April 2011

April 22, 2011

岡山への旅 (2) 武本比登志・ポルトガル油彩作品展の続き

武本比登志氏の作品展を見るために岡山・高島屋まで出向いたことについて前回書いたので、その続きのようなことを書いておこう。

武本氏の作品を見せてもらってからお昼ご飯を食べる店を駅前あたりで探していたのだが、これはやはり店舗の多い大阪とは比べものにならない。

JR岡山駅前から東へ岡山電軌のトラムが走る桃太郎通りが熊本城の城下電停まで真っ直ぐに伸びているのだが、桃太郎通りとそれの南北に平行する道に飲食店が点在する。
しかし、ここはという店も見つけられないまま桃太郎通りと交差する西川緑道公園まで歩いてしまった。

参考までに岡山市中心部の地図を下に示す。 なお原図は岡山観光コンベンション協会のパンフレットで、私たちが歩いた道筋を赤色点線で示し、青い線については別途説明する。
pict-Okayama city map 江戸期・堀概図














西川緑道公園は地図中央やや左に上下、つまり南北に流れる西川(川幅3m程度の小川)の両岸に樹木が植栽された緑地帯である。

私たちが訪れた折は桜の花が満開の時期を終え、散り初めた花びらが水面に浮かび流れるという何とも風情のある趣きをかもし出していた。
pict-P1030236西川緑道公園昼時であり近くの会社に勤務する人たちが花の下でせせらぎを聞きつつ弁当を広げているという何とものどかな情景は少しばかり羨ましい気持ちを抱いたものだ。

西川緑道公園から更に東へ(地図上で右へ)進んだところの南北の道が柳
川筋(地図では上下の青線)だが、桃太郎通りに面して『アートダイニング武蔵』という店があったので、ここで昼食をとることにした。

アートダイニングと洋風料理店を思わせるような名前を冠しているが、純然とした和風料理店。

昼時ということでサラリーマンらが席を占める中、家内は茶碗蒸しと味噌汁の付いた『岡山ばら寿司』を、私は『岡山ばら寿司』に刺身、湯豆腐、茶碗蒸し、それにデザートの菓子が付いた定食を頂いた。
P1030237昼ごはん武蔵刺身に湯豆腐と、これはもう熱燗を注文しなければならない。なんてのは私の独断に過ぎないが、お酒が料理を一層美味しいものにすることを私の舌は良く知っているのだ。

しかも『岡山ばら寿司』には鰆や穴子に海老などの他、岡山名物のママカリも乗っているのだから申し分無しである。

前ページで紹介した義兄は『ばら寿司』が大好物で、事あるごとに「宇野(岡山県玉野市)の『祭りずし』が一番美味い。」と言う。

ばら寿司も祭り寿司も同じなのだが、義兄は祭り寿司と言っている。語源については後に書くこととして、義兄が一番美味いと言う宇野のばら寿司の美味さの根源は何と言っても目の前の瀬戸内海で獲れる新鮮美味な魚であることは間違いない。

塩をした鰆(さわら)の切り身を酢で締め、その酢を炊きあげたご飯と混ぜて冷まし、焼き穴子や湯がいた海老、酢蓮根や金糸玉子などと共に鰆の切り身やママカリを寿司飯の上に飾るのである。
P1030237岡山ばら寿司
私の母親は酢に砂糖を加えたものと炊き上がったご飯を混ぜており、幼い頃の私は団扇で風を送るという作業をさせられていたことを思い出す。

まあ思い出はさておき、生魚を浸けた酢だから当然生臭かろうと思っていたのだが、20年ばかり以前に宇野で頂いたばら寿司は生臭さなど全く無く、義兄が一番と誉めそやしていたとおり美味しいものであった。

朝獲れた魚が昼にはばら寿司として出されるのだから、やはり新鮮さが美味しさの源であると言えるのだろう。
pict-P1030256
さて、『ばら寿司』『祭り寿司』の語源であるが、同義語として『五目寿司』や『ちらし寿司』がある。

具材を寿司飯の上に飾り乗せたものもあれば、具材を寿司飯に混ぜ合わせたものもある。また、その両方の様式を混和したものもあるように形式が決まっているというものでなく、地方地方で、或いは家々によって呼び名も異なり、形式も具材もまちまちである。

『すし』の漢字も『寿司』を用いるようになったのは随分後のことだが、寿司全般については
ウィキペディアの『寿司』の項で感心するほど詳しく記されているので是非参照されたい。(クリックでリンク)

一般的には具材をバラバラにして酢飯と混ぜ込んでいるという意味合いの『ばらずし』という呼び名で通用するように私は思っている。

『ごもくずし』もいろんな具材が入っているという意味で用いられているし、『ちらしずし』も具材を刻み散り敷いているという意味合いで使われているので『ばらずし』という言葉でひとくくりにして良いと思う。そうした意味において岡山の『まつりずし』も『ばらずし』の範疇に入るものである。
pict-P1030248薮ツバキ
岡山の駅弁『祭りずし』の販売開始が昭和38年(1963)だそうで、私が初めて岡山駅を訪れた昭和34年にそうした弁当は確かに販売されてなく、幕の内風の弁当と白桃を買い入れたように記憶している。

ではなぜ『ばらずし』ではなく『祭りずし』なのか。 

この名称を付けたのは弁当屋さんらしいので問うてみるのが確かなのだが、岡山一帯では節句であったり結婚式であったり法事であったりと、何かの寄り合いの時、大勢の人たちが食べられる『ばら寿司』を作って供していた。

これは岡山に限ったことではないと思うが、寄り合いというものは毎日あるわけでなく節目節目の行事に人々は寄り集うので、タマに作られるものが『ばら寿司』であり、これはご馳走というものであったろう。 内海に面した岡山ゆえ新鮮美味なる海の幸は豊富である。 この『ばら寿司』を駅弁にと弁当屋さんの思いがあり、弁当屋さんは試作を重ねられたことと思う。

その結果、色合いは豊かで綺麗だし、酢飯に酢漬けの具材で保存性も良い。 そこで弁当の名称だが、たまの寄り合いに作り供されていた『ばらずし』。 年に二三度の寄り合いと言えば祭りがある。 祝いの祭りなら縁起は良いし『ばらずし』よりも『祭りずし』の方が響きも良い・・・と、まあこんなことを考えられたのではないかというのは私の当て推量。

ただ『ばらずし』が広まったのには、閑谷黌を開いた江戸前期の備前岡山藩主・池田光政が藩政改革の一環として倹約令において祭りや飲酒など奢侈行為を禁止し、膳部も一汁一菜とした。 これに対して町人たちは魚などの具材を寿司飯に混ぜ込み、それで一菜と数えたからだという説もあるが実のところは分からない


masatukamoto at 09:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 20, 2011

プロ野球審判・あまりにもお粗末。 ジャイアンツは恥を知れ。

人間が判定するのだから・・・

その通りであり間違いもある。

私がプレーしてきたスポーツは、審判の判定は絶対的なものであった。

いずれのゲームも審判の絶対さを認めなければゲームのスムースな進行は無い。

2011年4月20日、甲子園球場で行われた阪神・巨人戦の判定はあまりにもひどいものであった。

プロ野球の試合に素人審判が加わっていたのではないかと思うほどズサン極まりない判定に対して、阪神の真弓監督が抗議した。

しかし、判定が覆ることはなかった。

試合は2対2で迎えた7回裏、1点を入れた阪神の攻撃が続く中、ブラゼルが打ったフライをジャイアンツ2塁手が追い、一度はボールをキャッチしたかに見えたが落球した。
ジャイアンツの2塁手が落球したボールをミス無く捕球したかのようなゼスチャーを見せたのに対して、塁審は阪神のブラゼル選手に対してアウトの判定を下した。

塁審の位置からはジャイアンツの2塁手が捕球・落球・補給したかのような動作という一連の動きを視認できなかったのであろう。

短い連続時間の中、実際行為が見えない状況であっても判定を下さねばならない審判の苦労も分からぬではない。

だがしかし、テレビの映像はジャイアンツの2塁手が捕球・落球・補給したかのような動作をとるいう一連の動きを正確にとらえていた。

審判団がいかに強弁しようと映像としての事実を覆すことはできない。

ライト側外野席に陣取る阪神の応援団席や1塁側アルプス席側からはよく見えていたことだろう。

2塁手自身は勿論、カバーに寄って来ていたセンターやライトを守備していたジャイアンツの選手も落球した事実を確認していたはずである。

再度書こう。

2塁手はブラゼルの飛球を一度はグラブに収めたものの落球し、グラウンドでバウンドしたボールをあたかも飛球をダイレクトでキャッチしたように見せかけたのである。

見えなかったことを想像して判定する審判。

審判の立場が分からないではないが、この時の判定はお粗末に過ぎる。

そればかりか、見えなければ、分からなければ、バレさえしなければ何をやってもいい、勝ちさえすれば良いという、これはスポーツマンとしても人間としても許されることではないのではないか。

大相撲しかり、プロ野球しかり。

こんなスポーツの実態を子どもたちが観る。

こんなことでええんかい。

この判定がヒットとされていたなら試合結果がどうなっていたか。

この試合、巨人が5対4で阪神に勝ったが、審判団もジャイアンツの選手たちも心底満足できるのだろうか?


masatukamoto at 21:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 15, 2011

武本比登志・ポルトガル油彩作品展 (岡山・高島屋)

武本比登志氏については既に何度も紹介している。
img045
ポルトガルに住み、フランスのサロン・ドートンヌやル・サロンで活躍している画家である。

昨年、私たちがポルトガルに行った折、セトゥーバルの彼のアトリエも訪れた。
(武本比登志 氏のポルトガルのアトリエを訪ねるNovember 10, 2010で紹介)

この時、私たちは武本ご夫妻に大変世話になった。 その彼の作品展が岡山・高島屋で開催されることを知ったので、作品を見せて頂くべく家内と出かけた。

私が中学生であった頃はシュッポシュッポ黒い煙を吐き出す汽車で
大阪・岡山間を4時間かけて行ったものだが、今は新幹線で1時間と悠々日帰りも可能な距離になってしまった。
P1030281しかし、せっかくだからとホテルに部屋を取り、観光も兼ねて行ってきた。

広島・博多へと何度も通っている岡山駅だが何十年ぶりになるだろうか、駅頭に立つ桃太郎は以前にもあったような。

会場である駅前の高島屋7階美術画廊にいた彼に挨拶をして作品を鑑賞。

ポルトガルの白壁の建物や赤茶色の屋根。昨年訪れた町並みの記憶が彷彿とよみがえる。

百貨店内や絵画の撮影は出来ないので紹介できないが、武本氏のホームページで彼の作品を鑑賞することはできる。
(
http://www.geocities.jp/hitoshigoto2002/)
P1030282青春
岡山と言えば桃太郎と、先ほど駅頭のモニュメント『桃太郎の銅像』の写真を掲げたが、その駅前広場に『青春感謝』をテーマとした銅像が建てられていた。

高層の建物が並ぶようになった岡山駅前であるが、以前には無かった銅像である。

学帽に高下駄をはき、学生服の上にマントをまとった旧制六高生の姿である。
旧制六高は戦後の学制改革によって岡山大学となり、現在の県立朝日高校の前身となっている。

私の知らない時代であるが、義兄は旧制六高から京大へ進んだので、高等学校の頃の兄はこのような格好をしていたのかと何だか懐かしいものを見たような気がした。
pict-P1030279後楽園と岡山城
懐かしい思いのついでに、私が高校生の時に或る集会で出会った人がいたのだが角帽をかぶっていたので大学生だと思い込んでいた。

ところが彼も高校生であり、岡山県立朝日高校の制帽は角帽だったことが分かり、なーんだ生意気な奴めと後に大笑いしたことがあった。

上の写真は「桜の時期の眺めが素敵」と義姉がいつも勧めるので、今回の私たちの宿とした岡山プラザホテル9階からの眺め。
P1030267烏城と後楽園
もう桜も散ってしまっているだろうと思っていたのだが、烏城(岡山城)も後楽園も散り初めの頃合いで何と今年は花見に恵まれたものだと嬉しい思いをしたのであった。

先日の大阪城へのお花見は出掛けようと頃合いを見計らって予定を決めて出かけたもの。

しかし、予定を決めずに出かけ、全く予期しなかった素晴らしい光景に巡り合う時の喜びは一段と大きいものがある。
pict-P1030266-A後楽園今回の岡山もそうであった。

武本氏の作品を鑑賞するという目的の謂わばオマケのような観光であったものが、素敵な観桜の機会となり、何だか随分得をした気分になった。

夜、武本氏と夕食を共にし、家内ともどもに随分むかし、まさに青春真っ盛りの頃の話に花を咲かせ時の経つのを忘れる思いでいた。

武本氏の作品展は、岡山・高島屋が4月13日から19日。

米子・高島屋が4月27日から5月3日。

岐阜・高島屋が5月11日から17日に開催される。

※ ポルトガルの風景も良いが、今回のバラの絵もなかなかものであっ
   た。
  


masatukamoto at 17:31|PermalinkComments(1)

April 10, 2011

お花見 (大阪城 2011.4.7)

今年は巨大な地震と津波による被害のため、お花見どころでない人たちが沢山おられることは充分承知している。

いろんな立場や考え方の違いから世に表れている主張も様々である。

しかし私たち家族に出来ることは『3.11』以降各種団体を通じて義援金を送らせて頂くことぐらいであり、他は平素の生活を維持することが私たちにとって最も大事なことであると思っている。

お花見も通常の生活の一端であり、酒宴を開いて騒ぐわけでもない。
7P1030195
今年はデパ地下でお弁当を仕入れて大阪城へ行った。

休日ほどではないにしても、平日の木曜日であることを思えば結構な人出であるように思えた。
上天気で陽射しが強いためか西の丸庭園も中央の芝生部分を避けて周縁部の桜花の下に観桜客が陣取り弁当を広げていた。
7P1030217
桜花は遠望するのも良いが、枝下で花を見上げるのもなかなか良いものである。

私たちも空堀を挟んで天守閣を望む場所で持参した弁当を広げた。

今回は知人から聞いていた『太夫の舞』という三段重ねのちょっと豪華な弁当で、京都・美濃吉、竹茂楼のお弁当なのだが、筍を主素材に春・春・春をいっぱいに感じさせてくれる内容であった。
7P1030210若い頃は肉類や揚げ物を好んで食べていたものが、ここ20年近くになろうか、あまり好まなかった煮炊きものを好物とするようになり、今回のお弁当は素材・味わいにおいても大満足であった。

刻んだ筍を混ぜ込んだバラ寿司が一の重に詰められていたのだが、ご飯の量が少ないのではないかと買い入れた時に思っていた。
しかし、二の重・三の重に煮炊きものを中心とした料理がたっぷり詰められており、お腹を空かせていた私でも十分満腹感を得られ、量的にも満足する内容であった。
7P1030211桜と言えば奈良にも京都にも名所銘木は多いが、寺社の桜は樹数少なく、建物や庭との対比での美しさを誇っているように思う。

写真のように花咲き誇る大阪城の桜だが、66年前の太平洋戦争末期、米軍B29爆撃機の大編隊の来襲で大阪の町は壊滅、勿論大阪城一帯も完全な焼野原と化し木々というものも悉く地上から消え、戦後の公園整備の中で植樹されたものだから樹齢も同程度である。
7P1030212銘木として枝を広げる桜の花も良いものだが、沢山の桜の木が寄り合い、競うがごとく花を咲かせる様は見事と言うほかない。
 
満開の桜を見ていると、やはり平和っていいものだとつくづく思う。

吉野山は一目千本と言われるほどの桜の名所である。
下千本、中千本、上千本と山一面と言えるほどの桜が開花すれば、それはもう見事と言う以外にはない素晴らしい景色である。
pict-P1030215-A
桜の花を愛でた古人は多い。

京都伏見・醍醐寺の花見、奈良・吉野山の花見と、韓国では今も極悪人とされている関白・豊臣秀吉であるが、それはともかくとして秀吉ほど茶を花を、とりわけ桜の花を愛でた戦国武将は珍しい。
見事に咲いて散っていく桜。
軍国主義を良しとはせぬものの桜は日本人の心に馴染むものがある。
7P1030222
桜の時期になると良寛和尚の歌を思い出す。
「散る桜 残る桜も 散る桜」

有限の世に生きる人間もまた有限と言っているのであろう。

満開の桜も、あとしばらく。

桜咲く情景から散りゆく風情まで、感性豊かな日本人にはすんなりと心に落ちるものがある。


masatukamoto at 10:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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