May 2012

May 22, 2012

韓国・慶州へのワン・デー・トリップ

昨日釜山のインフォメーションでホテル・フェニックスへの予約を入れてもらう際、朝食付きということにしておいたので最上階のレストランへ出向いた。 このホテルで朝食も夕食も食べたことが無かったのでレストランへは初めて足を踏み入れることになる。 眺望はなかなか素晴らしい。

ところで朝食だが、アメリカン・ブレックファースト、日本食、あわび粥、韓定食の4種類がメニューに書かれていた(ように思う)。 アメリカンというのはトーストにハムエッグ、コーヒーか紅茶にバターかジャムといったのが一般的だが、パンは好かん。 サラダが付いていたりいなかったり、これは店によって異なる。 日本食・・・韓国へ来てまで日本食を食べることもあるまい。 2泊する予定なので、今朝はあわび粥にした。 が、あわび粥を食べるのなら街中へ出て食べた方が良かったというのは食べてみた後の感想。(後悔ありあり) 
pict-P1050020南浦洞駅
それと、朝食付きの条件ではアメリカンか日本食のいずれかの料金設定で、他のものをオーダーすると差額を支払わねばならないようになっていた。 僅かだからどうでも良かったけど、二人いた若い女性スタッフは英語も日本語も解せなかったのでオーダーする時点での説明がなく、後出しジャンケンのようなもので気分の良いものではなかった。

まあそれはそれとして、今日は旧正月に対して大晦日にあたる21日(土曜)である。 上は地下鉄・南浦(ナンポ)駅のプラットホーム。 ホテル前から地下へ下り、地下街を少し歩けば駅である。

韓国の地下鉄は券売所も改札も自動になっていて無人の駅が多い。 小銭(コイン)が無いと困ることがあるのpict-P1050024釜山バスターミナルで切符購入の前に確かめておくのが良いかと私は思う。

地下鉄・南浦駅を通るのは1号線。 これで終点の老圃(ノポ)駅まで行くのだが、途中、釜山駅、西面、東萊温泉、梵魚寺など釜山の中心街を経て42分の所要である。

地下鉄・老圃駅は写真の釜山総合バスターミナルに直結しており、釜山発の高速・市外バス全てのターミナルになっている。 ソウル、大田、大邱、光州、pict-P1050023釜山バスターミナル全州など韓国内各地とをバス路線で結んでいる。

写真は釜山総合バスターミナルの外観。

今回の韓国旅行では、当初の予定なら全州より南原を経て今日釜山に戻って来るところだったが、予定を変更したので本日は慶州まで出かけることにした。 慶州は今回で三度目になる。 初めての時は釜山からタクシーで日帰り観光。 二度目は鉄道で特急セマウルに乗って慶州へ向かい、慶州中心部のホテルで泊まって、1泊2日で巡った。 それでも訪れていない場所がまだ残っていた。

下は釜山総合バスターミナルの切符売り場の写真だが、行き先別に窓口が仕切られ、表記もハングルとローマ字の2pict-P1050022釜山バス切符売り場通り、それに発車時刻や料金も表示されていて大変分かり良かった。

バス乗り場では行き先ごとに番号表示され、チケットにはプラットホームのナンバーも表示されているので迷うことも先ず無いだろう。 市内バスに乗り慣れている私たちが注意しなければならないのは、チケットにバスの座席ナンバーが記されており、空いているからと思ってどこへでも座って良いというわけではない。
pict-P1050025慶州行バス切符
このチケットが示しているのは釜山から慶州行きで、乗車日が2012年01月21日、10時30分発、座席ナンバーが12番で、プラットホーム06番から発車するということである。

釜山総合バスターミナルから慶州高速バスターミナルまで1時間弱の所要。 この日も天候悪く小雪混じりの雨模様の中、慶州高速バスターミナルに到着。

以前バスターミナルの東側で食堂を経営していたお爺さんとお婆さんが元気でいるか気になったので寄ってみることにした。 しかし、店構えは同じように思うのだが店内のテーブル配置が私の記憶と違うような・・・
90893100.jpg
上の写真は2008年の母の日の頃に撮影したもので、当時このお爺さん夫婦が食堂を経営していた。 お爺さんは名前を『許 東洙』さんと言い、1945年8月6日は広島に住んでおり原爆を体験したと語ってくれた人である。
この時のことについては2008年6月9日付の当ブログで紹介している。


この写真でお爺さん夫婦が腰かけている板の間が今回訪れた時には無くなっていた店で比較的若い男の人たち三人が仕事をしていた。 お昼が近付き数人の客がいたし出前もやっているようなので忙しいから悪いなあと思いつつ、折角立ち寄ったのだからと店のスタッフの一人にお爺さんのことを尋ねてみた。 しかし、片言の単語だけでは通じるわけもなく困っていたところ、出前から帰ってきた人が察してくれたのか携帯で許さんらしい人にpict-P1050026焼メシ慶州の昼電話してくれた。 日本語を話すお爺さんではあったが、4年近く前に、それもほんの1時間ばかり話しただけの日本人を覚えているほうが不思議なことである。 私も立ち寄るつもりが無かったので、それなりの準備もしていなかったから仕方がない。 せめて、この写真でも持っていれば分かりあえたかもしれないが・・・

昼時で迷惑をかけたことだし、せめて何か注文するぐらいはと頼んだのが焼き飯&シチュウのようなもの。 

丁重にお礼を言って店を出たが外は霙(みぞれ)が降り、歩道工事中のため足元悪く靴も直ぐにドロドロ。 近くに以前泊まった慶州パーク観光ホテルがあったが工事中であった。 このホテルは立派とは言えない安いホテルであったが立地が良く慶州旧市内を歩いて回るのに便利であった。

さて、これまで慶州を訪れながら回りきれていなかった所だが、武烈王陵、金庾信将軍墓、芬皇寺を巡り、三度目になるが國立慶州博物館を見学してみようと考えた。

大概は歩いて巡るのだが天気の状態が悪いし、今回訪れようとしている所は慶州旧市街の周縁部にあたり、互pict-P1050027武烈王守護亀いに離れた位置にあるのでタクシーを使うのが便利だと考え慶州駅前のインフォメーションへ行った。 所要時間と凡その料金を知り、更に運転手へ依頼してもらうためである。 慶州のタクシー運転手も殆ど英語その他の外国語を解せないからインフォメーションの女性に韓国語で正確に頼んでもらうことが最善なのである。 

最初に訪れたのは武烈王陵。

上の写真は亀趺と螭首(661年新羅・国宝)が王陵を守るようにしているが、武烈王の業績を讃えるための碑石らしい。 難しい漢字だが、亀趺は『キフ』でカメの足という意味で、螭首は『チシュ』でミヅチクビ。ミヅチというのは想像上の生き物で蛇に似ており、4つの足を持ち、毒気を吐いて人を害するらしい。 何だか恐ろしそうな奴だが、亀の背にあるのがミヅチの碑石で6匹の龍が絡み合っているのだと。

武烈王(ムヨルワン)は新羅第29代王で、真徳女王が亡くなった654年に王となり661年に亡くなっている。 王となったのは51か52歳の頃だから602年頃に生まれたと推測できる。 日本では飛鳥時代にあたる頃である。
≪参考までに≫
         聖徳太子が推古天皇の摂政になる  ・ 四天王寺建立(593)
      冠位十二階(603)
      十七条の憲法(604)
      小野妹子を遣隋使として送る  ・ 法隆寺建立(607) 
      唐が中国を統一(618)
      遣唐使の派遣(630)
      善徳女王が唐に救援を要請(643)
      大化の改新(645)
      真徳女王が亡くなり武烈王が即位(647)
      百済滅亡(660)
      白村江の戦い(663)
      中大兄皇子が天智天皇に即位。 高句麗滅亡(668)
      壬申の乱を経て大海人皇子が天武天皇に即位(672)
      新羅、旧百済領を唐と争い勝ち、統一新羅成る(676)
      持統天皇、藤原京遷都(694)
pict-P1050029武烈王陵
上が武烈王陵。  武烈王は唐との連合によって百済を滅ぼした時の王であり、律令制度の基盤整備を行い能力本位の人事を徹底させたことで執政上で高い評価を受けている王のひとりである。 この武烈王が王になる前、金春秋であった頃、孝徳天皇のもとに新羅の遣いとして来ている。 「新羅遣上臣大阿滄金春秋等、(中略)仍以春秋為質。春秋美姿顔善談咲。」と、金春秋らが新羅の遣いとして来て、(中略)春秋は人質となった。春秋はなかなかの男前で、よくしゃべり、よく笑ったと日本書紀には記されている。

羅唐同盟を結んだことでも分かるように唐との関係をうまく保っていたことや日本書紀に記された内容からも、武烈王というのは内外政治上の均衡感覚に優れた感覚の持ち主であったのかもしれない。
pict-P1050031武烈王陪臣陵
上は武烈王陵の奥に位置する西岳里古墳群で高さ10数m、直径は3~40m程度の円形或いは楕円形の封墳が並ぶ。 いずれも武烈王陵の後ろにあり古墳が比較的大きい方なので武烈王に近い王か王族の墓であろうと推量されている。

封墳とは石室を有する盛り土の古墳で、丘陵地の古墳は封墳が多いのだとか。 それとは異なり平地の古墳、例えば
大陵苑の天馬塚古墳などは積石木槨墳と言って丸太小屋のような中に石棺を納め、小屋全体を積石で覆い、更に粘土で詰めて土を盛るというもの。

それにしても朝鮮の墓は王陵に限らず円墳状のものが多い。 続いて金庾信将軍の墓も訪ねてみよう。



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May 21, 2012

金環日食 2012.5.21

今朝も3時半に目が覚めたが、もう少しだけとベッドでうつらうつら。 いつもなら、もったいないと起きて書斎へ入るのだが、結局今朝の起床は4時半。 

3時半は空がやや白む程度だが、このところ4時半には外の景色もはっきり判別できるほどに明るくなっている。 冬の間は東方・南北に連なる丘の南の方で顔を出していた太陽が、このところ随分北の方から顔を出すようになってきた。 夏至に向かってまだまだ北の方へ移っていくだろう。

太陽に関わって言えば今日は金環日食が見れる日。 

つまり、地球は自転しながら太陽の周囲を回っているのだが、その地球のまわりを月が周っているので、時に太陽と地球の間に月が位置する時が起きる。 これが日食の太陽・月・地球の位置関係であり、地球上にいる私たちから見れば、月が太陽の姿の一部または全部を隠してしまうことになる。 その隠される部分は地球上の位置によっても変わるが、完全に太陽の姿が隠されてしまう状態を皆既日食、太陽を真円に近い(月の形)形で隠して周縁部を残した状態を金環日食、それに前の二つとは異なり、部分的に太陽を隠すのを部分日食とよぶが、今日日本各地で見られたのは金環日食である。
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写真のように太陽の中に月がスッポリ入り込み、太陽の輝きを環状に見せている。 そのためこの環をゴールドリングと呼んだりしているのだ。

撮影するつもりは無かったのだが、金環食の場合は太陽光の9割程度が遮られ、そこへ雲が覆っていてくれたので撮影できるだろうと、7時22分からデジカメで撮影してみたところ上のような写真を撮ることができた。
jpg
しかし、太陽の一部が雲間に顔を出すと、やはり光量は凄いものでハレーションを起こしたような映像となり、左の写真が金環食を確認できる限界であった。

私が子どもの頃には透明な板ガラスにローソクのスス(煤)を付けて日食を見たものだと昔のことを思い出していた。

今は遮光版という良い商品があるので、一定時間を空けて定点で撮影すれば、欠け始めから終わりまで連続性のある一枚の写真に合成することもできる。

マスコミでも随分話題にしていたようなので多くの人たちが観察したことであろう。 金環食の開始時刻が始業後であったなら学校での理科・科学の生きた天文教材として活用できたであろうに先生方にとっては残念なことであったろう。


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May 20, 2012

韓国・扶餘から釜山へ

この日、扶餘から全州か南原で泊まり、その後智異山を越えて釜山へ戻るつもりでいたのだが、智異山の交通事情が悪い(積雪・凍結)との情報が入ったので大田へ戻り、新幹線で釜山へ帰ることにした。
扶餘からだと論山までバスで行き、論山から大田へ国鉄(現在は鉄道公社)で行くのが良いと思ったのだ。

ところが前ページに書いたように、この日は相当疲れを感じていたのと、いよいよベルトがどうしようもない状態になっていたこともあって階伯将軍像のロータリー近くでタクシーに乗り込み、「ロンサンヨク エ カゴ シッポヨ」論山駅へ行きたい告げた。 が、私の表現が間違っていたため60歳前後の運転手は何度も、「ロンサン?」、「ヨンサン?」と問い返してきた。 論山、漢字の音読みなら「ロンサン」で間違いないのだが、韓国では「ヨンサン」と読むのだ。 私の言う行き先が論山であることを確認するや、運転手の表情は一変してニコニコ笑顔。 胡散臭い客だと思っていたのに長距離の客だと分かって喜んだのだろう。 その後は韓国タクシードライバーの腕の見せ所とばかりの超高速運転。

論山駅は町のはずれに位置しているのか、タクシーは町並みを大きく迂回するようにして駅前まで送り届けてくpict-韓国鉄道図れた。

論山駅の規模は大きくない。 日本の駅と比べれば、田舎ではないが地方の町の駅といった程度で切符販売のカウンターに応対する女性が一人いるだけ。 そこが駅の待合所も兼ねており、10人ばかりが腰かけられるように椅子が設置されていた。
切符販売のカウンターで担当女性に大田へ行き新幹線で釜山へ行く切符を欲しいと言うと、列車の接続について調べてくれ、これでどうかとプランを紙に書いて示してくれた。 論山から大田へは30分程度で行けるのだが、乗換えねばならないという説明に合点がいかず何度も説明を求めねばならなかった。 これは私が韓国の鉄道路線について知らなかったことが原因だった。

つまり、韓国新幹線はソウルと釜山を結ぶKTXと在来の京釜線、それにソウルと木浦を結ぶKTXと在来の湖南線があるが、この二つの路線がソウルから南下してきて大田で分かれるのだ。 そして論山駅は湖南線の駅だから大20田で釜山行きのKTXに乗り換えれば良いと私は思っていた。 つまり大田駅は二つの路線共通の駅であると思っていたのだ。

ところが実際の線路は大田駅(京釜線)と西大田駅(湖南線)は離れており、両駅の北、大田操車場駅で線路が分かれているのだ。 したがってKTX京釜線に乗るためには大田操車場駅或いは更に一駅北の五松駅まで行って大田駅まで戻らねばならないのだが、列車の便が悪いので西大田駅で降りて大田駅までタクシーで移動し、そこで新幹線に乗るのが良いと、彼女が時間をかけて教えてくれていたことが、このことだったのである。 

この説明を路線の分からない私に気長く丁寧に教えてくれたのが30歳前後の女性駅員なのだが、私が説明を聞いている間にも私の後ろに切符を求める人が次々と列を作り、こちらは迷惑なことだろうと気が気ではなかったのだが、納得ゆくまで応対してくれたことに感謝である。

列車の到着時刻に合せて人々が集まってきたようだ。 待って頂いた人たち、それに何と言っても懇切丁寧に説20明してくれた駅員の女性には心よりお礼を申し上げる。 知らない土地での親切は一層心に響くものだ。 

ズボン・ベルトのトラブルはタクシーで論山駅に到着した時点でも解決しておらず、駅前なら商店もあるだろうという私の予想は完全に外れ。 釜山への座席指定券が欲しかったので先に切符を購入しに行ったのだが、切符を購入する時もベルトを手で押さえていなければならず何とも妙な気分であった。

切符の購入を終え、列車到着まで随分時間があったので駅前の道路を歩いてみたが、衣服や雑貨を扱う商店などありそうになく、止むを得ずタクシーを止めてバックルの千切れたベルトを見せ、ベルトを売っている店へ連れて行けと英語、日本語、片言の韓国語単語を並べ立てたが了解を得られず、自動車修理工場のニイチャンにも話しかけたが相手はしてくれるものの要領を得ない返事。 列車到着の時刻まで段々残り時間が少なくなってくる。 いよいよ仕方ない、ガマンして釜山で買おうと思ったところへ先ほどのタクシーがやってきた。 多分、駅前で客待ちしていた運転手仲間に私pict-P1050004のことを話したところ、私の要求に合点がいったのだろう。 運転席から降りてきて自分のベルトを指さしながらOKOKと言って車に乗るように手振りで示した。 勿論言語での意思疎通が出来たわけではないから私にしても半信半疑だが、ここは乗りかかった船である。

写真は、論山駅舎をプラットホームから撮影したものだが小さな駅であることが分かるであろう。

車に乗り込むと暫く自動車道を走った後、細い道へ曲がり込んだ。 表通りには歩く人もいなかったのに、どうやら商店街らしく旧正月用の品物を買う人たちが来ていたようで、そんな人たちをよけるようにタクシーは進み、小さな雑貨店の前で車は止まった。 運転手が車から降りて手招きしながら自分のベルトを指さして店に入るよう身振りで示してくれた。

ああー、やっと、やっと悩みを解消することができた。

下の写真は大田駅前から駅舎を。 
pict-P1050005ロッテ・リゾートで小雪舞う中、タクシーで國立扶餘博物館に向かう時にベルトがプッツンと切れ、その後1本購入するも又々プッツン。 全くベルトのトラブルには悩まされる。

ともあれ西大田駅からタクシーで大田駅に出ることができたが、大田市内は車の渋滞がひどかった。 大田駅は2度目になるので迷うこともなく新幹線に乗車。 大田駅で少しの間晴れていたが釜山駅へ向かうほどに又々小雨模様に。 今回の韓国行は全く天候に恵まれない日が続く。

それはそうと、この日は朝食も昼食も抜きであることに気付いたのが新幹線の車内。 論山の女性駅員が気遣ってくれたのか座席は最前列の一人掛けシート。 ドアの開閉を気にしなけれpict-P1050006ば隣の席を気遣うこともなく快適である。 それにしてもお腹が空いたとショルダーバッグのポケットに入れたままになっていたウナギの骨の唐揚げをポリポリ。 寿司屋の大将 I 氏を柳川観光に案内した時、観光切符のお土産として貰った小袋入りのものである。 量は僅かでも腹の足しにはなる。

写真は特急セマウル号だが、論山から西大田までは急行ムグンファ号に乗車した。

釜山のホテルをどこにするかだが、釜山駅のインフォメーション・デスクを訪ねた。 若い女性が2人いたが、応対してくれた女性の日本語は今時の若い日本の女の子など足元にも及ばない流暢さ。 べっぴんだし、私も思わず「日本のかた?」と尋ねたほどだ。 結局、安くて近くて先ず先ずのホテルということで、以前に泊まったことがある南浦洞のホテル・フェニックスに電話予約してもらった。
pict-P1050008釜山
宿が決まればチェックインして、先ずは食事である。 慣れたホテルというのは何かと都合が良い。 しかし安いだけあって、それはそれなりの部屋。 例えば浴室のドアがキチンと閉まらないとか・・・その他もろもろ。 施設・設備は立派とは言えない、が、ベッドシーツの交換などルーム・メーキャップはきっちりしてくれるので文句は無い。何と言っても日本円の5000円/一泊なのだから。
pict-P1050007釜山
しかもこのホテル、立地がいい。 地下鉄・南浦洞駅に近く、チャガルチ市場も歩いて直ぐ。このあたり一帯が大阪で言えば心斎橋筋や道頓堀界隈に似ているのだ。 食べる・飲む・着る等々。

上の写真はチャガルチ市場。 今年の旧正月は22、23、24と日月火。 土曜の仕事が休みなら21日から休暇ということになる。 今日は20日。 雨が降って足元が悪い中、旧正月用の品を買い求める人たちが集まって来てpict-P10500102釜山いる。

私は好物のナックチを食べに出掛けた。 最近は決して安くはないが、済州島でのナックチはボッタクリの値段であった。 ここはまだ良心的と言える、かも。

クニョクニョ動く手長ダコのブツ切りを塩と胡麻油で食べるのだが、元々タコが大好きな私にとってコリコリした食感とチクチクと吸盤が口内でくっ付く感触がたまらないのである。 これで焼酎(ソジュ)をキュッ。 うーーん、幸せを感じる瞬間である。

この日はアジュマの薦めでカワハギの刺身も取った。 カワハギの切り身にニンニクや青唐辛子、それにヤンニョンジャン(薬念醤)を付けて胡麻の葉やサンチュで包んで食べる。 「ハアーッ」、これで元気もりもりである。
pict-P1050011釜山
パンチャン(おかず)がいろいろ付いてくるので結構お腹はふくれるのだが、釜山の町を歩き回ってホテルに帰ると夜遅くなって何か食べたいなあってことになる。 その時のためにコンビニへ寄って飲みもや食料を買い込んでおくのだ。



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May 18, 2012

5月初めのこと

ゴールデンウィークの天気について予報では良いように言っていたのだが、この日は素晴らしい、将に五月晴れと思えたのは5日の子どもの日だけであった。

雨天、曇天、強風と、どうも怪しい高層気象の乱れが続いた。 気象の乱れと書いたが、特にここ数年、年ごとに強風の吹き荒れる日が多くなってきているように感じている。 丘陵の端っこという立地から従来より風当たりが強いことは感じていた。 しかし、台風、木枯らし、春一番と呼ばれる特別な気象条件の時に限られていたように思うのだが、このところ部屋の中にいてもゴオーッゴオーッと風が唸る音を耳にすることが多くなっているのであpict-P1050548る。

我が家の構造や形状を変えたことはなく、近隣の地形が変わるほどの造成工事もない・・・否、雑木林の丘が住宅地になったが??? しかし、近頃の風は音も力も凄いもので、風の通り道が変わった程度の理由では納得できないような怖さを感じさせるものがある。 スケールの大きい地球規模での気象の変化が起きているような感じさえするのだ。 

ま、恐ろしい話は置いておいて、4月初めに播種したプランター栽培のラディッシュ(二十日大根)が収穫期に入った。 名前の通り、ほぼ20日で収穫できるのだ。 真ん丸のものと少し長めの品pict-P1050546ラディッシュ種の二種を栽培しているが、播種時期をずらせているので順次収穫できる。 秋が深まるまでは屋外で充分栽培可能なので楽しめる。 ただ、この緑の綺麗な葉っぱはモンシロチョウが卵を産み付けるのに好むため、つまり、卵からかえった青虫(幼虫)のご馳走となるので、これからの時期は、き奴らに喰わせるか、私のご馳走にするか、昨年同様のタタカイが始まるのである。 

赤い部分も葉っぱも生のまま食べることができる。 葉っぱは少し塩を振るか、サッと熱湯をくぐらせる方がチクチクとトゲ状の刺激を受けないで良い。 赤い部分は少しの辛味とカリカリと噛む音も食感を高めてくれる。 素晴らしい私のエサ5である。

5日の子どもの日、1歳と5ヶ月になった H君が母親に連れられて我が家に来てくれた。 物おじもせず終始笑顔でご機嫌であった。

娘だと思っていたのが、いつの間にか立派な母親になり、育児休暇を終えて先月より H君を保育所に預けて職場へ復帰しているとか。

保育所への送り迎えに育児、会社勤め、帰宅すれば家事全般と、母親であり働き手であり妻(主婦)でありと3つの兼職(兼業)は大変なことである。

我が家も40年ほど前は同じ状況であった。 私はあまり手伝わなかったと今でも家内の恨み言を聞かされるが、3雛祭り026拡大亭主も極力家事や育児で協力すべきと今は思う。 私は私なりにやっていたつもりだったのだが、家内から見れば、私の協力の割合が低かったらしいのだ。

そうそう、昨年4月12日に誕生した Tちゃんの母親が初節句の写真を送ってきてくれた。 3月3日上巳の節句に母親手縫いのセーターを着せてもらっての写真である。

 Tちゃんは生後何日目だったか実際に顔を見て、それ以後は写真で成長ぶりを見てきたが、もう前の歯が生えていたなあ。 母親 R子とは30年近い付き合いになるだろうか。 うーん、時の過ぎるのが早いことをまたまた実感しているところだ。

pict-P1050557けんと孫たちの来訪ということでは13日の朝、 Y君夫妻が子ども達を連れて来てくれた。
奥さん( Hさん)が第二子出産のために大分の実家へ帰っていたのだが、無事出産を終えた(4月9日)ので Y君が車で迎えに行き、帰路フェリーで朝方大阪に着き、その足で来てくれたのである。

初顔見せの K君。

誕生後、ほぼ1ヶ月だが父親 Y君の腕に抱かれpict-P1050553樹香て、これは笑顔かな? 元気の良い男の子で伸びをする力の強いこと。

お姉ちゃんの Kちゃんは船旅で疲れたのかグッスリ。 頬っぺたに蚊に刺された跡が残っているが実家のヤブ蚊にやられたらしい。

久し振りに会ったけど、大きくなって、ますます可愛いべっぴんになっていた。

2人の子の親となった Y君と Hさん、育児、子育てと苦労も多く大変だろうけど何がなんでも頑張ってもらいたい。 真っ直ぐ自宅に帰ってゆっくりしたかったやろうに、わざわざ寄ってもらって有難う。 久し振りに Kちゃんに会わせてくれて嬉しかった。 それに K君もや。

5月初めの出来事を少しだけピックアップしてみた。 出来事は沢山沢山あったけど、極々一部だけ。  

 
※ おとなの写真は当人の許諾のある場合を除いて特定出来ぬよう目隠し(黒塗り)を施しているが、乳幼児の場合は変容が大きいので特に配慮はしていない。 ご了承を願う。

    



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メーデー(2012.5.1)に思ったこと

4月末からのゴールデンウィークが、今年は4月28日(土)から5月6日までと最長9日間の休暇となった人たちがいるとか。 5月1日(火)と2日(水)は平日だったが年休を取った人が結構多かったらしい。 

私たちが現役の頃、5月1日をメーデー(May Day)と呼び、働く者たちの祭典として位置付けてきた。

元々は8時間労働制を求めるアメリカの労働者によるストライキ運動が起因となったものだが、1889年、パリで開催された第2インターナショナル大会で決議され、以後曲折はあるも世界各地で労働者の祭典として実施されてきた。 

日本でも大正9年(1920年)に開催されたが、その後悪名高き治安維持法など、戦争の泥沼に引きずり込もうとする軍部や政府によって弾圧・禁止されてしまった。 戦後になってメーデーは復活、働く者の生活や健康、その他の権利を守る要求実現のための祭典として一定の役割を果たしてきた。 労働時間や労働環境の改善、最低賃金法や産休法など労働者全体の福祉向上や権利獲得のために果たしてきた役割は大きい。

しかし、残念なことに主義主張が異なることからメーデーが分裂開催となって以後、年々参加者が減少傾向にあるようだ。 また、それと歩調を合わせるかのごとく労働組合の組織率が低下しているらしい。

労働組合が働く者たちの権利を守る機能を発揮していた頃、経営者側は自分たちの権益を守るために組合員の切り崩しに血眼を上げていた。 それが現代では労働組合に入りたがらない若者が増えているという。  経営者側からすれば有難いことである。 が、こうした風潮を黙って見ているだけで良いのだろうか。 既に現役を退いた私が心配しても仕方のないことかもしれない。 が、現代は格差社会とは言うものの、大多数の人々が平和で安定した生活を享受できている状況は労働組合や革新的政党に結集した多くの人たちが苦労を積み重ねてきたことが大きい要因のひとつであることを忘れてはならない。

俺は俺、私は私と、個人主義を標榜することは構わない。 が、個人主義はともすると利己主義に陥りがちである。 人間ひとりでは何もできない。 協力・協同・協調といった言葉を念頭に、今、メーデーを見詰め直しても良いのではないだろうか。

 


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