March 2013

March 31, 2013

病院で風邪をひくとは・・・

1月2月はインフルエンザやノロウィルスの流行のため、各病院では面会者の年齢制限や体温測定、マスクの着用や手の消毒など厳しく制限してきた。
そうした管理の徹底が功を奏したのか近大病院でも阪奈中央病院でも事故は起きなかった。
阪奈中央病院でマスクなどの制限が解除されたのは彼岸に入ってからではなかったろうか。

しかし、まだまだ気温差の大きい日々が続いた頃である。
私自身に油断があったのだろう。 喉の痛みに微熱を感じたのは
27日(水曜)だったが、大したことは無いと思っpict-20130328プリザーブドフラワー-1ていた。 他に節々の痛みも感じていたのだが、日常的な痛みとの区別がつかず風邪をひいたとは思えなかったのである。

写真はタイミングよく頂いたプリザーブド・フラワー。
いつも生花を買っている花屋の女将が、私の好む真紅のバラを入れて娘に作らせたからと届けてくれた。

それにしても入院生活を送りながら『風邪引き』だと。
このためにリハビリは木曜・金曜と休み。
熱は大したことないと粋がって言っていたのだが、結局37度8分まで体温が上がり看護師が用意してくれた氷枕にpict-20130328プリザーブドフラワー-2感謝感謝の夜を過ごすこととなってしまった。
ぶっはははは、全くお笑いである。 
が、馬鹿でないことは証明できた、
かな?

プリザーブド・フラワー。
生花ではなくドライでもない、それに造花とも言えない花。
一見すれば生花なのだ。
色合い、鮮やかさ、手触りなど、どう見ても『生』なのだが・・・

プリザーブド・フラワー(preserved flower)と呼ばれ、生花の状態で脱水・脱色までして新たに色素を注入して乾燥させるのだと。

私はバラが好きだから不自然さがあれば分かると思うのだが、このプリザーブド・フラワーは本物の生花と変わらないのにビックリである。

言うならば『花のミイラ』。
うーーん、やはり『ミイラ(Mummy)』より『保存(preserved)』の方が良いように思える。



masatukamoto at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

March 25, 2013

ホッと ひといき (病室で-①)

現在院内生活において空き時間はあるが、その空き時間を『ゆとり時間』としてノンビリ過ごせるほどの余裕が無いほど体自体に疲労を感じる毎日を過ごしている。

そんな中、ホッとするのが病室で家内が入れてくれるコーヒーの香りと味わいである。
pict-香味焙煎深煎り病室でのことなので勿論インスタントであるが、『 NESCAFE ・ 香味焙煎 』(深煎り)である。
病院では患者の安全に配慮してのことだろうが熱湯を配ることが無い。 だから家内が来た時にのみ『NESCAFE香味焙煎』(深煎り)を飲むことが出来る。

宣伝するつもりは無いが、香り味わいともにウマイのだ。

家ではネスプレッソのコーヒーメーカーで作るエスプレッソ。 好みは黒色カプセルのリストレットか深緑色カプセルのフォルティシオ・ルンゴである。

大津波で何もかも失くした東松島市野蒜の安倍志摩子(しままま)さんが、「せめて好きなコーヒーぐらい贅沢しよう。」って、被災後に買ったものと同じコーヒーメーカー『ネスプレッソ』である。
『しままま』の好みは銀色カプセルのロサバヤだったかな? 

東松島と言えば安倍さん(ご主人)と訪れた東松島市立鳴瀬第二中学校の千葉大誠君が第85回選抜高校野球大会の鳴門(徳島)―宇都宮商(栃木)の始球式のマウンドに立った。

千葉君は津波でお母さんと姉さん、それにお祖父さんお祖母さんも亡くしたと聞いた。

・・・・・・・。

誰が書いたかは知らないが、
『いつまでも 鳴二大好きやで♡ by NⅡ最後の卒業生』
この落書きを思い出す。

( みちのく行 (10) 安倍さんを訪問・・・③  で、
津波被災の東松島市立鳴瀬第二中学校を訪れたことを書いた。 青色の字をクリックすればリンク。)


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March 24, 2013

わずかやが・・・さくら 開花

病院内生活において『暇つぶし』と言えるほどの時間的ゆとりが現在あるわけではない。 
いや、時間的ゆとりとしてはあると言えるが、『ゆとり感』としては無いというのが正確である。

このように書くと何だか随分忙しそうだが、日課として挙げることが出来るのは午前と午後にリハビリの時間をそpict-20130320-1れぞれ1時間取ることと、あとは7時半の朝食、12時の昼食、5時半の夕食だけである。 これ以外には週2回の入浴とX線や血液検査などがあれば、そのための時間を費やすだけで空き時間としては相当時間あるにはあるのだ。

リハビリの訓練内容は以前にも書いているが、上の写真のように足首にウェpict-20130323山口-1-1イト負荷をかけて足全体をゆっくりと上下させるような筋力増強のための運動もある。

最近は左右の手にロフストランド・クラッチ(杖)を持って出来るだけ長い距離を歩くという持久力を目的にしたような訓練が主になってきている。

そうした歩行訓練の中に階段の昇降運動などが組み込まれ、単調になりがちな訓練に複雑さが加味されてきている。

「なーんだ、そんな訓練か。」などと侮るなかれ。

健康な体の時は極々普通に、特別にしようと思ってするpict-20130323山口-5-1ような動きでない体の動作が、現在の私にとっては大変で特殊・特別な運動になっているのである。

何の障害も無い人が階段を前にした時、その昇降の高さやステップの奥行、階段の材質や滑り止めの有無などを瞬時に認知し、同時にその情報をつま先から体全身に対して送り、体全体の骨格と筋肉を階段を昇降するための最適な態勢に整えさせてしまうものである。

ところが、脊髄損傷のために下半身マヒ状態となった私には視覚情報として受け容れた脳は正確に認知し、その情報に基づいた動作指示命令の信号を体全身に送っているのだが、現在私の下半身はその全てを受け容れきれていないのである。 

だから、持ち上げているはずの足が上がっていず、そのことを認知した脳が認知修正を行い、改めて行動指示をpict-20130324-4出すという何ともややこしくも複雑な情報伝達作業を繰り返し、おまけに筋力の衰えなどで動きそのものが鈍りきっている手足を含む全身がヤヤコシイ信号を受信するのだから満足な行動が出来ないのは当然なのである。

従って、『僅かな』、『たったそれくらい』などと言えるような運動であっても、肉体的・精神的疲労の度合いは健常時とは比べものにならないほど大きいものなのである。

それでも一日でも早く歩けるようにと日々のリハビリに励む病院生活、季節感をほとんど感じることのない病院生活、何かと自分自身に我慢を強いている病院生活、何もかも早く自宅へpict-20130324-6-1帰りたい一心で窮屈な日々を送っているのである。

そんな私の気持ちを読み取ったのか、それとも天気の良い春の日曜日、私のようなオジンのリハビリ相手はツマランと思ったのか・・・
ははははは。
そんなことは無いだろうが、山口先生が車椅子で病院の駐車場へ私を連れ出してくれた。

太陽の光を浴びるというのも、外の風に当たるというpict-20130324-5-1-1のも、緑の草花、それに既に各地から届いているという開花や満開の情報の桜の花を見ることも、何もかも本当にしばらくぶりであり感激感激であった。

丁度、家内もやって来てくれたので、3人で相当に早い花見となった。
ほとんどが未だつぼみ。 咲いていても
1本の木に多いもので5~6輪。 それでも確実に春はやって来ている。

2本の杖を使ってだが、一般路面を歩いた。 それに病院のスロープの上り下りもした。 下りは少し難しく感じたが、初めての経験としては良く出来たと私自身は満足に思った。

山口先生には感謝・感謝である。




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March 22, 2013

季節に思う・・・

今年は花の便りが全国的に早いらしい。

まだ彼岸が明けていないというのに。

3月20日・・・春分の日。  彼岸の中日である。

病室で動けなくても彼岸は気になる。

pict-20130314-1息子は自分で気が向いた時に墓参りをするので頼りには出来ない。

結局は家内に参ってきてもらったが、案の定大変な人出であったらしい。
写真はご近所さんの枝垂れ梅 ( 3月14日撮影 )。

病室でカレンダーは見れても実感が湧かない。

でも、でも、
今朝の朝食にイチゴが出た。

pict-20130322阪奈朝食大好物のイチゴである。

贅沢を言うようだが、あまり美味しいとは言えないイチゴであった。

まあ病院の給食に出る程度のものだから大したものでないことぐらいは食べる前から分かっていた。

しかし嬉しかったのはイチゴが朝食に出てきたということと、病院の給食に供されるほどだから、市場ではイチゴが随分出回っているのだという病院外の様子を思い浮かべることが出来たことである。

病院の朝食には写真のイチゴジャムかオレンジのマーマレードが出されるが、ジャムのイチゴでは季節がワカラン。

家にいたなら朝食・昼食・夕食、食前、食後にイチゴで構わないのだが・・・

ぶっはははは
糖尿病なんて飛んで行け―――-


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今どき病院考 (阪奈中央病院への期待)

一昨日、病室のエアコン故障について書いたので、この故障が4日目 、つまり昨日(19日)の午後になって、やっと修理が終わったことも書いておかねばならない。(正確には『終わったらしい』と表現すべき・・・)

しかし、病室のエアコン故障を訴えた土曜日から日曜、月曜を経て4日目の火曜日になって漸く復旧したこと、それにこの間の事情説明も修理が終わったことも含め、エアコン故障により直接迷惑を受けた患者に対し、病院の担当者からは何も語られることが無かったという経緯が事実として残ってしまったことは残念なことである。

阪奈中央病院が現在地 ( 我が家が建つ丘の下 ) で開業したのは愚息が俵口小学校に入学した頃であった。
随分以前のことなので忘れてしまったが、阪奈中央病院の開院と俵口小学校の開校とは同じ頃だったように記憶している。
 
近大医学部奈良病院から阪奈中央病院へ転院した際、受け入れ担当医は栗岡久暢 Dr (脳神経外科) であった。 栗岡姓から推測できるように、彼は現在『和幸会グループ』として『医療法人・和幸会』、『学校法人・栗岡学園』、『社会福祉法人・幸友会』を組織する栗岡一族の御曹司。 年齢的には多分病院の歴史と共に歩んで来られたのであろうと思うので、それなりのお歳となる。


どんな事業でも評判というものが付いて回るのは周知のことだが、『和幸会グループ』とて順風満帆で今日に至っているわけではない。 マスコミで騒がれた事件もあるし、地元民による井戸端会議のような批評が千里を走ることもあった。 物事にはプラス面があれば必ずマイナス面もあるものだ。 聖徳太子誕生の地とされる飛鳥・橘寺には善悪『二面石』もあるぐらいだ。 もっとも『二面石』と呼ばれる人物の顔らしきものの表情を善悪の二面と根拠付ける史料は何も無いのだが・・・

ともあれ阪奈中央病院に対する評価も二通りあることは認めねばならない。

子どもたちの数が減り、小児科医院が減少傾向にある中、阪奈中央病院は来月から小児科を開設することになっている。 これも医療行政に関わる県や医師会との裏の関係、医師の確保に関わって県立医大とのパイプを太くするためなどと様々な噂話を耳にするが、プラス・マイナスの2面がある。

阪奈中央病院の隣に阪奈中央こぐま園という保育園がある。 これの経営は『学校法人・栗岡学園』が行っているのだろうが、『和幸会グループ』のひとつの事業体ということから、「病院の看護師確保のためのアメ玉であり、栗岡は金儲けがうまい。」との評を耳にしたことがあった。

うーーん、これら一連の指摘があながち間違っているとも思えないのは、やはり物事には二通りの捉え方が出来るからであろう。

今回、私は思いもよらず阪奈中央病院に入院することになり、これも思いもよらずだが病院の内実を覗き見ることになってしまった。
この中で知り得たことに、「こぐま園が24時間保育をしてくれるので看護師として働くことができる。」と話す看護師の実情があった。
共働きだから収入の問題がとか、実家が遠地だとか、看護師の仕事を続けたいからとか、理由は各人各様に様々だったが、彼女たちはみんな異口同音に保育園が病院に併設されていることを喜んでいた。

これは女性が働く権利を保障することとも関わって、やはり物事の捉え方として二面あることを示していることになろう。

『和幸会グループ』の歩み始めは戦後のドレスメーカー学院の創設と、それに続く聖美幼稚園の開園だったと栗岡氏 ( 久暢 Dr ) は私に語ったが、創設者の栗岡隆史氏には事業経営の才覚があったことは確かである。
戦後の特殊な時期にあって、和装から洋装への転換、そしてベビーブームの到来と幼児教育の絶対的必要性を見越して洋裁学校に幼稚園を開設したことは、教育観とは別に、やはり商才があったと言うべきであろう。

そして、そうした事業を受け継ぎ、阪奈中央病院をはじめ看護学校やリハビリ専門学校の設立など、現在の『和幸会グループ』にまで成長させた栗岡博良氏もなかなかの経営才覚の持ち主であると言える。
しかし、病院や学校、保育園が利益追求の道具となってしまっては具合が悪い。 いかに私立であると言えど公共性の高い事業体ゆえ儲け主義に傾くことを人々は良しとはしないだろう。

医者や病院などを経営する者には金儲けに長けた人が多いが、医は仁術、これを基本としてほしいものだと私が言うと、「確かに金儲けが上手な人が多い。 しかし、医者というのは皆基本的には人間が好きなんですよ。」と栗岡氏 ( 久暢 Dr ) が私に語ったことがあった。

「人間が好き」・・・・・ええこっちゃ。 全てこの気持ちから、このことを原点に物事を考え進めるならば間違うことなど起きようはずはあるまい。

40年近く俵口町に根を下ろし地域医療の中核施設として枝葉を茂らせてきた阪奈中央病院である。 
今後も地域住民や一般患者の願いに寄り添った、親切で、丁寧、それに最新で高度な医療を施せるよう努力してもらいたいと、病院開設以来ずっと身近に見続けてきた地域住民の一人として思うところを書いてみた。








masatukamoto at 13:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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