November 2012

November 28, 2012

みちのく行 (7) 蔵王温泉~お釜

ホテルのスタッフが夕食のお膳を片付けに来てくれた時には熟睡していたらしい。 ベッドに倒れ込んだ途端に眠りに落ち込んでいく自分のことは分かっていたのだが・・・その後は前後不覚。
全くわずかなお酒でぶっ倒れるとは私も弱くなったものだ。 もっとも行動し始めてから30時間のうち、仮眠したのが 2 時間あったかどうかだけだったので無理もない、かも。 

ははははは、例え酒の量にしろ弱くなったと認めるのは癪なこと。 しかし、体力の衰えという老化の道を確実に歩んでいるのは自分自身が最もよく知っていること。 認めたくはないものの認めざるを得ないのが現実であり、せめてその歩みが牛の歩みのようであって欲しいと願うばかりである。

気弱なことを愚痴っても仕方がない。 ともかく前後不覚でしっかり眠れたのであろう、翌朝の目覚めはバッチpict-P1060202リ。 いつも通り 4 時には起きていたのだが、あまりに早いだろうとベッドの中で時間をつぶし、 6 時過ぎに浴衣・羽織に下駄履きという温泉客定番のいでたちで宿の近くを散歩してみた。 

蔵王温泉街と言っても大きいものではない。 なだらかな山の斜面にホテル・旅館・民宿などが点在するが、古くからある旅館や土産物店・飲食店などが集中しているのは私たちの宿『つるや』の横から酢川温泉神社に続く高湯通り(写真)になる。 この高湯通りはきついと言う程ではないが酢川温泉神社に向かって上り坂になっており、神社の石段下に上湯、そしてそこからpict-P1060200下ってきた写真の場所に下湯という共同浴場がある。
 
蔵王温泉の開湯は西暦110年とされ、温泉街に立てられていた幟にも『開湯 1900 年』などと染め抜かれていたが、これは有史以前のことであり当てにはならない。 まずまず伝説とするのが正しい。 しかし山岳宗教、とりわけ大和葛城修験道の広がりを考え合わせれば蔵王温泉の開湯は相当古く遡ることが出来るとは思う。
蔵王温泉はもともと高湯と呼ばれていたそうだが、『高』という字の成り立ちから考えれば高地に湧く湯との意味で使っていたのであろう。 実際に蔵王温泉は標高 880 mあたりに湧き出しているのだ。

写真は『つるや』の温泉利用証だが、これは日本天然温泉審査機構が発行する天然温泉であることの認定証であpict-P1060197温泉利用章る。
温泉というのは温泉源における採取時の温度が25℃以上あるかどうか、或いは総イオウ(S) 1 ㎎ 以上とか炭酸水素ナトリウム(NaHCO3)が 340 ㎎ 以上など19項目の物質のうち、ひとつが基準値以上含まれていれば温泉法における温泉と認められるもので、『つるや』の場合は泉源での温度が52.7℃、含鉄・硫黄・アルミニウムと表記されているので、総硫黄(S) 1 ㎎ 以上、総鉄イオン(Fe2+、Fe3+) 10 ㎎ 以上などが含まれた天然温泉であるというわけだ。

以前は公的機関の温泉分析表や保健所の効能表などが掲pict-P1060201示されていたのだが変わってきているのかもしれない。
以前どこの温泉だったか加水したりして誤魔化していたことがあって以来、温泉旅館業界もそのことを敏感に受け止め『源泉かけ流し』いう言葉を多用するようになったが、この温泉利用証という第三者機関が発行する表を掲げるのも温泉旅館業界の或る意味自衛策(?)と言えるかもしれない。

浴室の写真は下湯共同浴場の内部である。 午前 6 時から午後 10 時までの入浴可能。 入浴料金は確か 200 円と書いてあったような。 町中の銭湯とは違い、入浴料金と言うよりも協力・共益費といったようなものであるはpict-P1060193紅葉ずだ。 私が散歩するような早朝に入浴する人はいないので写真だけ撮らせてもらった。

足元は素足に下駄という格好でカランカランと懐かしい音を鳴らせて歩いてきたのだが、10月も半ばになった東北の山の朝はやはり寒い。

宿の部屋から撮った写真だが赤くなってきたナナカマドとトウカエデ。 どちらも紅葉には未だ少しというところだが、ナナカマドの紅葉はもっと深く鮮やかな赤色に染まる。 裸足で寒いと感じた私だが植物よりは敏感なのかもしれない。 昼夜の気温差が更に広がれば一気に紅葉は進む。 紅葉から落葉へと移るのは植物の自衛である。 水分を吸い上げ枝葉に送り太陽光を浴びて光合成を行うのが植物の生命維持活動だが、気温が低下して水分が凍るのは人間で言えば凍傷にかかるのと同じことで、どちらも細胞が潰れて死に至ることである。 そのため落葉樹は気温の低下に合わせて葉柄の部分をコルク化させて水分や養分の行き来を止めていくのである。 結果、葉っぱに糖分がたまることによってアントシアンという赤色の色素が造られ、私たちは『もみぢ』という現象を見ることになるのである。
さて、宿で朝食を頂いて出発。 蔵王温泉からは蔵王連山に向けて3本のロープウェイが設置されており比較的容易にトレッキングを楽しめそうに思えた。 が、これは又の機会に。

私たちは宿から樹氷通り(県道53号)を通って蔵王エコーラインへ。 
pict-img243蔵王刈田リフト蔵王エコーラインというのは山形県側の上山温泉と宮城県側の遠刈田温泉(蔵王町)を蔵王(刈田岳)越えで結んでいる道路である。 昭和37年に全線開通したとのことだから開通の翌年か2年目に通ったことがあったのだ。 勿論当時はバスに乗ってであったが・・・。 その後息子たちを車に乗せて連れて来たこともあったので今回は4度目ということになる。 これまでは刈田岳の駐車場からお釜の見学に向かったが、今回は刈田岳西方の蔵王刈田リフトを利用することにした。

上の写真は往路のリフトを撮影したもの。 買わされたと言うか、買ってあげたという表現が正しく、求めて買っpict-P1060205蔵王リフトたわけではない。 風が強く随分寒く感じられる状況下で撮影する者と販売するものが仕事をしているのだが、余り売れているようには見えなかったので、ついつい・・・
上は合成写真だが、下は私が家内を撮影したもので合成ではない。

刈田岳の山頂駐車場へは蔵王エコーラインから分かれて有料の蔵王ハイラインの九十九折れの坂道を登らなければならないが、山頂駐車場は刈田嶺神社の直ぐ下に位置しているのでお釜見学には便利である。
pict-P1060218刈田岳(神社)
便利という点では蔵王刈田リフトも同様で、お釜までの歩行距離はこちらの方が短い。 上の写真の高い所が刈田岳頂上(1758m)で刈田嶺神社の祠が建っている場所でもある。 神社の祠の右下の建物は蔵王レストハウス。
お釜は上の写真の左手方向になる。

蔵王のお釜を中心に 4 枚の写真を合成してみた。
pict-お釜合成完了
お釜は火口に水が溜まった火口湖であり、このお釜を囲む右側の爆裂壁の見える山が五色岳(1674m)。
もともとの火山は写真右方向にある刈田岳から、この写真の撮影位置、そして合成写真の左からお釜の向こう側へ回り込んでいるのが外輪山である。

爆裂口であるお釜は写真では手前が低くなっているが、その右下あたりの一層低く窪んだ辺り一帯が元々の火山活動の火口部でカルデラ地形をしていたらしい。 それが後の爆発で外輪山の一部(五色岳の向こう側)が崩れてしまった。 その後カルデラ地形の中央火口丘である五色岳が形成され、お釜を噴火口とする爆発が起き、やがて徐々に水が溜まっていったらしい。 
お釜の底には何か所かの噴気口があるらしく、現在も火山性ガスを出しているとかで直径400mあるという火口pict-P1060217ガンコウラン湖の水は酸性で生物は住めないらしい。

お釜は五色沼とも呼ばれ、光の当たり具合などで湖の色が変わるのである。 今回も写真のように緑色で、この色合いに見えることが多いようだが、私は以前に青みがかった色合いの湖面を見たことがあった。

刈田岳からお釜周辺、そして合成写真の直ぐ左手の熊野岳辺りで見られるのは写真の常緑小低木であるガンコウラン(岩高蘭)ばかりであった。 他にもあるのかもしれないが山頂辺りの土壌や気候条件、それに時期などからすれば見付けられないのが当たり前と言えるかもしれない。
pict-P1060220蔵王リフトからガンコウランと言っても葉はランのイメージに合わないし、小低木と言っても木というイメージは湧かない何ともケッタイな植物であるが、写真のように黒色と言うか濃黒紫色の実を付けていた。 今頃はもう雪に埋もれて長い眠りに入っているかも。

まだ紅葉には少し早いと思っていた時期であったが、写真の通り蔵王の山の高い所では錦秋が幕を上げていた。

この後、蔵王エコーラインを下って山形道・宮城川崎 IC から村田 JCT を経て東北自動車道へ。
いよいよ安倍さんに会うことに。

事前に連絡せず突然に訪れ驚かせてやろうという魂胆である。 
サプライズ・・・ははは、実に響きの良い言葉である。


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November 26, 2012

秋の一日 第二弾 マウリッツハイス美術館展

11月21日、楽しみにしていたマウリッツハイス美術館展を鑑賞するため朝9時前に我が家を出発した。

会場が神戸市立博物館なので8時には出発しようと家内と話してはいたのだが、まあ仕方がない。 いずれの家庭でもよく似たようなものだろうと思うが、開演時刻が決まっている催しに参加したり他の誰かとの約束がある場合などを除き、夫婦で行動する場合は何時と決めていてもこの時刻が厳格に守られることは無い。(ほうが多い)
以前、我が家から神戸(三宮・元町)へ行くには乗り換えがあったために2時間半ほどの時間をみて動かねばなpict-001幟らなかったが、近鉄と阪神が相互に電車を乗り入れるようになってから1時間半程度の所要となった。

展覧会の開館時刻は9時30分。 私たちが会場に到着したのは10時40分頃だったが当日券を求める人たちが入口に長い列を作っていた。 私たちは前売り券を手に入れていたのでスンナリと入館出来たのだが 1 階ロビーは既に人人人でザワザワと騒々しい。 こうした雰囲気を私は好まないので真っ直ぐエレベーターに向かった。

神戸市立博物館は 3 階から鑑賞を始め、順に下りてくるように展示構成されているのである。
マウリッツハイス美術館展は1月6日まで約 3 ヶ月間もの長期にわたる開催となっている。 展示は ① 美術館の歴史、② 風景画 ③ 歴史画 ④ 肖像画とトローニー ⑤ 静物画 ⑥ 風俗画のブースに分けられていた。 

 3 階の第 1 室目に着くと、さすがに 1 階ロビーのようなザワつきは無いものの多くの人たちが鑑賞していた。

これまでにも書いているが、美術鑑賞は自分の興味や関心に合ったペースで行うのが最良であると思っているpict-img237帆船の浮かぶ湖ライスダール私は、1枚目・2枚目・3枚目と展示された順番通りに他の人の移動に合せて行儀良く鑑賞していくような行動は取らない。 家内も同じ鑑賞スタイルなので入口を入れば別行動で出口で落ち合うことにしている。

風景画ではライスダールの『帆船の浮かぶ湖』(写真)などが展示されていた。 
ライスダールの作品は空と雲と湖に帆船を描いたものが多いが、そんな作品の中に点景として鳥を加えたりした画面には奥行きと広がりが感じられ私の好きな作pict-img235聖母被昇天(下絵)ルーベンス-1品が多い。

歴史画ではルーベンスの『聖母被昇天(下絵)』(左の写真)、これは見落とせない。

ルーベンスは沢山の宗教画を描いているが、この『聖母被昇天(下絵)』と同じ構図の祭壇画も幾つか描いている。 

参考までにベルギー・アントワープにあるノートルダム大聖堂の祭壇画を挙げてこう。
pict-ノートルダム大聖堂アントワープ二つの絵は似ているが、異なる箇所を沢山見つけることができる。

例えば聖母の顔のあたりを拡大比較してみると、マウリッツハイス美術館のものとノートルダム大聖堂のものとでは目の向かっている方向や喉あたりの肉付きが全くことなっており、描かれた人物の年齢も違い、ルーベンスは全くpict-img235聖母被昇天(下絵)ルーベンスDetail異なる人物をイメージして描いたのではないかと思うのである。 だからと言ってどうのこうの言うつもりはない。 機械ではないのだから全く同じものを描くなんて出来なかったろうし、ルーベンスなりの何らかの思いや考えがあってのことだろうと・・・
聖母被昇天Detailそれがいったいどんな思いだったのか、想像するのも楽しいではないか。

この歴史画のブースではフェルメールの『ディアナとニンフたち』も出展されていたが、この作品は多分初めて見るもので少し興味を引かれた。
多分初めてなどといい加減な表現だが、記憶というのも思いの他いい加減なもので、沢山見てきた絵を全て覚えているなんて私には出来ないことだ。
pict-ディアナとニンフたち10年ばかり前に大阪・天王寺美術館にフェルメールの作品が数点やってきたことがあった。
この時に『青いターバンの少女』、つまり今回のマウリッツハイス美術館展の目玉作品である『真珠の首飾りをした少女』も展示されたのだが、その折に『ディアナとニンフたち』は来ていなかったように思うのである。
マウリッツハイス美術館へは行ったことがないので見ていないはずなのだが、フランドル絵画の展覧会には行ったことがあるので、ひょっとしたら見ていたかも・・・という何ともいい加減なことで、それで多分と書いたのだが、書いた今も確信が無いのだ。

肖像画の展示ではヴァン・ダイク、ルーベンス、フランス・ハルス、それにレンブラント、フェルメールと巨匠の作pict-真珠の耳飾りの少女フェルメール品がずらりと並んでいたが、フェルメールの『真珠の首飾りをした少女』はやはり今回の展覧会の目玉作品だったようで、照明を落としたひとつのブースに『真珠の首飾りをした少女』の額が掛けられ、近くで見たい人と少し離れて見ても良いという人にブース入口で分けられ、前者は誘導路に並んで順番を待って鑑賞、後者は並ぶことなく自由に鑑賞することになる。 

ワガママな鑑賞を好む私は勿論離れて見ても良い方へ。 離れてもと言っても一列に並んで進む誘導路の人たちの直ぐ後ろからの鑑賞だから離れると言うほど離れるわけではないし、自由に動き回れるのでかえって良かったかもしれない。 それに私は以前にも鑑賞しているので窮屈な鑑賞をしなくて良かったと思っている。

フェルメールはオランダ・デルフトの出身であり、デルフトは磁器製造でも有名な土地である。

そう、デルフトは N の亭主 E が生まれた所だった。 二人が結婚式をデルフトで挙げることに決まった時お祝いに私も出席するつもりでいたのだったが・・・  そうしていればマウリッツハイス美術館はデルフトからそう遠くpict-img236笑う男レンブラントないので、この『青いターバンの少女』ともっと早く出会っていたかも。 古い話になってしまった。   

話を戻そう。
肖像画のブースではレンブラントの作品に興味を引かれたが、中でも一番は『笑う男』と題された作品だった。
pict-老人の肖像レンブラントこの笑顔もさることながら、生き生きとした表情を描き出すために“絵具を積んでいる”のかと思った。 塗るのではなくである。 

次の『老人の肖像』という作品も細部にわたってよく描かれた作品でポートレートとしては好めるものである。

次はレンブラントの『自画像』であるが、この作品は以前に何度か見ている。
pict-自画像レンブラント-1原画だったか美術書だったか覚えていないが、レンブラントとはこういう顔の人なのだと私がイメージしている基礎・根拠となっている絵である。

今回の展覧会の作品は初めて出会ったものが多かったので会場内を行きつ戻りつすることが多かった。 勿論鑑賞者が多かったために空いた場所を求めて見てまわったということもあるが、一度見ても、もう一度見直したいという作品は必ずあるものだ。 

そのように会場を巡りつつ最後の風俗画のブースまで進pict-親に倣って子も歌うヤン・ステーンみ、ここでヤン・ステーンの『親に倣って子も歌う』という作品に出合った。

ヤン・ステーン(Jan Steen 1626~1679)も肖像画や宗教画を描いているが、私が面白いと思っているのは彼の風俗画に属する分野の作品である。 ベルリン国立美術館、ウィーン美術史博物館、それにエルミタージュ美術館(サンクトペテルブルク)でもヤン・ステーンの作品を見てきたが、当時の人々の暮らしぶりを生々しいまでに描いた作品は単に絵画に対する興味だけでなく、当時の人々の生活文化を知るという点でも私の興味・関心を大いに満足させてくれるのである。

この絵は中央で母親が抱く赤ん坊の洗礼を行った時の家族の様子を描いているが、右手の父親が子どもに煙管を咥えさせてニコニコ顔でタバコの吸い方を教えているという、かなり諷刺のきつい作品である。
左手の女性は相当酔っている様子が見てとれるが、私の関心のひとつは彼女の足元にある。 多分、行火(あんか)であろうと思う。 足元を温かくしているということは、この絵の時期は冬ということになり、1600年中頃の人々の寒い時期の服装もこの絵に描かれたことから分かってくる。 一例として挙げたのだが、一枚の絵画を通して読み取れること、そしてまた、そのことから発想を広げることも出来るというようにヤン・ステーンの絵はオモロイのである。

マウリッツハイス美術館展の鑑賞に充分満足して退出。 丁度お昼の時間でお腹が空いてきた。 と、その前にpict-003写真の碑について。
御影石の碑には『春の海の作曲者 宮城道雄 生誕の地』と彫られ、金属板の譜面が埋め込まれている。
碑は三井住友銀行神戸本部ビルの植え込みに囲まれるように設置されており、碑の前に私たちが立つと箏曲『春の海』が奏でられた。
「ええっ? 宮城道雄は神戸生まれやったんか。」
知らないことって沢山あるものだ。 先年、東京の神楽坂一帯を歩き回った折に宮城道雄記念館の前を通ったことがあった。 そんなこともあったものだから宮城道雄は東京の人との思い込みがあり、神戸で生誕の地の碑を見付けて驚きが一層大きいものになってしまった。

さて、久し振りの神戸、やはりお昼は南京町で中華料理でもと思って元町通りへ向かった。
pict-006-A修整こんな時、どの店が美味しいかは地元の人間に尋ねるのが一番と友人 W に電話したところ、「南京町には無いで」と紹介してくれた店は少しばかり山手方向に離れており、手っ取り早く南京町で見付けようということにした。
横浜や長崎は中華街と言うが、神戸は南京町と呼ぶ。 中華街としての規模では横浜が一番大きいが、神戸は長崎ほど小さくはない。
pict-005-A修整そんな南京町をほぼ一巡して京華楼という店に入った。
私は中華料理が嫌いではないが一人で店に入ることは無い。 もっとも関西での珉珉や王将といった大衆中華料理店やラーメン店は別。 と言うのは中華料理の一品の量が多いので一人だと食べきれない上に値段が高くつくからである。 最近はお昼時にランチ定食なるものを提供している店も多くなってはいるが・・・

この京華楼でもランチメニューはあった。 一品ずつ選ぶのも邪魔くさいからランチメニューの中から1980円とpict-010-Aいうのを2人前で注文。
美味しい店は「南京町には無いで」との友人の言葉が耳に残っており、期待もせずに食べたのだが味はまずまずでメニューに書いてあるようにボリュームはたっぷりであった。 一部の食材には注文を付けたいものもあったが、価格も含め、総じて満足な昼食であった。

秋の一日、昼食時のビール1本がよく効いて、帰りの電車は気持ち良い昼寝の場所となった。
満足、満足。感謝・感謝で合掌。


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November 24, 2012

みちのく行 (7) 山形 ・ 蔵王温泉へ

磐梯吾妻スカイラインの混雑ぶりは相当なものであった。
私が磐梯吾妻レークラインから磐梯吾妻スカイラインを走ったのは10月16日。 紅葉には未だ少し早いかと思えた平日の火曜日の真昼間のことであった。
磐梯吾妻スカイラインの通行料が1570円。 浄土平の駐車場料金が410円。 磐梯吾妻レークラインの通行料吾妻小富士が900円。 合わせて2880円である。 これが無料となるだけのことで沢山の車と人が集まってきたとは信じ難いことだが、『紅葉と無料』という条件以外には不確実要素の強いお天気が加わるくらいのことである。 

写真は吾妻小富士と浄土平駐車場の遠望(コレは福島市観光情報ページよりの借り物)

自動車のナンバープレートを見る限り、地元・福島が圧倒的に多かったのに次いで山形、それ以外は宮城、茨城が散見された程度で、私のような遠方のプレートは見なかった。
10月16日は福島県の休日かと思ったくらいだった。
ちなみに磐梯吾妻スカイライン、磐梯吾妻レークライン、磐梯山ゴールドラインの三道路は福島県道路公社が運営管理している有料道路で冬期通行止めとなる11月15日までの紅葉シーズンの通行を無料にしているらしpict-P1060166紅葉道路い。 (無料開始日がいつからだったのかは知らない)

ともあれ儲け最優先のオモシロク無い社会にあって福島県道路公社の英断に対しては拍手を送っておきたい。

吾妻・浄土平より福島市方向へはクネクネ曲がる長ーい長ーい下り道になるのだが、前を走る小型車のスピードが10km/h前後という超低速で走るものだから、たちまち私の車の後ろに長い行列が出来てしまった。 眺望のきく下り道や勾配のきつい坂道ならエンジンブレーキをかけているのだろうと思いやる気持ちぐらいは私にもあるのだが、勾配の無い平坦な道路になっても超低速を維持して走るってのはどうだろうか。 車の鏡で後方を見れば長ーい車の行列が出来ており、前方には一台の車も見えないのだから車が行列になっている原因が自分にあることぐらい分かりそうなものなのだが。
標識 福島飯坂どうしても超低速で走りたいのならば対向車の有無や道路状況を勘案して後続車に進路を譲るなりすれば良いものだが、紅葉でも双葉でもないドライバーの後ろについてしまったものだから下り道に思いのほか時間を取られ、ようやくのこと福島飯坂 ICから東北自動車道に入ることができた。

今夜は蔵王温泉の宿を家内がとってくれているので温泉に浸かってゆっくり休むことが出来る。 
車で国内旅行をする場合の宿は家内が車中からの電話で予約するのが何年か前から慣例のようになっている。 と言うのも、どこそこを訪れたいという望みをもって出掛けるのだが、いつ行って、どれだけ滞在するかをあらかじめ決めて行くわけでなく、行った先で新たにここも訪れてみたいと思う所が出てくれば見学先が増えるため、旅行出発前から宿泊地やホテルを決めて出掛けることが出来ないのである。
pict-標識 白石蔵王訪れる方面の情報誌を何冊か買って、私たちの行動時間に合う宿泊地と宿を見極めて家内が宿に電話を入れるのである。 直近では 1 時間前に宿が決定することもあったと、つまり大変ワガママな旅をさせてもらっているわけで、荷物を持っての列車や飛行機での旅ならこんなことは出来ない。

東北自動車道を走り始めて30分ほど経った頃、『白石蔵王』や『蔵王PA』の標識が見え始めた。 今夜の宿は蔵王温泉と決まったので『蔵王』の文字に引かれるまま出口方向に車を進めたのだが、どうもオカシイ、違うぞというシグナルが私の頭で点滅しているのだ。 しかし、高速道路というのは入口から出口まで一方通行であ標識 蔵王る。 
最近“老人ドライバーによる高速道路の逆行”が耳目を集めているが、ボケて分からなかったのか、それともうっかりミスだったのか、いずれにしても大きい問題行為ではある。 だが高速道路というのは列車に例えれば急行や特急のようなもので、乗り越してしまうと戻るのが大変。 だから戻ってみようかという気が私に無かったわけではない。 しかも本線から出口ゲートまでの間、後続車が来る気配すら無かったのだから。
しかし、ボケてない証拠にゲート手前で他の車両の出入りに迷惑をかけないよう停車し、蔵王温泉へ行くにはココで良いのかを係員に尋ねたのだ。 が、係員は遠刈田温泉はあるが蔵王温泉と言うのは無いと言うのだ。
ええっ? そんなはずは無いと、蔵王という出口が他にあるかと問うと、山形蔵王があると言うのだ。
家内が宿に電話で確かめると、村田JCTから山形道へ入って山形蔵王で・・・。 
pict-標識 山形蔵王うーーん、やはり違っていたのだ。 すると係員が事務所から出て来て、ここでUターンしてと誘導してくれた。 これには感謝である。出口で精算して再度高速道に入っても料金的に大差は無い。が、嬉しいではないか。

だがしかし、蔵王温泉へ向かうのに『白石 蔵王』と『山形蔵王』の二つの標識、貴方ならどちらで下りるかな?

地元の人や蔵王温泉を知っている人なら間違うことは無いだろうが・・・   高速道路SAで必ず地図を貰えるとは限らないし、私の車のように古い地図しか表示できないナビもある。
標識は単純明快が基本である。 多くを書いてはヤヤコシイ。 標識の数が多いのもオモシロクナイ。

実際、蔵王と言っても蔵王山という山は無く、熊野岳(1841m・山形県)や屏風岳(1825m・宮城県)に連らなり、山形・宮城両県にまたがる蔵王連峰全体を蔵王と称しているため蔵王の付く地名が多いのである。 宮城県には蔵王町という行政区もあり、先の標識『白石 蔵王』は蔵王町を表していたようだ。

とまあ東北自動車道で少しばかり道に迷ったが山形道の『山形蔵王』で下り、ガソリンスタンドで給油のついでpict-P1060198つるや正面に蔵王温泉『つるや』までの道筋を確認して移動を開始した。

蔵王連峰は東北地方の脊梁たる奥羽山脈の南方の一部を構成して、ほぼ南北に延びていると言え、『白石 蔵王』ICは蔵王連峰の東南方向、『山形蔵王』ICや蔵王温泉は北西方向に位置すると思えば凡その位置関係が描けるかと思う。

上の写真は『つるや』の玄関口。
pict-P1060199つるや我が部屋建物は斜面を利用しているので4階部分までの施設と私たちが泊まった建物(下の写真)とに分かれている。 ちなみに私たちが利用した角の部屋の窓が写っている。
眺望は良いし料理も良い。pict-P1060196 何より蔵王温泉の湯が・・・ 初めて蔵王の湯に浸かったのは昭和38年だったか39年だったか、色合いと言い香りと言い、湯に浸かった途端にジンジンと肌を刺激する感じと言い、かれこれ半世紀も前になろうかという記憶がふつふつと甦り、何とも言えぬ幸せな気分になったのだ。
 
上が『つるや』のお風呂。 

pict-P1060189それと、嬉しかったのが山形の郷土料理が加えられていたことである。
山形の芋煮は有名であるが、夕食に『芋煮汁』が出てきたし、山菜たっぷりの『そばがき』、それに『みずこぶ』。蔵王牛と山形牛と同じかどうか知らないが蔵王牛も焼き物とpict-P1060188して出てきた。

上から『芋煮汁』、『そばがき』、そして下が『みずこぶ』。
この『みずこぶ』を私は初めて食べたのだが食感も色合いも大いに好めるものであった。 しかし、山菜の一種であることと名前も分かったのだが、どんな所に、どのように生えているのか全く分からなかった。 
しかし、調べてみて驚いた。 何と山菜の一種『みず』の実だったのだ。
『みず』ならこれまでにも春から夏にかけて時々口にしてきたものであり、山あいの沢のような水辺によく生えてpict-P1060186山菜いる山菜である。 だが秋の『みず』は知らなかった。

せっかくだから私と同じように『みずこぶ』を知らない人に学びのページを紹介しておこう。 ※ 青色文字の部分をクリックすれば説明のページにリンクする
『みず』と『みずこぶ』について
(特定非営利活動法人 秋田花まるっ グリーン・ツーリズム推進協議会) 
『赤みず栽培方法公開ページ』
日原タラの芽生産組合

pict-P1060179時間的には前後するが、左の写真は部屋からの夕景で、右が玄関口のある建物と向かいの建物は山交バスのバスターミナル。 日が沈む方向から推測するに遠くの山並みは上山(かみのやま)方向かと思う。 

この日気持ち良く温泉に浸かり、美味しい料理を肴にビールと日本酒を少し飲んだだけで寝室のベッドにバタンキュー。

倒れ込んだ時刻は8時半になっていたかどうか。 よほど疲れていたのだと思う。
宿の貸切風呂が4種類あり、そのうちの『北斗の寝湯』を借りようと楽しみにもしていたのだが、風呂で寝込まずに良かったと言うべきかも。




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November 19, 2012

みちのく行 (6) 猪苗代~磐梯吾妻スカイラインへ

さて野口英世記念館を訪れた後、裏磐梯・五色沼の散策に向かうためR115を北上、東道南甲からR459に入り坂道を上って行った。 この国道は磐梯山、赤埴山、櫛ヶ峰の東側を周りこむように裏磐梯、つまり磐梯山の北側に出るルートなのだ。

やはり紅葉を求めてなのかR459に入ってから乗用車の数が多くなったなあと思いつつ五色沼の駐車場まで行ってみると、何と駐車場は車でいっぱい。 
「ええっ、今日は火曜日やで」。 
pict-裏磐梯観光地図
そこへ黒い詰襟服の高校生だろうか、五色沼の探勝を終えて戻ってきたのだろう、数人でひとかたまりとなったグループが次々と駐車場の車の間を詰めていくものだから我が車を動かすことも出来ず、結局駐車場の中を一巡して出口を出てしまうことになってしまった。 人出の多さに驚きつつ止むを得ず磐梯吾妻レークライン方向へ向かうことにした。

上の図で大きい湖が3つあるが、左から檜原湖、小野川湖、秋元湖で、五色沼は図の中央下やや左一帯になpict-P1060150涼風峠る。 
これらの湖沼は
1888年(明治21年)に磐梯山の北面(小磐梯)の噴火による土石流などによって堰き止められて出来た(堰止湖)もので最も大きい檜原湖は面積10.7㎢で
標高822mの位置にある。

写真は涼風峠(磐梯吾妻レークライン)から見た小野川湖。

紅葉には未だ少し早いと感じていたので五色沼の混雑ぶりは一体どうしたのか不思議に思っていたのだが、磐梯吾妻レークラインに入る時、『通行無料』と記されていたので、ひょっとするとこれが混雑の理由かも。
pict-P1060152三湖パラダイスそれにしても火曜日だったのだが・・・

写真は三湖パラダイスと名付けられてた展望所からの眺望。
手前が小野川湖、その向こうに見にくいが檜原湖。中央遠くに八森山が見える。 右側で色付き始めているのはナナカマドである。 この葉が紅葉すると真っ赤になるので紅葉と言うには未だ少し早いことが分かると思う。
三湖パラダイスの残りひとつ、秋元湖は道路を挟んで少し見えるだけなのでここでは写真は割愛。
それよりも裏磐梯の姿を。
pict-P1060154磐梯山と櫛ヶ峰望遠レンズを持っていたなら磐梯山の北側の荒々しい火山の顔を紹介出来るのだが・・・
右が磐梯山で左は猪苗代SAの場所からは見えなかった櫛ヶ峰である。
表磐梯で見えていたのは磐梯山と赤埴山で、櫛ヶ峰は磐梯山の後ろになっており見えていなかった。
1888年の噴火では磐梯山と櫛ヶ峰の間あたりが噴火で吹っ飛び、火山砕屑物が土石流や火山泥流となって水の流れを堰き止め、当時の檜pict-P1060158秋元湖原村は檜原湖の湖底に沈み多くの犠牲者を出したそうだ。

上の写真は秋元湖。 標高は736mであり、これらの湖を結んで通っている磐梯吾妻レークラインは11月中旬をもって冬期通行禁止となる。
この秋元湖畔を過ぎて山間の道を更に進むとR115に出る。 この道路をしばらく上ると土湯バイパスに出て、ここから磐梯吾妻スカイラインに入って行くのだが、ここの分岐がヤヤコシイ。 土湯バイパスのトンネルはR115なのでスカイラインに行けない。 これは道路の案内表示に問題があるように感じたのだが、どうだろうか。 我が車のナビは新しい道路を知らないので相手にもしなかったのだが・・・

しかし何とか磐梯吾妻スカイラインへ入ることが出来て以後上り坂の連続であった。
pict-P1060163国見峠から磐梯山を遠方に磐梯山が望める国見峠あたりだ。
先に立ち寄った五色沼で車と人の多さに驚いたが、スカイラインに入ってpict-P1060172東吾妻山又々乗用車が数珠つなぎ。 平日なのにこの混みようは一体どうしたことかと首をひねるばかり。

前方に東吾妻山が見えてきたので間もなく浄土平に到着だ。

車前方の景色が変わって、下のこれはpict-P1060173吾妻小富士吾妻小富士。 
字の通りちっちゃな富士山で高さは1707m。 浄土平の標高が1580mだから火口壁へも容易に登ることが出来るし、火口の周囲が4~500m程度だから運転の休憩時に丁度良い運動になるかと思っていたのだ。

が、何と何と。

広い浄土平の駐車場も満杯。 よく探せば駐車スペースがあったかもしれないが、吾妻小富士にも沢山の人たちの並び立つ姿を見てウンザリ。

噴気を出しているのは一切経山の大穴火口。 浄土平と言うのは一切経山と東吾妻山、それに吾妻小富士に囲まれた広い湿原だが一切経山の火山活動によって噴出した火山灰質土石が風化することによって帯水性の土質となって湿地を構成したらしい。
pict-P1060175一切経山の噴気この一切経山は1893年(明治26年)に噴火した後、1977年(昭和52年)、2008年(平成20年)に噴気を上げており、明治の爆発では2人が犠牲になったとか。

写真でも噴気が確認出来るが要注意の山であり確か登山は禁止になっていたような。

ともかく景色だけ楽しみながら下っていくことにした。
 下は左端が一切経山の噴火口で右手の白い色のあたりが賽の河原方向になるが、2枚の写真を結合させる際、継ぎ目あたりに整合性を認められない部分があったので凡その感じとして見てもらいたい。
pict-一切経山と東吾妻山合成完了
磐梯吾妻スカイラインは左手の一切経山の噴火口近くにある浄土平駐車場から上の写真右手の賽の河原方向に下って行くのだが、車の運転に際して駐停車しないこと、窓を開けないことの二つが道路わきの案内板に書かれていた。 
火山性ガスに対する注意を喚起しているのだ。
Poison gas火山の噴気孔から出るガス(気体)は空気中で白くなるので大部分は水蒸気だが、硫化水素、二酸化硫黄、二酸化炭素、塩化水素など無色で空気より重いガスも含まれている。
二酸化炭素に臭いは無いが他のガスは臭う。 塩化水素は水と結びついた塩酸がよく知られているだろうし、硫化水素や二酸化硫黄は硫黄との化合物で『ゆで卵』の臭いと言った方が分かりやすい。 二酸化硫黄は亜硫酸ガスと言った方がより分かりやすいかも。 
これら臭いのきついガスは少量だと『クサイ』ので直ぐに分かるが、濃度が濃い場合には嗅覚刺激を麻痺させ突然呼吸障害を起こさせ死亡させる毒性の強い気体である。
火山の噴気孔に近い谷間、くぼ地といった所では空気が淀み、空気より重いこれらのガスが充満していることが原因で登山者やスキーヤーが死亡するという事故がこれまでに何件も起きている。
見えないだけに怖いのである。

怖がりの私だから用心して運転していったのは当然のこと。 



masatukamoto at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 18, 2012

今年も季節の便りが・・・

このところ随分と冷え込みが強くなった。 『みちのく』磐梯山あたりは14日の朝から雪が降り積もったらしい。
つい数年前までは寒さを厭うようなことは無かったのだが、体に変調を来たしてきているのか少しの寒さも辛く感じるようになってきた。 冷え込みが強いと言っても未だ10℃程度のことである。 本格的な冬になれば何としようか。 猫のように炬燵で丸くなっている我が姿を思い浮かべると悲しくなってしまうのだが、寒くない冬なんて思いpict-P1060427干し柿も寄らぬこと。

そんな寒い冬の到来を控え、我が家の年中行事も始まっている。

写真は渋柿を吊るした様子。  以前は渋柿を頂いてきて干していたのだが、昨年から果物屋で買っている。 

今年は段ボール一箱。 180数個入っていたのを家内と皮をむいて吊るしたのpict-P1060429干し柿だ。 吊るすのは割に簡単なのだが皮むき作業が大変。 それに干す場所の問題がある。 風通し良く日当たりも良い場所で、しかも最近増えて増えてギャアギャアうるさいカラスにやられない所ということで、今回はカーポートの屋根に出来るだけ接して吊るすようにしてみたのだ。 
あと暫くは干して、その後は冷凍庫で保存することになる。 私も食べるけれど殆どは家内の『おやつ』になるだろう。
pict-P1060430
干すと言えば『からすみ』を作るためにボラの卵巣も干している。

毎年馴染みの寿司屋の大将 I 氏にボラの卵巣を仕入れてもらって造っているのだ。 

『からすみ』については以前にも書いているが、オーストラリアよりもイタリア、イタリアよりも長崎、長崎よりも台湾産の方が一段と美味い。 しかし、その台湾産よりも遥かに美味いのが私の『からすみ』である。

このようなことを書けばアチコチからお叱りを受けるかもしれないが、自分の好みは自分の舌が一番良く知っていpict-P1060432る。 その自分の舌に基準を設けて造っているのだから世界一ウマイ『からすみ』は私が造ったものと結論づけて何の不思議もないだろう。 毎年正月の来客の酒肴にしたり、プレゼントしたりするのだが、今年のモノは少し小さいし数も少ないのでプレゼントするほども無いかも。

この『からすみ』干しも気を付けなければならない。 
天候については勿論だが、カラスにノラ猫、それにハエという厄介な奴らがいるのだ。 まったく困ったものだ。 それで今年は写真のような干し籠を買い、これはこれで厄介な奴らからの防衛としては良かったのだが、『からすみ』の表面に網目模様がついて見映えが・・・

しかし今年はこれで我慢。 味が良ければOKとしよう。

収穫した唐辛子も干し終えた。 あとは大きいサイズのスルメイカを20パイばかり仕入れて塩辛づくりをしなければならない。 これも需要があるからなのだが、良いモノが手に入るかどうか。
pict-P1060437柚子
そうそう、3日ばかり前に Y 君がご両親の実家から送ってきたという柚子を今年も届けてくれた。 

私も家内も柑橘類は香りも味も大好きで、嬉しいし有難いことである。

柚子の皮は香りとして吸い物にも煮物にも使うし、野菜の漬物にも使う。
イカの塩辛にも柚子の皮の香りは、うーーん、素晴らしいものなのだ。
果汁は蜂蜜と混ぜてお湯を注げば香り良い飲み物になる。

昨年は沢山の柚子味噌を造らせてもらった。 これは風呂吹き大根など料理の味付けにも使えるし、柚子味噌だけでお酒の肴にもなる。
12月21日は冬至である。 
昨年は柚子湯にも使わせてもらった。 今年も香り高い湯を楽しませてもらえるかも。
ともかく有難う。 留守をしていたので、ここでお礼を申し上げておく。
  


masatukamoto at 18:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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