時、誠心誠意そのことを行ったかどうか。二つには、友人との付き合いで偽りや不信を招くような言動がなかったかどうか。三つには、師匠(先生や先輩など)から教えられたことをしっかりと理解し実践するように努めたかどうか。』という意味のことである。

口三味線は言い過ぎかもしれないが、世に口巧者(口上手)は多い。

大切なことは『不言実行』・・・実践することにある。

自戒、自戒。



at 05:25|Permalink

正月に思う

元日、家族は寝坊を決め込み、私はいつも通り。

それでも起こしては悪いと私は5時まで横になっていた。

結局、家族揃ってお雑煮を頂き年賀の挨拶を交わしたのは10時半をまわっていた。

昼前に届けられた年賀状を見ながら、普段会うことのない人たちの近況を知る。

年に1度か2度の便りであるが、息災でいることを知り安堵する。

テレビでは、いずれのチャンネルでも正月の特別番組を流している。

ほとんどがお笑い系か料理系。

晴れ着を着た“芸能人”とやらが豪華な料理を頂き、愚にも付かぬような話をしている。

それで『出演料』とやらを頂き、豪勢な料理を頂き、ツマラン話に興じている。(ツマランは私の主観ではあるが)

本業ではない、しかし、それも仕事のうちか、彼らにとっては。

世界的な不況が我が国でも深刻であると、年末まで繰り返し繰り返し報道してきたテレビ局。

大企業でさえも行っている派遣切りのために、職は無い、住まいも無い、食べるものさえ切り詰めて、寒空にホームレス生活を覚悟している人たちの姿を何度も何度も放映してきたテレビ局が、不景気とは縁遠い様子を流している。

これはいったいどういうことか。

何も今年に始まったことではない。

内戦、飢餓、栄養失調、医薬品不足、教育・医療施設も充分でない、こうした理由のために毎日毎日多くの子どもたちが亡くなっている現実。

そうした報道をしながら一方では豪奢な料理を振る舞い、貧困や飢餓とは全く縁遠い世界を演出して放映する。

テレビ局とは何と欺瞞に満ちた言動を行うのだろうか。

世論をリードする(オピニオン・リーダー)力を持つマスメディアの中でも最大最強を誇るテレビ局としては、自らが与える影響の力の程を自覚し、番組制作の上では慎重に行うことを今一度再考する必要があると私は思う。

年の初めにテレビ局の面々に贈ろう。


脚下照顧  (喝!)

at 04:20|Permalink

January 01, 2009

新年を寿ぐ

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旧年中は何かとお世話になり、ありがとうございました。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。




年の初めの日を元日と言う。

『元』の意は“はじめ”。

漢字は象形。つまりモノの“すがた”“かたち”を表している。

『元』の字の成り立ちを見れば、下の部分の円周率を表す記号の“π”(パイ)のような部分は『人』を表している。

『元』の字の上にある“一”は、もともと『人』(人体)の上に丸い点を付していたもので、人間の頭を表していた。

頭は人体の上の端にあることから先端、つまり“はじめ”の意味になったということである。

なるほど。

年号の元始まりの年を元年。その他にも元素、根元などいろいろとある。

元日の朝、或いは元日、1月1日のことを“元旦”と言う。

“元旦”の『旦』の字の“日”は太陽を表し、もともとは丸の中に点を打ったものであった。

その太陽が昇ってくる様子を表したものが『旦』の字であり、下の“一”が地平線か水平線を表しているのである。

新しい年の第一日目の朝・・・“元旦”。

新年を寿ぐ意味で『日の出』の写真を用いたのだが、この写真は2008年5月2日に別府湾で撮影したものであることを断っておく。


at 15:57|Permalink
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