July 2012
July 26, 2012
広島 流川 割烹『白鷹』
I 氏は焼き物をはじめ古美術に造詣深く、民芸運動の作家たちの作品、学生時代の下宿(五条)隣に窯があった清水六兵衛(6代)の作品からガンダーラ(インド大陸北西部・アフガニスタンあたり)の仏頭彫刻や仏像レリーフなど蒐集物も幅広い。
現在お寺はご子息が住職を務めておられるが、原爆投下により亡くなった方たち、その方たちを弔う方たちもまた被爆した方たちと、広島に原子爆弾が落とされて以降、年忌を執り行うごとに原爆病で亡くなる人の数が増えていくのが辛く悲しいと I 氏が語るのを何度か聞いている。 今年の広島原爆忌(8月6日)ももう直ぐだ。
そんな I 氏だがお酒を飲むというよりも料理や器をお酒と共に味わう、そうした雰囲気の全てを楽しんでおられて所謂酒飲みというのではない。 酒も程ほどにという好々爺である。
上の写真は割烹『白鷹』の店を昼間に撮影したもので、当ブログFeb 23. 2008で紹介した写真である。 下の写真は今年の4月末の夜に撮影したものだが、デジカメの感光度が良すぎてハレーションを起こし、店名の『白鷹』が読み取れないため上の昼間の写真を添えた。
この割烹『白鷹』へ初めて連れてもらったのは何年前になるだろうか。
初めて連れてもらった時、ベッピンの女将とは以前に会ったことがある、それも親しく話したこともあると思いつつ、同じ人物なら女将も覚えているはずだし・・・と不思議で強烈な印象を持ったものだった。
以後、広島で『白鷹』を訪れ帰宅するごとに家内に話してきたのだが、ずうっと記憶と結びつかないままであった。
割烹『白鷹』は午後6時頃より9時過ぎまで客で混むため要予約の店であると以前に書いた。 時に1人或いは2人分の席が空くこともあるが、私も何度か満席で入れなかったことがある。 日程を決めての旅行の場合、希望する店に入れないほど残念なことは無い。 広島に住んでいて、また明日にでも行けばいいってものではないだけに残念さの度合いも大きいのである。
この日は確か1月の末日ではなく4月26日か27日だったと記憶しているのだが、二軒寄って9時過ぎに『白鷹』を訪れた。 開店時刻直ぐの場合のほかお客が一人も座っていない『白鷹』の店を見たのはこの時が初めて。
家内には『白鷹』がどのような店なのか尋ねられるものの言葉だけの説明では充分でなかった爲、お客がいないという状況だったので女将に写真撮影の許しを得て何枚か撮らせて頂いた。
『白鷹』のお店でお会いする以前に会った、親しく話した、と私が書いたベッピンの女将(写真)だが、細い細い記憶の糸をたぐり、やっと昔の記憶にたどり着いた。 もう30数年前のことになるが、私の先輩で某校の校長の奥さんにそっくり。 うん? どちらがそっくりなのかって・・・ うーーーん、これは難しい。
多分、女将の方がそっくり・・・かな? 校長の奥さんはもう70を超えておられるからなあ。 いや、それにしてもよく似てる。
それはさておき、この日は少しお酒を頂き軽く食事をしてホテルに帰ろうと『白鷹』に寄せてもらったのである。
好みのものがあれば言えば良いが、海の幸は瀬戸内、日本海、山の幸は芸州を中心に旬の新鮮な素材を毎日仕入れているので店の者に任せておけば良い。 ただし、『白鷹』の品書きに価格は表示していない。 海外のレストランでは殆ど無い日本独特と言える『時価』である。 気になる人は尋ねれば良いが、いわゆるボッタクリというようなことのない良心的なお店である。
この日の調理は写真の男前。 彼も『白鷹』での経験は長い。
お店の帳場と酒の燗を担当するのが主人と女将、調理を担当するのが息子さんの洋平氏と写真の男前なのだが、洋平氏は手を骨折したとかで、この日は裏方専門だった。
初鰹が入っていると勧められたのでタタキにしてもらった。
付け合せの玉ねぎ、かいわれ大根、薄切りにしてカラッと揚げたニンニクの香ばしさとよくマッチして美味い。
お酒は白鷹を熱燗で頂いた。
女将の写真で手前に写っているのが昔ながらの湯煎による酒燗器であり銚釐(ちろり)が浸けられている。 棒温度計を入れてあるので、ぬる燗、上燗、熱燗と温度も正確である。 普段、《超》熱燗を注文する私も白鷹や賀茂鶴だから熱燗までの温度で飲む。
銚子も猪口も品の良いものを使っている。 多分京焼であろう。 料理の器も民芸調の陶器や磁器など、これらは女将が買い付けるそうだ。
しばらく休憩に入っておられたのか、客は私ひとりなのに主人が出てきてくれた。
包丁を握る主人の姿は長いこと見ていなかったが、今夜の私の食事『鯛茶漬け』を作ってくれているのだ。
味?
しょうもないこと尋ねるもんやおまへん。
お店へ来て、ひと口食べたら分かることでおます。
ほんま、今回もご馳走さんでした。
胃も休まり気持ち良う寝かせてもらいました。 感謝
July 23, 2012
『酒肆 野一色』 博多・春吉 (2)
博多での私の行動は早朝の散歩と朝食、それに喫茶『LANVIN(ランバン)』でコーヒーを楽しむこと以外に決まったものは無い。 その後は福岡県内各地や日帰り可能な隣県各地を訪れ夕刻には博多へ戻り、友人・知人の店で飲食を楽しむのである。 だから、時には歩き疲れ、時には飲み疲れの状態で店を訪れることもある。
4月末の或る日、『酒肆 野一色』を訪れた折は疲れがたまり前日のお酒が抜けきっていない最悪の体調であった。
淳ちゃんに「胃の調子が悪いから何か優しいものを食べさせて欲しい」と言って出されたものが写真の料理。
胡麻豆腐であったと思うが、葛粉で練られた食感と、かけられたダシ汁の調和がみごとであった。
しかし、朝に味噌汁を飲んでから食べ物を口にしていなかった私にはコレだけでは不足。 もう少し何か食べたいと言って出されたものが鰹だしの玉子雑炊。
これは美味しかった。
胃痛やムカムカ感も治まり・・・・・と、なると、やはり少し飲むかってことに。
この日は30cm程度かな? 頃合いの大きさの煮穴子に茎(葉)山葵を添えたものを肴にほんの少しだけお酒を頂いた。
京都着倒れ、大阪食い倒れ、博多履き倒れなどと言われてきたが、今や博多は大阪の食い倒れや江戸の飲み倒れに取って代わるだけの道楽を楽しめる地になったのではないだろうか。 愚息などは「博多を楽しむなら健啖家でないとあかん」と言うが、私もその通りだと思う。
その健啖家でも、ややひ弱な仲間に入れてもらっている私だが、博多滞在期間を決めているので2夜、3夜と連続して一軒の店を訪れることが多い。 と言っても一晩に一軒で済むはずもないので、2~3軒かな?
つまり3軒訪れるとしたら、飲食の量が一軒あたり三分の一ずつということになる。
『酒肆 野一色』でも開店時刻に入って幾つかの料理と少しの酒を頂いたら他の店に移動するのである。
4月に『酒肆 野一色』を訪れた時の料理を三品紹介しておこう。
上から旬の魚介のお刺身五点盛り合わせ。 グジの炙り、ヒラメ、マグロ中トロ、ゴンアジ、赤貝に菜の花添え。
五島列島の地アジや地サバをゴンアジとかゴンサバと呼ぶ。
中の鉢はアワビの柔らか煮と白子の生姜煮、それに菜の花と茗荷が添えられている。
四角い大皿は伝助穴子の焼き物に焼きタケノコ、それに蒸焼きコーンだったと。
伝助穴子は対馬で天ぷらとして食べた大アナゴのことである。 この大アナゴを好きだからとか珍しいからと食べるのは個々人の勝手。 しかし、私はあまり好きにはなれん。 先ずアナゴとは言えん大味であることと骨がイカン。
アナゴは瀬戸内の30~40cm前後のが、白焼きにしても煮ても焼いても天ぷらでもウマーイのだ。
大阪ミナミに『高砂』という穴子料理専門の店があるが、美味いのは美味い、が、値段がむむむむむむ。 余談デアル。
赤司淳一氏の料理の一部を紹介したが、私は彼の選んだ器や盛り付けに楽しみを感じている。 料理である以上味わいも紹介せねばならないが、残念ながら味だけは写真でというわけにいかない。 興味を感じられたら是非『酒肆 野一色』を訪れご自身の五感で彼が目指す「くつろげる空間」と「心に届く料理」を感じ味わって頂きたい。
『隠れ台所 久岡家』で磨いてきた調理実践に加え、アメリカでの料理提供経験などから広い感性を身に付けた淳ちゃんに更なる向上を期待したい。
July 20, 2012
『酒肆 野一色』 博多・春吉 (1)
開店の案内状には「くつろげる空間」と「心に届く料理」を提供したいと、そのため日々の精進を絶やさず積み重ねていきたいと淳ちゃんは書いていた。
淳ちゃんこと赤司淳一氏だが、彼も春吉の『隠れ台所・久岡家』の厨房で腕を磨いていた一人である。
彼の店の開店祝いに是非行ってやろうと決めていたのだが、開店日に間に合わなかったばかりか、一日二日一週間と延び、とうとう半年を経て今年の1月末、韓国から対馬を経て博多に戻ってきたのを機に訪れることができた。
『酒肆 野一色』は国体道路・春吉交差から南へ3筋ばかり行ったところにある「やいてあげて」の2階になるのだが、2階への間口が狭いために気付かずに通り過ぎてしまうこともある。
店への階段を上れば洒落た表札と赤いドアが迎えてくれる。
道路に面した間口の生け花、白色を基調とした階段や壁。 そして写真のような入口と、何だかクラブかバーを想像させるような店構えで少し驚いたというのが初めて訪れた時の印象であった。
店内は厨房部と向かい合うように6席程度のカウンター席と4人掛けのテーブル席が4つ?だったかがある。
今年の1月末と4月末、通算して4回だか5回だか寄せてもらったが、淳ちゃんが目指す「くつろげる空間」と「心に届く料理」については概ね満足できた。
しかし、淳ちゃんが掲げた目標の「寛げる」にしろ「心に届く」にしろ、これは感覚、つまり客が感じることであって強制的に感じさせることの出来るものではない。 勿論、淳ちゃんは客に感じてもらえるように努力したいということを言っていることは分かるのだが・・・
ある客は静かに料理を味わいつつ酒を楽しみたい、別の客は酒を飲みながらワイワイしゃべることを楽しみたいグループであったとしよう。 この二つの客はどちらも「寛げる」空間を求めているのだが「寛げる」意味合いが互いに異なっていることは明瞭である。 つまり、淳ちゃんは目標を達成し得ないことになってしまう。ぶっははははは
淳ちゃんを貶す(けなす)つもりは更々無い。理解頂けると思う。 だから私は極力開店時刻スグに店に入るようにしている。最も静かな時間を確保できる確率が高いからである。
店名『野一色』は良いとしても、淳ちゃんは『酒肆 野一色』と名付けたんやさかいになあ。 『酒肆』と書いてシュシと読む。 『肆(シ)』の意味は『店』やさかいに酒を売り飲ませる店ということになる。だから酒を楽しむ客が来て当然。 酒の味わい方や楽しみ方はいろいろ。 私の場合、料理を味わいながら酒をちびりちびり静かに楽しむ・・・・・淳ちゃんが知っての通り、単なる酒飲みオジンではない。
初めに少しのビール(どこかのバーでカクテルを飲む場合もあるが)を頂いてボチボチ・・・
『酒肆 野一色』では珍しいサッポロのエーデルピルスを提供していた。 このビールは程良い苦みがあってウマイのだが、まあサッポロは大体において美味い。 アサヒもキリンも昔のラガーは美味かったんやが、搾ったとかドライやとかは感心せん。 まっ、どうでもええこっちゃがエーデルなピルスやと。名前までエエがな。
1月末に寄せてもろうた時は、久し振りに淳ちゃんの出汁(だし)を味わいたい言うたんやったなあ。
そしたら白アマダイの吸い物をつくってくれたんやった。
美味しい出汁に焼いた白グヂの味わいが融け込んで、ほんのり柚子の香りととも頂いた汁は勿論、豆腐も菜の花も美味かった。
その後でお造りをいろいろと盛ってもらったんやったかな。
トラフグのてっさ、白グヂの炙り、車海老、水イカ・・・
それにイカの鉄砲?詰め物もあったなあ、チョロギを添えて。
赤く染められたチョロギが添えられてたんで、未だ1月やったんやなあって思うたがな。 私の感覚的なもんなんやが旧正月は2月初めってのがあって、旧正月を過ぎて博多へ来てるさかい・・・ははははは、頭のカレンダーも腕時計と同様に修正しとかんならんと思うたんやった。
半年も前のことを今頃書いて堪忍やでえ。 思い出しながら書いてるんで記憶違いのこともあるやもしれん。 けど、料理素材については地元の新鮮な旬のものを揃えているし、調理については温故知新、日本料理の伝統を基礎に新しい方向性をも求め、客の心に届く料理をと日々研鑽に努めている様子が窺える。 器の選択から盛り付けに至るまで、店を訪れたなら分かることだと思う。
もっとも料理を味わうとは、私は以前から書いていることだが、客を店に迎え入れる段階から店を出る客を見送るまで全てをひとつのものとして感じ取ることだと思っている。
これは個々人の感覚によって受け止め方は千筋にも万筋にもなり一様ではない。 私は78点ぐらいの『良』の評価としたいが、80点の『優』とどこが違うかと問われれば説明が難しい。
物事には良いか悪いかという判断項目があるが、良くないイコール悪いで、悪くなければイコール良いということには必ずしもならないもので、良し悪しの間にはどちらとも評しがたいグレーな部分というのがあるものだ。
最近の日本人は企業論理の結果主義を尊崇する輩が増え、何でもかでも良いか悪いかで判断しよる。黒白をつけるというのは分かりやすいし見やすいのは確かだが、こうした思想には何か危うさを感じる。
『良い&悪い』は『出来る子&出来ない子』という見方にも通ずる。 話題から逸れるので元に戻すが、つまりは感覚的で説明し難いグレーな部分というのはあるもので、『百聞は一見に如かず』である。 興味を持たれた方には是非とも自分の感覚で確かめてもらいたい。
※ ちなみに上の写真は『出汁巻』であるが、淳ちゃんの作品ではない。 『酒肆 野一色』の厨房で学ぶ若者に焼いてもらったものである。 失礼だが玉子焼き大好き人間の私は68点の『可』をつけさせてもらった。 以前はスペイン料理店で働いていたらしいから調理に対する感性ということでは立派なものを持っているのだろう。今後が楽しみである。
July 15, 2012
蒸し暑いなあ・・・
早くに卵からかえったスズムシはリーンリーンと涼しげな音を奏でていた。
しかし次々成長していくため何匹もが鳴きだすと雑音に変わる。
アブラゼミでも1匹が鳴いているなら夏の風情を感じるところだが、何匹ものセミが鳴き始めるとウルサイとしか思えなくなる。
スズムシも全く同じことなのだ。
土の中の白い卵からかえった幼虫がナスビを食べている。
土中の卵から同時にかえるのではない。 1日2日とずれてかえるために幼虫の大きさも一定ではない。 スズムシの世界でも小学校就学と同様に早行きと遅行きがあるようだ。
今年は午前中の日当たりが良い東側にもアサガオを植えてみたが、ツルを伸ばして花を咲かせてくれている。
差し込む陽光を多少減らしてとの思いに忠実に応えてくれている。
濃ピンクに斑入りと大輪アサガオの花が見事である。
しかし好みで植えたはずの紫や濃い青色の花が咲いてくれない。
某有名種苗屋の袋入りの種だったのだが、ちょっとがっかりである。
南側の縁にはレイシ(ゴーヤ)とアサガオを葦簀代わりに育てている。
昨年はツルさえ伸びれば良しと思っていた程度だったが、今年は欲張ってゴーヤの実を採ろうと毎朝筆を持って受粉させている。 ゴーヤは雄花と雌花が別々に咲く。 花はどちらも黄色いが咲く数は雄花の方がはるかに多く、花粉をいっぱい付けた雄花は1~2日で直ぐに散り落ちてしまう。 雌花はガクの後ろに小さなゴーヤの実に似たものを付けていてメシベでの受粉を待っている。
写真は雌花。 受粉後にキュウリのような部分がどんどん大きくなる。
実が成っている一部を写真で紹介しよう。
まだまだ太り伸びるのだ。 筆で受粉させているので今年は沢山の収穫になりそうである。
さて、梅雨もいよいよ終期に入ったようだが、九州では大変な被害を受けているようで心よりお見舞い申し上げる。
今朝は4時59分、博多・祇園山笠の追い山のスタートだったが雨はどうだったのだろうか。
例年、京都の祇園祭、そして大阪の天神祭が過ぎれば関西は完全な梅雨明けとなる。 カラリとした暑さなら少々気温が高くても大丈夫だが、蒸し暑いのはかなわん。
電力不足云々、今日は我慢できずにエアコン(冷房)のスイッチを入れてしまった。
July 08, 2012
博多 ・ 《 味処 遊膳 》 つづき
博多 ・ 《 味処 遊膳 》は割烹料理店であり、お店を紹介するなら料理を切り離しては紹介したことにならない。 しかし料理だけ紹介しても、それは象の寓話に似て充分とは言えない。 つまり象の形状や大きさを理解するためには鼻だけではダメだし、耳だけでも尻尾だけでも不充分であるということだ。 と言って、どこまで紹介でき
るかと問い返されても写真と文だけでは限界があることも充分承知している。
そうしたことを踏まえ少しでも分かってもらえるよう些末な事も書き加えつつ 《 味処 遊膳 》の紹介を続けてみたい。
写真は今年1月25日に訪れた時のものだが、稲益氏と女将E子さん、それと真ん中に若い女性が写っている。 彼女は以前 E 子さんが勤めていた春吉の『隠れ台所 ・ 久岡家』の厨房にいたが、『久岡家』が閉店したことから日本料理を学ぶ目的で《 味処 遊膳 》において稲益氏の指導を受けているのだ。
※ ちなみに『久岡家』は1年近い休業期間を置き場所を変えて再開している。
ところで《 味処 遊膳 》が作っている『手づくり昆布漬めんたい』がテレビ番組『どっちの料理ショー』に取り上げられたことがあったらしい。
テレビをあまり見ない我が家のことゆえ『どっちの料理ショー』という番組内容がどのようなものか知らず、『手づくり昆布漬めんたい』というのも食べたことがなかったのでモノは試しとお酒の肴に出してもらった。
明太子(めんたいこ)=メンタイは赤色の唐辛子風味との先入観を持っていたため出された『昆布漬めんたい』の色の薄さに先ず驚いた。 正直なところ、これでメンタイかい?という感じであった。 しかし食べてみると赤い色が薄い分だけ辛味が抑えられているのか昆布だしのまろやかさが舌に優しい味わいを与えてくれたのだ。
写真は地方発送用のパックもの。 細く切った真昆布が沢山入っているので手間のかかる仕事だと感心していると、昆布の代金が高いので利益率が悪いのだと。 おいおい、それは私に言うてくれるなと思いつつ、さもありなんと思うほど昆布が沢山入っていたのだ。
私は辛い明太子が好きなのだが、昆布だしに少量の醤油が加わった(多分)『昆布漬めんたい』もなかなかのものだと感じた。 この時は酒の肴として頂いたのだがご飯のおかずとしても勿論良いと思う。
《 遊膳 》は割烹店だからいろんなお酒を置いている。 でも私は日本料理には日本酒が一番合うと感じているので割烹店では大概日本酒を求めている。 これは感覚的なことだから『私は』と書いたが、料理や素材・調理法、或いはその時の気分で焼酎にすることもあればワインを飲むこともある。 が、総じて日本酒、それも辛口の酒を好んで求めている。
大阪や京都の料理屋でも我が家でも春鹿の超辛口を飲むのだが、《 遊膳 》にも春鹿の超辛口が奈良の酒としてメニューに載っていた。
春鹿の超辛口は奈良の今西清兵衛商店のブランドだが、料理と競合したり喧嘩するような酒ではない。 料理との相性という意味合いでは、多分どのような料理とも合うお酒であると私は思っている。 それに、料理を楽しんだ後口をサッパリしてくれると言うか、もう一度料理を味わってみてはいかが?と箸をすすめてくれるような酒でもあるのだ。
今西清兵衛商店は『春鹿地酒便り』という季刊の宣伝紙を発行し、5代目蔵元自身が各地の料理屋を訪れた時のことなどを記事にしているのだが、 《 味処 遊膳 》の訪問記も掲載されたことがあるらしい。 が、その当時は私と《 遊膳 》とのつながりが無かった頃で、残念ながらその記事は多分流し読み程度であって記憶に残らなかったのだろう。 博多の料理店の記事を読んだような気がするだけで思い出せないのだ。
今年の1月には二度《 遊膳 》に寄せてもらったものの料理の写真は撮らなかった。 1月のメニューには『あら』の刺身に鍋、『寒ブリ』の刺身に焼き物、『トラフグ』の刺身(てっさ)・鍋(てっちり)などが書かれ、そうそうフグの白子も立派なのが幾腹もショーケースに並べられていたが、4月に寄せてもらった時には『タイ』『アジ』『イサキ』『水イカ』『稚アユ』に『筍』とメニューの内容も季節の変化を感じさせるものに変わっていた。
先に掲げた写真の先付は辛子蓮根、海老手毬寿司、鰯煮付け、銀ダラ西京味噌漬、それに魚の練り物の照り焼きの5点盛りだった(と思う)。 次の写真は小鉢に盛られた鯛と水イカの刺身。
これらを酒肴に昼日中から随分気持ちが良くなってしまったが、仕上げは唐津の地ウニを盛った『生うに飯』。
萩焼の夏茶碗のような器に一膳分ほどのご飯が盛られ、その上に海苔を敷き唐津の地ウニと鶏卵の黄身が載せられている。緑色のは浅葱(あさつき)。
コレステロールの塊のようで私の食事としては良いものではない。
『生うに飯』を頂く前にこの写真を主治医に見せたら即座にダメダメと叫ぶだろう。
孔子家語に『良薬苦於口、而利於病』とある。 古来「良薬は口に苦し」と言われている言葉の出典だが、口に美味しいものは毒とまで言わないまでも余り体に良くないものが多いようだ。 などと書けば《 遊膳 》の稲益氏には恨まれることになるかもしれない。 これは私の健康管理上、主治医から指導を受けている個人的なことであり、お店や料理にケチをつけるつもりなど毛頭ないので念のため。
ははははは、「毛頭ない」という表現は「いささかも無い」とか「毛の先ほども無い」という意味合いで用いるのだが、「毛・頭・無い」という三つの言葉に常に引っ掛かりを覚えるのだ。 ひがみ心のせいだろうか。ぶっははははは。
『生うに飯』をもっと大きく拡大してみよう。
写真を見ただけで涎(よだれ)を出し、お腹がググーと鳴る人も多いのではないかと思う。
鮫皮で下ろしたばかりの香り高い山葵を載せ、少量の醤油をかけてスプーンで混ぜて口へ運ぶ。 途端に口の中は柔らかなウニの食感とともに磯の香りが広がり山葵が鼻に抜ける。 これで不味いわけがないのだ。
もっとも40に近い息子たちの昼食弁当が4~500円だと聞いている。 そのことを思えば大変贅沢なご馳走である。 弁解がましいが、《 味処 遊膳 》の料理、つまり稲益氏がどのような料理を提供されるのか、それを知りたいがため極々たまに贅沢をさせて頂いたということなのだ。
デザートには写真のようなイチゴのゼリー寄せにアイスクリームを載せたものを出して頂いた。
いやもう大満足であった。
私は『料理は人柄を表す』ものであると思っている。 などと大上段に構えてしまうと次は刀を振り下ろす以外になくて継ぐ言葉に迷ってしまうのだが、茶人がよく使う『一期一会』という禅語が調理する者、配膳する者、客という三者を結び付け説明するのに最も適当な言葉であると常々思っている。
随分以前に『料理(店)を論ず』(February 05, 2007)で利休の弟子・山上宗二記に触れているのでここでは省くが、自分の知識や技術を基礎にして「いかにして満足してもらえるか」、この命題に対して真剣に取り組むのが調理する者の姿勢であり、その意図するところを汲み取って応接するのが配膳する者の姿勢であると私は思っている。 そして客もまた、ただ漫然と食欲を満たすだけのために喰らい飲むようなことではダメである。
仏教では人の心や行動を戒めるのに『三毒五欲』という言葉をもって表しており、三毒とは貪(むさぼること)瞋(いかること)痴(迷うこと)を言い、五欲とは財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲を指す。
なに? 食欲も入っているのかと疑問に思う人もいるかもしれない。 食べなければ人間は死ぬしかないのだから仏の教えでは死ぬことを奨めている・・・・・なーんてことは勿論ナイナイ。
調理するには素材が要る。 魚介であれ根菜であれ根元はヒトと同じ生き物である。 言わば命を頂いて調理した結果が料理であり、料理は人の五感を通して人の心と心を結ぶ働きをするものである。
客に料理を提供させて頂ける。 その料理を食べさせて頂ける。 調理する者も頂く客も共に人生で一度の機会であることをしっかり心して料理に向き合う姿勢こそ『一期一会』の精神であり、料理を介して人と人が打ち解ける。 そうした意味合いに於いても《 味処 遊膳 》の稲益氏との邂逅は満足できるものであり、彼の奥さんで《 遊膳 》の女将となった E 子さんとのつながりを思うと、人の世の縁というものには心底不思議さを感じるのである。
笑顔で送って頂いた《 味処 遊膳 》の皆さん方の更なるご精進を祈念し、併せてブログでの紹介が大変遅れてしまったことを詫びておきたい。