February 2011
February 04, 2011
ポルトガル・スペインを巡る 【22】 リスボンからロカ岬へ
ロカ岬(Cabo da Roca)は北緯38度47分、西経9度30分にある。
北緯は良いのだが、西経と言うのは言い慣れないので何だか妙な気分であるが、緯度的には日本の山形県新庄市や宮城県気仙沼市と似た位置になる。 また、経度としての西経9度30分はユーラシア大陸の最西端で大西洋を挟んでアメリカ大陸と最も近い位置にある。
断崖状で大西洋に面している岬は強い潮風をまともに受けるからか背丈のある植物はない。
その光景は日本各地で見かける岬とあまり変わるところはない。
晴れていれば群青の海が広くどこまでも続いて見えるのであろうが、私たちが訪れた時は灰色の雲がどんよりと垂れ込め、水平線が霞んでおぼろげであった。
今でこそ地球は丸く、この大西洋の向こうにアメリカ大陸が横たわっているのだということを理解し思い浮かべることもできる。
しかし、1492年にコロンブスが地球が球であるとの考えから、西回りに大西洋を越えて再び戻って来ようと船出した当時、その彼の行動は将に無謀で危険極まりない暴挙であると大多数の人々は見ていたのではないだろうか。
現在、ロカ岬には最初の写真に見える灯台と観光客相手のレストランの建物が建ち、ロカ岬を示すモニュメント(写真)が建てられているが、大航海時代にはそうしたものもなく、荒々しい自然のままの岬であったに違いない。
ロカ岬を示すモニュメントは上部に十字架を戴いているが、多分、ロカ岬のロカは聖人ルカに因んで名付けられたのではないかと、私は勝手に想像しているだが違っているだろうか。
キリスト教勢力の強い地域では地名などに聖人の名前を冠することが多いので思ったというだけのことであるが、ロカ岬をなぜ聖ロカ岬と聖(Santos)
を付さないのか疑問には思っている。
上のモニュメントの下部に何の紋章か分からないが石彫レリーフが貼られている。
ロカ岬(CABO DA ROCA)の文字の下には次のように書かれている。
AQUI...
ONDE A TERRA SE ACABA
E O MAR COMECA...
(CAMÕES)
PONTA MAIS OCIDENTAL DO
CONTINENTE EUROPEU
【円形内に紋章】
CÁMARA MUNICIPAL DE SINTRA
1979
LATITUDE 36'47 NORTE
LONGITUDE 9'30 OESTE
ALTITUDE 140' ACIMA DO NIVEL
MEDIO DAS AGUAS
誰の和訳か出典は不明だが名訳なので引用すると、『ここに地果て 海始まる』(カモンイス) AQUI...から(CAMÕES)まで
続いて『ヨーロッパ大陸最西端の地』。 紋章の下には『シントラ市庁 1979年』に続いて緯度・経度、それに海抜140mの標示がある。
ところで、カモンイス(Luís Vaz de Camões)がポルトガルの詩人であることは既に書いたが、、『ここに地果て 海始まる』の一文は1571年に公刊された彼の『ウズ・ルジアダス』(Os Lusíadas)において、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓など大航海時代のポルトガルの偉業を称える中で書かれたものらしい。
上の写真はジェロニモス修道院に安置されているルイス・ヴァス・デ・カモンイスの石棺。(ポルトガル・スペインを巡る 【19】を参照)
左は岬に建てられていたシントラ自然公園の動植物相についての説明板。
動物としては、ハヤブサ、チョウゲンボウ、鵜と言った鳥たち、それにヤマネというネズミ目の哺乳類が生息しているようだが、いずれも見てはいない。
ヤマネは日本にも生息する哺乳類で冬眠し、天然記念物に指定されている。
植物も我が国で見られるものに似るが、説明板のうち左下のハリエニシダと中央上の絵にある英語名でhottentot fig(ポルトガルではchorao)は見た。
いずれも花の時期は過ぎていたようだが、写真は黄色い花を咲かせているハリエニシダ。
緑色の多肉な葉はhottentot figで、上の岬の写真で台地一面に這い広がっているのがこの植物である。
松葉ぎくとは少し違うようにも思えたのだが、花はほとんど枯れ、僅かに残っていたのが写真のように黄色い菊花状のもの。 茎はしっかり地面を隙間なく覆っていた。
説明板ではdangerous invaderと英語表記があり、元来南アフリカ自生植物だが外来植物として他の植物を圧倒していることが書かれている。(多分だが・・・ポルトガル語説明文の部分解釈ゆえ正確には分からない)
左はCertifico que(ことを証明する)から始まるヨーロッパ(ユーラシア)大陸最西端到達証明書とでも言うべきもの。
私の名前と日付は消してあるが、羽根ペンで書き入れてくれ発行者の自筆サインも入り、おまけにご丁寧にもロウ印まで押してくれる。
裏面には英仏独露など日本語も入れて7か国語でロカ岬に到達したという証明文を記してある。
日本でも同様のものがある、と言うか売られている。
ロカ岬の証明書もタダではないが、これに価値を感じるかどうか・・・・・
これについては何も書かない。
北緯は良いのだが、西経と言うのは言い慣れないので何だか妙な気分であるが、緯度的には日本の山形県新庄市や宮城県気仙沼市と似た位置になる。 また、経度としての西経9度30分はユーラシア大陸の最西端で大西洋を挟んでアメリカ大陸と最も近い位置にある。
断崖状で大西洋に面している岬は強い潮風をまともに受けるからか背丈のある植物はない。
その光景は日本各地で見かける岬とあまり変わるところはない。
晴れていれば群青の海が広くどこまでも続いて見えるのであろうが、私たちが訪れた時は灰色の雲がどんよりと垂れ込め、水平線が霞んでおぼろげであった。
今でこそ地球は丸く、この大西洋の向こうにアメリカ大陸が横たわっているのだということを理解し思い浮かべることもできる。
しかし、1492年にコロンブスが地球が球であるとの考えから、西回りに大西洋を越えて再び戻って来ようと船出した当時、その彼の行動は将に無謀で危険極まりない暴挙であると大多数の人々は見ていたのではないだろうか。
現在、ロカ岬には最初の写真に見える灯台と観光客相手のレストランの建物が建ち、ロカ岬を示すモニュメント(写真)が建てられているが、大航海時代にはそうしたものもなく、荒々しい自然のままの岬であったに違いない。
ロカ岬を示すモニュメントは上部に十字架を戴いているが、多分、ロカ岬のロカは聖人ルカに因んで名付けられたのではないかと、私は勝手に想像しているだが違っているだろうか。
キリスト教勢力の強い地域では地名などに聖人の名前を冠することが多いので思ったというだけのことであるが、ロカ岬をなぜ聖ロカ岬と聖(Santos)
を付さないのか疑問には思っている。
上のモニュメントの下部に何の紋章か分からないが石彫レリーフが貼られている。
ロカ岬(CABO DA ROCA)の文字の下には次のように書かれている。
AQUI...
ONDE A TERRA SE ACABA
E O MAR COMECA...
(CAMÕES)
PONTA MAIS OCIDENTAL DO
CONTINENTE EUROPEU
【円形内に紋章】
CÁMARA MUNICIPAL DE SINTRA
1979
LATITUDE 36'47 NORTE
LONGITUDE 9'30 OESTE
ALTITUDE 140' ACIMA DO NIVEL
MEDIO DAS AGUAS
誰の和訳か出典は不明だが名訳なので引用すると、『ここに地果て 海始まる』(カモンイス) AQUI...から(CAMÕES)まで
続いて『ヨーロッパ大陸最西端の地』。 紋章の下には『シントラ市庁 1979年』に続いて緯度・経度、それに海抜140mの標示がある。
ところで、カモンイス(Luís Vaz de Camões)がポルトガルの詩人であることは既に書いたが、、『ここに地果て 海始まる』の一文は1571年に公刊された彼の『ウズ・ルジアダス』(Os Lusíadas)において、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓など大航海時代のポルトガルの偉業を称える中で書かれたものらしい。
上の写真はジェロニモス修道院に安置されているルイス・ヴァス・デ・カモンイスの石棺。(ポルトガル・スペインを巡る 【19】を参照)
左は岬に建てられていたシントラ自然公園の動植物相についての説明板。
動物としては、ハヤブサ、チョウゲンボウ、鵜と言った鳥たち、それにヤマネというネズミ目の哺乳類が生息しているようだが、いずれも見てはいない。
ヤマネは日本にも生息する哺乳類で冬眠し、天然記念物に指定されている。
植物も我が国で見られるものに似るが、説明板のうち左下のハリエニシダと中央上の絵にある英語名でhottentot fig(ポルトガルではchorao)は見た。
いずれも花の時期は過ぎていたようだが、写真は黄色い花を咲かせているハリエニシダ。
緑色の多肉な葉はhottentot figで、上の岬の写真で台地一面に這い広がっているのがこの植物である。
松葉ぎくとは少し違うようにも思えたのだが、花はほとんど枯れ、僅かに残っていたのが写真のように黄色い菊花状のもの。 茎はしっかり地面を隙間なく覆っていた。
説明板ではdangerous invaderと英語表記があり、元来南アフリカ自生植物だが外来植物として他の植物を圧倒していることが書かれている。(多分だが・・・ポルトガル語説明文の部分解釈ゆえ正確には分からない)
左はCertifico que(ことを証明する)から始まるヨーロッパ(ユーラシア)大陸最西端到達証明書とでも言うべきもの。
私の名前と日付は消してあるが、羽根ペンで書き入れてくれ発行者の自筆サインも入り、おまけにご丁寧にもロウ印まで押してくれる。
裏面には英仏独露など日本語も入れて7か国語でロカ岬に到達したという証明文を記してある。
日本でも同様のものがある、と言うか売られている。
ロカ岬の証明書もタダではないが、これに価値を感じるかどうか・・・・・
これについては何も書かない。