June 2009

June 27, 2009

北欧の旅 (13) コペンハーゲン フレデリクスボー城 (1)

フレデリクスボー城(Frederiksborg Slot)はデンマーク王・フレデリック2世が貴族女性から入手したものだが、彼の息子であるクリスチャン4世が16世紀の中頃にルネサンス様式の城に造り上げた。

しかし、この城は1859年の火災で大半が焼けてしまったが、この再建の資金援助を行ったのが又々ビール醸造会社『カールスバーグ』のカール・ヤコブセン(息子)であり、再建後は彼の望みで国立歴史博物館として一般に公開されてきた。
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人魚姫、ニュー・カールスベア美術館もカール・ヤコブセン・Jrが造り、カールスバーグ財団は国立美術館へ多くの作品の寄贈も行ってきている。

随分以前はデンマークのビールと言えばカールスバーグ(Carlsberg)とツボー(Tuborg)であったが、現在ツボーはカールスバーグに吸収合併されているがツボーも利益の社会還元に力を入れてきた企業で、これらビール会社2社で学術文化、スポーツ、社会福祉などの分野への寄付総額は相当な額にのぼる。
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日本のビール会社でならば、さしずめサントリーの財団といったところだろうか。

以前のサントリー・ビールは好んで飲みはしなかった。 むしろ好むと言えばサッポロ・ビールで黒ラベルかヱビスであった。

しかし、サントリーがプレミアムというのを発売したが、これはウマイ。

企業利益の社会還元ということではサントリーも早い時期から力を入れていたし、私はそのことをずっと評価してきた。 それに味わいのあるビールを提供し始めたこともあるので最近はサッポロ党からサントリー党に重心が移動し始めている。

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企業が株主を大切にするのは分かるが、企業が株主によってのみ成り立っているのではないところを深く見詰め、国家、国民とともに発展して行く道筋を更に確固とした社是として邁進してもらいたいものと期待するところである。

キリン・アサヒが国内マーケット・シェアのトップ争いを演じているとか。 私には遠余所の感ありというところか。
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フレデリクスボー城とは関わりの無いことを書いてしまった。

この城をルネッサンス風に改造したクリスチャン4世はカステレットを築城した他、ローゼンボー城、ランドタワー、旧証券取引所などの建物を建造したことでも有名であるし、海運に関わってオランダの東インド会社に倣いデンマーク東インド会社を設立したことでも名を後世に残している。

しかし、神聖ローマ帝国、オランダ、そしてスウェーデンに囲まれているデンマークである。

2国は陸続き、スウェーデンとはズンド海峡(エーレスンド海峡)で隔てられてはいるものの、その最も狭い部分は僅か7kmの距離に過ぎない。

何事であっても対岸の火事で済まされない立場であったのがデンマークだったのである。

at 08:46|Permalink

北欧の旅 (12) コペンハーゲン 蚤の市と昼食

ストロイエの店々を見て回り、その後、トーヴァルセン美術館と運河を挟んだところで開催されていた『蚤の市』も見て回った。

置き物、飾り物としての骨董品ばかりではなく、持ち帰れば直ぐにでも使える食器やその他の道具類等々、ヨーロッパに限らず西アジアから東アジアに至る広い地域の物品が並べられていた。
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こんな物にまで価値を見つけるのか?と少々不思議な気がする物も並んでいたが、蚤の市イコール骨董品という先入感を持って見ていた私の観点にズレがあったようだ。

ストロイエほどの人出はないが、出店していた20軒ほどの店にはそれぞれ2~3人の客が品物を手に取ったり、店の者と交渉したりしていた。

近年日本でも各地で蚤の市が開かれるようになり、それも素人の出店が多いと聞く。 インターネットの普及でネット上での取引きも多いようだ。

『消費は美徳』などという言葉を随分前に聞いたが、最近はアフリカから『もったいない』という言葉が逆輸入されるようになった。

金銀にしろ美術品にしろ、歴史を遡ると日本人の価値観というものは外国人によって呼び覚まされることが多いような気もする。

世界の基準で保存を決めた熊野古道が、それを観光資源として利用し営業利益を上げようとしているJR西日本が詳細に調査もせずに世界遺産の熊野古道の一部を破壊するという愚挙を行ったのは最近のこと。

これなど何が文化か真に理解できていないことの表れの一例である。

ぼやき出すと限が無いのでコレまで。

このあとサーカス(Cirkus)近くのレストランで昼食にした。
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これはスモーブロー。

パンの上に生ハムやチーズ、それに色とりどりの野菜を載せてあるオープンサンドウィッチと言えるもので、デンマークの昼食としては豪華なものである。

デンマークは酪農国であり、ハム、ソーセージ、チーズ、牛乳などは豊富であるし、小麦生産も盛んで安定しているからパンの種類も多い。

ただ、パン嫌いの私には豪華なスモーブローもイマイチではあるが、旅行に出ると野菜や果物を摂ることが少なくなるので、そうした意味合いにおいてはまずまずの昼食であった。

まずまずという言葉の中には当然ビールも含まれている。 お昼から琥珀色をした飲み物を頂いて、これで50点も60点の『可』となるのである。

家内は紅茶を注文し、ティーポットが運ばれてきたのは良いのだが、ぬるい湯にリプトンのティーバッグ。 

彼らは茶を飲むことがないのか。 それにしてもレストランでありながら・・・デンマークの貧しさを垣間見たような・・・

『もったいない』・・・不足はあっても勿論何ひとつ残さず頂いた。



at 05:17|Permalink

June 26, 2009

北欧の旅 (11) コペンハーゲン ニューハウンから聖霊教会

アメリエンボー宮殿の見学を終えてニューハウン(Nyhavn)へ。

バスで移動しなければならないほどの距離でもないのだが、行程の効率化を考えれば、やはり便利と言う以外にない。
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ニューハウン(Nyhavn)というのは英語ではNewportにあたる。 新しい港ということなのだが、長い航海を終えて戻ってきた船を接岸・係留させ、船乗りたちが陸に上がって休息する言わば船乗りたちの町なのである。

写真の通り昔の町並みの保存が行われており、船乗りたちがグラスをかかげながら陽気に歌い騒いでいる様子が思い浮かぶようである。

現在はレストラン、居酒屋などが並んでいる。 また写真のような運河遊覧船の発着場もある。

写真の右後ろには王立劇場(Det Kongelige Teater)があり、左後方で運河は行き止まりだが、そこの広場をコンゲンス・ニュートーゥ(Kongens Nytorv)と言い、この広場からアマートーゥ広場、市庁舎前広場までの間をストロイエ(歩行者天国)と呼んでいる。
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上はクリスチャンスボー城(Christiansborg)の一角にある旧証券取引所の建物。 

幾つもの塔があるコペンハーゲンの町で竜が塔に巻き付くように形作られているものは他に無い。 

クリスチャン4世によって1619年に起工、1640年に完成したものだが、コペンハーゲン港に入港する商船が持ち込む様々な商品取引きが行われていたところだと言う。

下はクリスチャンスボー城の塔と、城の北角に位置するトーヴァルセン美術館(ドームのある手前の建物)。 
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上はアマートーゥ広場のクリスチャンスボー城側で聖霊教会を眺めたもの。

下は聖霊教会。
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聖霊教会は1296年に建てられたデンマーク最古の教会。1728年に火災があり現在のものは1732年に再建されたものだとか。
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下はストロイエの中間地点、アマートーゥ広場に建つ世界的に有名な会社の建物。
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茶色の建物が硬質磁器の製造販売・ロイヤル・コペンハーゲンの本店。 右手の白い建物は銀製品のアクセサリーなどを手掛けるジョージ・ジェンセンの本店。

ストロイエは様々な商店が並んでいるのでブラブラ散歩するのも楽しい。


at 15:44|Permalink

北欧の旅 (10) コペンハーゲン アマリエンボー宮殿と大理石教会

方形の石を敷き詰めた八角形の広場の中心にフレデリクス5世の騎馬像が建てられ、四つのアマリエンボー宮殿の建物がその広場を囲むように建っている。

下の写真の右端と左端の建物が四つの宮殿のうちの2つであり、写真には写っていないが右後ろと左後ろに写真の建物と対峙するように宮殿の建物があり、現在のマルグレーテ女王の住まいは左後ろの建物らしい。
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写真中央にフレデリクス5世の騎馬像とドーム屋根のフレデリクス教会が写っているが、ガイド氏によれば、1794年にクリスチャンスボー城が火災で焼失したために4人の貴族たちの建物であったものを購入、アマリエンボー宮殿として歴代国王が生活の場としてきたらしい。

宮殿建物の入口の左右には赤い鉛筆形をした歩哨小屋があり、それぞれの小屋の前に衛兵が1人ずつ立ち番をしているが、見た目の警護はそれだけ。

アメリカ合衆国のホワイトハウスや日本の皇居の警備と比べれば将に月とスッポン。

フレデリクス5世についてはよく知らないが、デンマークがノルウェーを属領としていた時代であることは間違いない。

写真にあるフレデリクス教会は彼の命によってローマの聖ペドロ教会をモデルとして1794年に建設が始められたものだが、大理石をふんだんに使っていることからフレデリクス教会(Frederiks Kirke)、別名、大理石教会(Marmor Kirke=Marble Church)と呼ばれている。
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ところが建設は資金不足で中断し、結局1894年になって完成したらしいが、その建築中断の最大の要因は当時ノルウェーの大理石はべらぼうに高価だったからだとのこと。
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このフレデリクス教会の周囲には12の像が建てられているが、写真はデンマークの哲学者キルケゴール(Kierkegaard)である。

何気なく眺めていたので気付くのが遅れたが、台座には確かにKIERKEGAARDと彫られてあった。

通常こうした像は聖人か教会建設に多大な功績を果たしたというような理由があるものだが、キルケゴールが何故12人のひとりとして並べられたのかは知らない。

注意して見ないと通り過ぎてしまうが、こんなことはどうでもええか。

さて、このアマリエンボー宮殿の衛兵(the Royal Guard)であるが、デンマーク陸軍のエリート兵士によって構成され、女王が滞在中はローゼンボー城(アマリエンボー宮殿の西方に位置する)を午前11時30分に出発して正午にアマリエンボー宮殿の広場を行進して交替式を行う。
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家内と見ていた時には少人数の交替を行っていたが、上に書いた交替式の場合は指揮官が1人と衛兵18人が行進するのだそうだ。

彼ら衛兵が被っているのは熊の毛皮で作られた帽子らしいが、冬場は良いとしても夏の間は大変であろうと同情の気持ちに駆られた。

この写真を撮り終えて帰ろうとしたところ、黒塗りの乗用車3台が行儀良く縦列のまま宮殿の建物入口へ入って行くのを目撃した。 車の近くにいた人たちの間からクイーンという声が上がったように思ったが、車の中は私には見えなかったし、見えたとしても私はマルグレーテ女王の顔を知らないから女王であるのかどうか確認することはできない。 しかし女王がおられる時には建物の上に旗が揚げられるそうだから、しばらく後には分かるのであろう。 しかし、それを確かめる時間のゆとりは無かった。



at 10:54|Permalink

June 24, 2009

北欧の旅 (9) コペンハーゲン カステレット・人魚姫

デンマークという国がヨーロッパのドイツ連邦共和国の北端に突き出たユトランド半島であることは世界地理を履修した高校生なら知っている。

そして、首都がコペンハーゲンであることも知っているはずだが、そのコペンハーゲンがユトランド半島にあると思っている者が大多数であるというのが日本におけるデンマークについての理解程度を表していると言って良い。

実際、地理に限らず特別な興味を持って関わったことのある者でないと、とりわけ外国についての理解は難しいと言うのが一般的である。

大まかに地理を説明すればスカンジナビア半島(ノルウェー・スウェーデン)が北方より南方に長く伸び、そのスカンジナビア半島と向かい合うようにユトランド半島がヨーロッパ大陸のドイツ連邦共和国から北方に伸びていると言える。
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従って、このユトランド半島によって北海とバルト海が分けられ、ユトランド半島とスカンジナビア半島との間を海峡(青色の線)が隔てているのである。

このユトランド半島とスカンジナビア半島の間を更に細かく見れば、ユトランド半島の東側にフュン島があり、更にその東側にシェラン島があるが、コペンハーゲンは、このシェラン島の東側・スカンジナビア半島と海峡(青色の線)を挟んだ場所に位置するのである。

海峡は上部(北側)のノルウェーとの間のものをスカゲラック海峡、東側のスウェーデンとの国境を為すものをカテガット海峡と言い、シェラン島とスウェーデンとの距離は最短20kmにも満たない。

先にカステレットが5角形の濠を巡らせた城塞であることを書いたが、17世紀に造られた内湾の入口にあるこの砦はスウェーデンに面して構築されており、現在はここより少し北方にコペンハーゲン港がある。

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カステレットの濠を構成する堤の内湾側の水辺に写真の『人魚姫の像』が設置されている。

この『人魚姫の像』は1903年に公開されたそうだが、作者はエドワード・エリクソン、制作依頼者はカールスバーグ創業者の息子・カール・ヤコブセン。

カールが制作依頼したのは人魚姫のバレエを見て感銘を受けたからだということで、当然彼がイメージしたのはアンデルセンが1836年に発表した作品『人魚姫』。

この作品をどのように受け止めるかは勿論読者次第ではあるが、愛と関わっての様々な人間の心理を扱った作品として私は好きである。

しかし、この人魚姫、僅か1m25cmの高さで随分小さな像であるが、これまで頭部を切り取られること2度、腕を切り取られること1度、首を切られること1度、ペンキをかけられること幾度か。 いつだったか台座の岩石が爆破されたこともあった。

人間ならとうに死んでしまっているが、不死鳥ならぬ不死人魚。 作品における人魚姫は・・・【物語の途中は省略】・・・最後は海に身を投げて泡となり、空気の精となって天国へ行くのだが・・・

それにしても世の中にはツマランことをする奴がいるものである。

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少し歩くと聖アルバニ教会(Skt.Albas Kirke)が見える。

19世紀後半に建てられた英国教会である。
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上は英国教会とゲフィオンの泉(Gefion Fountain)の背後から撮影したもの。

ゲフィオンというのは下と上の写真で鞭を振るうデンマーク国造り神話の女神のことである。

しかし、デンマーク神話という独立したようなものはなく、古代ゲルマン民族の世界観に基づく神や人間について書き残された古歌謡集『エッダ』を北欧神話と呼んでいるのであり、ここで言う北欧はデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、アイスランドを指している。

現在の北欧にはフィンランドが含められるが、フィンランドは民族的にも言語的にも異質なので北欧神話の範疇には組み入れない。 フィンランドには『カレワラ』というフィンランドの国産み神話と言うべき民族叙事詩が伝えられている。

ここでは『北欧神話』と『エッダ』について、また『カレワラ』についても詳述は省くが、興味のある方は下に紹介する書籍を読まれれば良い。

『カレワラ物語』キルスティ・マキネン著、荒牧和子訳 春風社
『北欧神話』菅原邦城著 東京書籍
『世界の神々がよくわかる本』東ゆみこ監修 PHP文庫

下はゲフィオンの泉を正面方向から撮ったもの。
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このゲフィオンの泉は第1次世界大戦の犠牲者のモニュメントであり、1908年に制作された。

ゲフィオンというのは北欧神話における女神フレイヤの別称・ゲヴンに酷似したゲヴュンであり、アイスランドの詩人で歴史家であったスノッリ(Snorri Sturluson)の『エッダ』(ギュルヴィの惑わし)において神話が語られている。

先の『北欧神話』(P275~276)によると「ギュルヴィ王は、今日スヴィーショーズと呼ばれている国を治めた。(略)彼はある旅の女にその慰めに対する謝礼として、牡牛四頭が一昼夜で鋤けるだけの土地、一ブローグランドを与えた。しかし、その女はアース族の女で、名をゲヴュンといった。彼女は北の方ヨトゥンヘイムから四頭の牡牛を連れてきたが、これは巨人と彼女の間の息子たちだった。彼女は彼らを鋤の前につけた。そして鋤はとても強く深く進んだので、土地を根こそぎにした。そして牡牛たちはその土地を海上へ、そして西のほうへと引っぱっていき、とある海峡で止まった。そこにゲヴュンはその土地を置き、名付けてセルンドと呼んだ。この土地がなくなった所は、あとが湖となった。そこは今日スヴィーショーズでログ〔海〕と呼ばれている。そして、セルンドで岬があるようにログでは入江があるのだ。詩人老ブラギはこう語っている。

  ゲヴュンは喜びつつギュルヴィから
  すばやく黄金〔の地〕をひき去った、
  デンマークに加わった地を、
  そうして輓く獣から汗が煙となった。
  牡牛らは四つの頭と
  八つの額の星〔目〕をもち、
  引きちぎられた大きな  
  草原の島のまえを進んだ
           (「ラグナル頌歌」13)

コペンハーゲンのあるシェラン島と、スウェーデン中部のメーラル湖の形が類似していることにヒントを得た国取り、あるいは国造りの神話は、ふつうデンマーク起源とされている。しかし現存の資料は九世紀前半ノルウェーの詩によった十三世紀アイスランドのものである。

下はカステレットやアメリエハウン公園とは対岸にあたる場所に建てられたオペラハウス。
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シンプルな直線の組み合わせが生きる建造物である。

アメリエハウン公園の西側にアメリエンボー宮殿やフレデリクス教会が建っている。


at 11:44|Permalink
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