November 2009

November 26, 2009

グッドタイミングの新聞記事(朝日新聞、11/22)

先に、2009年11月18日(水)付けで『記念切手シート【龍谷大学創立370周年記念】』について書いた。

この切手シートの中に『混一疆理歴代国都之図』という地図を印刷した切手が入っていることを紹介したが、この地図について朝日新聞の11月22日付けの朝刊第一面に関連記事が出ていた。
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朝日新聞大阪本社版なので全国版紙面に割り付けたものであろうから近畿地方以外では別の記事が組まれていたものと思う。

が、あまりのタイミングの良さに携帯電話のカメラで撮影してしまった。

『混一疆理歴代国都之図』と切手は書かれていたが、混一とはひとまとめにするという意味であるし、疆理の疆(キョウ)は境という意味であるから境目或いは区分という意味になるかもしれない。

つまり、中国のこれまでの首都であった都市をこの1枚の地図に時代に関わりなく記した図面であるという意味なのであろう。
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1402年、李王朝の太宗2年に朝鮮で書かれたものだけに朝鮮と中国(明)の海岸線はよく描かれている。

新聞記事では日本やアフリカが小さく描かれていると書かれているが、左端の図がアフリカであるとは思わなかった。

ひょっとすればとの思いはあったもののインドかもとも思っていた。

図面には歴代の都市の名前が書かれていたらしいが、切手でも新聞記事でも都市名は読み取れなかった。

事実劣化しており、それをデジタルカメラなどで解析復元したと言う。

もうひとつ切手を見て気になっていたことであるが、地図上で九州を上にして本州・東北と南北に描かれている点である。

この新聞記事では、『この古地図は「魏志倭人伝」の行程通りに南へ進むと大和に至るとして「邪馬台国畿内説」の論拠の一つとされたこともある』と書かれているように、邪馬台国の時代とこの地図作成の時代には大きいズレがあるものの、古代人の地理感覚を推測する上で大いに気になる史料と言える。

朝日の記者とも大学の関係者とも話をしたわけではないが、タイミングという意味ではピッタリであった。

『打てば響く』とか『啄同時』といった言葉がある。

大自然における状況や理(ことわり)を比喩として用いられている言葉は存外多いものである。

前者は太鼓を叩けば胴内部の空気が振動して裏の皮に振動が伝わる物理面の例えであるし、後者は卵の中のヒナ鳥が殻をつつく音の『(そつ)』と、母鳥が殻の外側を噛み破る音の『啄(たく)』がタイミング良く同時に行われる生物界の状況を例えとする。

いずれもタイミングが合う場合に用いるが、後者の場合は、この機会を逃したら他には得難い絶好のタイミングという場合を指し、かなり限定的に用いるが、卵の殻の外と内では互いに見えない状況にあって絶好の機を母鳥とヒナ鳥が知る。

本能と言ってしまえばそれで終わりだが、何故?と更に問えば、やがて生物学の誰かが科学としての証明を行うであろう。

科学の発展が自然界における不思議や恐れを減少させ人間生活の向上に寄与してきたのだから、それはそれで大事なことだとは思う。

しかし、同時に自然界に対する人間のおごりや高ぶりが増長してきたような気もするのだが・・・

これ以上は表題とズレるので止めておこう。


at 10:12|Permalink

November 21, 2009

孫?の成長

私は良いのだが誤解を与えてはいけないので先に断っておこう。

これまで何度か書いてきたように、私には息子や娘扱いしている者が沢山いる。

『扱い』と書いたように『実の』ということではなく、つまり法的な意味での実子でも養子でもない。 私が勝手に思い込んでいるだけのことと了解してもらえば良い。

そうした息子や娘が結婚して子どもを授かったならば当然それらの子ども達は私の孫(扱い)となる。

息子達が、或いは娘達がそれぞれに良き伴侶を見つけてくれば息子・娘の数は更に増える。 人間世界のことであるから幾何級数的に増えはしないものの孫の人数も微増している。

下の写真はKちゃん。
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昨春結婚したY君Hさんの愛娘で、Kちゃんは4月3日に誕生した。

無事誕生の一報は「15時ちょうどに3462gの女の子でした」というものであり、それからほぼ1ヶ月後に我が家へ来てくれた時の写真である。

私が長く風邪気味であったため、この時が初の対面。 父親・Y君の腕に抱かれ安心して眠っていた。

その後、私たちが北欧旅行から帰ってきたのが6月中旬であったが、帰国してKちゃんを入院させたことを知った。
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「ええっ?」という驚きが第一声。 「うーん」、後は何とも言えず。

誕生後わずか1ヶ月少しで・・・

まだまだ授乳期の始め、母親・Hさんも入院状態に。

Kちゃんが入院することになったのは強い引きつけが何度かあったことで医師が判断したようだが、急激に発育を開始し始めた乳幼児に対する診断は難しいものである。
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大人の場合は自覚症状について医師に口上出来るし、医師の方でも問診、触診だけで病について凡その推量をする事が可能である。

血液、尿、便などのほか、機器による検査も大人の場合は比較的容易であるが乳幼児の場合は検査を行うにも難しい面がある。 また、検査結果に基づいた診断も決して簡単に断定できるようなものでもない。

他の学問分野でもそうであるが、医学分野でも専門分野が細かく分かれる。

内科、外科などといった分野でも更に細かく分かれ、医師も循環器系を専門とする内科医もいれば消化器系を専門とする内科医もいる。

科学の進歩は目覚しく、医学生理学などの分野でも分子レベルの研究が広がり、そのことによって治療可能な症例の分野も数も増え、これはこれで歓迎されることである。

が、研究と臨床が細分化専門化することは特定の病気治療を求める患者にとってはプラスである反面、医師・病院が特定され、遠地で患者が集中し、そのために様々な不都合が生じることもある。
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いずれの親にとっても子どもは宝物であり、子どもの健やかな成長を阻害する要因があればそれを除去しようとするのは当然であり、子どもに病気が発見されればそれに対して現代医学における最高最良の治療を行わせようとするのも至極当然のことである。

Y君とHさんは愛娘Kちゃんの症状と治療法について自分たちでも調べ、小児科の主治医と相談の上、他県の病院で検査と治療を受けるため転院した。

上の写真も下の2枚も転院先の病院での写真である。

家族以外の病室への入室が制限されているため、Y君が時々Kちゃんの成長の様子を写真で知らせてくれるのである。

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転院先の病院でも当然HさんはKちゃんに付きっ切りであり、仕事を辞めるわけにはいかないY君は週末に泊りがけで病院を訪れるという生活を余儀なくされているのである。

包丁を持って調理などしたことがないという、あまり名誉でもない逸話を持つY君だが、そのY君がKちゃんにはメロメロで毎日午後7時には家に帰ってKちゃんを風呂に入れていた。

そんなことが出来るのかと話を聞いた時には誰もが信じられない思いであったが、最初の入院先でもそれは続けていたようである。

下は初めて離乳食の野菜スープを口にした時のもの。
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しかし自宅から車で30分以内で訪れることのできる病院ならばこそのことで、新幹線を利用したとしても3時間もかかる病院では仕事を終えてからその日の内に往復するなどということは出来ない。

毎日でもKちゃんと接していたいという気持ちではいるのだろうけど、土曜日の仕事を終えて病院へ行き、日曜日には明くる日の仕事のために自宅へ帰ってきている。

病院はホテルではないし、2人部屋の病室ゆえKちゃんと他の子どもがいる部屋では横になることも出来ないであろう。

窮屈な病院のソファで仮眠をして帰ってくるのであろうか。 1週間に一度とは言え新幹線の往復では経済的にも厳しかろう。 往復を自動車移動にしているそうだが、帰路、日曜日の道路渋滞はひどくて5時間もかかるらしい。

一方、病院で付きっ切りになっているHさんも外へ出ることが出来ず、Kちゃんへの思いも含めて精神的には大変な心労を重ねていることと思う。

しかし、子どもを産み育てるということは端から大変なことなのであり、親は子どもが自立するまで、その養育についての責任を免れることはない。

その過程において苦労や苦難は大きさや時期こそ違え、いずれの親子にもあるもので乗り越えていかねばならないものである。

子育ては広義に社会的な観点に立てば「社会の子」「国家の子」として位置づけ、その育成にあたって社会、国家が担うべき役割も大きいものがある。が、第一次的には如何なる困難があろうとも親がその責任を担うのは当然のことであると私は考えている。

そうした意味において現象的には親失格、もっと厳しく言えば親になる資格の無い者すらいると思えることが現代社会に見られるが、これはとても残念で悲しいことである。

ともあれ現在Kちゃんの状態は安定してきているようなので嬉しく思っている。

一日も早くY君の家族に平穏な日々が訪れることを願って止まない。



at 05:36|Permalink

November 18, 2009

記念切手シート【龍谷大学創立370周年記念】

龍谷大学が創立370周年を迎えたことについては以前にも書いたが、それを記念してオリジナル切手シートが発売された。

旧郵政省が発行した特殊記念切手の中で、大学創立に関する最初の切手は1952年(昭和27年)に発行された『東京大学創立75年』であろう。 だから東京大学は今年で創立132年になる。

私が切手蒐集を始めた頃のもので多分1枚はストックブックに入っていると思うが、従兄弟や甥っ子に頼まれるままに随分あげてしまったので今はどうか・・・。
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次に発行されたのは1958年(昭和33年)の『慶応義塾創立100年』であり、昨年、2008年(平成20年)には『慶応義塾創立150年』の切手が発行されているが、勿論昨年発行分は日本郵政グループの郵便事業株式会社の発行である。

私が知る限り郵政(郵便)事業として発行された大学創立に関する切手はこれら以外には無い。

なぜ無いのか、75年にどのような意味があるのか、慶応義塾のみが何故100年と150年の2度の発行なのか、発行の趣意書に必然的理由は無い。

ツマラン連中のことはさておき印刷原料資材の品質や技術の向上によって切手の美術的価値は大きく進歩した。

上の写真が龍谷大学が創立370周年オリジナル切手シートの表紙である。

比較的最近で私が知っている創立記念オリジナル切手の発行は、
2001年  日本女子大学 創立 100周年
2007年  早稲田大学   創立 125周年
2008年  慶応義塾     創立 150周年
2009年  専修大学     創立 130周年
2009年  龍谷大学     創立 370周年
2010年  津田塾大学   創立 110周年
2011年  小樽商科大学 創立 100周年
これらの大学で行われ(る)た。

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いずれも各大学の歴史や特徴を切手の絵に表したもので切手蒐集を趣味とする者にとっては興味を持てるデザインとなっている。

龍谷大学の切手シートは大学が所蔵する文化財の一部を抽出して描いたものであるが、美術品切手としての価値もある。

1シートには80円切手として10枚がデザインされているが、いずれも『龍谷ミュージアム』に展示されるもので国宝、重要文化財の類いである。

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絵巻については以前にも書いたが、中国の画巻の形態を取り入れて日本でも8~9世紀に描かれ始めたとされ、12世紀には卓抜した作品が描かれた。

源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵巻、鳥獣戯画などの傑作がそれである。

この切手の絵は『源氏物語絵巻』二種のうち狩野探信が江戸時代後期に描いたものであるが、細かい筆線での人物や場面描写が見事である。


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上の書籍は『類聚古集』。全16冊で国宝である。

万葉集の歌を歌体や春夏秋冬、天地、山水など題材によって分類。藤原敦隆が編集しなおした初めての書物であり、万葉仮名の歌の後に平仮名で読み方が書かれた現存する『類聚古集』の写本として唯一のものである。

この『類聚古集』には伏見天皇の花押が記されている。


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この地図は朝鮮使節として明(中国)に出向いた金士衡と李茂が李薈に描かせたもので李朝太宗2年に作成したものだという。

朝鮮王朝における太宗王の2年ということは1402年であり、日本では室町幕府の足利義満の晩年の時代である。

明(中国)と朝鮮が大きく描かれ、日本が右下に小さく描かれている。

日本最古の地図は僧・行基が描いた『行基図』であるとされているが、ここに描かれている日本の図は『行基図』によるものと解されている。

江戸時代後期に伊能忠敬の実測によって作られた『大日本沿海輿地全図』が作成されるまでは上の日本地図のような『行基図』を用いていたということである。

ちなみに『行基図』の原図は現存していないという。

下は明治19年に普通教校(龍谷大学の前身)の教授や学生を中心に組織された『反省会』の機関誌『反省会雑誌』(明治20年発行)。
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社会改良運動の機関誌として誕生した『反省会雑誌』は明治32年に『中央公論』と改題し、わが国で最初の総合雑誌へと発展した。

文学雑誌としては早稲田文学が明治24年に創刊している。


下はベゼクリク第4号窟寺の壁画、誓願図(デジタル復元)。
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『龍谷ミュージアム』館内にベゼクリク石窟寺院の壁画回廊を復元するとのことである。

1902年(明治35)の第1次から第3次(1914年)まで3回にわたって仏教伝播の経路を調査するため東アジアの仏跡を中心にシルクロードに赴いた大谷探検隊(浄土真宗本願寺派22代門主・大谷光瑞が組織)が発見、発掘した膨大な収集品は西域文化を研究する上での貴重な資料として中国・旅順博物館、韓国国立中央博物館、東京国立博物館、そして龍谷大学などで分蔵・管理し研究に寄与している。

シルクロードは古代インドに始まった仏教伝播の北部ルートであるが、イスラム勢力(教)が浸透することによって仏教遺跡が破壊され多くの経典、仏像、仏具なども散逸した。

写真のベゼクリク石窟寺院は中国・新疆ウィグル自治区の天山南路の東北、トルファンにあるものだが、他の遺跡同様に破壊されており壁画の断片も世界中に散逸していたという。

この復元に龍谷大学とNHKが共同してデジタル復元に取り組んだらしいが、その制作過程を紹介しているページがあったのでリンクさせることにする。
       リンクするには、『この行をクリック』する。

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これは『奈良絵本竹取物語』で「かぐや姫」が天に戻る場面。

奈良絵本は室町時代末期から江戸時代中期にかけて作られたもので、奈良絵を挿絵にした冊子である。

現存する奈良絵本の竹取物語は極めて少なく、本書も貴重なものである。

貴重と言えば随分以前になるが龍谷大学大宮図書館所蔵の『平家物語(覚一本)』を見せてもらったことがあった。

岩波書店の日本古典文学体系「平家物語」の底本になった『覚一本』と呼ばれる古写本12冊であるが、これは読みづらく私には岩波本の方が良い。

この大宮図書館所蔵の古典書は歴代の本願寺門主の蔵書『写字台文庫』が基になっているので、日本の古書籍はもとより現在では中国にも残っていない貴重な明・清時代の書籍も多く、江戸幕府の紅葉山文庫(現在は内閣文庫)に次ぐコレクションと評されている。

貴重な書画骨董品を金持ちと呼ばれる世の好事家は個人で抱え、大学や会社などでも所蔵していても公開していないものが沢山ある。

イギリスやドイツなど、武力をもって侵略した国の貴重な物を強奪してきたような歴史もあるが、後にそれらを管理し一般に公開してきたことは評価できる。

貴重な遺跡、遺物、書画骨董品などは全人類の宝物であって、金持ちであるという理由をもって個人所有するというのは承服も賛同もできない。

松方コレクションは公開され、大原は倉敷に、石橋はブリジストン、鳥居はサントリーと広く一般に供しているものもある。(例として)

とりわけ社会に対して責任を有し密接なる関係によって成り立つ大学や企業は率先してそれらを常時公開すべきである。

ともあれ龍谷大学創立370周年記念の節目の事業のひとつで僅かとは言え、貴重なものを例え切手の絵柄であるとしても公開したことは評価できる。

こんなプレゼントなら幾らでも頂きたいものである。ぶっははははは


at 10:57|Permalink

November 17, 2009

娘の挙式を言祝ぐ

11月14日、前夜からの冷たい雨が降る朝を迎えた。

娘の結婚式なのに晴れてくれればいいのに・・・

そんな願いが通じたのか挙式前には清々しい秋空となり、式場であるホテル内も輝かしい光で満ち溢れた。

娘、娘って、いったい何人の娘がいるのかって不思議に思われるかもしれない。 いや、娘だけではない、息子も沢山いるのだが・・・。
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それの説明はさておき、この娘Mちゃんの結婚について、彼女の夫となったM君と付き合い始めた頃よりMちゃんと会うたび進展具合を聞いてきたのだが、何としても幸せになってもらいたいと私も家内も願い続けてきた。

彼女が結婚の意志をほぼ固めたのは昨年末だったか今年の初めだったか、それが決まって報告してくれたのが夏初めのことであった。
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とても優しい人だと。

Mちゃんが新しい人生を歩むことを決意してくれたことだけで充分に私たちも幸せであった。

指輪の交換。そして結婚宣言へ。

式次第通り粛々と進むセレモニーだが、進むほどにMちゃんが結婚するのだと実感がわくと同時に目頭が熱くなって二人の姿がぼやけて見えなくなってしまった。

式典が終わるとホテル側の趣向らしいがエントランスフロアでフラワーシャワーを浴びて新郎新婦が招待客が居並ぶ中を進む。

挙式場から披露宴の席へ移動し、花婿花嫁の入場を待って祝いの宴が始まる。

ウェディング・ケーキへの入刀。
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硬かった二人の表情にも和みが出てきた。

キャンドル・サーヴィスは花火が弾け、Mちゃんの素敵な笑顔がキャンドルの明かりに映える。
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宴を終えて新婚ほやほやのカップルと共に。
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幸せになりや、Mちゃん。

M君、Mちゃんを頼むで。 きっと、きっとやで。

最も気になり心配していた娘が新しい道を歩み始めた。

嬉しくて、ただただ嬉しくて言う言葉も無い。

肩の荷が下りるという言葉があるが、今日の日がそれであった。

若い人たちから2次会に誘われていたけれど、真っ直ぐ我が家へ帰って横になるなり朝までぐっすり眠り込んでしまった。

幸せである。 感謝するのみ。


at 11:33|Permalink

November 16, 2009

祗園『さか季』でイッパイ

10月末から11月初めは各地の多くの大学で大学祭が催される。

大学祭は春秋の実施と二分されるが秋に実施されるのが圧倒的に多い。

講演会、展示(展覧)会、演奏(演劇)会などに加え各種の模擬店などが開設され、学生たちで構成する大学祭実行委員会の企画で催される。
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今年もどのようなものになっているのかと興味を持って2校を訪れてきた。ご祝儀を届けることが訪問目的の半分なのだが。

夏の研究会以来久し振りに京阪電車に乗ったのだが、車体に機関車トーマスの絵が色とりどりに描かれていたのでパチリ。

私が子どもの頃、国鉄の赤茶けた錆び色の電車体にペンキでストライキの文字が書かれていたのを思い出すが、機関車トーマスは書きなぐりの落書きではない。

近鉄も京都や奈良の絵を描いたり、某私大の宣伝を入れた車両を走らせている。

地方行政での財政収入増加を図って公共施設の命名権を売買するのと発想は同じことなのかもしれない。
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通常、『さか季』は午後6時に暖簾を掛けるのだが私の用事が早く終わったので5時に店を開けてもらった。

随分寒い日であったので熱い湯割りの焼酎でもと思っていたのだが、『さか季』の料理は日本酒がよく合うので辛口の熱燗にしてもらった。

写真の小鉢はヨコワの和え物なのだが、ヨコワをミョウガや青ジソなどと共にオリーブオイル(他にも混じっている)に漬け込む、つまりフランス料理で言うところのマリネである。

見かけは日本料理で味わいも日本料理と言って良いが、どこか日本料理の枠外にあるというような・・・とりわけヨコワの食感が違うのである。が、全体としてはとてもよくまとまった一品であった。
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これは蒸したズワイガニの身に白醤油をもとにしたダシをかけたものだが、色合い味ともにまずまずであった。

『さか季』にはちょくちょく寄ってはみたいのだが、京都で夜になるまでいるということが少ないので訪れる機会は少ない。

下は天然ブリの刺身である。

脂の乗りという点で言えば未だ少しといったところだが、私にはコレでも充分すぎるくらいである。

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年を取ると好みが変わると聞かされてきたが、思い返せば50の声を聞くようになった頃より変わってきたのかなと思う。

日本料理で言うところの煮しめはあまり好きではなかったが、40半ばの頃から食べたいと思うようになり、以来とりわけ高野豆腐、ひじき、野菜の煮物は好んで食べるようになってきた。和え物では卯の花(おから)が好物である。

デパ地下など惣菜専門の店が商品として出しているのは甘さが強くて好きではないが家内のはウマイ。(ゴマスリは3分の1。ホンマのこと)

それに私はマグロが好きで、以前ならカマであれ腹であれ大トロも喜んで食べていたが、今は天身(赤身)が主で中トロを少しという程度。

牛肉は今でも好物ではあるが食べる量は減ってしまった。
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オーストラリアにしばらく滞在していた頃は4~500グラムのステーキが食べられるので大いに喜んでいたものだった。

「ステーキと言えるのはこれくらいの厚さのこっちゃ」

日本でステーキと言えば160~180グラム。

これは、ちゃうちゃう。

後の予定があったので、キノコたっぷりのフォアグラの蒸し物を作ってもらった。

まだまだ冷えるとは言えない時期ではあるが温かいものを頂いて花見小路へ。

また来まっさ、『さか季』はん。


at 09:10|Permalink
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