February 2009

February 20, 2009

嬉しく有難いこと【3】 

前ページからの続きである。

もう1人、喜びを与えてくれたAさんのことがある。

Aさんについては前ページでも触れたし、私達がオシフィエンチムの収容所(アウシュヴィッツ収容所・ドイツ名)を慰霊のために訪問した折に親切な対応をしてくれたことが機縁となって友人としてお付き合いしている女性である。

当時はヤギェウォ大学の哲学科の学生だったが、今は院生。熱心なキリスト教徒でもある。

そのためかどうか分からないが、修士論文も神と人間との関わりに関するものに取り組んでいるらしく、長文の手紙を送ってきてくれた。
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家内は『Aちゃん』と呼ぶが、スラブ系の美人女性であり、私には『ちゃん』付けで呼ぶことは難しい。
           Aさんは既にネットで公開されているので写真は手を加えない。
彼女はポーランドでも有名な某合唱団のメンバーであり、某教会の聖歌隊の指揮も務め、ヴァチカンへも歌いに行っている。

息子の嫁に来てほしいくらいの素晴らしい女性だが、前の部分は「いらんお世話や」と息子には叱られそうなので・・・しかし、比喩として、それほど素敵だということなのである。

特に人間性が。

近頃、日本人の多くが失っている『良さ』の数々を彼女は身に付けているということなのだ。

そのことはさておき、下は切り絵細工である。

ポーランドでは『ヴィチナンカ』と言うが、切り込みといい色の配色といい見事なものである。
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ポーランドの民芸品としては刺繍や革製品に木彫り、陶器などが有名であるが、この『ヴィチナンカ』も有名なものである。

旅行した折に刺繍作品は買ったのだが、『ヴィチナンカ』は買わなかったので嬉しいことである。

ポーランドから帰ってからも、彼女からの便りで思い出したり新たに知ることがあったりと、Aさんには様々な嬉しい思いをさせてもらっている。誠に有難いことである。

下はテーブルセンターであるが、実際のものはステンドグラスでMedical Society Houseを飾っているものであるらしい。
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テーマは『APOLLO』。

作家はStanislaw Wyspianski。

このページでは変換出来ないので似た文字を使用したが、Stanislawの『l』はポーランド文字では『l』の字に斜線が掛けられ『ウ』と発音する文字であり、Wyspianskiの『n』は、上にダッシュ『´』のようなものが付く『n』である。

Stanislaw Wyspianski(スタニスワフ・ウィスピアニスキ )はポーランドの劇作家で詩人、そして画家でもあったらしい。

彼は1869年に生まれ、1907年に没したらしいが、Aさんの手紙においてWyspianskiと記された名前には記憶があったのだが直ぐには思い出せなかった。

彼女の手紙で作家の名前であることが分かったので、Wyspianskiは作家であるという先入主で記憶を探ったのである。

だから、とても狭小な記憶領域を彷徨っていたのであるが、ウィーンからポーランドの空港に到着した際、私どものラッゲージが行方不明になっており、空港でクレームをつけていた時に私どもの宿泊先を担当の若い女性に告げていたことを思い出したのである。

そう、Wyspianskiというのは私達が滞在していたホテルの名前であったのだ。

つまり、私達が泊まったホテルはポーランドの偉大な芸術家の名前を冠したホテルだったということである。

彼のステンドグラスの作品はヴァヴェル城にもあったというし、城の再建においても彼の力が加わっていたらしいが、むむむ・・・城を訪れた折には知らないままに過ごしてしまった。

こうしたことも友人の便りによって旅を終えてから新たに知り得る喜びである。

ガイドがついていたなら説明を受けていたかもしれない。

勿論、後悔先に立たずという俚諺も理解しているし、出来るだけ学習もして旅行に出かけたのだが、このようなことはよくある。

しかし、結果として新しい知識を得て、既に経験したことと関係付けて知識の広がりを得るのは通常の学習形態である。

気付かずに通り過ぎてしまっていたことも、友人の手紙によって知り得たということ、これも嬉しく有難いことである。

プレゼントを頂いたばかりではない。記憶を更に鮮明にし、知識を広げさせてくれたAさんに感謝するものである。


at 11:10|Permalink

February 19, 2009

嬉しく有難いこと【2】 

これもStヴァレンタイン・デーだからというのではないが、郵便受けを開けに行ったら航空便の大きい封筒が2つに何通かの手紙や葉書が詰め込まれていた。

航空便の1つはフィンランドから、もう1つはポーランドからであった。

フィンランドからの郵便物は私の50年来のペンパルであるUさんから。

彼女は保育行政の専門家であったが現在は退職し、息子達は結婚してシンガポールとチェコに暮らしているので夫婦2人で悠々自適かな?

夏と正月は孫たちも集まって賑やかになるらしい。

ポーランドからのものは私達夫婦がポーランドを訪れた時に友だちになった女性でAちゃん。

当時は大学生だったが、現在は修士コースの院生だからAちゃんとは言えない立派な女性である。

その郵便物であるが、Uさんからのものはフィンランドを紹介する日本語版の本。
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フィンランドへ行ったのはいつだったろうか。長年文通はしてきたものの顔を合わせるということが無く、42年を経て初めてヘルシンキで出会ったのだから、かれこれ10年ほど前になるだろうか。
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本のページをめくっていると、その時の様子が思い浮かぶ。
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上は港からヘルシンキ大聖堂を望む写真だが、確か沢山の露店が波止場には並んでいた。

左のページの写真は湖沼地帯でよく見かけた景色である。

フィンランドは『森と湖の国』と呼ばれているが、全くその通りで森林と湖沼が随分と広がっているのである。

写真の小屋は分からないが、同じようなものにサウナ小屋があり、温まったら湖に浸かるというようなことをしていた。

人に出会うというのは街中かサウナ小屋か、私の経験では静かで自然がいっぱい、まことにのどかで清々しい国という印象が残っている。

訪れたのが6月初めであったか、白夜のために夜というものが殆ど無く、早朝3時過ぎにホテル周辺のシラカバの木が茂り(庭?だったのだろうか)芝草が青々とした所を散歩していたこともあった。

上の下の写真、これはきっと秋の風景であろう。

下は言わずと知れたムーミンのカード。
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今回、Uさんは、このカードに私信を書いてくれていた。

勿論、文面をお見せするわけにはいかない。

下はフィンランド北部のラップランド地方での写真であろう。
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私はフィンランド旅行中に熊を見なかったし、北部方面は訪れなかったのでラップランド人の民俗や自然について知らない。

旅行社のパンフレットを見ていると、サンタクロースの村であるとか雪遊びなどの紹介があったり、オーロラ観賞にサーリセルカの町が紹介されていたりで、機会があれば行ってみたいと私は思っているのだが、我が家内は「寒い所はイヤ」とひと言。

そんな訳で実現は難しいが、夏の時期なら何とかと希望を捨ててはいない。

下は、正月に送られてきたものなのだが、これは、そのサーリセルカのホテルの絵葉書である。
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林間にガラス張りのロッジが並び、ベッドで横たわったままオーロラの観賞が出来るという、私どもにとっては『超』の字が付く高級ホテルである。

これはUさんからではなく、Pさんというタイ人女性からのものだが、是非遊びに来いと、マネージャーに安くさせるからというのだが、『超』の字が付くことと家内の寒さ嫌いが克服出来ない限りは難しい。

Pさんは私のことを「パパ」と呼んでくれる娘のような真面目な女性である。

タイではトップにランクされる女子大を出た学力優秀な子でもあったので、アメリカ留学の資金援助をしたのである。

だから、彼女が元気に生活しているのか気に掛けてきたのであるが、年中真夏の国から夏が短く長い冬はマイナス気温が続く北の果てのホテルで元気に勤務しているという。

遠く離れていても、近況を知れば安堵もするし嬉しいことでもある。

嬉しくも有難いことを書き綴っていてAちゃんのことも書かねばならないが、彼女のことは次回に『続き』として書くことにしよう。

UさんもPさんも有難う。



at 12:59|Permalink

嬉しく有難いこと【1】

Stヴァレンタイン・デーだからというのではないが、寿司屋の主人I氏が韓国・済州島を訪れたので、その旅行土産だと色々と届けてくれた。

今、韓国旅行は大人気である。

『ドル』に対して『円』の価値が上がり、韓国の経済不況もあって『ウォン』の価値が下がっていることもあり、二重に得をする感じである事が1つの大きい理由である。

為替レートは刻々変動するものだから現時点で幾らぐらいで取引きされているのか知らない。しかし、昨春以前であるが、これまでに訪韓した折は凡そであるが100円≒1000ウォン程度であったように思う。

それが先日のレートでは100円≒1560ウォン程度であったから、以前に比べると約1.5倍の価値を『円』が有していることになる。

韓国・釜山の地下鉄の1区間が1100ウォンである。

1区間と言っても随分長い距離で、確か10kmまでだったように思うが、地下鉄料金が70円程度になったと考える事が出来るのである。

これを日本国内の鉄道料金と比較すれば、1区間(距離を度外視して)の最低料金が150円から200円なのに対して70円程度なのだから、いかに安いか簡単に分かる。

次に日本に最も近い外国であるというのが理由に挙げられる。

1月2月の韓国は寒いから観光として訪れるにはベストとは言えない。しかし、ゆえに航空運賃もホテルも安いから、安さという点を重視するならベストシーズンということになる。

高かった燃油サーチャージも原油価格の値下がりで安くなってきたから『お得感』という面では大きいものがある。

格安航空券ならば2万円前後のものもあるし、燃油サーチャージを入れても3万円の交通費。ロッテなどの特級5ツ星ホテルを利用しなければ2泊しても2万円かからない。

概算ではあるが、個人として旅行を組んでも基本の費用が5万円以内で済むし、旅行社企画のパック旅行なら3万円~4万円である。

だから、国内旅行で4万も5万も払うのならば、週末を利用して韓国へ行き、価値の高い『円』でもって免税店で買い物をすれば一層『お得感』を感じられるというわけである。

先のI氏、「どっち向いても日本人ばっかりでしたで。うじゃうじゃしてましたわ」と。

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そのI氏が届けてくれたお土産のひとつが『マッコリ酒』。

つまり発酵真っ最中のドブロクである。

私が『マッコリ酒』を好きであると知っているI氏は、私への最良の土産として済州島の現地のアジュマに詰めてもらったのであろう。

コカコーラ韓国のペットボトル入りの『マッコリ酒』であった。

私が摂生中であることを知らなかったからなのだが、酒だけではいかんと思って酒肴にナマコも届けてくれた。

こんな素晴らしい贈り物を・・・私の好みを知った上でのお土産。

さすがに1日は我慢したものの、ぶっはははは、摂生生活の一時終了を宣言。

コノワタと共に美味しく有り難く頂きました。

『マッコリ酒』は3回、つまり3日間頂いた残りを写真に撮ったので量が減っているのはそのため。頂いた時にはイッパイ詰まっておりました。

この『マッコリ酒』の澱(おり)の色が薄く茶色に濁っているのは、ひょっとすると精米以前の玄米を使っているためなのか、ソウル・マッコリも金井山マッコリも白い澱の酒で、日本で飲むマッコリも白いものであるので私としては初めてのものである。

学生時代に京都の在日朝鮮人のハルモ二から仕入れていたマッコリも白かったのだが・・・

冷蔵庫で冷やして発酵速度を遅くさせていたのだが、流石にコーラボトルの栓をひねると勢い良くシューッとガスが噴出し酒は泡立ち、何度もガス抜きをして飲んでみた。

予想通りに若くてピチピチ。ハイティーンといったところ。

明くる日には20歳程度。3日目に20歳半ば程度だったろうか。舌で炭酸ガスがピチピチとはじけるのである。

『マッコリ酒』は酵母が生きた状態だから、日が経てばピチピチ感が弱まり、やがて熟成して甘味が強くなり、そして酸味が強くなり酵母の活動も終焉を迎える。

失礼ではあるが、『マッコリ酒』の熟成具合を私は女性の成長に見立てているのである。

ぶっははははは、どんなレベルが好きかって?

そんなこと言えますかいな。

その時、その時の美味しさというもんがおますんや。

若いもんは若いもんの良さがあり、齢を重ねれば重ねた分だけ良さはおますんやでえ。

世の女性がた、勿論、男性諸君もやが、何でも新しい若いのんがエエわけやおまへん。

古いのんが悪いやのイカンやのという価値観は間違ってるということに気付かんとあきまへん。

『温故知新』・・・間違って理解しとる人もいるようやが、これは古い事も新しい事も、よう知っておって初めて『ヒト』として立派なんやということなんでっせ。

それにしてもI氏、コカコーラのボトル内でガス圧がどんどん高まる生きた『マッコリ酒』を、よう運んで帰ってくれはった。

検査が厳しゅうなってる空港で通ったのんが不思議やが、とにかく有難う。


at 07:28|Permalink

February 14, 2009

Saint Valentine's Dayに寄せて【2】

【前ページに続いて】

一般に物事というものは本来の意味や意義といったことを離れ、形式、それだけで動いていく、つまり一人歩きをするということはよくあることだ。

文化の伝播というものは人々が生活している限り、その交流によって新しい土地の人々に伝えられ、淘汰されて必要で為になる良いものは定着し改良され、その土地独自の文化として根付き発展していくものである。

これは植物の種子移動にも似ている。

タンポポの種子は風によって新しい土地に運ばれて発芽条件が整えば根を出し芽を出すし、マングローブの種子は川の流れに乗って浅い泥地など条件が整えば新しい場所で呼吸根を伸ばし支柱根を立てて葉を茂らせる。

朝鮮陶磁器の技術は、豊臣秀吉の朝鮮侵略により強制連行された多くの朝鮮陶工たちの手によって日本で定着、改良・進化を遂げて、伊万里焼としてヨーロッパに輸出されてきた。

そのヨーロッパでは伊万里焼という陶芸文化を摂取することによってドイツのマイセン、オランダのデルフトなどの磁器産業を発展させていった。

このように見れば文化の伝播と、その摂取は何ら悪いことではなく、むしろ、新しい文化を創出するという点では良いことであると結論付けても良いかと考える。

しかし、宗教的行事を取り入れるのはどうであろうか、私にはすんなりと納得できるものではない。

とは言うものの、クリスマスにプレゼントを頂き、ヴァレンタイン・デーにチョコレートを頂き、これはこれで嬉しいことであると言えば何とも節操の無い矛盾を自分自身感じるのではあるが・・・

ともあれ、昨春結婚したY君とHさんがSt.Valentine's Dayを前にした11日に揃って我が家を訪れてくれた。

3月末を出産予定日とするHさんのお腹のふくらみが随分目立つようになった。

産休に入ったというHさん、夫のY君に粉を練らせて作り上げたというヴァレンタインのケーキ。
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フォンダンショコラというケーキだそうな。(ハート型の器に入っているもの)

家内は知っていたけれど、私はそのようなケーキを知らないし、何度名前を聞かされても名前を覚えられない。

やむなく辞書のお世話になるとFondant(フォンダン) chocolat(ショコラ)。

ショコラがチョコレートであることぐらいは分かるが、Fondant(フォンダン)というのは、「口当たりが柔らかい」とか「口の中でとろける」というような意味の言葉らしい。

ガトゥ・フォンダン・オ・ショコラとでも言うのだろうか。

レンジで温めて食べよということだったので、そのようにしたが、確かに中身は柔らかなケーキであり、初めての感触であった。

甘味を押さえてカカオの香り高いものであり、美味しいケーキであった。

棒状の物もチョコレートケーキであったが、これの詰め合わせは息子へのもの。

勿論少量を頂いたがこれもマル。

摂生生活を送っているので、いずれも少量を頂いただけだが、正月の紅茶ケーキといい、どんどん腕前が上がっているようである。

きっとY君の粉の練り方も上達したということなのであろう。

このような嬉しい楽しいヴァレンタイン・デーなら毎日でも構わないなどと書けば、何と節操の無い奴、矛盾だらけだと言われそうである。

と書いていたら、家内から私の好きな85%のチョコが・・・
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ぶっははははは

こうなれば、もうツマランことは書きますまい。

単純に、『人さまに喜んでいただける』、『嬉しく楽しい思いにさせていただく』、その機会を与えて頂いていることを併せて感謝するというように受け止めるようにしていきますかな。

ほんに有難いことです。


at 05:52|Permalink

February 13, 2009

Saint Valentine's Dayに寄せて【1】

2月14日は聖ヴァレンタインの日であるという。

キリスト教に於いては殉教者に『聖』(Saint)の称号を与えて神に列するように扱う。

ヴァレンタイン(Valentine)はウァレンティヌス(Valentinus)の英語読みであり、もともとはイタリアの聖職者であったようだ。

彼は、ローマ皇帝・クラウディウス・ゴティクスによって処刑されたというから3世紀半ば頃のことなのであろうが、何ゆえの処刑なのか詳しくは知らないし、この件については知りたいという欲求も起こらない。

私にとってセント・ヴァレンタインズ・デーというのは余り深い意味を持たないからである。

強いて言えば「チョコレートを頂ける日」程度のものである。

以前ならばクラブやバーのネーチャンは言うに及ばず、ローティーンから成人女性まで様々な方達から頂いた。勿論、家内からもだが、総じて、いわゆる『義理チョコ』というものである。

しかし、これはこれで頂けるということは嬉しく有り難いことではある。

このSt.ヴァレンタインは、もともとキリスト教における祝祭日だからクリスチャンのものである。

私の記憶では、森永製菓が昭和34年の新聞広告においてSt.ヴァレンタイン・デーの紹介と、その日には愛する者へチョコレートをプレゼントする日であるというようなことを掲載していたように思う。

私には、それが最初のSt.ヴァレンタイン・デーとの出会いであったのだが、女性が男性にチョコレートを贈る日などという慣習がいつ頃から始まったものやら、これについては知らない。

しかし、私も含めてであるが、日本人というのは同化しやすい民族なのだなあと思うし、企業・商売というのは『何でもあり』なのだと、つくづく思う。

クリスマスしかり、St.ヴァレンタイン・デーにハロウィン 、イースターにSt.ジョルジュの日も。

いずれもキリスト教に関わる祝典である。

ハロウィン(Halloween)はカボチャや仮装で知られているが、カトリックの諸聖人の日(All Hallows)であるし、イースターはキリストの復活祭、St.ジョルジュ(Georges)はフランス語読みだが、ドラゴン退治で有名な殉教聖人のことである。

イタリア語読みだとGiorgio(ジョルジョ)、英語読みではGeorge(ジョージ)として広く知られるクリスチャンネームでもあり、この日には愛する人に本を贈るという慣習がある。

キリスト教徒であろうと無かろうと、日本では祝典という形式部分だけを驚くほど見事(?)なまでに取り込んでいる。

狡猾とまでは言わないにしても、企業の宣伝というものは際限が無いのかと感じもする。

そうした宣伝に乗っかると言うか、引っ掛かるというか、『みんなで渡れば怖くない』とばかり迎合的に自ら世論を創り出す一翼を担っているのが日本人と言えるかもしれない。

『仏作って魂入れず』という俚諺があるが、上辺ばかりを繕い中身の無い軽薄さを創出しているのが日本人の特徴だとすれば何とも恐ろしいことである。

『猿真似』という言葉も日本にはある。

私自身の失敗を語るのも恥ずかしいことだが、かれこれ半世紀近くも以前のこと、カトリック信者でペンフレンドあるオーストリアの友人にクリスマス・カードを送ったことがあった。

その友人の手紙に「あなたはキリスト教徒でもないのに、どうしてクリスマス・カードを送るのか」という一文が記されていたことで、私は大いに恥じたことがあった。

クリスマス・カードを送るのは彼女たちの慣習といった程度の理解で、それに対する“お返し”という日本的慣習の立場で行った私の行為が上っ面な形式だけをとらえたものであったことを教えられた恥ずかしい記憶である。






at 10:58|Permalink
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