September 2011
September 18, 2011
安堵の電話
『みちのく』の太平洋岸の町々が3月11日の地震と津波によって破壊されて半年が経った。
テレビでは被災地域の様子が紹介され、復興の手立てが充分でないとかスピードが遅いといった指摘が多く語られている。 政府をはじめ県や市町村など地方自治体としても精一杯の施策を講じているものと思うが、事実であろう。
多くの犠牲者を出した被災地域に友人を持つ私も、人々の精神的立ち直りを含め経済面や住環境面など、早期の復興を気にかけてきた。
私の友人も親戚の人や多くの知人を巨大な津波で失くしている。 そして、その友人自らも津波の濁流に呑まれて遥か川の上流まで流され救助されたという将に九死に一生を得るという経験をしている。(この時の状況は2011年5月12日付の河北新報に掲載ーーー小生ブログMay 23, 2011のリンクは現在不能)
津波襲来の折、友人夫婦は東松島市野蒜、石巻湾に流れる鳴瀬川の河口近くの会社事務所にいた。 この津波襲来の様子を事務所で撮影した写真が以下のURLで公開されている。
http://www.sendairamen.com/cgi-bin/view34/view34.cgi
精神的にも肉体的にも強靭な友人ではあるが、自らの命以外何もかも失くした状況では、とても安定した状態では無かったと推察する。
新聞社の取材に応えて津波に流された自らの体験記事が掲載されたのが5月12日で、この頃は自分の体験を語るのがやっとといった精神状態ではなかったかと私は想像する。
そして先日、津波の際の避難状況について検証する記事の掲載された新聞を送ってくれたが、自らの津波体験や他の地域の人々の津波体験について、かなり客観視できる、つまり精神的に安定してきた状態になってきていると私が確信できるまでになってきたのであった。
実際には5月に仮社屋を設置して事業を再開し、8月末には新社屋を完成させているのだから、私が想像する以上に早く精神的にも安定した状態にあったのかもしれないが、遠地にいる私には拾い集めた情報をもとに推量する以外にない。
その友人と今朝久し振りに電話で話すことができた。
第一声の元気な明るい声を耳にして私が心底嬉しく思ったことは言うまでもない。
ともあれ気になっていた友人の話しぶりや声の調子は私を安堵させるに十分なものであった。
テレビでは被災地域の様子が紹介され、復興の手立てが充分でないとかスピードが遅いといった指摘が多く語られている。 政府をはじめ県や市町村など地方自治体としても精一杯の施策を講じているものと思うが、事実であろう。
多くの犠牲者を出した被災地域に友人を持つ私も、人々の精神的立ち直りを含め経済面や住環境面など、早期の復興を気にかけてきた。
私の友人も親戚の人や多くの知人を巨大な津波で失くしている。 そして、その友人自らも津波の濁流に呑まれて遥か川の上流まで流され救助されたという将に九死に一生を得るという経験をしている。(この時の状況は2011年5月12日付の河北新報に掲載ーーー小生ブログMay 23, 2011のリンクは現在不能)
津波襲来の折、友人夫婦は東松島市野蒜、石巻湾に流れる鳴瀬川の河口近くの会社事務所にいた。 この津波襲来の様子を事務所で撮影した写真が以下のURLで公開されている。
http://www.sendairamen.com/cgi-bin/view34/view34.cgi
精神的にも肉体的にも強靭な友人ではあるが、自らの命以外何もかも失くした状況では、とても安定した状態では無かったと推察する。
新聞社の取材に応えて津波に流された自らの体験記事が掲載されたのが5月12日で、この頃は自分の体験を語るのがやっとといった精神状態ではなかったかと私は想像する。
そして先日、津波の際の避難状況について検証する記事の掲載された新聞を送ってくれたが、自らの津波体験や他の地域の人々の津波体験について、かなり客観視できる、つまり精神的に安定してきた状態になってきていると私が確信できるまでになってきたのであった。
実際には5月に仮社屋を設置して事業を再開し、8月末には新社屋を完成させているのだから、私が想像する以上に早く精神的にも安定した状態にあったのかもしれないが、遠地にいる私には拾い集めた情報をもとに推量する以外にない。
その友人と今朝久し振りに電話で話すことができた。
第一声の元気な明るい声を耳にして私が心底嬉しく思ったことは言うまでもない。
ともあれ気になっていた友人の話しぶりや声の調子は私を安堵させるに十分なものであった。
幼虫 おまけ
8月の終わりにキアゲハの幼虫、それにサナギと羽化について書いてきた。
何度も書くが、彼らのためにパセリやミツバを植えているのではない。
仏心を起こして幼虫たちにエサを与え、そのサナギたちを羽化させて放したのが悪かったのか、このところ芽を出し葉を広げ始めてきたイタリアンパセリやミツバの葉を小さな幼虫が食い荒し始めている。
ミツバもイタリアンパセリも1齢幼虫から2齢幼虫が付いているので、時期的には放してやったキアゲハが産み付けた卵のものと推量できる。 更に、山椒の木の葉にはアゲハチョウの3齢と4齢の幼虫もいる。
はたしてどうしたものかと思案していたら西洋アサガオを植えているプランター周辺に大粒のフンが沢山落ちているのを見つけた。 これは大きい幼虫だと広がったアサガオのツルを順に追っていくと、いたいた。
こいつはチョウ(蝶)ではない。
体長9.5cm。
体をグンと伸ばした時には10cmを超えていた。
写真は頭部。 こいつが男前なのかベッピンなのかは分からないが、正面顔である。
横向けになった幼虫。 顔の部分と爪のある黒色の6本の足が見えている。
この姿勢で見ればカワユイが、私はスカン。
幼虫の表皮、背中の部分には黒っぽい細かな斑点がシワに沿って並んで見える。
色は、ほぼ写真の通り。 このところ西洋アサガオの葉も元気が無くなってきており、全体に緑色が薄まり黄緑色に変化してきているが、それらの葉の色に似た体色である。
頭部、尻、足、それと体側の斑点は黒色であり、体側から背中にかけての模様は写真のような薄い赤紫色である。
この幼虫を捕まえて写真を撮るため姿勢を直していると「キュッ」という音を出したのにはちょっと驚いてしまった。
幼虫の体に触れると、イヤイヤとばかりに頭を振る仕草をするのだが、その時に「キュッ」と。 何度か続けると音は出なくなったが、ちょっと変わった奴である。
写真は尻の方から見たもので、イガイガ状の突起(角)がある。
こいつが成虫になるとクロメンガタスズメという蛾(ガ)になる。
スズメガ科の蛾で、成虫の背中に仮面のような模様が見えるらしいのでメンガタと名付けられたようだ。
私は成虫となったクロメンガタスズメを見たことはないが、どうも蛾というものはスカンし、この幼虫を育ててやろうという気も起こらないので成虫の姿を見たい人は図鑑ででも探してもらいたい。
アゲハチョウとキアゲハの幼虫がまだまだいるのだが、ホトケゴコロもほどほどにしておかないと、私が育てているものが全滅してしまいそうで、全く困ったものである。
何度も書くが、彼らのためにパセリやミツバを植えているのではない。
仏心を起こして幼虫たちにエサを与え、そのサナギたちを羽化させて放したのが悪かったのか、このところ芽を出し葉を広げ始めてきたイタリアンパセリやミツバの葉を小さな幼虫が食い荒し始めている。
ミツバもイタリアンパセリも1齢幼虫から2齢幼虫が付いているので、時期的には放してやったキアゲハが産み付けた卵のものと推量できる。 更に、山椒の木の葉にはアゲハチョウの3齢と4齢の幼虫もいる。
はたしてどうしたものかと思案していたら西洋アサガオを植えているプランター周辺に大粒のフンが沢山落ちているのを見つけた。 これは大きい幼虫だと広がったアサガオのツルを順に追っていくと、いたいた。
こいつはチョウ(蝶)ではない。
体長9.5cm。
体をグンと伸ばした時には10cmを超えていた。
写真は頭部。 こいつが男前なのかベッピンなのかは分からないが、正面顔である。
横向けになった幼虫。 顔の部分と爪のある黒色の6本の足が見えている。
この姿勢で見ればカワユイが、私はスカン。
幼虫の表皮、背中の部分には黒っぽい細かな斑点がシワに沿って並んで見える。
色は、ほぼ写真の通り。 このところ西洋アサガオの葉も元気が無くなってきており、全体に緑色が薄まり黄緑色に変化してきているが、それらの葉の色に似た体色である。
頭部、尻、足、それと体側の斑点は黒色であり、体側から背中にかけての模様は写真のような薄い赤紫色である。
この幼虫を捕まえて写真を撮るため姿勢を直していると「キュッ」という音を出したのにはちょっと驚いてしまった。
幼虫の体に触れると、イヤイヤとばかりに頭を振る仕草をするのだが、その時に「キュッ」と。 何度か続けると音は出なくなったが、ちょっと変わった奴である。
写真は尻の方から見たもので、イガイガ状の突起(角)がある。
こいつが成虫になるとクロメンガタスズメという蛾(ガ)になる。
スズメガ科の蛾で、成虫の背中に仮面のような模様が見えるらしいのでメンガタと名付けられたようだ。
私は成虫となったクロメンガタスズメを見たことはないが、どうも蛾というものはスカンし、この幼虫を育ててやろうという気も起こらないので成虫の姿を見たい人は図鑑ででも探してもらいたい。
アゲハチョウとキアゲハの幼虫がまだまだいるのだが、ホトケゴコロもほどほどにしておかないと、私が育てているものが全滅してしまいそうで、全く困ったものである。
September 13, 2011
舌禍・筆禍? 目くそ鼻くそを笑うが如きツマラン国会議員たち
数日前、テレビのニュース画面に自民党の大物議員・大島副総裁が彼を取り巻く記者たちを前に偉そうに語っている姿が映し出されていた。
鉢呂経産大臣(前)が福島第一原子力発電所周辺を視察した際に述べた感想の「残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」という表現をとらえて攻撃していたのである。
大島氏は鉢呂氏の上の発言に対し、「被災者から希望を奪うような発言をすること自体、閣僚として失格だ」と、
鉢呂氏が経済産業大臣として適格性に欠けると断定していたのである。
『ははははは、またか。』というのが私の大島君に対する思いである。
自民党の副総裁・大島君は言語学者か修辞学者、それとも文学者なのかい?
言葉は物事を説明したり思いや考えを伝えるための記号であることなど今更説明するまでもない。 それだけに丁寧に、しかも慎重に言葉は選ばなければならない。
しかし、日本語という共通の言語であっても方言や抑揚として共通しない面を内包しているのも言葉である。更に、個人個人の育った、或いは経験し学習した環境諸条件や語彙数によって、同じ言葉でも異なる感じ方で受け止められるのも言葉である。
『死の町』という形容が最適であるかどうかについて大島君が自らの受け止め方を語るのは何ら問題はないが、この『死の町』という言葉をもって大臣の適格性について断ずるのは思い上がりで傲慢と言わざるを得ない。 と、私は思う。
副総裁と言えば与党ならば副総理(首相代理)である。 その大島君がこの程度ならば他の自民党諸君の程度も推して知るべし哉。
言葉尻をとらえ、揚げ足取りに精を出すのが今の自民党。 馬鹿馬鹿しいにも程がある。 かと言って与党・民主党が良いと言っているのではない。
3月11日以来、国民の信託を受けた国会議員が為すべきことは小学生でも分かっていることである。 政権の取り合いではなかろう。 金星を取り手柄を立てることではないだろう。 政治が誰のために行われるものか、真に初心に立ち戻って行動を開始してもらいたいものだ。
ツマランのはマスメディアに関わる諸君もである。
情報化時代の現代、マスメディアに関わる諸君が日本のオピニオン・リーダーの一翼を担っていることを自覚せよ。 三流メディアや御用メディアなら相手にする気もないが・・・
鉢呂発言に対する大島発言は重箱の隅をつつくかの如く、或いは中世以来の魔女狩りに似た言葉狩りのようにも思えてならない。 物言えば唇寒し秋の風とならぬように願う。
メディア界は言い換え集などを作成して自ら言葉を封じてきた過去がある。 政界も情報産業界も過去の教訓を踏まえて言葉の使用は慎重であるべきだが、同時に悠揚で寛容な姿勢を持ってもらいたいものだ。
鉢呂経産大臣(前)が福島第一原子力発電所周辺を視察した際に述べた感想の「残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない。まさに死の町という形だった」という表現をとらえて攻撃していたのである。
大島氏は鉢呂氏の上の発言に対し、「被災者から希望を奪うような発言をすること自体、閣僚として失格だ」と、
鉢呂氏が経済産業大臣として適格性に欠けると断定していたのである。
『ははははは、またか。』というのが私の大島君に対する思いである。
自民党の副総裁・大島君は言語学者か修辞学者、それとも文学者なのかい?
言葉は物事を説明したり思いや考えを伝えるための記号であることなど今更説明するまでもない。 それだけに丁寧に、しかも慎重に言葉は選ばなければならない。
しかし、日本語という共通の言語であっても方言や抑揚として共通しない面を内包しているのも言葉である。更に、個人個人の育った、或いは経験し学習した環境諸条件や語彙数によって、同じ言葉でも異なる感じ方で受け止められるのも言葉である。
『死の町』という形容が最適であるかどうかについて大島君が自らの受け止め方を語るのは何ら問題はないが、この『死の町』という言葉をもって大臣の適格性について断ずるのは思い上がりで傲慢と言わざるを得ない。 と、私は思う。
副総裁と言えば与党ならば副総理(首相代理)である。 その大島君がこの程度ならば他の自民党諸君の程度も推して知るべし哉。
言葉尻をとらえ、揚げ足取りに精を出すのが今の自民党。 馬鹿馬鹿しいにも程がある。 かと言って与党・民主党が良いと言っているのではない。
3月11日以来、国民の信託を受けた国会議員が為すべきことは小学生でも分かっていることである。 政権の取り合いではなかろう。 金星を取り手柄を立てることではないだろう。 政治が誰のために行われるものか、真に初心に立ち戻って行動を開始してもらいたいものだ。
ツマランのはマスメディアに関わる諸君もである。
情報化時代の現代、マスメディアに関わる諸君が日本のオピニオン・リーダーの一翼を担っていることを自覚せよ。 三流メディアや御用メディアなら相手にする気もないが・・・
鉢呂発言に対する大島発言は重箱の隅をつつくかの如く、或いは中世以来の魔女狩りに似た言葉狩りのようにも思えてならない。 物言えば唇寒し秋の風とならぬように願う。
メディア界は言い換え集などを作成して自ら言葉を封じてきた過去がある。 政界も情報産業界も過去の教訓を踏まえて言葉の使用は慎重であるべきだが、同時に悠揚で寛容な姿勢を持ってもらいたいものだ。