January 2012
January 10, 2012
四国~九州への旅 (8) 宮崎・日南海岸 Ⅰ (青島)
高千穂峡は温泉が湧き、何軒かの旅館もあったので泊まっても良かったのだが、訪れるべき所を訪れ見るべきものを見てしまった山の町。 毎夜、高千穂宮で夜神楽が演じられていることは知っていたが、午後3時過ぎでは旅館に入るには早過ぎる。 この高千穂という地は九州ど真ん中の山間地。 熊本へ出るにも日向に出るにも随分時間がかかる辺鄙な所なのである。 それで今後の旅の方向を考え、延岡か日向へ戻ってビジネスホテルにでも泊まろうということにした。
あちらこちらと巡る旅の場合は同じコースを2度辿るのはツマランことなのだが、今回は熊本を訪れるつもりがなかったので仕方なく高千穂峡から神話街道と呼ばれる五ヶ瀬川沿いに走る国道218号線で延岡に向かった。 この後、延岡市、日向市を通るも記述は割愛。別途綴る暇があれば不足・不満の数々を書くこととし、東九州自動車道の一部を利用して宮崎市に入った。
今夜のホテルは走行中に予約を入れたホテル・プラザ宮崎。 どのようなホテルか事前情報は全く無いまま10年選手のカーナビが誘導するままホテルの駐車場に車を入れたが、大淀川に面した大きいホテルの前にはフェニックスの並木が。
この時私が思い浮かべたのは、♪ フェニックスの木陰、宮崎のふたり・・・という歌であった。 永 六輔 作詞・いずみ たく 作曲の歌で確かデュークエイセスが歌っていた。 歌詞も題名も忘れてしまっているが、この部分だけはメロディーとのマッチングが好きで今でも口ずさむことが出来る・・・
私たちは新婚旅行で宮崎市内を訪れなかったので分からないが、きっと何組ものカップルがこのホテルを利用したことだと思う。 しかし海外への新婚旅行が多くなった今、このホテルの利用者も減っているのだろう。 私たちがホテルに到着したのは7時を過ぎた頃だった。 随分疲れていたので夕食を食べに外へ出かけるかホテルのレストランで済ますか迷った挙句、ホテルのレストランでと決めて部屋を出た。
最上階にあるかなと思ってエレベーターに乗ったが無く、案内板を見れば別館2階とあるので行ってみたが温泉浴場の受付だけでレストランは無い。 更に探せど無い。 で、温泉浴場の受付のオバハンに尋ねると、前にある、と。 確かにあるのだが私がイメージするレストランとは程遠く、スーパー銭湯にある休憩所のような大広間だった。 折りたたみのテーブルと座布団が並べてあるだけで客は私たちだけ。 白い調理服を着た若いニイチャンが調理場らしい所から出て注文を取りに来た。 しかし、メニューに記載されているのは簡単な酒肴が数品と食べ物と言えば幕の内弁当にラーメン程度。 品数はこれだけかと尋ねたが他には無いのだと。 場所を間違えたのかとレストランの場所を問うと、ホテルのレストランは無くなったのだと言う。 浴場から子ども達の賑やかな声が聞こえてはくるのだが、板敷の大広間は私たちだけ。 1000円の幕の内を2つとお酒を注文。 疲れに侘しさが加わって早々に部屋へ戻って眠ることにした。
翌朝は早めに出発。 昨夜は暗くてホテルへの道を間違えたが明るい朝に間違えることはない。 スムースに宮崎南バイパスに入って南へ進行。 暫くして宮崎県総合運動公園、読売ジャイアンツのキャンプ地のドームを過ぎれば直ぐに青島である。
土産物店のオバアチャンに導かれるまま屋内駐車場に車を預けて青島へ向かった。 観光地はいずこも同じだが土産物店がズラリと並ぶ。 通常どこも土産物店の売り子の声が喧しいものだが、ここは静かで私としては気分が良かった。 平日の朝早い時間、しかも人通りが少なかったからかもしれない。
上の海岸の写真は青島から北方向(宮崎市方面)の景色で、白色のリゾート・ホテルとドーム(中央やや右)が見える。 青島には青島神社(下の写真)があるため、島に渡る弥生橋の欄干には擬宝珠が飾られている。 上の写真を見て分かるように日南の海岸は海岸段丘が発達している。 四国・足摺岬や竜串海岸で書いたように九州もユーラシア・プレートの東の端に位置し、海洋プレートであるフィリピン・プレートがユーラシア・プレートの下に潜り込んでいることによって隆起と沈降を繰り返してきたのであろう。
九州地方のプレートの潜り込みについては九州大学理学部が公開しているインターネット博物館の資料が分かりやすいので紹介しておく。 公共的資料ではあるが著作権は九州大学に属しているはずなので以下にURLを記しておく。
宮崎県及び県東側の日向灘で震源地が南北の帯状に分布しているのが分かるが、この分布域がプレート境界線あたりを表していると考えて良いだろう。 阿蘇、雲仙、桜島あたりのものは火山性地震に起因するものであろうが詳しくは分からない。
九州大学理学部 インターネット博物館
http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/shingen/upkyu.html
これらの図に見るかぎり、阿蘇や桜島の火山の下では100kmから200kmもの深さに海洋プレートが潜り込んでいることが分かる。
大学というのは教育活動と研究活動の両面を兼ね備え、本来は公共性の高い公開を原則とする機関であるべきだが研究の独自性や創造性を尊重するあまり権威や秘匿性が強調され、とりわけ自然科学系の研究室に於いてそうした傾向が多く見られた。 小説ではあるが山崎豊子の『白い巨塔』は好例である。私が高校生の頃だつたと思うが、従兄が持ち帰る週刊サンデー毎日の連載を楽しんで読んでいたことを
九州大学が箱崎キャンパスに総合研究博物館を開設して数年、もっと前だろうか。某学会の総会が開かれた折に一部を見学させてもらったことがあるが、その折は未だまだといった印象を受けた。 ともあれ旧七帝大を前身とする国立大学が法人化と共に博物館開設など公共性や公開性といった理念を具現化させてきていることは評価すべき素晴らしいことである。 博物館設置公開といったことでは私立大学の方が一歩も二歩も先んじているとの印象を私は持っている。 事実、関西では1930年(昭和5年)に天理大学付属天理参考館を開設している。当時は天理外国語専門学校と言っていたが民俗学や考古学の収集・展示に関しては第一級機関であり、明治以降、国庫で整備・拡充されてきた旧七帝国大学をはじめとする国立大学が収集・保存してきた文化財など研究資料を一般に公開し始めていることは当然であり、むしろ遅きに失したぐらいである。
国立大学の法人化については問題が多く私は反対してきたが、大学の姿勢として良い結果を産んだ面が
ははははは、またまた寄り道をしてしまった。
青島の写真である。
青島に向かって実際に歩いてみるか上空から眺めれば陸繋島であることがよく分かる。 波状岩が青島の周囲に規則だって並んでいる様子は将に鬼の洗濯岩と呼ぶにふさわしい光景である。水の働きには浸食・運搬・堆積の三つの作用があり、堆積の順序は粒度の粗いものほど早く沈むために通常は『れき(小石)』『砂』『泥』の順で水平に堆積する。 四国の竜串海岸も砂の層と泥の層が交互に堆積した砂泥互層と呼ばれる地層であった。 この青島一帯も砂泥互層の地層だが地質時代区分では第三紀にあたる宮崎層群の地層だという。 地質時代区分表(Wikipediaにリンク)
字数が多いとのことで投稿を受け付けてもらえなかった。
残念だが分割して再投稿してみることに・・・