October 2009

October 18, 2009

徳島・眉山へ登る

ホテルのチェックアウト時刻が11時。 葬儀の開始時刻が午後1時。 ホテルより小松島の式場まで20分程度あれば到着する。

昼食をとるには早過ぎるし、空き時間が長過ぎるので眉山に登ってみることにした。

眉山の山容は前ページでホテルの前から撮影した写真を掲載している。

地理的に言うと、徳島平野は全長194kmに及ぶ四国三郎と呼ばれる吉野川が紀伊水道に注ぎ込む河口に向かって出来た沖積平野なのだが、その吉野川の河口に近いあたりに位置して吉野川の流れを方向付けているのが眉山である。

眉山は標高280m程度の丘陵がほぼ東西に連なっているのだが、北側に吉野川と徳島平野、それに眉山の東側にも吉野川の沖積地は広がり、更に眉山の南側を流れる園瀬川や勝浦川の沖積地が広がっているため、眉山の北側、東側、南側を囲むように徳島市街が広がっている。
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写真は眉山の展望台から東向きに撮影したもので、左手の川が吉野川(四国三郎)。 中央の川が新町川で徳島市街が広がっている。

左のこんもりした丘が城山の徳島城跡。

左手には淡路島、右手遠方には紀伊半島も見晴らせる状況から、眉山にはテレビ塔が設置されていたり三角測量の基準点である1等三角点が据えられている。

下は、その1等三角点である花崗岩の標石。
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国土地理院の表示板には下のように記してあった。

   一等三角点「眉山」
   北緯   34゜ 4′ 1″
   東経  134゜ 32′16″
   標高  277m


下の写真は仏舎利塔で、第2次世界大戦での戦没者慰霊のために建てられたもの。

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眉山にはロープウェイでも登ることが出来るのだが、私達は自動車で頂上下の駐車場まで上がった。

この駐車場から展望台までの一帯が公園化されているのだが、刈り込まれた潅木群のあちこちに『マムシに注意』の看板が立てられているのには弱ってしまった。

青大将、シマヘビの類いでも嫌いなのにマムシやハブなど論外。

危害を加える輩は徹底して捕獲、抹殺・駆除してもらいたいものだ。共生できるものなら良いのだが・・・

下は望遠で撮影したもの。
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下部に城山(徳島城跡)、その上部に吉野川。 左の橋が吉野川大橋で右側に建設中の橋が四国横断自動車道のもの。

左の島影が淡路島で右側が沼島。 その間で遠く霞んで見えるのが和歌山県加太の田倉崎あたりだろうか。

下は吉野川と徳島平野。
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鳴門市、鳴門海峡方向の写真であり、写真中央に白い大鳴門橋が見える。遠方の山並みは淡路島である。

下は新町川。
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中央辺りの茶色の大きい建物が徳島県庁舎で同色の直ぐ右側の建物が徳島県警本部庁舎である。

私たちが泊まった徳島グランヴィリオホテルは県庁舎の直ぐ後ろにある白色の建物である。



at 16:15|Permalink

徳島グランヴィリオホテル

徳島でのホテルは徳島グランヴィリオホテルと言い、以前は徳島プリンスホテルであったらしい。

急に徳島へ向かうこととなり、ホテルに予約を入れたのも宿泊当日の午後3時を過ぎていたと思う。

以前なら交通公社に電話を入れるか現地の旅館に飛び込みで交渉するかであったものが、インターネットの普及で居ながらにして旅行代理店の業務を自分で行えるようになった。

インターネットで某旅行会社のページを開き、目的地に近く、ツインの空き部屋、そして料金の3つの条件に絞って検索したところ、『朝食付限定10室プラン』という“商品”が目に入ったのである。

この料金が激安

目的地は小松島なのだが小松島のホテルは掲載されていなくて徳島市が殆どであった。 しかし徳島・小松島間の距離はしれているので上記の徳島グランヴィリオホテルにしたのである。
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 地図は、徳島市・徳島市観光協会『とくしま観光ガイド』より

このホテルはJR徳島駅より南東へ千数百メートルの官庁街に位置し、ヨットハーバーのある新町川に面して建っている。

徳島県庁、議会、県警本部などの建物に加え国の合同庁舎、それに県婦人会館や職員会館などが建ち並ぶ一角にあり、比較的静かな環境と言える地域である。

ホテルは激安と言っても安かろう悪かろうでは困るのだが、立地条件として問題はない。

ホテルを評価する場合、交通便や環境だけでは勿論無い。

ホテルに入る前の敷地や建物などの施設、ホテルの建物に入ってからのレセプションやルームメーキングなどのスタッフの言動一切、パブリック、プライベートに関わらず施設・設備の一切、食事やアメニティグッズの内容や質、そしてチェックアウトしてホテルの建物、敷地を出るまでのありとあらゆるもの全てが評価の対象になると私は考えている。

今回の部屋はリバーサイドで比較的高層階であったので景観的アメニティは満足できるものであった。
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上のパノラマ写真で左のこんもりした緑の丘が城山であり蜂須賀26万石の徳島城跡である。 遠くには淡路島も見えていたのだが・・・ 

ツインの部屋としてはベッド以外にテーブルと椅子2脚を置いていた広さだし、バスタブも大きくて部屋の状況も良であった。

部屋備え付けの冷蔵庫に見にバーのセットはされていなかったが、写真手前のレストラン棟(緑青色の屋根)の1階にコンビニエンスストアのローソンが広い店舗を開いているので問題はない。 レストラン棟へはホテル2階に公道を跨ぐ連絡通路が設けられている。

ついでだが、このローソンでは徳島県の数多くの土産品も扱っているので便利である。

朝食はレストラン棟2階の広く明るい部屋でのヴァイキング形式となるが、特段の好みを言わない限り和洋食ともに品数は充分であろう。

時間は7時~9時までで、係留されている多くのヨットを眺めながらの食事は楽しいし、チェックアウトタイムが11時なのでヨットハーバーの散歩なども楽しめる。
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写真は新町川の対岸からホテルとレストラン棟を見たもので、右手方向に徳島県議会庁舎と県庁舎が並んで建っている。

以上ホテルの評価について幾つかを書いてみたが、最後に料金の安さも書いておこう。

今回のこのホテルのプランでの1人分の料金を比較して見ると、私が博多で利用しているシャワーしか出来ないような小さいバスタブで狭い部屋の冷泉閣川端ホテルの素泊まり1泊料金と同額であり、広島での常宿としていたリーガロイヤルホテル素泊まり1泊分の料金で、このホテルならば4泊もできるということになる。

徳島という立地を考慮しても尚且つ安く、他の評価項目も総合して『朝食付限定10室プラン』というのは激安商品として推奨できるものと私は考える。
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ホテルの前へ出ると、新町川に係留されているヨットの群れと徳島の町並み、そしてその後ろには緑濃き眉山を眺めることができるのである。

左側の茶色の建物は徳島県庁舎。


at 11:57|Permalink

October 17, 2009

徳島へ

訃報の一報が入ったのは正午過ぎのことであった。

この日の夜にお通夜、明くる日がお葬式との連絡であったが、K子さんの主人も混乱していたらしい。

病状が次第に悪くなっていく老人の場合、送る側も徐々に覚悟が定まっていき、それなりの準備も頭の中での整理が進んでいくものである。

しかし、それが突発的な場合遺族となる者の頭は錯乱し、それも狂乱という言葉を用いて良いほどに常態を失ってしまうのが常である。 これは私の経験から言えることなのである。

明くる日も、その明くる日も家内にも私にも予定が入っていた。

だが、自分の予定は延期できるが彼女を送ることを延期することはできない。

単に儀礼と言えばそれまでだが、後悔することのないよう私は家内にお参りしてくるように言った。 勿論泊まることになるだろうと思い、家内には持ち物などを用意するように言って、私はホテルと交通便について調べた。

最短距離・最短時間を最優先条件に、先ず飛行機を調べてみたが大阪~徳島便というのは無い。 次に船を調べてみたが和歌山~徳島間の南海フェリーがあるだけ。鉄道は新幹線で岡山へ、岡山から高松経由で徳島と随分遠回りになる。 最後に高速バスを調べてみると、難波から徳島駅まで所要2時間半程度で1時間に1本出ていることが分かった。
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しかし、時刻は既に午後2時になろうとしており、我が家を出発してタイミングよくバスに乗れたとしても徳島から更に移動せねばならず、通夜開始の時刻に間に合うかどうかぎりぎり。 しかも通夜の会場が分からない上に日帰りは無理であることから私の車で向かうことにしたのである。

ホテルは徳島県庁舎の隣に建つ徳島グランヴィリオホテル(旧徳島プリンスホテル)。

我が家から車で出て阪神高速から明石海峡大橋・淡路島・鳴門海峡大橋を経て徳島へ。

ほぼ制限速度で走行したのだが、ホテルには5時にチェックインでき、これが最善の策であったと思う。

子ども達の成長ぶりには驚いたが、とにかく通夜の弔問を終え翌日の葬儀にも参列させてもらい、K子さんの無念さやご遺族の悲しみを思いながらも、きちんとお別れできたことに安堵。

これ以上書くのは辛いので話題を変える。



at 09:36|Permalink

K子さんの逝去を悼む

全く落ち着きを失くした家内がふらふらと書斎に入ってきた。

「K子ちゃんが亡くなったって」

K子ちゃんと聞いただけでは何処の誰のことだか分からない。同じ名前の人は沢山いるのだ。

追々問い質していってやっと事情が理解できたが、話の順序を整理出来ないでいるほどに家内は混乱し、それほどに突然の報せであったのだ。

K子さんは私も会って知っている人だし未だ若い人なので私自身も驚いた。

彼女の両親はともに他界しており、一人っ子であった彼女にとって嫁ぎ先の主人と中学2年の娘、中学1年の息子、5歳の息子、それに姑が家族であった。

彼女が嫁いだ家は徳島県の柑橘生産販売会社を経営しており、彼女は会社の経理事務を担当する傍ら、中学校や保育所の保護者会役員としても活躍、家庭にあっては姑や主人に良く尽くし、子ども達にとっても良き母親であったと聞いている。

実母が亡くなってからは島根にいた実父を近くに住まわせ、数年前まで良く介護にあたっていたことも聞き知っている。

K子さんは家内の教え子の一人なので私もよく知っていたのである。

明るく健康的なK子さんであったが、急性の病で旅立ってしまった。

38歳。

生者必滅の理あると言えど余りにも若く、残された子どもたちが不憫でならない。

お別れの折に人々は長い列を為し、供えられた花は彼女の御棺を閉じることが出来ぬほどに積まれていた。

生前のK子さんの人柄が偲ばれる弔いであった。

今一度、謹んでK子さんのご冥福をお祈りする。

合掌


at 06:14|Permalink

October 15, 2009

会ってやれなかったマルガリータ

今年の夏から秋にかけて会ってみたい人物が何人かいた。

6/23~9/23 国立国際美術館〔大阪〕
            『ルーヴル美術館展(美の宮殿の子どもたち)』
6/30~9/27 京都市美術館
            『ルーヴル美術館展(17世紀ヨーロッパ絵画)』
7/28~10/18 広島県立美術館
            『国立トレチャコフ美術館展(忘れえぬロシア)』

広島でのデートについて満足したことは既に書いた。

ルーヴル美術館の子どもたちについては家内ともども招待状を頂いていたので9月に入ってから会いに出かけていった。
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デートするのに贅沢な文句を言うのも気が引けるのだが、できることなら静かな落ち着いた状況の中で会いたいものである。

そのため止むを得ない場合以外、土曜・日曜・祭日、それに夏休みなどの休日に美術館を訪れることはない。

国立国際美術館にはルーヴル美術館から沢山の子どもたちが来ていた。

彼らは紀元前3000年のエジプト、そしてギリシャやローマの時代を経て18世紀頃までのヨーロッパや近東からやってきて彫刻や絵画となって並んでいた。

下はルーベンスの習作を部分拡大したもの。
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ペーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul RUBENS『子どもの習作』1620年頃
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※ 2点の拡大原図はいずれも
『ルーヴル美術館展(美の宮殿の子どもたち)』カタログより


黒チョークと白チョークを使っての線描であるが、28×48.1cmという小さな作品であり近付かないと充分見れないので、先ず「かわいい」という印象を受けた。

作品の横には画題や画家の名前などが書かれた小片を貼ってくれてはあるのだが、乱視で老眼(認めたくはないが)のため近付いても判読すらできないのだ。

そのようなことはどうでも良い。

作家は分からなかったのだが、これは「かわゆい」と感じ、しかも子どものポッチャリした肉付きがとても良く線描されていると感心したのである。

しかも、その姿態が実によく観察されていることに驚き見入ってしまった。

美術を専門とする人たちには誰の作品なのかひと目見ただけで分かるのだろうけれど、私は老眼鏡を取り出して小片を見て「ああ、なるほど」と納得したものだ。

どうだろう。赤ちゃんの可愛いからだ、そして、その動作が生き生きと描かれているではないか。まさに今、目の前で寝返りをうっているように。

国立国際美術館にやってきたルーヴルの子どもたちはいずれも素晴らしい子たちであり、これまで子どもたちだけを対象に見るということがなかっただけに、この展覧会企画は実に楽しいものであった。

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『思い立った日が吉日』という俚諺がある。

そして、植木等(うえきひとし・クレージーキャッツ)が歌っていた『スーダラ節』の歌詞に「わかっちゃいるけどやめられない」という一節がある。

事を思い立ったなら直ぐに行動せよと・・・以前に陶淵明の詩について書いたことがある。

(前文省略)
  盛年不重來   盛年 再び来たらず
  一日難再晨   一日 再び晨(明日)成り難し 
  及時當勉勵   時に及びては 當(まさ)に勉励すべし 
  歳月不待人   歳月 人を待たず

しかし、人間というもの「わかっちゃいるけどやめられない」ということが日常茶飯事。

自らは座右の銘として頭にも心にも、頭も心も同じかもしれないが深く刻み込んではいるのだが、ついつい忘れてしまうのである。
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上の写真の左側はヨハネス・フェリメールの『レースを編む女』で、右側の少女の名前はマルガリータ・テレサ(Margarita Teresa de Espana)。スペイン王・フェリペ4世(Felipe IV)の王女であり、神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世の皇后になった女性である。

これは彼女が4歳の時の肖像画であるが、随分昔のルーヴル美術館の日本語版カタログのものだ。 

スペインのプラド美術館には彼女が8歳の時の肖像画が所蔵されているが、どちらもディエゴ・ベラスケス(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez)の作品である。

しかし、私は未だ彼女に会ったことがないのである。 ええ加減な記憶ではあるが・・・

ちなみに彼女の父親であるスペイン王・フェリペ4世はベラスケスやルーベンスの良きパトロンであった。

マルガリータ・テレサは21だったか22だったか若くして世を去ったのだが、ヨーロッパで絶大な権力を保持してきたハプスブルク家は王族間の近親結婚を繰り返してきたために若く幼くして亡くなる者が多かった。

彼女の死もそうしたことが原因であったのかもしれない。

今回の京都における『ルーヴル美術館展』で彼女に会いたいと思っていたのだが野暮用に追われて会うことができなかった。

一日難再晨、及時當勉勵、歳月不待人である。

決して彼女のことを忘れていたわけではないのだが、昔々のカタログを眺めて我慢しておくとしよう。

私自身について次回という言葉が許されるなら、パリかマドリッドで会えることを楽しみにしたい。



at 17:13|Permalink
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