July 2010

July 26, 2010

旬というもの

『旬』というのは物事を行う上で時節が良いとか、蔬菜、果物、魚などが沢山とれて最も味が良い時期のことを指すのが現代では一般的だが、漢字の構成から見れば、『勹』はホウと読み、体や手を丸く曲げて包むという意味の字であり、その中に『日』があることから昔は10日間をひとくくりとして旬と呼び、この漢字を用いていたということもある。

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥と言えば『えと』のことだと大概の人は知っている。そして『えと』を『干支』と書くことも知っている。

同時に『干支』を『かんし』と読むことも。

ところが『干支(えと・かんし)』とは何かと問われると答えに窮する人が多いのも事実である。

以前にも少し触れているが、『干支』は『十干(じっかん)』と『十二支(じゅうにし)』を合成したものであり、『十二支』は上記の12種の動物であり、『十干』とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸、つまり(きのえ・きのと・ひのえ・ひのと・つちのえ・つちのと・かのえ・かのと・みずのえ・みずのと)のことである。

中国古代の考え方では万物の基本元素を『木』『火』『土』『金』『水』の五つを挙げているが、それぞれには陽と陰があり、陽は兄(え)で陰は弟(おと)として、甲は「木のえ」、乙は「木のと」、丙は「火のえ」、丁は「火のと」などと表し、易では『十二支』との組み合わせによる『丙午(ひのえ・うま)』がよく話題にされている。

ともあれ先に書いた10日間を『十干』で表していたのである。

つまり月の初めの10日間は上旬であるとか、終わりの10日間を下旬というように10日間をひとくくりとして旬と称していたのである。

『旬』という漢字には上述したように大きく二つの意味合いがあるが、私には物が美味しいという旬の方に興味がある。
s-コピー ~ s-博多・祇園山笠、追い山006
広島。 瀬戸内の6~7月の旬の物はタコ、チリメン、小イワシ、ハモなどなど。

魚は好きなのだが骨や鱗に敏感な私の舌は、どちらかと言うと、そうしたものが無い魚を好む。

骨の無い魚など無いのだが、調理法によって骨抜きに・・・

つまり、お刺身や、骨があっても感じない小魚が好きであるということ。

人間で骨抜き状態の類は好まないが、かと言って硬骨漢然としたのもイマイチかな? 自己の主義を曲げず、権力・金力に迎合しない連中は好みではあるが、これは反面協調性なく利己的な人物とは紙一重なので、ちょっと親しくお付き合いするには難しいかなあ・・・

旬とは関係の無いことだが、細かな目の網で掬い取られるチリメンは少し苦味が感じられる夏初めの珍味である。
s-博多・祇園山笠、追い山004
店では、おろしショウガに刺身醤油をつけて提供してくれるが、私は何も足さないで頂く。 勿論、骨など感じない。

広島・新天地『どんどん』で食べることができる。

通常、「音戸チリメン」として、湯通しして天日干しして売られているが『どんどん』では生で食べることができる。

2~3cm程度のもので傷みが早いために生産地と直結していることが生食の条件のひとつである。
s-コピー ~ 博多・祇園山笠、追い山007
薬研堀の『通』では小イワシのお刺身と小イワシでお寿司を握ってもらった。

イワシは脂が乗ってくる秋口からの方が美味しいと言われるが、夏初めの小イワシもあっさりしていて美味しい。
s-博多・祇園山笠、追い山011
10cm程度の小イワシだから頭と腹わたを指先で取るだけで良いのだが、『通』の大将は職人だけに丁寧な仕事をしてくれる。

昔はトロ箱で何十円、今の価格に換算しても百円か二百円程度のものであったが、イワシも今は高級魚になってきた。
s-博多・祇園山笠、追い山010
小さいイワシなので2匹分をさっと醤油にくぐらせ、写真のような握り寿司にして提供してくれた。

おろしショウガと刻みネギが載せてあるが小イワシに匂いなど無い。

イワシも新鮮だと臭いなどしない。

博多にしろ広島にしろ旬々で美味しいものを頂けて幸せである。

イチゴが過ぎ、サクランボが過ぎて、ぶどうの時期に入り、まだ暫くは大好物の巨砲を食べることのできる幸せを感じている。

大概のものは1年中いつでも食べることが出来るようになり、子どもたちの季節感が薄れていると言われる現代だが、やはり旬は旬。

美味しく楽しく味わえる幸せを感謝したいものだ。

そう言えば、今日は土用の丑の日。

今年の立秋は8月7日。 立秋の前18日を土用としているので、7月20日より8月6日までが夏の土用である。

7月20日が辛未(かのと・ひつじ)なので、『十干』と『十二支』を順次組み合わせていけば21日は壬申(みずのえ・さる)、22日は癸酉(みずのと・とり)となり、26日は丁丑(ひのと・うし)となる。

まあ暦のことはどうでもええとして、我が家も今夜は鰻(うなぎ)かな?


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July 25, 2010

暑中お見舞い申し上げます

ご挨拶

暑中見舞い157

連日の記録的な猛暑の中、いかがお過ごしでしょうか。

博多より我が家に帰り9日目の朝を迎えましたが、この間一滴の雨も無く連日30℃を越えるカンカン照りの日が続いております。

大阪では天神祭で梅雨が明け、本格的な夏を迎えると古来言われてきましたが、今年の夏は一週間ばかり早いようです。

暦の上での大暑は23日。 

本日25日が天神祭の本宮。

陸渡御、船渡御などなど(以前に書いているので省く)、大阪・天満宮を中心に市内各地は祭りで盛り上がります。

既に40℃に近い気温を記録した地域もあるようです。

まだまだ暑い日々が続きそうですが、皆様方には何卒お体ご自愛頂きますよう念じております。



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July 24, 2010

久し振りに博多へ 【6】 

今回の博多は雨雨雨の連続で滞在日数も短く、祇園山笠を見るということを第一の目的としていたため、親しき友人たち全てと会い語るということができなかった。

これは少々残念ではあったが、目的とした祇園山笠については、前回櫛田神社に設けられた特設の桟敷席で各山の櫛田入りを見ているので、今回の集団山見せや、実際に早朝の博多の町を駆ける追い山を見たことでほぼ、うーーん、実際表に見えるという点では7割は見終えたと言えるのではないかと思っている。

細かくは山の組み方というか、山の飾りの初めから見学し、欲を言えば舁き手の経験もということになるが、博多もんでない私には無理なこと。
s-博多・祇園山笠手拭い(1)2010
今回頂いた中洲流の手ぬぐいは可愛い舁き手たちを描いたものであった。

博多では、舁き手たちが頭に締めるものを『手のごい』と呼ぶらしいが、頂いたものが『手ぬぐい』なのか『手のごい』なのかは知らない。

毎年、T氏が扇子と共に送ってくれるのだが、今年は手ぬぐいを手渡しで頂いた。

時間が許せばT氏と話もしたかったのだが、今回は店で言葉を交わしただけであった。 そう言えば扇子を・・・ それにSの黒も・・・
忙しいのか忘れてしまっているのか。

二本あればY君にあげるのだが、今年のは・・・

船長にも会ったけれど、ほんの僅かな時間であった。

博多では檀家廻りに忙しいから仕方がないのだが、やはりもう少し日程を取らねばならないようだ。
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写真は、中洲・銀寿司の梅ちゃんが盛り付けてくれたお造り。

旬のシャコが美味しかったけれど、何と言っても私はマグロの天身が一番。

順次、料理は出してくれるが、銀寿司で梅ちゃんの盛り付けを写真に撮るのは初めて。 塗りのカウンターに盛られた刺身は写真のように色鮮やか。

夜遅くには、佐賀のおばあちゃんの話で有名な、最近は皇潤とやらの薬のコマーシャルに出ている元・漫才師がよく来ている。
s-博多祇園山笠(2)002
山笠の土産でもないが、上川端商店街や特定の店舗では山笠に合わせて客向けに団扇を出したりもしている。

この団扇はタダだが、扇子は絵師も有名な人で一本の値も結構高いらしい。



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July 22, 2010

久し振りに博多へ 【5】 (博多・祇園山笠)

博多では7月1日から七つの流の舁き山のほか、14の飾り山が各所で公開されている。

七つの舁き山については、12日の追い山ならし、13日の集団山見せ、そして15日の追い山で全てを櫛田神社、もしくは明治通りで見ることができるが、飾り山は舁き山のように実際に走るわけではないので展示箇所まで出向かなければ見ることはできない。

ただし、櫛田入りのところで書いたように上川端通りの飾り山だけは七つの流に次ぐ『8番山笠・上川端通』として、唯一舁き手によって櫛田入りを行う。
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上は8番山笠・上川端通の表。
標題は、『博多風神雷神恵』(はかた ふうじんらいじんのめぐみ)

『風神・雷神』と言えば桃山・江戸期の絵師・俵屋宗達の作品を思い浮かべてしまうが、江戸中期の絵師・尾形光琳の屏風画も有名である。

京都・三十三間堂に鎌倉期の風神・雷神の木彫像もあるが、風や雷の発生メカニズムを知らなかった頃の人々にとって風や雷は恐怖の対象であると同時に大地の恵みの対象でもあったのであろう。

下は見送り(裏側)で、標題は『忠勇士景清』(ちゅうゆうのしかげきよ)

平景清(藤原景清)のことであり、一の谷、屋島から壇ノ浦へと続く源平合戦で活躍した武将で、平家物語巻十一の「弓流」では源氏方の美尾屋十郎の錣(しころ)を手で引きちぎったという話が記されている。
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錣(しころ)というのは兜の左右と後ろに垂れるように金属板を綴り合せて首筋を守る働きをするものだから豪腕の持ち主であったのだろう。

歌舞伎十八番『景清』では、源氏に捕らえられた景清は洞窟内の牢に閉じ込められるが、敵からもらうものは一切口にしないと絶食し、源氏の武将から平氏の宝物の在り処を問われても一切応えなかった。

そんな景清に対して、源氏の武将は景清の妻と娘を牢の前に引き連れ責め始めるが、それを見た景清は怒り心頭に発し牢を破ってしまうのだが、上の見送りの場面は景清が牢破りをした際に格子の木材を持ち上げているところのようだ。

飾り山は、上の上川端通のほか、櫛田神社、中洲流、川端中央街、博多リバレイン、キャナルシティ博多、博多駅商店連合会、天神一丁目、渡辺通一丁目、新天町、ソラリア、福岡ドーム、千代流、東流とあるが、下は十七番山笠・川端中央街の飾り山である。
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表標題が『義経千本桜』
これも歌舞伎からの引用テーマである。

しかし見送り標題は『ドラえもん』である。
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何ともユーモラスであり思わず笑みがこぼれてしまった。

下は博多リバレインの飾り山で、表標題は『清正誉之虎』。
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今年の干支にちなんでの作品らしい。

見送り標題は『喝采新演劇始祖』。
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今年は博多生まれのオッペケペ節で有名な川上音二郎の没後100年だとかで、新演劇の祖としてテーマに掲げたのだとか。

東京の川上座、大阪の帝国座を建設し、奥さんの貞奴とともに日本演劇界に新風を吹き込んだことでよく知られている。
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以前には無かったのだが、明治通りを挟んで博多リバレインと向かい合うように川上音二郎の記念碑が建てられていた。

♪ 権利幸福嫌ひな人に
    自由湯をば飲ましたい
      オッペケペ オッペケペ
        オッペケペッポー ペッポッポ
    (ーーー略ーーー)
  外部(うわべ)の飾りはよいけれど
    政治の思想が欠亡だ
      天地の眞理がわからない
        心に自由の種を蒔け
      オッペケペ オッペケペ
        オッペケペッポー ペッポッポ 

明治中期の偉大なる俳優であり事業家、思想啓蒙家でもあったが、葬儀まで後々にまで語られるほど規模の大きいものであった。

下は一番山笠・中洲流の飾り山。
表標題は、『合戦宇治橋攻防』である。
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京都の南部、山紫水明の宇治・平等院に陣を構えた以仁王(もちひとおう)と源頼政(みなもとのよりまさ)、それに三井寺の僧兵たちの軍勢が、宇治川を境に平家の軍勢と争った戦である。

平安時代と言えば先ず藤原氏の摂関政治を挙げることができるように天皇家と貴族の結びつきによって権力支配が成り立っていたと言っても良く、そうした権力と結びつきを強めてきたのが平氏であり源氏でもあった。

平安時代後期になると院政が行われ法皇・上皇・天皇と権力抗争が熾烈になり、保元・平治の乱を経て平安末期には平氏が政治の権力を握るようになっていった。

当然の如く平氏政権と後白河院政の間に反目が生じ、神戸・福原にあった平清盛が軍勢を率いて法皇を幽閉して院政を停止させ、更に高倉天皇を譲位させて、当時3歳であった安徳天皇を即位させるに至った。

安徳天皇の父親は高倉天皇であるが、母親は平清盛の娘・徳子である。
これによって平清盛が最高権力者となり横暴を極めるに至ったのである。

こうした平家の横暴に対して反旗を掲げたのが以仁王と源頼政らであったが宇治での奮戦空しく破れてしまった。 この頼政の墓は平等院にある。
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上は見送り標題『老公薩摩霽濡衣』(ろうこう さつまのぬれぎぬをはらす)。

老公とは勿論水戸光圀のことであり、テレビ映画でお馴染みの衣装で飾り左手に立っている。

神奈川沖で沈んだ薩摩藩の船から禁制の洋式銃が発見されたため、薩摩藩の財宝を手に入れようと陰謀を企む柳沢吉保に対し、薩摩藩の濡れ衣を晴らそうと旅を続ける黄門一行をテーマにしたらしい。

いかにも史実にありそうなことではあるが、水戸黄門こと徳川光圀が諸国を巡り歩いたという事実は無いので漫遊記というお話の上でのことである。

飾り山の全てを見れなかったが、各飾り山の標題(表・見送りとも)を大雑把だが分類してみると、
 歴史・軍記物(歌舞伎なども含む)
     水滸伝、維新龍馬伝、鄭成功義勇之誉、決闘巌流島、
     南総里見八犬伝、龍馬が奔る、暫、博多津再興之礎、
     大八島国曙、義経千本桜、清正誉之虎、喝采新演劇始祖、
     一世風靡音二郎、宝来船博多之賑、歴史誇日向宮崎
 昔 話
     鬼島凱旋桃太郎、猿かに合戦、怪童金太郎
 アニメ
     ドラえもん、チャギントン、名探偵コナン、ちびまる子ちゃん
 その他 
     鷹吹風迎撃、水郷柳川文化薫(歴史ものかも)
上記のように傾向は明瞭である。

下は舁き山の大黒流で、標題は前ページでも紹介しているが
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『清風万頃波』で平重盛である。

舁き山の標題やモデルを一覧にすれば
『威風震十方』で不動明王
『博多守護之武勲』で元寇の役の時の武将
『日出乾坤輝』で恵比須(ヒルコノミコト)
『勇将義如鐡』で立花宗茂
『英雄・鄭成功』
『仁風導和気』で歌舞伎・鎌倉権五郎景政
以上のように神仏が『2』、歴史・軍記物(歌舞伎なども含む)が『5』となり、舁き山も飾り山も標題の傾向がはっきりしている。

博多では山笠が終わると真夏がやってくると言われているが、何と、実際にその通りになり、16日は完全に梅雨明けの空になった。






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July 21, 2010

久し振りに博多へ 【4】 (博多・祇園山笠)

早くから陣取っていたので集団山見せの各流の山笠をよく見ることができたのだが、傘をさしての観覧のため前後右手にいる人たちの傘からしたたる雨が背中や胸前にかかって何とも気持ちが悪い。

小雨模様になった時は良いのだが、雨がひどい時にはホースで水をかけられたような感じとなり、シャツがピタッと肌に張り付くのである。
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上は3番山笠・千代流の先頭集団であるが、彼らの白い水法被も雨や勢い水で肌にぴったりくっ付いている。
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千代流の舁き山の標題は『勇将義如鐡』でモデルとなった人物は初代・筑後柳川藩主の立花宗茂。

宗茂の父は豊前・大友氏の庶流で高橋紹運だが、同じ大友氏庶流の立花道雪の養子となり道雪の娘・誾千代(ぎんちよ)を妻にした。

豊臣秀吉の九州攻めに対し、島津義弘の筑前侵攻に抵抗した高橋紹運が守る岩屋城の戦い、立花城を守る立花宗茂などについては以前にも書いているので省くことにする。
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千代流に続くのは4番山笠・恵比須流である。

日本の祭りに参加する外国人が多くなってきているが、山笠でも多く見かけた。

彼らがどれほど日本の文化や歴史に精通しているか知らないが、まず肌で感じることをきっかけにして日本通と呼ばれる人に育ってもらいたいものだ。
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4番山笠は恵比須流で標題は『日出乾坤輝』(ひいでてけんこんかがやく)である。
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乾坤とは、八卦において乾は陽を坤は陰を表し、相対するふたつのものを指す場合に用い、陰陽のほか天地を意味する言葉でもある。

天には太陽が照り輝き、大地は緑豊かな素晴らしい、そんな世界を希求してでもいるのであろうか。

舁き山笠にしろ飾り山笠にしろ毎年なかなか楽しいものがある。
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上は、5番山笠・土居流。 標題は『博多守護之武勲』。

元寇の役(文永の役・1274年、弘安の役・1281年)で元の軍隊に対して奮戦し、勝利をもたらした武将をモデルとしたもの。
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上は、6番山笠・大黒流。

標題は『清風万頃波』(せいふうばんけいのなみ)

平清盛は海上交通の整備に力を注ぎ、博多では袖港を築いて日宋貿易も盛んに行えるようにさせた。
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舁き山のモデルは清盛の子・平重盛らしい。

下は、7番山笠・東流。
標題は『威風震十方』(いふうじっぽうにふるう)
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舁き山には黄金色の不動明王が腰掛けて周囲を睥睨している。

仏の本願は衆生全てを救うことにあるが、理の分からぬ者に対して大日如来が憤怒の様相の不動明王に化身していると言われている。

不動明王は世界の十方、隅から隅まで睨みをきかせているというのが標題であり山笠も良く表現されていると思う。
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1番山笠の中洲流が集団山見せのコースを駆け終えて中洲の町へ戻ってきたところである。
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ご苦労様の労いの意味も込めて勢い水が盛んにかけられる。

頭からかぶることは無かったけれど、見物していた私のズボンや靴も既にびしょ濡れである。

山笠最終の神事、追い山と順序がちぐはぐになってしまったが、舁き山について見聞を記してきた。

博多・祇園山笠では舁き山笠ではないが飾り山笠もあって、これも祭りの期間中博多の各所で見ることができる。 次ページではそうした飾り山笠のいくつかを紹介してみよう。


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