August 2012
August 28, 2012
懐旧の集い三連 その3 の B
炎天下の長浜の町の見学を終えて私たちはJR長浜駅の西口に集まった。 昼食を予約していた北ビワコホテル"GRAZIE"からの迎えのバスが待機してくれていたからだ。
ホテルまでの移動は僅かな時間なのだが、冷房の効いた車内は将に天国。 ホテルの名前じゃないが、待っていてくれたドライバー氏に「グラーチェ、グラーチェ」。
さて、この北ビワコホテル"GRAZIE"がいつから営業しているのか私は今回訪れるまで全く知らなかった。 と言うのも湖東、湖北、北陸(取り分け福井市)は行こうと思えば何時でも行けるからと、これまで旅の通過点であり、立ち寄ることも目的地にすることも無かった土地だったからである。 未だに私が訪れたことのない県庁所在地が3市ある。 その県下にある町や観光地などは訪れていても県庁所在地に立ち寄っていないのである。その3つの内のひとつが福井市であり、他は群馬県前橋市と栃木県の宇都宮市である。 いつでも行けるということ以外に、当該の市には悪いが訪れたくなるような魅力に乏しいのである。
コレハ私ノ個人的興味ト関心ニ因ルモノデ当該ノ市ヲ悪ク言フツモリハナイ。念ノ爲書キ添エテオク。
写真の I は後輩だが福井市の中心に住まいしているので、幕末の宰相の一人・松平春嶽に関わる遺跡などは沢山保存されているのか問うてみたところ、結構アルアルといった返答だったので、デハデハ福井へ行ってみようかという気に少しなっている。
話が横道へ反れてしまったが、長浜港に隣接して建つ北ビワコホテル"GRAZIE"はイタリア・ヴェローナをイメージして建てられたリゾートホテルだというのだが、ロビーに入った途端、なるほど、と思えるインテリアに満ち満ちていた。
ホテルの全景を写真に撮りたかったのだが無理だったのでウェブページの写真を拝借したが大きく立派な施設であった。
私たちは昼食のみの利用で部屋を借りたのだが、日本料理"竹生島"の料理は値段の割に先ずまず満足できる内容であったし、部屋を担当した若いお嬢さんの接客姿勢もすこぶる良いもので、私たちの懐旧の場を一層素晴らしいものにしてくれた。
強いて言えばビールの銘柄についてお嬢さんに注文をつけたが、この件については直ぐに解決してくれたので、この件についても好印象をもった。 実は宴席にアサヒとキリンしか用意してなかったので、私はサッポロが欲しいとお嬢さんに言ったところ置いてないという返答だったので、「このホテルは立派な大きいホテルだから置いてないということはないはずだから尋ねておいで」と、お嬢さんに言ったのである。
心の中では「このオジン、うるさい客だ」と思ったかもしれないが、それから暫くして「ございました」と笑顔でサッポロ黒ラベルのビンを私の席に持って来てくれたのである。 勿論手間をかけたことに対する感謝の言葉を私が語ったのは当然のことだが、彼女もうるさいオジンが満足してくれたことで心の中も笑顔になったことだろうと信じたい。 僅かな対応で客の心証は変わるものである。 日本料理"竹生島"で提供できるお酒の銘柄は勿論だが、提供される料理や素材まで悉皆知るには彼女はまだまだ若すぎる。 が、こうした応接の場を沢山踏むことでお嬢さんは更に更に力量を身に付けていくことだろう。 是非ぜひ頑張ってほしいものだ。
40数年前、私たちも上席の者から期待されていたのであろう、この宴席担当のお嬢さんのようにだ。
ところがところが40数年というのは随分の歳月である。
「えーと、あれは・・・、何やったかなあ」「ほらっ、アレ、アレやがな」「何かしよう思うて・・・、何をするつもりやったんやろ」
こうしたチョイボケが随分多くなったことをこの会の出席者は皆自覚していると思う。 立って語っている K (写真)のことではない、念のため。
(しかし、左隣の O はフフフ、右隣の Y は俯いてクスクス、右端の I は怪訝な視線を K に向けているので・・・)
K とは互いの子ども達が小さかった頃、家族同士奈良で会っているので40数年ぶりということはないが、それでも30数年ぶりになるだろうか。 学生時代にはポニーテールの髪型で白いブラウスに黒のスーツと典型的な女子大生の恰好をしていた。 この恰好は左隣の O も一緒であった。 当時 K は背が高く、私より高かったように記憶している。 そのためもあったのか黒いロウヒールの靴を好んで履いていたように思う。
ところがこの日、 K を目の前にして思わず語り掛けた言葉が、「背が縮んだか?」であった。 私も学生の頃からすれば1~2cm身長が低くなっているのだが、その私よりも猶低く感じたのだ。
モノクロームの写真は京都西方・愛宕山へテントを担いでキャンプに出かけた時(昭和41年夏?)のものだが、私より K の方が脚が長く背丈も勝っていたことが分かる。 ついでに、この時ぞと書いておくが、当時私の髪の毛はふさふさしていたのである。
忘れかけた(失礼)頃、思い出したように通信をくれることがあるが、メキシコへ行ってきたとか京都グランヴィアホテルに泊まっていたとか、名古屋の某大教授になっている旦那の学会出張にくっついて行ってるのかもしれない。
写真右端が姫路の財閥(?) T 。 隣は福井の I 。 彼は私の1年後輩、教育学の専攻であった。 そして今回私の唯一タバコ仲間であった。 その隣が三田市の Y 。 T と Y は私が国鉄を利用した時に交流があったくらいで学部も違っていたと・・・。 女性陣は右から K 、O、S、I 。 いずれも学生時代の呼び名で K と O については先に触れた。
S と I は私より1年後輩で國文学の専攻だったと思うが、 I については学生時代の記憶は一切無い。 つまり言葉を交わしたことも無ければ彼女の姿そのものの記憶が全く無く、今回の集いで新しい縁を結んだということになる。
京都・宇治の H と程近い所に住まうそうだが、 Hにしても初めての出会いとなった。
写真上は I 。 下が S 。
S は私と渡辺(故人)と山口が主宰していたサークルに属していたこともあって、彼女については比較的よく知っている。 その S と I は学生寮が同じで大変親しく、 S の子息が京都の下宿で急病に陥った時、福井に住む S の電話依頼によって I が母親代わりに第一次的看病を行ったというのだから、この二人の親しさは推して知るべしだ。 そんな S と I なのに、その S をよく知る私が I を全く知らなかったというのも不思議だが、これも縁というものであろう。
写真は昭和42年(1967年)8月、青森県下北半島の観光経済的発展の可能性を考究するため10日間にわたる半島全域実地調査を終え、調査本部むつ班、脇野沢班が大間班に集合し、第二大函丸で函館へワンデーツアーを実施した時のもの。
「どや、懐かしいやろ。」―――当ブログを見るって言ってたから昔の写真を1枚だけ。 シャルトル聖パウロ修道女会函館修道院門前での S である。 S の当時の実家は福井県丸岡町だったと思うが福井市内の浄土真宗寺院に嫁ぎ、内儀として坊守の務めを果たしているらしい。
上の写真は左から元劇団俳優の S 。 隣は教育学を専攻していた N 。
N はジェンダー教育を研究している奥方とスウェーデン視察をして帰ってきたところだと言っていたが、彼自身も研究テーマにしているのかどうかは知らない。 ジェンダーフリーという言葉がきちんと定義されているのかどうか曖昧さを感じるし、運動体ごとに若干異なる解釈があったり、言葉だけが独り歩きしているような危なっかしさも感じている。 運動体が主張することの中には賛同できる面もないではないが、私の考えとは随分違うようで私自身学習意欲が湧かないので N ともこれを話題に話すことはなかった。
立ち姿で40数年の自らの道程を語るのは、すっかり説法口調が板についた湖東・浄土宗寺院の住職 F 。
F の右手が台風のために台湾からの予定便が欠航となり、前夜遅く別便で帰国し休息もそこそこに集いに参集した H 。
そして私を挟んで右端が N である。
N はインテリア関係の事業を営んできたが、現在実質的には息子が経営しているらしい。 彼とはどういう訳か学生時代から親しくしてもらってきた。 人付き合いにおいてはなかなかの雅量の持ち主であり、私の我がままなど全く意に介さない性格ゆえのことだったのであろう。
雅量と言えば私の雅号である雅亮も共に読みは『がりょう』である。 これはツマランことだが、懐の深さ広さといった点では N の方が遥かに上手と思っていたのだ。 ところが何だか学生時代の研究会における怨念?を未だに持ち続けていることがあると聞き、 N の度量も大したことはなかったかと・・・ぶっはははは。
ともあれ今回の懐旧の集いを終えて古いアルバムを開いてみたが、やはり、むむむむむ。
記憶にある像も結構鮮明だが写真というのはホンマ正直やと思うた。
覚えているかどうか、右端が N だ。 隣が K 。 そして私と左端が S である。
確か興正寺の境内だったと思うが・・・
40数年前、ぶっはははは、互いに若かったなあ。
琵琶湖・竹生島巡りについて、もう少し続きを書いてみよう。 懐旧の集い三連 その3 の Cに続く・・・
August 26, 2012
愚息を偲ぶ会(10年祭) お礼
親族だけだから我が家で行っても良かったのだが、高齢の叔父や叔母の体のことなどを考え合わせ、今回は大阪市内の某ホテルの部屋を借りて偲ぶ会を催した。
遺影に対して、いささか宗教的儀礼ではあるが献花・献杯という儀式を執り行い、その後出席頂いた者たちによって個人を偲びつつ互いに懇親のひと時を過ごしてもらった。
自分も含め周りの者たちが楽しく賑やかにしてくれることを好んでいた愚息ゆえ、きっと喜んでくれたことと思う。
残暑厳しい中、遠路はるばる参集して頂いた皆さんには心より厚くあつく御礼を申し上げる。
来週は愚息の大学時代の同輩や後輩たち、それに会社に勤めていた頃の同僚たちが集うてくれる偲ぶ会を某ホテルの広い部屋を借りて執り行うことになっている。
10年経てば独身であった者も新しく家庭を持ち、子どもも出来ている。 ひと口で10年と言うが変遷の度合いは大きい。 偲ぶ会を開催するも、人数的に最早我が家では収容しきれない。 愚息を偲び、私たちのことを思って寄り集うてくれる彼らには感謝、感謝である。
みんなが等しく楽しんでくれる場になればと願っている。
August 25, 2012
嬉しゅうて嬉しゅうて
S 朗はオトコマエやし、 I 子はベッピンやさかいに目隠しなんかしとうない。 むしろ沢山の人に見てほしいぐらいなんやが、彼らの仕事の上で支障を来すようになってはいかんので止む無く・・・
S 朗の紋付羽織に袴、それに I 子の白無垢に綿帽子。 彼らのこの装いを見るのにどれだけの年月を待ったことか。
2人が知り合って、もう10年過ぎたかなあ。 あの頃は二人とも20代。 相思相愛の間で実態は夫婦やが入籍してなかったさかい民法上は赤の他人やった。
素封家の坊ちゃまに有りがちな優柔不断、優しいのは優しい、これは彼を知る者すべてが感じる S 朗の人となりである。 それが災いしたというか、父親らの反対に屈し、 I 子と同棲生活を送りながら I 子の法律上での立場を確立してやることなく長い年月を過ごしてきた。 I 子が年上なので姉さん女房というわけだが、不足を言うでもなく、これまでよう辛抱してきた。 このことをもってしてもええ嫁やと言える。
これまで船長(第三共進丸)と私が何度となく条理に適う道を説き、その都度約束までしたこともあったが悉く裏切られてきた。 近い話では一昨年の12月に「クリスマスに入籍だけします」と私と約束しておきながら反故にしている。 そして昨年の12月、突然「結婚式を挙げることにしました」と。
そして今年1月29日の写真に至ったのであるが、幸せな二人の写真が私の手許に送られてきたのは8月に入ってからのことである。 S 朗と約束しても直ぐには果たしてくれない。 長いのは10年にもなるのだから。
が、もういい。 S 朗と I 子の幸せそうな写真を見て、オジンは嬉しゅうて嬉しゅうて。
S 朗はアカンタレやのうて、きっと、父親や親戚など全ての人たちから祝福されるように10年もの歳月をかけて彼等を説得し続けてきとったんやって理解することにした。 更に幸せになりや。
August 23, 2012
懐旧の集い三連 その3 の A
ここに結集した面々は同窓という大きい括弧で結ぶことはできるが、個々の繋がりとなるとソシオグラム風に相関関係を図式化するのも複雑で難しい。
今回は N (私は T とも呼ぶが)と K が会合を思いつき企画してくれたが、この集いに参加した者は同期ばかりではない。 年齢の上下差4年。 専攻分野も国文学・英文学・社会学・教育学・経済学・経営学とバラバラ。 所属していたクラブやサークルも異なる。 自宅から通っていた者、下宿住まいだった者、学生寮に寄宿していた者と住まいも違っていた。 出身地も福井、滋賀、京都、大阪、兵庫、宮崎と飛んでおり、そもそもの繋がりの起因となったことを特定・一定することが出来ない何とも妙な集団なのである。
ともあれ写真の京都タワーが建築・完成・営業開始した頃、共に京都で学んでいたことがこの不思議な集団の共通項と言える。
京都の町にそぐわないと反対した京都タワーだが、竣工して既に 48年、いつの間にか京都(駅前)の顔となってしまった。
顔と言えば京都駅も変わってしまった。 写真右下が中央郵便局。 隣が京都伊勢丹、続いて京都駅中央口、手前がホテル・グランヴィア京都と京都劇場。
京都へ暫く来ていない人のため、8月4日の朝8時50分頃の京都駅前を写真で紹介しておく。 既に太陽は高く昇って陽射しが厳しく、日陰を選んで動かないと朝から全身汗みどろになってしまう。 京都の夏は取分け暑い。
この日40数年ぶりに会う者もおり、遠足前夜の子どものようになかなか寝付けなかった。 早朝より気もそぞろな私の様子を察知したのか、息子が最寄駅まで車で送ってくれた。 そのため電車の接続が良く、約束していた時刻より1時間も早く京都駅へ到着していたのだ。
今回 N と K が集いの呼びかけをしてくれたのだが、呼びかけに賛同した者たちが愛知・福井・滋賀・京都・奈良・兵庫の各県に住まうため、皆がほぼ均等に寄り集える地理的条件を考慮して『近江・長浜と琵琶湖・竹生島巡り』を企画してくれたのである。
最も距離が遠かったのは姫路の T だったが、昔と違い今は大阪を中心に姫路・米原間は新快速や快速の本数が多く、北陸圏や東海圏からの移動よりも近いと感じたはずである。 それでも姫路・京都間を新幹線を利用したと言うのだから T は財閥?
F (私は S と呼んでいた)は父親の跡を継いで湖東の浄土宗(知恩院)寺院の住職をしているが、彼の剃髪した頭を見るのはこの日が初めてであった。 小柄でスマートな奴だったが、40年も経てば私と同様しっかり腹が出とる。
まあ兎に角こうして名古屋・福井以外の者全員が京都駅から近江・長浜まで共に行動することとなった。
年相応の変化、これはどうしようもないが、久し振りに交わす口調は40数年昔のまんま。 しかし、40数年の間にはそれぞれ苦楽交え様々な経験をしてきており、話の内容には深みを感じさせられた。
S は東京の某有名劇団に所属して演劇やテレビで活躍していたが神戸に戻り会社員生活を送ってきたとか。 S は今もダンディーでハンサム、それに礼儀正しい常識人であり、訳の分からんミーちゃんハーちゃんがテレビで幅を利かす姿を見るにつけ彼の芸能界引退を残念に思うのである。
O は住職と結婚。 その後阪神淡路大震災で寺が被災、ご主人が他界したため自ら第十八代住職を継ぎ、その住持職をしばらく前に長男に承継させたのだと。 現在は十九代住職となったご長男の嫁探し。 今様に言えば息子の『婚活』をしてるのだと語っていたが、そう言えば愚息も不惑を目前にしているのだ。 住職継承法要の時の写真(左)を持ち歩く O の気持ちが良く分かる。
ちなみに彼女が住職を務めていた香雪山無量寺は天文八年 (1539年)西本願寺末寺として僧玄智が開基したという古い歴史を有する寺である。
さて、長浜であるが近江と北陸を結ぶ北国街道の宿場として発展してきたが、やはり豊臣秀吉との結びつきを思い浮かべてしまう。
秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃、小谷城の浅井長政を織田信長が攻めた。 この時に攻め手の藤吉郎は信長の妹で長政の妻であった"お市の方"と3人の娘たちを落城寸前に救い出しているが、こうした戦功によって浅井の領地をもらい受け羽柴秀吉と名乗るようになった。 そして秀吉は長浜を湖上海運と陸上交通の要の地であると考えて自らの城・長浜城を築いたのである。
長浜を初めて訪れる私は、懐かしい友人たちと出会い語ることを期待しながら長浜の町の歴史をも感じ取りたいと願っていたのだった。 しかし、近世初頭の町並みがそのまま残っているなど有り得ないことで、アスファルト舗装の道、数少ない旧い建物が街道に沿って歯抜けのように建っているだけ。 カンカン照りで吸い込む空気すら熱い上、町の歴史性について私の期待が大きすぎたために長浜観光と言う点では残念ながらイマイチであった。
それでも折角来たのだからと炎天下の町を歩いて巡り、懐かしい立ち話も僅かな日陰を選んで・・・
黒壁ガラス館や曳山博物館など、冷房の効いた施設では殊更ゆっくりと見学。
曳山博物館では豪華な唐織の半裃と打掛が飾ってあり、着用して良いと。 しかも着付けを手伝ってくれるとのことだったし館内の客も私たちだけだったので女性スタッフに着付けをお願いしてみた。
紋付羽織・袴は自分で着ることがあるものの肩衣を着るのは初めて。 それに袴をはくと言っても絹か木綿の布地のもので、今回のような唐織、一般に西陣織と言われるような分厚くゴワゴワした感じの織物の袴をはくのも全く初めての体験であった。
女性スタッフふたり・・・私と歳差の変わらない方たちであったが、前袴の紐を結ぼうとするも紐が短いのか私のお腹周りが太すぎるのか結べない。 友人に紐を引っ張ってもらい、私自身もググッとお腹を引っ込め何とか結び終え、ズボンのベルトにヘラを差して臍下で紐を十文字にと思っていたがオバサン一文字結びにしてくれていた。
この格好で館内見学。 良い経験をさせて下さった女性スタッフ お二人にはこの場で感謝申し上げる。
上の写真は『碁太平記白石噺』の新吉原揚屋の段のセット。 傾城宮城野の顔部分だけ切り抜かれたものだが、私の相手役に H が。
H は滋賀県信楽にある社会福祉施設の理事長兼黄檗山万福寺(京都・宇治)の塔頭寺院の住職である。 もう随分になるが兄上が亡くなられたので住職を継がれ、先年黄檗宗大本山万福寺の宗務総長に選出された。最近は施設の人たちが作る信楽焼を通して中国(台湾)との福祉交流を推進している。
H とは共に恩師が主宰する研究会のメンバーなので年に一度は会っている。 そのため懐かしいという思いとは少し異なるのだが、感情を説明するのは難しいものだ。 40数年会わなかった者に対しても、「やあ、久し振り。元気だった?」と言うように、懐かしいといった感情の含まれる割合が大きいか小さいかの違いと言えるだろうか。
上は曳山博物館のパンフレットより引用した絵だが、神戸町組の『孔雀山』を曳いている図である。 この曳山まつりは秀吉が男子誕生祝いに町人へ若干の砂金を贈り、これを原資に町人たちが曳山を造営して長浜八幡宮の祭礼で曳き始めたのが始まりであるらしい。
現在13の曳山があるそうだが、いずれも上図のような立派な舞台が設えられており、毎年4月15日に曳山の舞台で子どもたちにより狂言が演じられるのだと。
懐旧の集い三連 その3 の B に続く
August 19, 2012
懐旧の集い三連 その2
さて、盆の休みを頂いていたため懐旧の集いの(2)が飛んでしまった。 懐旧の集い(2)は旧制・浪速中学と新制・浪速高校&中学全体の同窓会『聆浪会(りょうろうかい)』の総会のことである。
何十年か以前に作家・藤本義一氏(旧制・浪速中学卒業)が講演されるので聆浪会総会(於 中之島の中央公会堂)に出席したことがあったが、それ以来欠席が続いていた。 欠席が続いていたのは浪速高校や聆浪会に対する愛校心や帰属意識が弱いとか低いというものではなく、その時々の私事の理由によるものであった。
私が知る限り高校同窓会の出席者数はいずれの学校においても少ないというのが実情で、出席者の割合は比較的年齢の高い者が多いのが特徴と言えるように思う。 表題に懐旧の言葉を掲げたが、昔を懐かしむのは高齢者の特権とも言え、同窓会出席者の多くが高年齢層の者に偏るのは懐旧という要素が大きいと私自身も認めるところである。
高校のクラス会や大学の何年度〇〇ゼミの会といった同窓の集いの出席者は案外多く、これは学校全体の同窓会とは異なり、出席しても同年齢の顔見知りで気遣う必要が無いという安堵感が大きく影響しているものと考えられる。
ともあれ学校(大学)全体の同窓会組織の運営企画というのは難しいものであり、会員多数の結集を求めるため総会に加えて目玉となるアトラクションを添えることが多い。
同窓会についてはNovember 07, 2007に『旧きを懐かしむ』のテーマで聆浪会について書いているので詳述は省き、今回のアトラクションに関わって少し書いてみよう。
今回のアトラクションでは日本クラウン(株)の歌手・司よしき氏(写真)が歌を、そして二番手として"Destiny Cloud"という2人のグループによる生演奏と歌が披露された。
私は好んで演歌を聴く方ではないので"伊吹山"という歌も"司よしき"という歌手も知らなかったのだが、司会者の紹介によって私と同期の人であることを知った。 しかし、"司よしき"という人を思い出せなかった。
私にとっては二つ目、転校して2年間在籍した高校であり、2年生の2学期以降卒業期まで生徒自治会活動に携わってきたので随分多くの生徒を知ってはいるが、この卒業年次は14クラス785名が卒業しているので記憶に残っていないのが普通であろう。
帰宅して卒業記念アルバムを開いてみたら、あったあった、半世紀も前の学生服の"司よしき"君。 勿論"司よしき"は芸名であるが、懐かしい顔が、いる、いる。 "司よしき"君の他にもだ。
"司よしき"氏は随分遅い歌手デビューだが、なかなか優しい声の歌い手。 芸能世界は厳しいものだと聞いているが、どうか頑張っていただきたい。
次に生演奏で歌ってくれたのが"Destiny Cloud"(デスティニー クラウド)という二人組。
ひとりはTsutchy (ツっちー、写真左)、もうひとりをASAYAN(アサヤン、写真右)と呼ぶのだと。
風貌から若い人たちなのかと思ったが、紹介内容を聞いているとアラフォーではなくてアラフィフらしい。 はっきりオーバーを使った方が良いのかもしれないが、えっ? ジャストだったかな?
まあ年齢はどうでも良いだろう。 私は彼らのことをストリート・ミュージシャンだと思ったのだが、演奏場所は街角路上ではなくて各地のライブハウスのような所らしい。
生演奏で歌う曲も幅広く、私が好むスローテンポで静かな感じのものからアップテンポで軽いノリの曲まで、なかなか巧みである。
ちなみに8月の本日以降の演奏会の予定は以下の通り。
☆2012.08.19(Sun)☆
~Blue Door 一周年記念スペシャル~
S-pop Live VOL.5@Blue Door(塚口)
尼崎市猪名寺3-2-24
Open/15:00 Start/16:00
Adm ¥2,000(1drink付)
<詳細>
http://www5.hp-ez.com/hp/destiny-cloud/live
■genre music■
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☆2012.08.25(Sat)☆
タコぱdeライブShow♪@SORPRESA(長堀橋)
http://cellcomplex.com/sorpresa.html
大阪市中央区南船場1-16-2 ふぁみーゆ南船場1F
Open/19:30 Start/20:00 End/23:30
★Adm
男性 ¥3,500(飲み放題付)
女性 ¥2,000(飲み放題付)
(※飲み放題終了は23:15)
<詳細>
http://www5.hp-ez.com/hp/destiny-cloud/live
■genre music & gourmet■
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☆2012.08.26(Sun)☆
KIDS FULL SUNDAY VOL.37@SPACE A-Sh(梅田)
大阪市北区神山町14-3アド神山2F
Open/12:00 Start/12:30 End/17:30
Adm ¥2,000
<詳細>
http://blog.livedoor.jp/sdpro/
■genre dance■
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☆2012.08.26(Sun)☆
Booking Live@Matilda(ミナミ宗右衛門町)
http://10matilda01.web.fc2.com/
大阪市中央区宗右衛門町5-11 日宝宗右衛門町エイトビル8F
Open/19:00 Start/19:30
Adm ¥1,000(with 1drink)
<詳細>
http://www5.hp-ez.com/hp/destiny-cloud/live
■genre music■
"Destiny Cloud"の8月ライブ予定は以上の通りであり、彼らのことも宜しく頼みたい。