March 2012

March 31, 2012

寿司屋の休みに

20日の火曜日は寿司屋の定休日。 この日、寿司屋の大将 I 氏が車で我が家まで迎えに来てくれた。 

つい先日も『鴨なべ』をするからと誘ってもらい鍋を囲む仲間に加わった。

この時のメンバーは店の常連客で大将 I 氏のゴルフ仲間、男性3人に女性が2人、それに大将と私の7人であった。 女性二人とは初めて挨拶を交わしたが、男性の方は親しく話を交わしてきている人たちで一緒に釣りに出かけたこともある人たちである。 

私は40年ばかり前にゴルフをしていたが、友人たちからブルジョアの遊びだとブーブー言われ続け、仕方なく止めて以来クラブを触ったことがない。 新婚で長男が誕生した頃であり家計的に物入りな時期であったことや、当時のプレーフィーは高く、平日でも3万円近い出費だったことから友人たちの非難の対象になってしまったのだ。

懐かしい気もするが今更ゴルフを始めようという気は無い。 『鴨なべ』のメンバーは皆さん7~80台でラウンドするそうなので、まずまずプレーを楽しんでいる方たちなのだろう。 

話を戻すが、『合鴨』ではなく『天然鴨』。 これは良いダシが出て美味しいものであった。 女性のひとりが鳥を扱う商店の人だとかで、持ち込んでくれたものである。 これは『鴨なべ』の話。

20日の春分の日は『ぼたんなべ』であった。
pict-20120327イノシシ肉
奈良県南部の十津川村、昨年は山崩れで堰止湖ができるなど大きい被害を出した地域だが、そちらで射止められたイノシシの肉であり、これも『イノブタ』ではない正真正銘の『野生のイノシシ』である。

『牡丹なべ』・・・何年ぶり、いや何十年ぶりになるか。 通常『牡丹なべ』は味噌仕立てで頂くのだが、この日は和風のダシ汁で煮た。 これが美味いのなんの。 写真のように牡丹の花が咲いたようにイノシシの肉を盛り付けてあるので『牡丹なべ』と名付けた・・・かどうかは知らないが、多分そうだろうと思う。 しかし、これほど美味しかったろうかと記憶を手繰るが、今回ほど美味しかったという記憶は思い出せなかった。 

見た目にも白っぽい脂身が多く、鍋の中はドロドロになるのではと思っていたのだ。 ところがところが、何と何と、pict-20120327刺身盛り合わせこの脂身がサッパリしているのである。 脂身を食べているという感覚がしないのだ。 しかも独特な臭みも無い。
ただウマイと感じるだけ。

この日のメンバーは6人。

先付の品に刺身に寿司と酒がすすむのも当然。

店が休みなのに大将に働かせて恐縮至極と思っているのは私だけではなかったろうか。 アレがいる、コレが欲しいと傍若無人な常連客たちであったが、美味しく楽しく賑やかに、満足満足の『ぼたんなべ』の集いであった。

大将 I 氏には、ただただ感謝。 ありがとう、ご苦労さんでした。


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嬉しく目出度いこと

3月20日、春分の日

天文的には太陽が動いていると見た場合に、天の赤道と黄道上の二つの交点の内のひとつを春分点と呼び、その日を春分の日としている。

一般的には昼と夜の長さがほぼ同じで、お彼岸の中日、また国民の祝日法によって祝日とされていることはよく知られている。 ほぼ毎年3月21日が春分の日であるが、今年のような閏年と翌年だけは20日を春分の日としている。

それはそれとして20日は易学上での大安。 何となく嬉しい気分になるのだが、今年は正月以来吉事が続いているような・・・
もっとも人間ってのは勝手なものだから自分にとって都合の良いことはしっかり記憶し、都合の悪いツマランことは記憶から遠ざけるよう精神構造上は防御・避難の態勢をとるように出来ているもので吉事ばかりではなかったのかもしれないが・・・

1月29日、もう10何年かの同棲生活をしてきているS君とI子なので事実上の夫婦なのだが、親の反対にあって入籍に踏み切れなかったS君が、やっとやっと踏み切ってくれた。 息子・娘扱いにしているS君とI子だが、S君もやっと博多もんになったって感じかな。 自分たちの戸籍を新しく作るだけのことをどうしてこれまで出来なかったのか、法制国家にあって同棲する女性を民法上の妻と認めないのは社会的・道義的責任を問われて然るべきこと。 私が叱り飛ばしてきたのは当然のこと・・・ははははは、しかし今はもう何も言わん。 めでたし、めでたし。
pict-下河内の三女
めでたいと言えば、三女、長男、長男の出産と嬉しい報せが続いた。 

赤ちゃんの成長は早く、顔の感じもどんどん変わるので写真の黒塗り修整はしない。

大阪のM君Y子夫婦の三女である。 

お母ちゃんに似たベッピンで心優しい元気な娘に成長してくれることを願う。

pict-西田省市の長男(2)この子は大阪のS君とMさんの長男。

上に二人の女の子がおり、待望の男の子である。

父親のS君に似てるかな。

お父ちゃんのように思いやりのある健康で立派な体つきの男の子に育ってくれればええ。

賢いというのもええ。 人間として知徳体が大切と言われるけど、まず健康で立派な体を与えてもらえるように、そして、次は徳、つまり心のことやが、優しく周囲の人たちに対する思いやりの心豊かな人になあ・・・。 知、賢さのことやが、これは優れてたら優れてるだけええとは思うが、立派な徳や体が備わっていればのこと。 知も徳も成長の過程で個々が研鑽努力を積むことで大きくも小さくも伸びるものだ。 これは体についても言えるが、体は世の中すべての子が同じように元気で健康な状態を与えられるものではない。 全て大なり小なりのハンディは抱えているが、それを大きいと見るか小さいと見るかは、それを感じ取る人の観点による。 生まれ出た時には無くとも成長の過程でハンディを抱えることもあ06る。 健康で元気な体が一番だが、ハンディを受けることになっても、それを乗り越えていける、そんな強い心も持ってほしいな。 これからそれぞれの人生を歩み始める赤ちゃんを見ると願い事が次々と頭に浮かぶ。 

三人目は広島のM君の第一子、長男である。

3月6日の生まれ。 誕生後何日かしての写真だろう、顔や目がしっかりして、お父ちゃんに似ている。 M君の奥さんには会ったことがないので分からないが、先ずは奥さんに、「無事出産おめでとう。ご苦労さんでした」。

そして、M君に。
「お父ちゃんになったなあ。 おめでとう。 一層しっかり頑張りや。 今度広島へ行った時に祝いの真似事でもしょうか。」 
M君とこは檀家総代やさかいに必ず寄せてもらうけど4月末になるかなあ。

そう、先述のS君・I子夫妻の結婚披露パーティーが月末にあるので博多まで行くつもりなのだが、ゴールデンウィークに入るので行動予定を決めかねているのだ。

S君・I子夫妻の祝い事だけではない。 Y君とHさん夫妻の第二子誕生の予定も控えている。 元気な子の無事出産を祈るばかりである。



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March 29, 2012

韓国・大田から公州へ

大田駅に到着したものの初めて降り立つ駅である。 右も左も分からない、と言っても太陽が見える限り方向だけは分かるが、これだけではどうしようもない。 言語の通じにくい知らない土地で陽が暮れてからの移動は最悪である。 旧正月前、韓国では厳寒の時期であり、陽のある内に今日の目的地を定めなければならない。

前ページでも書いたように最初の訪問目的地は公州である。 従って、大田から公州へのバス便が有るかどうか、所要時間は、バス便があるとして何処で乗車できるのか、こうしたことについての情報を得なければならない。 それによってこの日の宿泊先を大田の市街地にするか儒城温泉にするかを決めることになる。
info-1
こうした時、旅行者の心強い支えになってくれるのが写真のマークのインフォーメーションである。 駅・空港・港・主要観光地・大きい通りなどに設置された公立の或いは半公的の施設であり、バイリンガルの担当者を常置させている。 韓国の場合、私の経験によれば20代から30代の女性スタッフしか見たことがない。 彼女たちは韓国語は勿論だが、英語もしくは日本語を流暢にあやつる。 その他、中国語や独仏語を解する人たちもいた。 しかも総じて大変親切であり、地理案内、観光施設などについての概説、ホテルの手配までしてくれる。

私が先ず向かったのは大田駅のインフォーメーション。 カウンター越しに2人の担当者に英語か日本語を話せるかと問うと、1人が英語OKで日本語は少しと応えてくれた。 それでその女性に公州へ行きたいことなどを伝えると、大田複合ターミナルからバスに乗ればよく、大田駅からは離れた場所なのでタクシーを利用すれば便利であると地図を広げながら教えてくれた。 そして、タクシーの乗り場への行き方と料金までも教えてくれたので、右も左も分からなかった私だが、何となく分かったつもりになってしまったことが不思議で実に愉快なことであった。
pict-大田広域市街地図一部
上は案内に使ってくれた日本語版大田広域市観光地図の内の一部を拡大したもの。 図の中央あたりから北へ官公庁の建物(市庁舎や政府庁舎など)が集中し、甲川(水色)を越えたあたり(ピンク色)が1973年に開催された科学万博会場で、そこから左端の儒城温泉地区(桃色部分)まで韓国の国家科学技術研究機関の全てが集まっている地域と言って良い。 科学技術、生命工学、航空宇宙、エネルギー技術、電子通信、標準科学、機械、情報通信産業振興、電力、原子力、土地公社土地、保健環境、天文、基礎科学支援、人参煙草、地質資源の各研究院のほか、水資源公社研究所、化学研究所、科学技術院、中央科学館、地質や貨幣の博物館、発明教育センpict-P1040898大田駅ターもある。 更に韓国民間企業のLG(電子)やSK(テレコム)、三養(食品)の中央研究所などもある大きい学研都市が構築されているのである。 

これらについては別の機会に書くことにして、図中の赤色の線(地下鉄)の右の方で丸く黒色線で囲んでいる場所が大田駅(写真)で、その上部に丸く囲んである所が複合ターミナルである。 地図上での距離はさほどあるとは思えないが実際にタクシーで走ると20分ばかりかかった。 日本のタクシーは初乗りが600円程度だが、この時のタクシー料金は日本円に換算して、その半分ほど。 安い。 と言うか、日本の物価が何もかも高過ぎるのではと思う。

さて、大田複合バスセンターに着いたものの、またまたどのバスに乗れば良いのか困ってしまった。 韓国でバスを自由自在に利用できるようになれば旅の楽しさが何倍も増えることは間違いないのだが。 ハングルは表音文字だから基本の文字さえ覚えれば音節ごとの組み合わせなので分かりやすい・・・と言うのは私の理解だが、このpict-P1040899大田西部バスターミナル歳になって記憶しなければならないことはツライ。 そのため未だに読み切れないで苦労する。

インフォーメーション・マークが見つからなかったので直ぐに乗車券売り場の窓口へ行き、担当の女性に英語か日本語が理解できるかと問うた。 すると親指と人差し指を合わせるようにして「リトゥル」と。 笑顔がカワユイ。 公州行きのチケットは購入できたので、バス乗り場などについて問いかけたのだが、ウムムムムム。 

韓国のほとんどのバス乗り場ではハングルによる表示のみでローマ字や日本語、漢字での併記が無いのである。 バスの行き先表示もハングルだからハングルを解せなければ乗り場も乗るべきバスも分からないということになる。

多分ハングルも韓国語も理解できない可哀相なオジンに見えたのだろう、私の後ろに切符を購入する人がいなかったこともあったのだろう、このカワユイ女性、券売室の後ろのドアから出て来て私をわざわざバス乗り場まで案内し、このバス(写真の)に乗るのですよと丁寧に教えてくれた。 歳の頃なら22~3歳。 娘と言うより孫みたいなお嬢さんであった。 この時のお嬢さんの話が聞こえていたのだろう、バスに乗車しても良い時間になった時、バス待ちをしているらしい老人(見かけ上)が近付いてきて、「コンジュ、コンジュ」と言いつつ私にバスに乗るよう手で示してくれた。

何とも有難いことである。 日本では益々廃れていく傾向にある(と私は感じている)人情味を感じ嬉しい気持ちいっぱいでバスに揺られることになった。

韓国のバス(市内バスを除く)は2席・2席で4列の座席ものと1席と2席で3列の座席のものがあるが、座席は横幅も前後幅もpict-P1040900広く取ってあるので肥えている私でもゆったりと座れて乗り心地は良い。 儒城温泉地区を過ぎるまで道路の渋滞が続いたが、その後の公州までの道路は広くて良く整備され快適なドライブであった。

公州総合バスターミナル到着まで1時間ばかり乗っていたのだろうか、走った距離の割に運賃がとても安かったという印象を今も持っている。 韓国での都市間移動はKTXによるソウル・大田・大邱・釜山以外はバスを利用するのが安くて早くて便利なのである。 各都市にはバスターミナルが1ヶ所か2ヶ所設けられており、都市間を結ぶ長距離や高速、それに近郊への市外バスが発着し、日本での鉄道の主要駅の役割を担っている。 

博多を出発したのは朝だったが、写真の通り太陽が山の端に沈もうとする時刻になってしまった。 早く今夜のホテルを探さなければならないのだが、公州総合バスターミナルにⓘマークを見付けることができなく、とにかく建物の外へ出た。 バスターミナルは地方の都市の場合、多くは都市の中心から離れた場所に設けられていることが多く、公州も旧市街地から錦江(クンガン、江は川の意味)を隔てた北側にバスターミナルの建物がある。

タクシーが数台客待ちのために駐車していたのでホテルがないか運転手に尋ねてみたのだが全く通じなかった。 ホテルという言葉も通じないのには少々驚き呆れたが、韓国の地方都市ではよくあることだ。 ソウルや釜山では黒塗りのタクシーがあり、これは日本語を話せる運転手が乗る模範(モボン)タクシーと呼ばれるものだが地方都pict-P1040903市の黒塗りタクシーは単に車体が黒いだけ。

ともかくホテルを探すため旧市街地の方向に歩き、錦江に近いあたりまで来ると何やらややこしい建物群が。
まだネオンが輝く時間ではないが日本ならば所謂ラブホテル街の雰囲気であり、ほとんどがハングルであるが中にローマ字でMOTELと表示してある建物もある。

韓国はアメリカとの関係が密で、とりわけ朝鮮戦争以来アメリカ風になっているものが多く、モーテルと表示しているのはホテルと解釈して良い。 早く宿を決めたいという思いがあったので、ローマ字でMOTELと表示してある建物を選んで入ってみた。 勿論シティーホテルではないので雰囲気は怪しいが、2mばかりのレセプション・カウンターの部分だけは通常の明るさであった。 若い男のレセプショニストが英語で受け答えしてくれ、部屋も空いていたので即決で泊まることにしpict-P1040902た。 私がパスポートを出し、その旅券を確認したレセプショニストがどこかへ電話をかけて暫くして別な男のレセプショニストが出てきた。 すると、なんとその男性が日本語で話し始めたのである。 これには驚いた。

と、まあ部屋が決まったのでエレベーターに乗って8階へ。 

部屋は写真の通り結構広く、ガラスで仕切られた向こうにはジャグジー機能の付いた大きい浴槽部分とスティームも出るミスト・シャワールーム、それらとは別にトイレ部分がある。

pict-P1040908公州めし屋宿が決まれば夕食だが、このモーテルにレストランはない。 仮にあったとしても私は町をうろつき美味しそうなものを提供する店を探すのが常。 それに出かけることによって町の地理も含めて感じを掴むことができるからでもある。 もっとも韓国の場合はハングルのみの表示が多く、とりわけ地方の町でローマ字表示は期待できない。 ただ最近は商品について写真で表示してある店が多いので、ハングルが理解できなくとも店の女性(韓国では圧倒的に女性が多い)に指で写真を示せば良いのである。  

私が選んだのは写真の店。
pict-P1040906サムギョプサル
アンニョンハセヨとアジュマに挨拶して空いてるテーブルに席を取る。

どこでも一応メニューは求めてみるのだ。 ヨンオ トヌン イルボノ メニュー(パン) ジュセヨ。

ははははは、韓国語を知っている人には笑われるかもしれないが、韓国語の文法は日本語と同じなので主語+述語で基本的には良い。 だから知ってる単語を並べてみるのだ。 つまり、英語か日本語のメニューを下さい、と。 無ければオプスミダと言って無いという素振りをしてくれるはずで、この店でも無かった。

そこで他の客たちが食べているものを見てサムギョプサル、つまり豚バラの焼肉を頼んだのだ。 何でも欲しいとpict-P1040909表現したい時は、~ジュセヨと言うのでサムギョプサル ジュセヨと。 あとはメクチュ(ビール)かソジュ(焼酎)を知っていれば私の場合はOK。 片言でも要は通じれば良いというのが観光における私の言語観である。 

写真の通りサムギョプサルを一人前注文しただけなのにパンチャン(おかず)の多いこと。 しかもキムチをふくめ美味しいものばかり。 ついついビールと焼酎を空けてしまった。

陽がとっぷり暮れて今夜のホテルがネオンでキラキラ輝いている。 これはどう見ても日本のラブホテルの外観である。 が、このモーテル、日本語を流暢に話せるレセプショニストがいることを書いたが、観光ガイドブックに公州のホテルとして紹介されている錦江pict-P1040910観光ホテル(KUM-KANG HOTEL TOURIST)である。

私の部屋の窓から外を見ればネオン輝くモーテル街である。

外は雪がチラついていたが、暖房のよく効いた部屋は窓を開けていても寒くないほどである。 韓国人は暖房の強いのが好きなんだろうか。
pict-P1040911錦江朝食ところで、このモーテル朝食を付けてもらうことにしておいた。
朝、指定の部屋へ行って出されたのは超薄切りの食パンにジャム。 コーヒーを頼んだのだが紅茶を薄めたような色のお湯。 お湯と書いたのは香りも味もしないため。 腹立たしいのを越して笑いたい気分であった。 

ホテルらしいホテルが無かったのでこのモーテルにしたのだが、もう一度となると考えたいモーテルである。 朝食は二度と注文したくない。 コンビニが近くにあるので、そこで調達する方がマシ。



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March 20, 2012

博多から韓国へ (博多~釜山~太田)

ホテルでの朝食を大将と一緒にとり、その後は別行動となった。

大将の休暇は今日で終わり。 仕事一筋の真面目な人物だから夕刻までに帰って今宵から店を開けるかもしれない。 以前から広島の原爆ドームと平和記念資料館へ行きたいと語っており、そのつもりで博多まで来たのだから帰路広島で途中下車して見学に行くのだろう。 時間的には平和記念公園(原爆ドーム・平和記念資料館)を巡り、宮島の厳島神社を見学しても十分な時間があることは説明しておいた。

私は9時30分発の釜山行きビートルで韓国へ渡る予定にしていた。  チェックインは通常1時間前から始まるので大将とは午前8時にホテル前で別れてタクシーで博多港国際ターミナルに向かった。 これまでも博多から何度pict-ビートル乗船券Aもビートルで釜山へ渡っているので慣れた道筋である。  乗船券の予約をしておいたのでチケットカウンターでクレジットカードの決済をするだけである。
 
今回の韓国旅行は取材が目的で忠清南道の公州と扶余、それに全羅北道の全州、南原あたりを訪れる予定にしていた。 

いつもは福岡・釜山間の往復チケットを購入するのだが、昨年10月から釜山と対馬(比田勝港)間の航路が開設されているので、帰路に対馬の観光を加えることにして今回は片道切符。 通常往復チケットは26000円(片道13000円)だが往復割引だと24000円になる。 それが平日利用なら20000円となり、更に出発日や滞在期間が2泊3日と限定で良ければ往復10000円となることもあり時間的には飛行機の3倍かかるが安いには違いない。
pict-P1050151BEETLE
写真はBEETLE(撮影場所は対馬・比田勝港)

福岡空港から釜山・金海空港までの所要時間は行き帰りとも50分~60分であるが、ビートルの場合180分~190分で、出入国審査に要する時間は飛行機の場合も船の場合も大差は無い。

しかし、今回のように帰路に釜山から対馬・比田勝港へ入国する場合、JR九州のビートルの航路は釜山と対馬・比田勝港の間だけなので福岡へ戻るのに往復割引は無い。 現状では福岡・釜山間13000円、釜山・対馬間7500円、対馬・福岡(博多)間は九州郵船2等運賃5050~5850円、或いはジェットフォイル高速船10780円を支払わなければならない。 私の場合はジェットフォイル高速船を利用したので31280円。 もっとも釜山・対馬間でシニア割引で1割引いてもらったから6750円だったので30530円の運賃を支払った。 福岡・釜山往復運賃が26000円だから随分割高になる。 ちなみに九州郵船のジェットフォイルもビートルと同じような船である。

博多港国際ターミナルで税関を通り出国審査官が旅券にスタンプを押してくれたらビートルの待合室(以前には無かったと記憶するが・・・)へ。

博多では先ずまずだったのに釜山に近付くにつれて天候悪く雨。 釜山の入管から税関を過ぎるまで手荷物検査が厳しい。 それに以前は無かった虹彩認証システムが取り入れられていた。 眼底・眼圧・視力検査などで慣れてはいるが、レンズのようなものをじっと見つめさせられるのは余り良い気分ではない。
pict-P1040896韓国新幹線切符
釜山港国際旅客ターミナルの到着ロビーに出ると出迎えの人たちでいっぱい。 こちらが一人者の旅行者と見るや次々と・・・。 博多で両替を済ませておいたので彼らに見向きもせずにバス乗り場へ向かった。

ここから釜山駅に行くのだが、バスは既に客を乗せて待っていた。 発車すれば15分程度で到着するのだが中年女性の運転手はなかなか出発してくれそうにない。 ようやく発車したものの雨による渋滞なのか車が進まない。 韓国は車社会で道路は広いがその分車の台数も多く、都市部での車の移動はスムースにいかないことが多い。

ようやく釜山駅に着き、KTX(韓国新幹線)の大田(テジョン)までの切符(上の写真)を買った。
13時30分発で14号車の5Aの席である。 大田到着は15時。 この日は大田市内か儒城温泉(ユソン オンチョン)、出来れば公州(コンジュ)市まで足を伸ばしておきたかったのpict-P1040894だ。

指定された14号車に乗り込んで座席を確かめたところラッゲージを座席周辺に置くことが難しい。 それで車両に入って直ぐ左の荷物置き場に置きショルダーバッグだけを持って座席に。
釜山駅を出発する頃になっても14号車の乗車率は30~40パーセントだったのが東大邱駅で満席になった。 それまで隣の通路側の席が空いていたのでゆっくりできていたのだが、何と隣に座ったのは私よりも太いオバサン。 そのオバサンが棚に段ボール箱を乗せ、座席の前にも段ボール箱を置いて窮屈そうに座るのだ。 しばらくしてそのオバサンの携帯電話が鳴り、大きな声で何やら話し始めた。 何分か経過したが猶話し続け、周囲の人も別に咎めようともしない。 車内担当のお嬢さん2人組が通路を通ったけど彼女たちも何も言わない。 私も別に構わないとは思うものの隣の席から大声が聞こえ続けるというのは決して気分の良いもpict-P1040893のではない。 次に通りかかった車掌が、多分注意したのだろう、途端にオバサン手で電話機を覆って声を落としたものの又々徐々に大声に。 しばらくして戻ってきた車掌に再度注意、されたのだろう。 やっと電話を切ったのだが、今度は居眠り始めて鼾(いびき)まで聞こえ始めた。

これはちょっと困ったことに・・・  大田駅に着いたらどうしようかって、心配の種ができてしまった。 このオバサンに起きてもらって座席前に置いてある段ボール箱をのけてもらわねば通路に出られない。 そのために先ずオバサンに声を掛けなければならないが、ネエネエだけではいかんやろし・・・ 大田駅での停車時間は? 私のラッゲージも取りに行かねばならないし。

心配しても仕方がないが、言葉の通じにくい外国で1人旅行していると時にたまらなく不安になることがある。

大田駅到着の案内放送が流れた時、眠ってるオバサンにエクスキューズ・ミー。 二度声掛けしたものの目覚めてもらえず、結局肩を叩いて起きてもらい、私が立ち上がって降りなければいけないのだと英語で。 が、この年代の人たちには通じない。 あとは実力行使しか、と思ったら後ろの座席の若い学生風のニイチャンがオバサンに話してくれた。 そのニイチャンの言葉を耳にした途端、オバサンの機敏な動きには驚いてしまった。 サッと立ち上がるや段ボール箱を取り除き通路を空けてくれたばかりか、何度もペコペコ頭を下げながら「どうぞどうぞ」と言うように手を出口方向に振ってくれた。 良かったと安堵する以上に何だか恐縮してしまい、こちらの方がカムサムミダの連発だった。


 

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March 18, 2012

I 氏と行った福岡の旅 2012年1月 〔4〕

出張で長崎へ向かう I 氏は遅れずに出発したのかどうか気になりながらも、連日遅くまで、完全にアルコール浸けの私たちは仕事が無いのを良いことに朝寝坊を決め込み・・・

なーんてことは無く、大将 I 氏も私も午前7時には起床。 7時半には朝食を頂き、9時には行動開始用意OKの状態になっていた。
この日は天神へ出て西鉄で柳川まで。 私は何度も訪れているが大将は初めてなので楽しんでもらえるだろうと思い案内した。
pict-img135西鉄福岡(天神)駅で写真のような柳川(川下り)と大宰府を巡る周遊切符を買い求めてエキスカーションに出発した。 この切符は2800円。 購入は1ヶ月前から可能で、使用開始日を含めて有効期間は2日間。 但し、乗降駅は福岡(天神)、大宰府、柳川の三駅が指定されている。

この観光切符を買わずに一般料金で同じコースを巡るとすれば幾らかかるのか、ちょっと調べてみた。 西鉄電車の料金は福岡(天神)・柳川間が830円。 柳川・大宰府間が650円。 大宰府・福岡(天神)間が390円なので合計1870円となる。 柳川での川下りの船賃が1500円なので合計2870円となり観光切符の方が70円安いということになる。 

なーんだ、たったの70円かと思われるかもしれない。 そこは良くしたもので、観光切符には割引券が沢山付いているのだ。 例えば、柳川では藩主・立花家の別邸『御pict-img136花』(庭園・松濤園)の入園料や北原白秋の生家の入館料、うなぎ蒸籠蒸しの代金、西鉄タクシーなど、それぞれ1人当たり50円の割引きとなる。 だからタクシー料金が仮に500円であったなら、4人で乗れば300円となり一人分は75円。 セコイ計算をするが、割引き制度があるなら利用すれば良いのである。 業者も損をしてまで割り引くことはないだろう。 割り引いても尚且つ儲けがあるはず。 

福岡(天神)から柳川までは特急で46分かかるのだが、大牟田行きの特急が30分に1本なので1列車乗り遅れると時間のロスが痛い。 今回も丸々30分間を駅ホームで潰してしまった。

柳川駅改札前に川下りの案内所があり、乗船場までの送迎車が来るまで待合所で待つことになったが、以前にはなかった施設である。 この隣に観光切符のお土産引換券で有明漬(粕漬)をくれる土産物店があるのだが、私たちが訪れた時には、うなぎのポリット(うなぎの骨の唐揚げ)をくれた。 ちなみに韓国新幹線車内でポリポリ食べたが、油が・・・。 お腹が空いていたので残さず食べたけど。
pict-柳川川下り地図
柳川観光開発の川下りは松月乗船場から始まり、ほぼ1時間余り柳川の町に縦横に掘られた水路を巡るのである。 柳川市や大川市辺りは筑後川が有明海に注ぐ沖積地であり、戦国期には湿地帯が広がり攻防が有利にも不利にもはたらいたとの史記を読んだように思う。 

川下りの下船場は立花家の別邸『御花』の庭園・松濤園を回り込んだ所にあって、直ぐ前に「福柳」「六騎」「若松屋」と三軒のうなぎ屋が並んでいる。 「六騎(ろっきゅ)」はこれまでに何度行ったか、この日は定休日だったので隣の「若松屋」へ入った。 この店は三度目になるが、「六騎」も「若松屋」も50円の割引券が使える。 うなpict-P1040891ぎの蒸籠蒸しが肝吸いをつけて、上が2400円だったかな。 50円割引で2350円。 大将が払ってくれたので確かな金額は分からない。 柳川の名物だし、博多から訪れ川下りを終えると丁度昼時になるので少々高いが昼ご飯にうなぎの蒸籠蒸しという具合になる。 そのためかどうか知らないが、柳川はうなぎの消費量日本一らしい。 

食後、北原白秋の生家(写真)へ。 柳川を訪れるたびに見学しているので今回は大将だけに入館してもらった。

随分以前だが、若い連中を連れてきた時に北原白秋という名前を知ってはいたが、白秋作詩の童謡を知らないと返答された時の愕然とした記憶が甦ってしまった。 あの時はダークダックスが歌う白秋の童謡集のCDを買って与えたが、今は皆が母親になっている。 はたして子どもたちに童謡を聴かせてやってくれただろうか。 
pict-博多・柳川・太宰府・志賀島039
白秋生家見学の後に『御花』(写真)を見学。 ここも大将にひとりで巡ってもらい、その後タクシーで柳川駅へ。 特急で西鉄二日市まで行き、ここで乗り換えて大宰府駅まで。 

大宰府駅から天満宮への参道は結構な人出であった。

京都・北野天満宮、大阪の天満宮、防府天満宮、それに大宰府の天満宮、その他全国の天神社の祭神は菅原道真、つまり天神様は学問の神と崇められているため、この時期いずれの天神様も受験を控えた若者たちで賑わうのだ。
pict-P1040892福岡県・大宰府天満宮A受験とは縁遠くなった私たちだが、大将にとっては初めて参詣する大宰府天満宮にどんな思いを抱いたろうか。 

人間であった菅原道真。 学問に秀でた人だったから若い頃からトントン拍子に出世して右大臣まで上り詰めたが藤原氏の力が強かった時代であり、901年(延喜元年)藤原時平の讒言によって道真は大宰府の権帥に左遷されてしまった。 大宰の帥は親王がなるが権帥とは実質的に仕事を行う副長官であり、官位では右大臣が従二位に対して大宰帥は従三位。 しかも都ではなく遠く離れた朝廷の出先機関の大宰府である。 この時、道真の子どもたちも流刑となり、道真は903年に大宰府で亡くなってしまうが、道真の死後、都では藤原時平が39歳の若さで急死、日照りが続き疫病流行と天変地異が続いたpict-博多・柳川・太宰府・志賀島048AAため、醍醐天皇が勅使・藤原仲平を大宰府に遣わし、道真のお墓に天満宮を建立させた。 しかし、その後、醍醐天皇の皇太子が亡くなり、次の皇太子も亡くなるという不幸が続いた。 更に宮廷に落雷があり多くの死傷者が出たため、これはいよいよ菅原道真の怨霊の祟りと畏れられ、947年に京都・北野に天満宮が祀られた。

当初は道真の怨霊を鎮めるための天満宮建立であったが、いつの頃からか学問の神、受験の神と、人間・菅原道真が神様になってしまった。 
 
人が亡くなると、その荒ぶる魂を鎮めるための神式祭事を行ってきた日本人の宗教観の根源は畏敬の念ではなかったろうか。 森羅万象、ありとあらゆる物や現象に対して畏れと敬いの気持ちを持って接する、この姿勢を私は大事だと思っているのだが・・・   長くなるので止めておこう。

ともかくも大将を大宰府天満宮までは案内することができた。 時間の関係で九州国立博物館を案内するまでには至らなかったが、博多からの One day trip としては上出来であろう。 と、私は思うが、果たして大将が喜んでくれたかどうか、ソレが最も大事なのだが・・・

明日から私は韓国へ、大将は広島・原爆ドームの見学にと別行動を取ることになるので今夜が博多での最後の夜となる。 休暇が長ければもっと案内するのだが、最後の晩餐は中洲の銀寿司で楽しむことにした。 寿司屋の大将を寿司屋に連れて行くというのは何とも芸の無いことではあるが、所や人が変われば料理の素材や盛り付けも変わる。 何か得てもらえることがあるかもしれない。 もっとも還暦を過ぎた大将のことゆえ、やっぱり失礼だったかも。 まあ堪忍してくれ。ぶっははははは 




masatukamoto at 11:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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