March 2009
March 20, 2009
久し振りの『博多・紀行』 続き【1】 ホテルの選択A
前述したような次第で私の博多行きが決まったのだが、飲食の制限を継続していたのでは真にツマラン旅になること間違い無し。
イライラしていた原因のひとつに、この飲食制限があったことも事実。
私の朝食は『ご飯・味噌汁・玉子焼(生卵可)』。これが朝食三種の神器であり、日本にいる限り先ず欠かすことが無い。これらに付け加えて納豆、焼き魚、海苔、漬物などが入るのだが、三種の神器さえ揃えば何の文句もない。
昼は適当に軽く済ますことが多いが、夜は酒肴に魚の刺身と少量?のお神酒があれば他は特段のこだわりは無い。
牛肉、豚肉、鶏肉でも魚でも、そして野菜であれ何でも良いのであるが、飲食するのは賑やかな方が良い。
しかし、飲食制限中は家内以外の誰かと飲食を共にするという賑やかさが無く、ご飯無し、肉類無し、お神酒無し、他の油脂類や糖質となるデンプンやアルコール類が一切無い、つまり、豆腐や納豆といった加工品と野菜や海藻類、それに若干の果物という内容で飲食するという変化に富む楽しさというものが全く無いのである。
しかし、旅の楽しみには飲食するということも大きな要因のひとつとなっているのであって、これを制限していたのでは旅の面白味が大きく損なわれてしまう。
で、旅行を始める時点より旅行を終える時点まで飲食制限を解き、全てを解禁日とすることにした。
真に勝手なものであるが、それでも若干の負い目を自分で感じていたのであろう、朝食は抜き、新幹線車内でも口にしたのは少量のお茶だけであった。
これまで博多行に同行してくれた息子たち・娘たちの全てが知っているように、博多駅に到着して直ぐに立ち寄る『かじ天』にも寄らず、地下鉄で中洲川端まで行き、『冷泉閣川端ホテル』まで寄り道もせずに歩いて行った。
左の写真が『冷泉閣川端ホテル』である。
博多では随分沢山のホテルを利用してきたが、ここ3年ばかりこのホテルを利用することが多い。
グランドハイヤット、ハイヤットレジデンシャルスウィート、西鉄グランド、エクセル東急、今は無くなった城山などのほか、小さいビジネスホテルも利用してきた。
どのホテルを利用するかを決定する場合、その旅行の内容や目的、同行者の有無、滞在日数に加え、立地条件、部屋の広さや設備なども考慮に入れなければならない。
博多滞在に関して私の場合は大きく3つの条件をホテル選択の基準としている。
1つ目は博多滞在が長いか短いか。又、博多滞在の前後に他の土地への旅行が付随しているかどうかである。2つ目には同行者がいるかどうか。3つ目には立地条件と宿泊費である。
以前は地下鉄・西新から徒歩15分ほどもあるハイヤットレジデンシャルスウィートを利用することが多かった。
レジデンスの名前の通り我が家のように炊事・洗濯の設備が整っているので滞在日数が長ければ何かと便利なのである。しかし、繁華街の中洲や天神^の往復を歩いてという距離ではないし、宿泊費も馬鹿にはならない。
宿泊費という点に関して言えは、グランドハイヤットや西鉄グランドなど選択肢には入らない。希望するホテルが満室で予約出来ない時にのみ利用してきただけである。
実際の料金を比べてみれば今回の『冷泉閣川端ホテル』の場合、日によって変動があるが、インターネットでの某ツーリストから予約を入れれば4泊分の総計が19500円である。以前でも通常1泊6000円であり、優待券を使用すれば500円割引きであったから、ハイヤットや西鉄グランドで1泊する料金で4泊出来るということになる。
この差は大きい。
勿論、居住性やホテル自体が有する品位の優劣は比ぶるべくもないが・・・
次ページでホテルの選択に関し、もう少し書いてみよう。
イライラしていた原因のひとつに、この飲食制限があったことも事実。
私の朝食は『ご飯・味噌汁・玉子焼(生卵可)』。これが朝食三種の神器であり、日本にいる限り先ず欠かすことが無い。これらに付け加えて納豆、焼き魚、海苔、漬物などが入るのだが、三種の神器さえ揃えば何の文句もない。
昼は適当に軽く済ますことが多いが、夜は酒肴に魚の刺身と少量?のお神酒があれば他は特段のこだわりは無い。
牛肉、豚肉、鶏肉でも魚でも、そして野菜であれ何でも良いのであるが、飲食するのは賑やかな方が良い。
しかし、飲食制限中は家内以外の誰かと飲食を共にするという賑やかさが無く、ご飯無し、肉類無し、お神酒無し、他の油脂類や糖質となるデンプンやアルコール類が一切無い、つまり、豆腐や納豆といった加工品と野菜や海藻類、それに若干の果物という内容で飲食するという変化に富む楽しさというものが全く無いのである。
しかし、旅の楽しみには飲食するということも大きな要因のひとつとなっているのであって、これを制限していたのでは旅の面白味が大きく損なわれてしまう。
で、旅行を始める時点より旅行を終える時点まで飲食制限を解き、全てを解禁日とすることにした。
真に勝手なものであるが、それでも若干の負い目を自分で感じていたのであろう、朝食は抜き、新幹線車内でも口にしたのは少量のお茶だけであった。
これまで博多行に同行してくれた息子たち・娘たちの全てが知っているように、博多駅に到着して直ぐに立ち寄る『かじ天』にも寄らず、地下鉄で中洲川端まで行き、『冷泉閣川端ホテル』まで寄り道もせずに歩いて行った。
左の写真が『冷泉閣川端ホテル』である。
博多では随分沢山のホテルを利用してきたが、ここ3年ばかりこのホテルを利用することが多い。
グランドハイヤット、ハイヤットレジデンシャルスウィート、西鉄グランド、エクセル東急、今は無くなった城山などのほか、小さいビジネスホテルも利用してきた。
どのホテルを利用するかを決定する場合、その旅行の内容や目的、同行者の有無、滞在日数に加え、立地条件、部屋の広さや設備なども考慮に入れなければならない。
博多滞在に関して私の場合は大きく3つの条件をホテル選択の基準としている。
1つ目は博多滞在が長いか短いか。又、博多滞在の前後に他の土地への旅行が付随しているかどうかである。2つ目には同行者がいるかどうか。3つ目には立地条件と宿泊費である。
以前は地下鉄・西新から徒歩15分ほどもあるハイヤットレジデンシャルスウィートを利用することが多かった。
レジデンスの名前の通り我が家のように炊事・洗濯の設備が整っているので滞在日数が長ければ何かと便利なのである。しかし、繁華街の中洲や天神^の往復を歩いてという距離ではないし、宿泊費も馬鹿にはならない。
宿泊費という点に関して言えは、グランドハイヤットや西鉄グランドなど選択肢には入らない。希望するホテルが満室で予約出来ない時にのみ利用してきただけである。
実際の料金を比べてみれば今回の『冷泉閣川端ホテル』の場合、日によって変動があるが、インターネットでの某ツーリストから予約を入れれば4泊分の総計が19500円である。以前でも通常1泊6000円であり、優待券を使用すれば500円割引きであったから、ハイヤットや西鉄グランドで1泊する料金で4泊出来るということになる。
この差は大きい。
勿論、居住性やホテル自体が有する品位の優劣は比ぶるべくもないが・・・
次ページでホテルの選択に関し、もう少し書いてみよう。
at 07:08|Permalink│
March 19, 2009
久し振りの『博多・紀行』
昨年5月初めに豊後を巡り、その足で博多から韓国を訪れた。
そして10月の初めであったかマイカーで陸路を九州に向かい、佐賀県北部から東シナ海に沿って長崎を巡り、島原から天草へ渡り、肥後の国を横断して豊後から四国・伊予、讃岐を経て帰宅するというノンビリした旅行を家内と共に行った。
しかしこの時、博多は都市高速で通過しただけだったので、今回博多で滞在するのはほぼ10ヶ月ぶりのこととなる。
ここ7年ばかりの間、季節が変わるごとに訪れてきた博多であり、これほど長い間のご無沙汰は初めてのことである。
儲けにもならない頼まれ事や、我が興味を満足させるような仕事のために暫く時間が空かなかったことが原因である。
仕事と言っても生涯をかけて行うライフワークと言えるほどのことでもなく、他人様から見れば、「それが仕事かい」と笑われそうなチャチなことなのだが、生来の性分と言うか、やりだしたらキッチリと納得がいくまで終えることが出来ないために時間が取れなかっただけなのである。
つまり自分で自分を縛り上げていながら、それでいて自らの解放を求めるのだから始末が悪い。
きっとイライラしている心理状態が言動に表れていたのであろう。
そのあたりの私の心情を読み取り、先月初めより「気晴らしに旅行にでも出かけてきたら」と賢妻は言ってくれていたのである。
真に有難いことである。
しかし、それで「はい、ありがとう」とスンナリ受け容れるのも全て見透かされていることを認めるようで、これは将に沽券に関わると、まあツマラン意地をひと月ばかり張っておった次第。
世に『悪妻は60年の不作』と言うが、私の場合、40年近くも豊作に恵まれたということである。
もっとも、『良妻とは』『悪妻とは』など禅問答に似て普遍的正答など有り得ない。
世界の悪妻の1人に数えられるソクラテスの妻・クサンチッペも真に悪妻であったのかどうか、周りの者たちから見て悪妻に見えたかもしれないがソクラテスにとっては良妻であったのかもしれない。
クサンチッペは偉大なる哲学者に負けず対等にしゃべっていたようであるから賢い人ではあったろう。
良妻賢母という言葉もあるが、普遍一律のものでは無い。
宗教、道徳、政治、学問、芸術など、その人の所属する社会の体制・文化によって価値基準は変わるものだから『良妻』であれ『悪妻』であれ個々の評定が絶対的なものであると結論付けるのが妥当であろう。
ともあれ、私は私の良妻の勧めに従って久し振りに博多を訪れることにした。
繰り返すようだが、『良妻』が旅行を勧めてくれたことは心底有難いことであった。が、今ひとつ願い得るなら旅費・小遣いを出してくれていたら、これはもう最高・最良の妻であったのだが・・・
ぶっはははは。
鬼嫁と呼ばれている北斗やジャガー何とかいう元女子プロレスラーが嫁ならば忽ち一発殴られるか蹴られるかだろうなあ。
【久し振りの博多・紀行は次回に続く】
そして10月の初めであったかマイカーで陸路を九州に向かい、佐賀県北部から東シナ海に沿って長崎を巡り、島原から天草へ渡り、肥後の国を横断して豊後から四国・伊予、讃岐を経て帰宅するというノンビリした旅行を家内と共に行った。
しかしこの時、博多は都市高速で通過しただけだったので、今回博多で滞在するのはほぼ10ヶ月ぶりのこととなる。
ここ7年ばかりの間、季節が変わるごとに訪れてきた博多であり、これほど長い間のご無沙汰は初めてのことである。
儲けにもならない頼まれ事や、我が興味を満足させるような仕事のために暫く時間が空かなかったことが原因である。
仕事と言っても生涯をかけて行うライフワークと言えるほどのことでもなく、他人様から見れば、「それが仕事かい」と笑われそうなチャチなことなのだが、生来の性分と言うか、やりだしたらキッチリと納得がいくまで終えることが出来ないために時間が取れなかっただけなのである。
つまり自分で自分を縛り上げていながら、それでいて自らの解放を求めるのだから始末が悪い。
きっとイライラしている心理状態が言動に表れていたのであろう。
そのあたりの私の心情を読み取り、先月初めより「気晴らしに旅行にでも出かけてきたら」と賢妻は言ってくれていたのである。
真に有難いことである。
しかし、それで「はい、ありがとう」とスンナリ受け容れるのも全て見透かされていることを認めるようで、これは将に沽券に関わると、まあツマラン意地をひと月ばかり張っておった次第。
世に『悪妻は60年の不作』と言うが、私の場合、40年近くも豊作に恵まれたということである。
もっとも、『良妻とは』『悪妻とは』など禅問答に似て普遍的正答など有り得ない。
世界の悪妻の1人に数えられるソクラテスの妻・クサンチッペも真に悪妻であったのかどうか、周りの者たちから見て悪妻に見えたかもしれないがソクラテスにとっては良妻であったのかもしれない。
クサンチッペは偉大なる哲学者に負けず対等にしゃべっていたようであるから賢い人ではあったろう。
良妻賢母という言葉もあるが、普遍一律のものでは無い。
宗教、道徳、政治、学問、芸術など、その人の所属する社会の体制・文化によって価値基準は変わるものだから『良妻』であれ『悪妻』であれ個々の評定が絶対的なものであると結論付けるのが妥当であろう。
ともあれ、私は私の良妻の勧めに従って久し振りに博多を訪れることにした。
繰り返すようだが、『良妻』が旅行を勧めてくれたことは心底有難いことであった。が、今ひとつ願い得るなら旅費・小遣いを出してくれていたら、これはもう最高・最良の妻であったのだが・・・
ぶっはははは。
鬼嫁と呼ばれている北斗やジャガー何とかいう元女子プロレスラーが嫁ならば忽ち一発殴られるか蹴られるかだろうなあ。
【久し振りの博多・紀行は次回に続く】
at 09:36|Permalink│
March 08, 2009
お彼岸を前に (墓参)・・・不思議なこと
毎朝4時起きの生活パターンが続く私だが、今朝は3時に目覚めて、あと1時間だけ眠ろうと横になった。
しかし、眠りは1時間では済まず、ガタガタ鳴る音と揺れで起こされた。
丁度6時であったろうか、地震である。
予震を感じることなく、いきなりの本震であったので、震源地は近いと思ったが揺れは長く続かなかったのでベッドで布団を被ったまま揺れが治まるのを待った。
古来、怖いものを『地震・雷・火事・親父』と言ってきたが、私の場合は『親父』を抜いて、『台風』に置き換えている。
火事は人為的なものが殆どで、防ごうと思えば防げないことではない。
しかし、自然現象については何ともし難いことゆえ、未だに恐ろしい。
子どもの頃のジェーン台風の記憶が今も鮮明に残る。
父親は職責上、庁舎に詰めていたため、我が家は母親と私の2人で守らねばならなかった。
この時の台風は凄いもので、屋根瓦が飛んでいくのを見たし、床下に入り込む暴風のために座敷の畳が浮き上がる様を見たのである。
ガラス張りの窓や戸は予め父親が板を打ちつけ、座敷などの畳の上には座卓をひっくり返して伏せたり、火鉢などの重量物を出してきて置いたり、体重が軽かった私も重しの代わりとして畳の上に座っていたが、この時の暴風は、そんな私をも畳ごと持ち上げる勢いであった。
今は亡き両親であるが、思い出は多い。
その両親のほか、祖父母、叔父、叔母、義母、それに我が息子の遺骨も納めてある我が家のお墓へ家内と雨が上がった本日参ってきた。
古くからのお墓は別途あるのだが、30数年前に大阪・北摂の霊園に父親が新たに建立したものである。
昨年、私の従兄弟も同じ霊園に墓を建て分骨したので、墓参りに行けば2箇所に参ることになったのだが、彼岸の入りを前にお花を供えているお墓が沢山あった。
そう言う私も彼岸にお参りに行けないかもしれないので出かけたのだが。
ところが、これは偶然・・・それ以上の何かあるのかもと思うようなことがあった。
我が家への宅配便はクロネコ、ペリカン、佐川、ゆうパックの4社と、その顔ぶれがいつも同じなのだが、ペリカンの男は我が家の丘を下った所に店を構えており、30年も以前からの顔見知りなのである。
2つ目の墓参りを終えて帰ろうとした際、いつものペリカンの軽自動車が停車しているのを見かけたもので「おやっ」と思い、通り過ぎてから少し車をバックさせて運転手の横顔を見れば・・・なんと、ペリカンの男。
何と奇遇なと、互いに車の窓を開けてご挨拶。後部には奥さんも乗せて墓参りに来ていたのだと。
今回だけなら単なる偶然で済んでしまうのだが、このペリカンの男とは以前にも不思議な出会いがあったのである。
数年前になるが、家内と車で淡路島から四国・徳島を旅したことがあった。
丁度、鳴門の大塚美術館を巡っていた時に、業界の親睦旅行で来ているのだという件のペリカンの男とバッタリ出会ったのである。
その折も今日も、互いに現地で会うための計画を相談したこともなければ、互いに同じ場所へ行くということすら知らなかったのである。
と言うよりも、彼との関係は顔見知りというだけであり、配達される荷物を受け取る時の挨拶をする程度の間柄に過ぎないのである。
顔見知りであり、互いに近くに住まいしているのであるから日本の何処で会っても不思議では無いかもしれない。
が、同日、同時刻に広い座標の中の小さな1点に全く自由に動く2つの軸(点)が交わるなどということは、これは単に偶然という言葉では言い表せないような気がしたのである。
奇遇という言葉でもピッタリこないような・・・
世の中には説明出来ないことがあるものだと、今日の一件もそのように思えることであった。
しかし、眠りは1時間では済まず、ガタガタ鳴る音と揺れで起こされた。
丁度6時であったろうか、地震である。
予震を感じることなく、いきなりの本震であったので、震源地は近いと思ったが揺れは長く続かなかったのでベッドで布団を被ったまま揺れが治まるのを待った。
古来、怖いものを『地震・雷・火事・親父』と言ってきたが、私の場合は『親父』を抜いて、『台風』に置き換えている。
火事は人為的なものが殆どで、防ごうと思えば防げないことではない。
しかし、自然現象については何ともし難いことゆえ、未だに恐ろしい。
子どもの頃のジェーン台風の記憶が今も鮮明に残る。
父親は職責上、庁舎に詰めていたため、我が家は母親と私の2人で守らねばならなかった。
この時の台風は凄いもので、屋根瓦が飛んでいくのを見たし、床下に入り込む暴風のために座敷の畳が浮き上がる様を見たのである。
ガラス張りの窓や戸は予め父親が板を打ちつけ、座敷などの畳の上には座卓をひっくり返して伏せたり、火鉢などの重量物を出してきて置いたり、体重が軽かった私も重しの代わりとして畳の上に座っていたが、この時の暴風は、そんな私をも畳ごと持ち上げる勢いであった。
今は亡き両親であるが、思い出は多い。
その両親のほか、祖父母、叔父、叔母、義母、それに我が息子の遺骨も納めてある我が家のお墓へ家内と雨が上がった本日参ってきた。
古くからのお墓は別途あるのだが、30数年前に大阪・北摂の霊園に父親が新たに建立したものである。
昨年、私の従兄弟も同じ霊園に墓を建て分骨したので、墓参りに行けば2箇所に参ることになったのだが、彼岸の入りを前にお花を供えているお墓が沢山あった。
そう言う私も彼岸にお参りに行けないかもしれないので出かけたのだが。
ところが、これは偶然・・・それ以上の何かあるのかもと思うようなことがあった。
我が家への宅配便はクロネコ、ペリカン、佐川、ゆうパックの4社と、その顔ぶれがいつも同じなのだが、ペリカンの男は我が家の丘を下った所に店を構えており、30年も以前からの顔見知りなのである。
2つ目の墓参りを終えて帰ろうとした際、いつものペリカンの軽自動車が停車しているのを見かけたもので「おやっ」と思い、通り過ぎてから少し車をバックさせて運転手の横顔を見れば・・・なんと、ペリカンの男。
何と奇遇なと、互いに車の窓を開けてご挨拶。後部には奥さんも乗せて墓参りに来ていたのだと。
今回だけなら単なる偶然で済んでしまうのだが、このペリカンの男とは以前にも不思議な出会いがあったのである。
数年前になるが、家内と車で淡路島から四国・徳島を旅したことがあった。
丁度、鳴門の大塚美術館を巡っていた時に、業界の親睦旅行で来ているのだという件のペリカンの男とバッタリ出会ったのである。
その折も今日も、互いに現地で会うための計画を相談したこともなければ、互いに同じ場所へ行くということすら知らなかったのである。
と言うよりも、彼との関係は顔見知りというだけであり、配達される荷物を受け取る時の挨拶をする程度の間柄に過ぎないのである。
顔見知りであり、互いに近くに住まいしているのであるから日本の何処で会っても不思議では無いかもしれない。
が、同日、同時刻に広い座標の中の小さな1点に全く自由に動く2つの軸(点)が交わるなどということは、これは単に偶然という言葉では言い表せないような気がしたのである。
奇遇という言葉でもピッタリこないような・・・
世の中には説明出来ないことがあるものだと、今日の一件もそのように思えることであった。
at 17:45|Permalink│
返書に先立って
ある友人から「最近、どうしているのかな?」という内容の手紙を受け取った。
友人曰く、「時折、ブログを見ることで貴兄の動静を推量してきたが、暫時更新されぬゆえ気になり・・・」云々。
むむむ・・・
1月は遠に往に、2月は既に逃げ、3月も8日となり春の彼岸の入りも目前。遠からず3月も去って行く。
別に、のうのうと日々を送ってきたわけでは無いが、ブログを更新する暇が無かったことは事実。
さりとて一心不乱に事に当たりたることも無いまま、いつの間にか時の流れるままに身を委ねていたような・・・
『歳月不待人』
陶淵明の詩の一節である。
若き頃、『盛年重ねて来らず、一日再び晨なり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月は人を待たず』、『少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず』と聞かされた。
いずれもよく知られた漢詩の一節である。
後者は朱子の作と思っていたが、10年ほど前に異説があると聞かされてそのままになっていたことを思い出した。
いずれも勉学に励めということであると思い込んでいたのだが・・・
漢詩の横書きというのは何だかピンとこないが、後者は
少年易老学難成 (少年老い易く学成り難し)
一寸光陰不可軽 (一寸の光陰軽んずべからず)
未覚池塘春草夢 (未だ覚めず池塘春草の夢)
階前梧葉已秋声 (階前の梧葉已に秋声)
なるほど、これは学ぶことの奨励であると納得である。
しかし、前者の詩を見れば、
人生無根蔕 (人生根蔕無く)
飄如陌上塵 (飄として陌上の塵の如し)
分散逐風轉 (分散し風を逐って転じ)
此已非常身 (此れ已に常の身に非ず)
落地爲兄弟 (地に落ちては兄弟と為る)
何必骨肉親 (何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや)
得歡當作樂 (歓を得なば富に楽しみを作すべし)
斗酒聚比鄰 (斗酒比隣を聚めよ)
盛年不重來 (盛年重ねては来たらず)
一日難再晨 (一日再びは晨なりがたし)
及時當勉勵 (時に及んで當に勉励すべし)
歳月不待人 (歳月人を待たず)
確かに後段の4行だけを見れば勉学奨励の感あれど、その前段を見れば、「人として生まれたならば等しく皆兄弟じゃないか。肉親ばかりじゃない。歓びごとがあれば大いに楽しもうじゃないか。沢山の酒があれば近くの者たちにも声を掛けて集まろうじゃないか」と、何とも素晴らしいことを語っているのである。
「人間の人生なんて根無し草のようなもの。風が吹けば何処へか飛んでいってしまうような塵や埃のようなもので、いつも同じであったり元に戻るようなものではない。元気の盛んな年頃は二度とは来ないんだ。今日という日の朝も二度と迎えることは無い。良い機会があれば大いに楽しもうじゃないか。歳月は待ってはくれないのだからね。」と。
だからこそ、2連の「歓びごとがあれば大いに楽しもうじゃないか。沢山の酒があれば近くの者たちにも声を掛けて集まろうじゃないか」、『さあ、一緒に酒を酌み交わそう』『楽しくやろうでは無いか』と言っているのである。
素晴らしいではないか。
ぶっははははは。
が、しかし、捲土重来を期して我輩は現在酒食制限中なれば、今暫し・・・
貴殿とは違い酒食であるゆえ誤解無きよう。
酒色ではないゆえ、くれぐれも。
ぶっははははは。
近況報告・・・これで宜しいかな?
友人曰く、「時折、ブログを見ることで貴兄の動静を推量してきたが、暫時更新されぬゆえ気になり・・・」云々。
むむむ・・・
1月は遠に往に、2月は既に逃げ、3月も8日となり春の彼岸の入りも目前。遠からず3月も去って行く。
別に、のうのうと日々を送ってきたわけでは無いが、ブログを更新する暇が無かったことは事実。
さりとて一心不乱に事に当たりたることも無いまま、いつの間にか時の流れるままに身を委ねていたような・・・
『歳月不待人』
陶淵明の詩の一節である。
若き頃、『盛年重ねて来らず、一日再び晨なり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月は人を待たず』、『少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず』と聞かされた。
いずれもよく知られた漢詩の一節である。
後者は朱子の作と思っていたが、10年ほど前に異説があると聞かされてそのままになっていたことを思い出した。
いずれも勉学に励めということであると思い込んでいたのだが・・・
漢詩の横書きというのは何だかピンとこないが、後者は
少年易老学難成 (少年老い易く学成り難し)
一寸光陰不可軽 (一寸の光陰軽んずべからず)
未覚池塘春草夢 (未だ覚めず池塘春草の夢)
階前梧葉已秋声 (階前の梧葉已に秋声)
なるほど、これは学ぶことの奨励であると納得である。
しかし、前者の詩を見れば、
人生無根蔕 (人生根蔕無く)
飄如陌上塵 (飄として陌上の塵の如し)
分散逐風轉 (分散し風を逐って転じ)
此已非常身 (此れ已に常の身に非ず)
落地爲兄弟 (地に落ちては兄弟と為る)
何必骨肉親 (何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや)
得歡當作樂 (歓を得なば富に楽しみを作すべし)
斗酒聚比鄰 (斗酒比隣を聚めよ)
盛年不重來 (盛年重ねては来たらず)
一日難再晨 (一日再びは晨なりがたし)
及時當勉勵 (時に及んで當に勉励すべし)
歳月不待人 (歳月人を待たず)
確かに後段の4行だけを見れば勉学奨励の感あれど、その前段を見れば、「人として生まれたならば等しく皆兄弟じゃないか。肉親ばかりじゃない。歓びごとがあれば大いに楽しもうじゃないか。沢山の酒があれば近くの者たちにも声を掛けて集まろうじゃないか」と、何とも素晴らしいことを語っているのである。
「人間の人生なんて根無し草のようなもの。風が吹けば何処へか飛んでいってしまうような塵や埃のようなもので、いつも同じであったり元に戻るようなものではない。元気の盛んな年頃は二度とは来ないんだ。今日という日の朝も二度と迎えることは無い。良い機会があれば大いに楽しもうじゃないか。歳月は待ってはくれないのだからね。」と。
だからこそ、2連の「歓びごとがあれば大いに楽しもうじゃないか。沢山の酒があれば近くの者たちにも声を掛けて集まろうじゃないか」、『さあ、一緒に酒を酌み交わそう』『楽しくやろうでは無いか』と言っているのである。
素晴らしいではないか。
ぶっははははは。
が、しかし、捲土重来を期して我輩は現在酒食制限中なれば、今暫し・・・
貴殿とは違い酒食であるゆえ誤解無きよう。
酒色ではないゆえ、くれぐれも。
ぶっははははは。
近況報告・・・これで宜しいかな?
at 14:21|Permalink│