May 2009
May 24, 2009
可愛い来訪者
『ピンポーン』
来客を知らせる音が鳴る。
モニター画面を見ればHさんと、その後ろにY君の車が見える。
家内が応答しているのだが、私の方も別のモニターで確認している。
家にいることが多くなって以来、来訪者によっては門まで出ることなくモニターを見ながら用件を済ませてしまうことが多くなった。
しかし、来客はY君とHさんであり、家内が外へ出て行った。
その家内が戻ってくるなり
「Y君とHさんがKちゃんを連れてきてくれたよ。」
と明るい声で告げてくれた。
部屋へ招いた可愛い来訪者は父親・Y君のゴツイ腕の中。
Kちゃん誕生後、我が家へ初めての訪問である。
何人もの孫を抱かせてもらったが、赤ちゃんはとりわけ可愛いものである。
体重5kg。
4月3日生まれだから52日目。
体も可愛い女の子だが顔つきも可愛い。
ところが4日前にHさんのご両親が大分より来られ、そのお父さんが初孫になるKちゃんを見るなり、
「何と、この子は鼻がぺしゃげとるがな。」
と言われたとか。
おいおい、祖父さんが孫娘のことをそんな風に言うかい?
そう言えば、Hさんが幼かった頃にも同じことを「父親によく言われました」と語っていたことを思い出した。
Hさんのお父さんとは大分で親しくお話をさせていただいたことがあるので、その人となりは私なりに理解しているが、多分『照れ隠し』、つまり初孫ができてとても嬉しいし可愛いとは思うけれど、素直に表現できないために口をついて出た言葉が「ぺしゃげている」(ひしゃげている)であったのだろう。
失礼な分類をするようだが、昔人(むかしびと)や田舎人、或いは武士、侍のような者によく見受けられるタイプの御仁である。
いやはや愉快な御仁である。 が、私も同類かも・・・
写真の通りKちゃんはなかなか可愛い子である。
Y君とHさんのお嬢さんなのだから賢くて美人なのは間違いないであろうが、二人の優秀な部分を受け継いで誕生しているので、その乗数効果を考え合わせれば・・・
それにつけてもY君が斯様にいそいそと甘い父親姿に変身するなど想像だに出来なかったことである。
このような『ピンポーン』なら何時でも大歓迎なのだが。
来客を知らせる音が鳴る。
モニター画面を見ればHさんと、その後ろにY君の車が見える。
家内が応答しているのだが、私の方も別のモニターで確認している。
家にいることが多くなって以来、来訪者によっては門まで出ることなくモニターを見ながら用件を済ませてしまうことが多くなった。
しかし、来客はY君とHさんであり、家内が外へ出て行った。
その家内が戻ってくるなり
「Y君とHさんがKちゃんを連れてきてくれたよ。」
と明るい声で告げてくれた。
部屋へ招いた可愛い来訪者は父親・Y君のゴツイ腕の中。
Kちゃん誕生後、我が家へ初めての訪問である。
何人もの孫を抱かせてもらったが、赤ちゃんはとりわけ可愛いものである。
体重5kg。
4月3日生まれだから52日目。
体も可愛い女の子だが顔つきも可愛い。
ところが4日前にHさんのご両親が大分より来られ、そのお父さんが初孫になるKちゃんを見るなり、
「何と、この子は鼻がぺしゃげとるがな。」
と言われたとか。
おいおい、祖父さんが孫娘のことをそんな風に言うかい?
そう言えば、Hさんが幼かった頃にも同じことを「父親によく言われました」と語っていたことを思い出した。
Hさんのお父さんとは大分で親しくお話をさせていただいたことがあるので、その人となりは私なりに理解しているが、多分『照れ隠し』、つまり初孫ができてとても嬉しいし可愛いとは思うけれど、素直に表現できないために口をついて出た言葉が「ぺしゃげている」(ひしゃげている)であったのだろう。
失礼な分類をするようだが、昔人(むかしびと)や田舎人、或いは武士、侍のような者によく見受けられるタイプの御仁である。
いやはや愉快な御仁である。 が、私も同類かも・・・
写真の通りKちゃんはなかなか可愛い子である。
Y君とHさんのお嬢さんなのだから賢くて美人なのは間違いないであろうが、二人の優秀な部分を受け継いで誕生しているので、その乗数効果を考え合わせれば・・・
それにつけてもY君が斯様にいそいそと甘い父親姿に変身するなど想像だに出来なかったことである。
このような『ピンポーン』なら何時でも大歓迎なのだが。
at 13:28|Permalink│
May 14, 2009
広島 ・ ちょっとした『こだわり』
大阪・博多間の往復切符の有効期間が10日間であることに間違いはない。
いつも大阪環状線某駅のみどりの窓口で往復乗車券と新幹線の切符を購入し、往路か復路で広島に途中下車してきたというのが私の旅行パターンであった。
ところが今回、博多駅で広島駅途中下車を告げて新幹線指定席を買おうとすると広島での途中下車は出来ないと言われた。
そして、途中下車するなら切符は無効となるので博多・広島間の切符を新たに買うのが安いと・・・で、結局博多・広島間の乗車券プラス新幹線特急券に指定席券を購入することになった。
博多駅のみどりの窓口係員は、「お持ちの復路の切符は広島駅から有効になります」と言っていた。
何かスッキリしないのである。
つまり往復新幹線乗車券ならば復路の乗車券と新幹線特急券については既に支払っているはずなので、博多・広島間の指定席を取るつもりならその分だけを支払えば済むはずであり、博多・広島間の乗車券、新幹線特急券、指定券代金を別途支払わねばならないというのが理解できず納得がいかないのである。
係員の説明もイマイチ。 JRはん、何かオカシイのんと違いまっか。
これまで出来てたことが何で出来しまへんねん。
ちょっと気分の悪い博多からの旅立ちとなったものの、広島到着で気分一新。
前回の記事とごっちゃになるが、日曜日の夜は広島・流川のお店もほとんどが休業。
『どんどん』は月曜日が定休日なので、この夜も美味しいお魚を頂きに行き、真面目に早い時刻にホテルに戻った。
しかし、もう少し飲みたいと思ってホテル最上階の『リーガ・トップ』へ行ってみた。
ここはバーカウンターとイタリアンのレストランがあり、夜景が綺麗に見えるのである。
レストランは何度か利用したし美味しいお魚を食べてきたので今回はバーカウンターに座ることにした。
私の飲み物は決まっておりスコッチ(グレンフィディック)・モルトウィスキーかサッポロビールである。
しかしギネスがあったのでクリーミーな泡立ちを楽しみたいと写真の通り1パイントだけ。 喉が渇いていたこともあって旨かった。
レストランの方はそこそこの入り。 バーカウンターを挟んだラウンジの方では結婚式の二次会だろうか随分盛り上がっていた。 日曜日の夜にホテルのバーで1人飲むというのは何とも侘しいものである。
長いカウンターには私一人。
フロア担当の若いホステス達が結婚式二次会の会場とバーカウンターの間を忙しそうに頻繁に行き来している。 盆に載せて運んでいるのは殆どがサワーカクテルだ。
広島のハイグレードなホテルのトップラウンジを借り切って二次会を開くカップル・・・?
街中でベンツやジャガーを乗り回している学生かと思えるような男や女を見かけることが度々あるが、き奴らは一体何者と思う気持ちがラウンジの新婚カップルにも感じられた。
ぶっははははは、貧乏人のヒガミと言われれば、それまでのことだが。
中年の男性が若い女性と連れ立ってカウンターに座り注文したのが『鶴』の水割り。 親密な間柄なのか寄り添って何事かを話していたようだが30分ほどで席を立ち、再びカウンターには私だけ。
そんな私を気遣ってくれたのか、それとも・・・悲しいことだが孤高(気高いという意味ではない)のオジンに同情してくれたのか、ラウンジへのカクテル作りの合間に若い女性バーテンダーが話しかけに来てくれた。
「お強いのですね。」
「それほどでもないが。しかし、さすがに広島じゃねえ。『鶴』を注文されよる。」
「そうですね。結構人気があります。」
『鶴』は現在アサヒビールが販売しているが、北海道・余市のニッカウヰスキーの製造であり、ニッカウヰスキーの創業者は竹鶴政孝、広島県竹原市の出身である。竹鶴氏は旧制の大阪高等工業学校醸造科(後の浪速大学・現・府立大学)を卒業後、(株)寿屋・後のサントリーに入社、ウヰスキー製造を始めた時の山崎工場の責任者でもあった。(以前に小樽の項でも書いた)
以前、ミナミのショットバーで『竹鶴35年』を味わうという仲間に入って飲んだことがあるが、これはウヰスキーのイメージの枠外、別格ものとの印象を受けた。 味わい、香り等々ウマイのひと言で他の修飾語を必要としないものであった。
私が洋酒を飲み始めた頃はトリスバーかニッカバーしか無かったように記憶するが、当時のウィスキーというのはエタノールに色を付けた程度の辛く刺激の強いものでしかなかった。 その記憶に比べると今のウィスキーはどれも美味しいと思ってしまうが、美味しいものでもそれぞれに段階わけできるものであり、『竹鶴35年』はやはり別格とするのが適切である。
この夜も気持ちよく眠る事が出来たのは言うまでも無い。
広島に立ち寄るとリーガロイヤルの隣に『そごう』があるので、そこの地下にある『山豊』の店をのぞき、写真の広島菜の漬物を我が家送りにしている。
私は菜っ葉が好きで・・・蝶々ではないが緑色をした菜っ葉は嫌いなものが無いのである。 勿論、白っぽい色の白菜も好きである。
漬物では、とりわけ野沢菜、広島菜、高菜などの塩漬けが大好物。自宅送りにしても殆どが私用であると言えるが『山豊』の店に置いている広島菜の漬物が好みである。
ただ大きいもの、つまり3kg以上のものは買わない。 量が多過ぎると食べきる前にカビを生やして勿体無いことになってしまうからである。
写真の『からいけん』も『山豊』の店に置いている漬物だが、これはピリッと辛くて少し歯応えのあるもので熱いご飯にも酒のあてとしてもウマイものである。
広島でのこだわりの二品である。 が、直ぐに無くなってしまうのが残念。
菜っ葉が好きであることは書いた通り漬物も好きであり、漬物は菜っ葉に限らずカブラ、大根なども、そしてキュウリやナスなども好きである。
塩漬け、醤油漬け、味噌漬け、酢漬けと何でも好きだが、甘酢に漬けたものだけは好きになれない。
赤カブは好物のひとつであるが甘酢漬けだけはダメである。 京都の千枚漬けは別。
赤カブと言えば和久俊三氏の作品に『赤かぶ検事』があり、赤かぶ検事こと柊検事の大好物が赤かぶとチリメンジャコを熱いご飯の上に載せたものとされている。
まるで赤かぶ検事か和久俊三氏が始めた食べ方のようであるが、小説が発表される遥か以前から私の好きな食べ方である。 私がそのような食べ方をすると「赤かぶ検事の真似をしている」と言われることがあるが、こちらが本家本元であるので断っておく・・・蛇足ではあるが。
いつも大阪環状線某駅のみどりの窓口で往復乗車券と新幹線の切符を購入し、往路か復路で広島に途中下車してきたというのが私の旅行パターンであった。
ところが今回、博多駅で広島駅途中下車を告げて新幹線指定席を買おうとすると広島での途中下車は出来ないと言われた。
そして、途中下車するなら切符は無効となるので博多・広島間の切符を新たに買うのが安いと・・・で、結局博多・広島間の乗車券プラス新幹線特急券に指定席券を購入することになった。
博多駅のみどりの窓口係員は、「お持ちの復路の切符は広島駅から有効になります」と言っていた。
何かスッキリしないのである。
つまり往復新幹線乗車券ならば復路の乗車券と新幹線特急券については既に支払っているはずなので、博多・広島間の指定席を取るつもりならその分だけを支払えば済むはずであり、博多・広島間の乗車券、新幹線特急券、指定券代金を別途支払わねばならないというのが理解できず納得がいかないのである。
係員の説明もイマイチ。 JRはん、何かオカシイのんと違いまっか。
これまで出来てたことが何で出来しまへんねん。
ちょっと気分の悪い博多からの旅立ちとなったものの、広島到着で気分一新。
前回の記事とごっちゃになるが、日曜日の夜は広島・流川のお店もほとんどが休業。
『どんどん』は月曜日が定休日なので、この夜も美味しいお魚を頂きに行き、真面目に早い時刻にホテルに戻った。
しかし、もう少し飲みたいと思ってホテル最上階の『リーガ・トップ』へ行ってみた。
ここはバーカウンターとイタリアンのレストランがあり、夜景が綺麗に見えるのである。
レストランは何度か利用したし美味しいお魚を食べてきたので今回はバーカウンターに座ることにした。
私の飲み物は決まっておりスコッチ(グレンフィディック)・モルトウィスキーかサッポロビールである。
しかしギネスがあったのでクリーミーな泡立ちを楽しみたいと写真の通り1パイントだけ。 喉が渇いていたこともあって旨かった。
レストランの方はそこそこの入り。 バーカウンターを挟んだラウンジの方では結婚式の二次会だろうか随分盛り上がっていた。 日曜日の夜にホテルのバーで1人飲むというのは何とも侘しいものである。
長いカウンターには私一人。
フロア担当の若いホステス達が結婚式二次会の会場とバーカウンターの間を忙しそうに頻繁に行き来している。 盆に載せて運んでいるのは殆どがサワーカクテルだ。
広島のハイグレードなホテルのトップラウンジを借り切って二次会を開くカップル・・・?
街中でベンツやジャガーを乗り回している学生かと思えるような男や女を見かけることが度々あるが、き奴らは一体何者と思う気持ちがラウンジの新婚カップルにも感じられた。
ぶっははははは、貧乏人のヒガミと言われれば、それまでのことだが。
中年の男性が若い女性と連れ立ってカウンターに座り注文したのが『鶴』の水割り。 親密な間柄なのか寄り添って何事かを話していたようだが30分ほどで席を立ち、再びカウンターには私だけ。
そんな私を気遣ってくれたのか、それとも・・・悲しいことだが孤高(気高いという意味ではない)のオジンに同情してくれたのか、ラウンジへのカクテル作りの合間に若い女性バーテンダーが話しかけに来てくれた。
「お強いのですね。」
「それほどでもないが。しかし、さすがに広島じゃねえ。『鶴』を注文されよる。」
「そうですね。結構人気があります。」
『鶴』は現在アサヒビールが販売しているが、北海道・余市のニッカウヰスキーの製造であり、ニッカウヰスキーの創業者は竹鶴政孝、広島県竹原市の出身である。竹鶴氏は旧制の大阪高等工業学校醸造科(後の浪速大学・現・府立大学)を卒業後、(株)寿屋・後のサントリーに入社、ウヰスキー製造を始めた時の山崎工場の責任者でもあった。(以前に小樽の項でも書いた)
以前、ミナミのショットバーで『竹鶴35年』を味わうという仲間に入って飲んだことがあるが、これはウヰスキーのイメージの枠外、別格ものとの印象を受けた。 味わい、香り等々ウマイのひと言で他の修飾語を必要としないものであった。
私が洋酒を飲み始めた頃はトリスバーかニッカバーしか無かったように記憶するが、当時のウィスキーというのはエタノールに色を付けた程度の辛く刺激の強いものでしかなかった。 その記憶に比べると今のウィスキーはどれも美味しいと思ってしまうが、美味しいものでもそれぞれに段階わけできるものであり、『竹鶴35年』はやはり別格とするのが適切である。
この夜も気持ちよく眠る事が出来たのは言うまでも無い。
広島に立ち寄るとリーガロイヤルの隣に『そごう』があるので、そこの地下にある『山豊』の店をのぞき、写真の広島菜の漬物を我が家送りにしている。
私は菜っ葉が好きで・・・蝶々ではないが緑色をした菜っ葉は嫌いなものが無いのである。 勿論、白っぽい色の白菜も好きである。
漬物では、とりわけ野沢菜、広島菜、高菜などの塩漬けが大好物。自宅送りにしても殆どが私用であると言えるが『山豊』の店に置いている広島菜の漬物が好みである。
ただ大きいもの、つまり3kg以上のものは買わない。 量が多過ぎると食べきる前にカビを生やして勿体無いことになってしまうからである。
写真の『からいけん』も『山豊』の店に置いている漬物だが、これはピリッと辛くて少し歯応えのあるもので熱いご飯にも酒のあてとしてもウマイものである。
広島でのこだわりの二品である。 が、直ぐに無くなってしまうのが残念。
菜っ葉が好きであることは書いた通り漬物も好きであり、漬物は菜っ葉に限らずカブラ、大根なども、そしてキュウリやナスなども好きである。
塩漬け、醤油漬け、味噌漬け、酢漬けと何でも好きだが、甘酢に漬けたものだけは好きになれない。
赤カブは好物のひとつであるが甘酢漬けだけはダメである。 京都の千枚漬けは別。
赤カブと言えば和久俊三氏の作品に『赤かぶ検事』があり、赤かぶ検事こと柊検事の大好物が赤かぶとチリメンジャコを熱いご飯の上に載せたものとされている。
まるで赤かぶ検事か和久俊三氏が始めた食べ方のようであるが、小説が発表される遥か以前から私の好きな食べ方である。 私がそのような食べ方をすると「赤かぶ検事の真似をしている」と言われることがあるが、こちらが本家本元であるので断っておく・・・蛇足ではあるが。
at 03:54|Permalink│
May 13, 2009
広島・いつものルートで
九州・博多へ向かうと帰りには必ず広島に立ち寄ってきた。
理由はいろいろとある。
大阪から往復乗車券の有効期間が10日間あるということも1つの理由で、有効期間内、つまり往路帰路において途中下車ができることである。
それに広島は先輩、同輩、後輩が多いのでたまに会うと楽しいことも1つ。
『ひろしま美術館』に寄れることも魅力である。
更に、食べ物が美味しいし、「ただいまっ」って我が家へ帰るような馴染みの店があることも1つの理由である。
滞在日数が少なく、それぞれに充てる時間が少ないものだから比較的短い時間で次の店を訪れることになるのだが、店を出る時「檀家まわりが忙しいですな」と皮肉を聞かされることとなるる。
が、「そんなの関係ねえ」と私は知らん振りを決め込むのである。
今回は土曜日曜と泊まり、月曜には帰らなければならなかったので、日曜日が休みの所は土曜日に訪れるというようにダイヤ編成もぬかりなくやっておかねばならなかった。
これは前回訪れた時の分だが携帯カメラの写真なので色合いがイマイチ。 しかし味わいは抜群。
日本海・浜田より直送のノドグロ(喉黒)のお造りである。 鮮度が問題なのでお造りで食べることができるのは珍しい。 今や高級魚になってしまった。
流川中通りの『通』で頂いたが干物とはやはり異なる。 当然と言えば当然なのであるが、脂が乗っていながらしつこくない味わい。 これの表現は難しい。
この店では軽く食事も頂くことが多い。 食べる量はさほど多くないので主人には悪いなあと思いつつ鯖寿司であったり穴子寿司であったり押し寿司を「2貫だけ」って頼むのである。
全く難儀な客であるが、いつも快く無理を聞いてくれる主人なのである。
今回は土曜日に広島を訪れたので流川の『どんどん』でお魚を頂いた。
『どんどん』については何度も書いているが、この店では瀬戸内海の魚を頂くのである。
下は、真鯖のお造りである。 魚の新鮮さは写真でも分かるだろう。 青竹の器には鯖の切り身を胡麻と醤油で和えたもの。 久し振りに店長が調理してくれたがウマイの何の。 和え物はお代わりしてしまった。
下はカワハギのお造り。
これをハゲの薄造りなどと言う輩がいるが、間違いではない、が、周囲を見てから注文しよう。 気を悪くする人がいるかもしれぬ。 ぶっはははは
たっぷりと肝が入っていたが、肝の時期としては終わりかな。 湯引きも添えてもらって大満足であった。
この日は『どんどん』で美味しいお魚を頂いたので『赤い鳥』へ行ってママとおしゃべり。 客が何人か連れ立って来たので早めに切り上げてホテルへ戻った。
おとなしく早めにホテルへ帰って寝ることもあるのだ。
理由はいろいろとある。
大阪から往復乗車券の有効期間が10日間あるということも1つの理由で、有効期間内、つまり往路帰路において途中下車ができることである。
それに広島は先輩、同輩、後輩が多いのでたまに会うと楽しいことも1つ。
『ひろしま美術館』に寄れることも魅力である。
更に、食べ物が美味しいし、「ただいまっ」って我が家へ帰るような馴染みの店があることも1つの理由である。
滞在日数が少なく、それぞれに充てる時間が少ないものだから比較的短い時間で次の店を訪れることになるのだが、店を出る時「檀家まわりが忙しいですな」と皮肉を聞かされることとなるる。
が、「そんなの関係ねえ」と私は知らん振りを決め込むのである。
今回は土曜日曜と泊まり、月曜には帰らなければならなかったので、日曜日が休みの所は土曜日に訪れるというようにダイヤ編成もぬかりなくやっておかねばならなかった。
これは前回訪れた時の分だが携帯カメラの写真なので色合いがイマイチ。 しかし味わいは抜群。
日本海・浜田より直送のノドグロ(喉黒)のお造りである。 鮮度が問題なのでお造りで食べることができるのは珍しい。 今や高級魚になってしまった。
流川中通りの『通』で頂いたが干物とはやはり異なる。 当然と言えば当然なのであるが、脂が乗っていながらしつこくない味わい。 これの表現は難しい。
この店では軽く食事も頂くことが多い。 食べる量はさほど多くないので主人には悪いなあと思いつつ鯖寿司であったり穴子寿司であったり押し寿司を「2貫だけ」って頼むのである。
全く難儀な客であるが、いつも快く無理を聞いてくれる主人なのである。
今回は土曜日に広島を訪れたので流川の『どんどん』でお魚を頂いた。
『どんどん』については何度も書いているが、この店では瀬戸内海の魚を頂くのである。
下は、真鯖のお造りである。 魚の新鮮さは写真でも分かるだろう。 青竹の器には鯖の切り身を胡麻と醤油で和えたもの。 久し振りに店長が調理してくれたがウマイの何の。 和え物はお代わりしてしまった。
下はカワハギのお造り。
これをハゲの薄造りなどと言う輩がいるが、間違いではない、が、周囲を見てから注文しよう。 気を悪くする人がいるかもしれぬ。 ぶっはははは
たっぷりと肝が入っていたが、肝の時期としては終わりかな。 湯引きも添えてもらって大満足であった。
この日は『どんどん』で美味しいお魚を頂いたので『赤い鳥』へ行ってママとおしゃべり。 客が何人か連れ立って来たので早めに切り上げてホテルへ戻った。
おとなしく早めにホテルへ帰って寝ることもあるのだ。
at 09:45|Permalink│
ゴスペル・コンサート
5月10日、日曜日。
四緑先勝、『母の日』でもある。
別に安倍陰陽道や高島易断を信じているわけではなく、カレンダーに書いてあっただけのことであるが、九星の木星で南東が吉、午前中が良いというような意味なのだろうか。
姪っ子・・・などと言っても『子』ではなく立派な三十路の女性である。
今流行りの言葉では『アラサー』とか『アラフォー』になるのであろうが、私にはどうも意味がワカラン。
『サー』が『サーティ』で『フォー』が『フォーティ』であることは分かるのだが、『アラ』って何のこっちゃねん。
尋ねられて『アラ困った』『アラまあ』では困ったものである。
多分、アラウンド(around)を略して使っているのであろうとは思う。 つまり、アバウト(about)のニュアンスを込めて。
そうであるとすれば、日本語では『およそ』とか『約』とか『だいたい』というような言い方をするが、概数で表す場合に四捨五入という方法を用いることが多い。
十進法では中間の数の4以下の数は切り捨て、5以上の数を切り上げるということを行う。
だから『アラサー』と言えば25から34まで、『アラフォー』ならば35から44までとなり、まさにアバウトであり全く好い加減と言っても良い。
実年齢を言うことは恥ずかしいことなのだろうか。
真実の年齢を言わないのが当たり前、尋ねないのがエチケットなどと教えられてきた。 が、「そんなの関係ねえ」と一笑に付すことができる人たちが増えることを望みたい。
人間の良さ素晴らしさは体の作りや年齢で評定するものではない。 化粧で誤魔化したり有名ブランドものの衣装で着飾った姿ではない。 心のうちに秘めた本物の素晴らしさこそが人の真価を表すものと私は思っているが・・・
♪「わかっちゃいるけどやめられない」ってとこなのだろうか。
別に姪っ子のことを言ったわけではないので念のため。
姪っ子から『吹田産業フェア』での“ゴスペル・コンサート”で歌うから聴きにこないかとの誘いがあったので家内と共に『吹田メイシアター』へ出かけたのである。
易による午前ではなく午後からであったのだが。
上の写真は中川誠十郎 & SOUL of SOLEIL。
ソウル・ソレイユのメンバー達が舞台に出てきた時、中央の5~60歳代の男性が右手と右足、左手と左足を同時に動かして歩く様子を見て、「オイオイ、大丈夫なんか?」と心底心配して見ていたのだ。
しかしバンド伴奏で歌が流れ始めるや「おおっ」と我が耳目を疑うようなハーモニーに驚いてしまったが、更に、パートごとに歌う女性の声量には全く仰天してしまい、後は聞き惚れていただけ。
下は、寺尾仁志 & human noteという合唱グループ。
ひとりひとりが歌うことを楽しんでいるというのがよく分かるグループであった。
寺尾仁志 & human noteというグループは神戸と大阪府下幾つかの地域に分かれて存在しているようだが、今回の吹田公演では地域性を考慮して北摂地域のグループが出演し、更にこの日のために吹田市民から歌うメンバーを組み入れたらしく、終盤では下の写真のような大合唱団となった。
会場の聴衆も参加し、寺尾氏のリードで「オー ビューティフル デイ」を3部に分かれて合唱し、手拍子を付けるというおまけ付き。
久し振りに声を張り上げ、なかなか楽しく素敵なコンサートであった。
ゴスペルというのは福音、つまりキリスト教の教えを歌うもので、アメリカの黒人教会で歌われるものだと私は長年思っていた。
だから舞台に上がったメンバーを見て、これほどキリスト教の信徒が日本にいるのかと驚いてしまったのだが、どうやらそうではないらしい。
ゴスペルを歌うというそのことを純然とした楽しみとしているらしい。 勿論、敬虔な信徒さんもいるのだろうが。
別にちゃかすつもりではないが、日本人がクリスマスを祝うような感覚なのかもしれない。
気分上々で家内と久し振りに長堀橋からミナミへ。 途中『本二鶴』の伊藤君に会おうと思ったが日曜日で定休日。 そのまま法善寺まで歩き、『喜川』へ寄ってきた。
お造りなど生ものを好まず少食の家内には、火を通して調理してくれる料理の品数が豊富なので『喜川』は好都合なのである。
コース料理でなく一品料理で頼めるのが良く、家内が最も喜んだのは女将お奨めの『鯛の煮物』であった。 『喜川』は写真を撮れないので表現が難しいが、ひと言だけ、兜煮やアラ煮のような醤油色でなく照りが無い逸品である。
私はいつも通り、マグロの天身にハモ。 この日はとり貝も盛られていたが、それとクジラと菜っ葉を煮たもの。 これが一番。
お酒も春鹿と秋鹿。
満足・有意義な一日を過ごさせてもろうた。 感謝。
四緑先勝、『母の日』でもある。
別に安倍陰陽道や高島易断を信じているわけではなく、カレンダーに書いてあっただけのことであるが、九星の木星で南東が吉、午前中が良いというような意味なのだろうか。
姪っ子・・・などと言っても『子』ではなく立派な三十路の女性である。
今流行りの言葉では『アラサー』とか『アラフォー』になるのであろうが、私にはどうも意味がワカラン。
『サー』が『サーティ』で『フォー』が『フォーティ』であることは分かるのだが、『アラ』って何のこっちゃねん。
尋ねられて『アラ困った』『アラまあ』では困ったものである。
多分、アラウンド(around)を略して使っているのであろうとは思う。 つまり、アバウト(about)のニュアンスを込めて。
そうであるとすれば、日本語では『およそ』とか『約』とか『だいたい』というような言い方をするが、概数で表す場合に四捨五入という方法を用いることが多い。
十進法では中間の数の4以下の数は切り捨て、5以上の数を切り上げるということを行う。
だから『アラサー』と言えば25から34まで、『アラフォー』ならば35から44までとなり、まさにアバウトであり全く好い加減と言っても良い。
実年齢を言うことは恥ずかしいことなのだろうか。
真実の年齢を言わないのが当たり前、尋ねないのがエチケットなどと教えられてきた。 が、「そんなの関係ねえ」と一笑に付すことができる人たちが増えることを望みたい。
人間の良さ素晴らしさは体の作りや年齢で評定するものではない。 化粧で誤魔化したり有名ブランドものの衣装で着飾った姿ではない。 心のうちに秘めた本物の素晴らしさこそが人の真価を表すものと私は思っているが・・・
♪「わかっちゃいるけどやめられない」ってとこなのだろうか。
別に姪っ子のことを言ったわけではないので念のため。
姪っ子から『吹田産業フェア』での“ゴスペル・コンサート”で歌うから聴きにこないかとの誘いがあったので家内と共に『吹田メイシアター』へ出かけたのである。
易による午前ではなく午後からであったのだが。
上の写真は中川誠十郎 & SOUL of SOLEIL。
ソウル・ソレイユのメンバー達が舞台に出てきた時、中央の5~60歳代の男性が右手と右足、左手と左足を同時に動かして歩く様子を見て、「オイオイ、大丈夫なんか?」と心底心配して見ていたのだ。
しかしバンド伴奏で歌が流れ始めるや「おおっ」と我が耳目を疑うようなハーモニーに驚いてしまったが、更に、パートごとに歌う女性の声量には全く仰天してしまい、後は聞き惚れていただけ。
下は、寺尾仁志 & human noteという合唱グループ。
ひとりひとりが歌うことを楽しんでいるというのがよく分かるグループであった。
寺尾仁志 & human noteというグループは神戸と大阪府下幾つかの地域に分かれて存在しているようだが、今回の吹田公演では地域性を考慮して北摂地域のグループが出演し、更にこの日のために吹田市民から歌うメンバーを組み入れたらしく、終盤では下の写真のような大合唱団となった。
会場の聴衆も参加し、寺尾氏のリードで「オー ビューティフル デイ」を3部に分かれて合唱し、手拍子を付けるというおまけ付き。
久し振りに声を張り上げ、なかなか楽しく素敵なコンサートであった。
ゴスペルというのは福音、つまりキリスト教の教えを歌うもので、アメリカの黒人教会で歌われるものだと私は長年思っていた。
だから舞台に上がったメンバーを見て、これほどキリスト教の信徒が日本にいるのかと驚いてしまったのだが、どうやらそうではないらしい。
ゴスペルを歌うというそのことを純然とした楽しみとしているらしい。 勿論、敬虔な信徒さんもいるのだろうが。
別にちゃかすつもりではないが、日本人がクリスマスを祝うような感覚なのかもしれない。
気分上々で家内と久し振りに長堀橋からミナミへ。 途中『本二鶴』の伊藤君に会おうと思ったが日曜日で定休日。 そのまま法善寺まで歩き、『喜川』へ寄ってきた。
お造りなど生ものを好まず少食の家内には、火を通して調理してくれる料理の品数が豊富なので『喜川』は好都合なのである。
コース料理でなく一品料理で頼めるのが良く、家内が最も喜んだのは女将お奨めの『鯛の煮物』であった。 『喜川』は写真を撮れないので表現が難しいが、ひと言だけ、兜煮やアラ煮のような醤油色でなく照りが無い逸品である。
私はいつも通り、マグロの天身にハモ。 この日はとり貝も盛られていたが、それとクジラと菜っ葉を煮たもの。 これが一番。
お酒も春鹿と秋鹿。
満足・有意義な一日を過ごさせてもろうた。 感謝。
at 06:25|Permalink│
May 09, 2009
『母の日』に寄せて
5月の第2日曜日は『母の日』。
昨年の『母の日』の前後は韓国を旅していた。
この時期、日本の花屋のショーケースには赤白のほかピンクや色の混じったカーネーションの花や小さな鉢植えの矮性のカーネーションなどが所狭しと並べられる。
韓国でも同様であるが、大邱の町で見かけた光景では『母の日』にカーネーションの花を贈る風習が日本よりも活発に行われているように感じられた。
昨年、慶州では子どもたちが母親に連れられてカーネーションの花を祖父母にプレゼントするためにやってきた場に居合わせた。
この祖父母のお爺さんは日本名を『小山 英』と名乗る『許 東洙』氏であり、広島の国民学校3年に在学していた折に原爆を体験されたということについて昨年の5月か6月に書き、彼らの写真を掲載したことがあった。
『母の日』はアメリカにおける南北戦争を契機に夫や子どもたちを戦地に送らないという考えが基本となって発展してきたと書いたことがあり、私は長年それが正しいと思い込んでいたが、17世紀のイギリスにおける「Mothering Sunday」が起源となっていることをインターネット『Wikipedia』で知った。
カーネーションの花を贈るかどうかは別にして、母を想い母に感謝する気持ちを持つというのは世界に共通したものである(と思う)。
韓国も日本も儒教による倫理観が民族の精神基盤形成の過程で大きく影響し、敬神崇祖忠孝という民族独特な考え方や身の処し方に根強いものが受け継がれてきている。
敬神崇祖忠孝というのは字の通り、神様や先祖を敬い大切にし、国や目上の者、そして両親に真心を尽くすというものである。
日本の場合、この儒教精神と武士道が人々の精神的支柱として承継されてきたことは疑う余地のないところである。
忠孝の忠は忠義、孝は孝行を指す。
しかし、明治期より近代化の道を歩んできた日本において、本来個人としての考え方や身の処し方を表現した忠孝という言葉が時の政府の歪な国家観や国策に結び付け利用されて馬鹿げた戦争に誘導されるということになってしまった。
忠は天皇や国家に忠誠をと、孝は臣民、つまり天皇の赤子たる国民は全て天皇に孝行せよというように利用されたのである。
そのため戦後は忠孝の忠義について否定的見解が多く、愛国心や愛国教育についても常に疑念を抱かれるし私も現状では愛国心発揚や愛国教育推進には反対である。
現行の日本国憲法は世界人民の平和な暮らしを求める理想を掲げており、世界憲法とも言うべき他国に例を見ない素晴らしい憲法である。 これに記述された文言や精神を世界に広げるための愛国心や愛国教育についてならば積極的に論議に加わりたいと思うが、自民党や民主党の一部がギャアギャアほざくような改正論議に乗るつもりは更々ない。
話が横道にそれそうだが、どこの世界に戦争を支持し子どもを戦地に送りたがる親がいるだろうか。
もっとも、最近のテレビや新聞報道では子どもを折檻した挙句に殺してしまうということをしばしば耳にする。
全くふざけた奴らであり、こうした連中には死刑判決を下しても良いとさえ思うほどに腹立たしい。
子どもを産み育てる責任と義務についてワカラン奴がいるということが情けない。 義務と責任なんてのは法律上のことであって、言わば人間として最低限の約束事なのである。
子どもを産み育てるには義務や責任という以前に、人間・命というものに対する敬虔や尊厳といった念が必要であり、もっと分かりやすく言えば生きるものを愛するという心が必要なのである。
これは人間の根幹となるものであり、愛国心なんてものは枝葉に垂れる雫程度のものである。
『母の日』
「孝行のしたい時分に親はなし」という俳句があるが、私ども夫婦は双方既に両親は他界しており孝行の対象はない。
親孝行の真似事のようだが高齢の長兄夫婦の家を訪ね、カーネーションの花を持参して会食を楽しんだ。
父親が病に臥せて生活が安定しなかった実家に於いて、母親に姉と家内は長兄、次兄、三兄の経済的援助を受けて育ったと聞く。
とりわけ歳差のある長兄と次兄は父親のような存在であると家内は言う。
そのように思い語り行動できる家内には人間的温か味を感じ心落ち着くものを感じる。
今や孫のできるような齢となった家内も『母の日』を前にY君とHさん夫婦の訪問を受け、これからの夏の強い紫外線を防ぐための腕まで覆う手袋をプレゼントされていた。
我が家の孫は未だいないが、ジイジイ、バアバアと言って来てくれる孫は既に14人。 Y君とHさんの子も今度の正月には呼んでくれるかな?
有難いことである。
愛と感謝は表裏の関係にあると言える。
両親は勿論、子ども達にとっても、そして世界中の人々が愛に満ちた平和な世界を実現するためにも『母の日』がその一歩になればと思い願う。
昨年の『母の日』の前後は韓国を旅していた。
この時期、日本の花屋のショーケースには赤白のほかピンクや色の混じったカーネーションの花や小さな鉢植えの矮性のカーネーションなどが所狭しと並べられる。
韓国でも同様であるが、大邱の町で見かけた光景では『母の日』にカーネーションの花を贈る風習が日本よりも活発に行われているように感じられた。
昨年、慶州では子どもたちが母親に連れられてカーネーションの花を祖父母にプレゼントするためにやってきた場に居合わせた。
この祖父母のお爺さんは日本名を『小山 英』と名乗る『許 東洙』氏であり、広島の国民学校3年に在学していた折に原爆を体験されたということについて昨年の5月か6月に書き、彼らの写真を掲載したことがあった。
『母の日』はアメリカにおける南北戦争を契機に夫や子どもたちを戦地に送らないという考えが基本となって発展してきたと書いたことがあり、私は長年それが正しいと思い込んでいたが、17世紀のイギリスにおける「Mothering Sunday」が起源となっていることをインターネット『Wikipedia』で知った。
カーネーションの花を贈るかどうかは別にして、母を想い母に感謝する気持ちを持つというのは世界に共通したものである(と思う)。
韓国も日本も儒教による倫理観が民族の精神基盤形成の過程で大きく影響し、敬神崇祖忠孝という民族独特な考え方や身の処し方に根強いものが受け継がれてきている。
敬神崇祖忠孝というのは字の通り、神様や先祖を敬い大切にし、国や目上の者、そして両親に真心を尽くすというものである。
日本の場合、この儒教精神と武士道が人々の精神的支柱として承継されてきたことは疑う余地のないところである。
忠孝の忠は忠義、孝は孝行を指す。
しかし、明治期より近代化の道を歩んできた日本において、本来個人としての考え方や身の処し方を表現した忠孝という言葉が時の政府の歪な国家観や国策に結び付け利用されて馬鹿げた戦争に誘導されるということになってしまった。
忠は天皇や国家に忠誠をと、孝は臣民、つまり天皇の赤子たる国民は全て天皇に孝行せよというように利用されたのである。
そのため戦後は忠孝の忠義について否定的見解が多く、愛国心や愛国教育についても常に疑念を抱かれるし私も現状では愛国心発揚や愛国教育推進には反対である。
現行の日本国憲法は世界人民の平和な暮らしを求める理想を掲げており、世界憲法とも言うべき他国に例を見ない素晴らしい憲法である。 これに記述された文言や精神を世界に広げるための愛国心や愛国教育についてならば積極的に論議に加わりたいと思うが、自民党や民主党の一部がギャアギャアほざくような改正論議に乗るつもりは更々ない。
話が横道にそれそうだが、どこの世界に戦争を支持し子どもを戦地に送りたがる親がいるだろうか。
もっとも、最近のテレビや新聞報道では子どもを折檻した挙句に殺してしまうということをしばしば耳にする。
全くふざけた奴らであり、こうした連中には死刑判決を下しても良いとさえ思うほどに腹立たしい。
子どもを産み育てる責任と義務についてワカラン奴がいるということが情けない。 義務と責任なんてのは法律上のことであって、言わば人間として最低限の約束事なのである。
子どもを産み育てるには義務や責任という以前に、人間・命というものに対する敬虔や尊厳といった念が必要であり、もっと分かりやすく言えば生きるものを愛するという心が必要なのである。
これは人間の根幹となるものであり、愛国心なんてものは枝葉に垂れる雫程度のものである。
『母の日』
「孝行のしたい時分に親はなし」という俳句があるが、私ども夫婦は双方既に両親は他界しており孝行の対象はない。
親孝行の真似事のようだが高齢の長兄夫婦の家を訪ね、カーネーションの花を持参して会食を楽しんだ。
父親が病に臥せて生活が安定しなかった実家に於いて、母親に姉と家内は長兄、次兄、三兄の経済的援助を受けて育ったと聞く。
とりわけ歳差のある長兄と次兄は父親のような存在であると家内は言う。
そのように思い語り行動できる家内には人間的温か味を感じ心落ち着くものを感じる。
今や孫のできるような齢となった家内も『母の日』を前にY君とHさん夫婦の訪問を受け、これからの夏の強い紫外線を防ぐための腕まで覆う手袋をプレゼントされていた。
我が家の孫は未だいないが、ジイジイ、バアバアと言って来てくれる孫は既に14人。 Y君とHさんの子も今度の正月には呼んでくれるかな?
有難いことである。
愛と感謝は表裏の関係にあると言える。
両親は勿論、子ども達にとっても、そして世界中の人々が愛に満ちた平和な世界を実現するためにも『母の日』がその一歩になればと思い願う。
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