March 2013
March 19, 2013
今どき病院考 (職員観) 阪奈中央病院
「すみません、迷惑かけて・・・」
表現の仕方は違うが、阪奈中央病院の看護師たちが私に掛けてくれた言葉である。 しかし、看護師たち・・・と言っても30半ば?以上の方たち(私の主観による)だが。
実は、病室のエアコンディショナーが故障して暖房が出来ないのである。
今日、故障が分かってから 4 日目に入った。
現に入院治療を受けている病院のことなので悪くは書きたくない、だから看護師たちの入院患者に対する接遇の一面を紹介したのだが、見事に阪奈中央病院の看板を背負っておられる姿に感心した。
エアコンの故障は看護師に責任があるわけでないことくらい誰にでも理解できることである。
しかしながら自らの責任であるかのように詫び、気遣う言葉と姿。
看護を職務とする立場から発せられる気遣い思いやる言葉以上のものが感じられるではないか。
これら看護師たちの言動は日本人の特性をよく表しており、私の好きな思考と行動であり、因果関係をハッキリさせる科学的思考傾向が強い欧米人には理解しにくいものである。
話を戻すが、病室のエアコンが故障しているのは家内がエアコン操作盤の赤色点検ランプが点いていると言ってくれたからで、これは 16日(土曜)の午後2時頃のことであった。
それでエアコンの暖房が停止している旨、家内に看護師詰所へ伝えてもらった。
しばらくして修理なのか状況確認なのか男性がひとり病室にやってきて操作盤を触って戻っていった。
しかし、暖房運転は出来ずに点検の赤色ランプが点滅したまま。
家内が冷えてくるねと言うので再度看護師詰所へ伝えに行ってもらった。
しばらくして、先ほどとは別の男性が状況の確認にやって来た。
その後、もう一度やってきて「今、リセットしたので・・・」と言って病室を出ていった。
リセットしたから、どうだと言うのか。
点検の赤いランプが点滅したままで暖房運転は出来ないまま夜を迎えた。
東大寺・二月堂のお水取り満行の翌日である。
それでなくともコンクリート造りの病院は冷えるものだ。
寒さには強い暑がりの私が夜10時過ぎに看護師を呼んで布団を出してもらったほどであった。
明けて17日、日曜日である。
看護師に暖房の件を問うと、今日は修理に来ないとのこと。
病院とホテルを比べて言うのは悪いが、エアコンをはじめ何か部屋に支障があれば部屋の交換を要求できるし、ホテル側も応じるものだ。 予備も含め、仮りに満室状態であれば他のホテルを紹介させることも出来る。
が、病院の場合、入院している者が病室を替わると言ってもコレはそう簡単なものではない。(ことぐらいは私にも分かる。)
と言うよりも、ホテルも病院も、客の或いは患者の生命を守るという最高の命題を抱えているのだ。
特に病院の場合の入院患者というのは現に病人であり、程度の差こそ有れ絶対に介護(看護)が必要な弱者であることは言うまでもないことである。
3月とは言え未だまだ寒い時期であり、夜間、明け方の気温低下は厳しい。 こんなことは小学生でも知る常識であり、介護(看護)が必要な弱者を入院させている病院にあって、院内環境の維持・保全は当然第一義的に考え実施すべき事柄であり、病室の温度環境の保持などイロハの『イ』の字であるべきことだ。
実際には事情が異なっていたかもしれないが、16日(土曜)は夕刻5時頃で勤務終了時刻に近かったのかもしれない。
17日は日曜日であったから公休日、であったかもしれない。
18日は月曜日で故障について調べたが、原因が判明しなかった???
ゆえに、外部の電気会社へ修理依頼をだした。(らしい?)
で、今日、19日(火曜)を迎えている。
これが16日からの流れなのだが、果たして阪奈中央病院の経営実務者や担当部署の責任者は事実把握をしているのだろうか。 把握していたとすれば『能無し』の誹りを受けても止むを得ないだろう。
小さな出来事だと認識し、報告しないで良しと現場が判断し、そうした現場の判断を担当部署の責任者が許認したとすれば、それは自ら阪奈中央病院の看板を下ろしたのと同じことになる。
病院(医療法人)は経営実務のほか、医務・看護・薬剤・検査・栄養・事務(会計)・営繕(電気など)・保安(警備)など多岐にわたる職種が協力協同して成り立っている組織である。 職種によっては医務・看護など患者の目に見える職種もあるが、通常は患者の目に見えない『裏方』としての職種もある。
しかし、患者の目に見えようが見えない『裏方』であろうが、『和幸会・阪奈中央病院』を職場とする職員である以上、『阪奈中央病院は《略》心のこもった治療を行い大切な人の生命を預かる使命のもとに、すべての人が安心して最善の治療を受けられる病院として日々努力《略》』するという高邁な理念のもとに一致協力すべきである。
冒頭で、看護師たちが自ら阪奈中央病院を背負っているという姿に感心していると書いた。
今更のことながら病院には土曜も日曜も無いのである。
個人的『情』としては日曜日だったことを勘案してあげたい。 が、コレは勿論ダメ。
それに、故障、未修理状態で迎えた本日(19日)午前9時40分を過ぎても、営繕担当者や施設管理担当部署の責任者から何の説明も挨拶も無い。
昨日も今朝も非常ベルが鳴った。 誤報であるとの放送が後に流れたが・・・・・
言いたくはないが、地域医療の拠点病院として更なる発展を願い、一考を記した。
March 13, 2013
リハビリ現況 阪奈中央病院で
導尿カテーテルにバルーンを付けたままの転院であったが、それも取り外せた。 もっとも未だ自立歩行が出来ないので小便は尿瓶で、大便は車椅子で便所まで連れてもらい服の上げ下げも介助者の世話になっている。
だから何とか自分で出来るようにと頑張っているのだが・・・・・
リハビリは土曜も日曜も無く、365日毎日行われている。
従って、リハビリ指導者も交代で休日を取れるように数人でグループを作って指導に当たっているようだ。
そのため私のリハビリ主担者は山口先生(以前に紹介している)であるが、私は既にリハビリ科長の川原先生、小林先生、杉本先生らの指導も受けている。
リハビリの指導内容は多岐にわたり、簡単には説明できない。
筋力をつけるための指導、バランス感覚の指導、体の柔軟さを培う指導、立ち上がり、歩行するための指導、筋肉の緊張をほぐす指導等々、これらを毎日午前に1時間、午後に1時間の指導を受けているのだ。
早く家に帰りたい、そのために早く自分の力で立ち上がり、介助無く歩くことを目標に連日頑張っている。
しかしながら、脊髄損傷の後遺症と言える下半身の痺れが随分軽減してきているとは言え、未だに感覚がまともとは言えず、立っていても健康時の立っている感覚とは大違い。 これは何と説明すれば良いのであろうか、分かってもらうための説明は難しい。
それに筋肉疲労が重なっているからではないかと私は想像しているのだが、脹脛(ふくらはぎ)から太腿の後ろにかけて木枠の枷がカパっとハメ込まれたような感じで、全く両足が棒のような感じになっているのである。
だから平行棒を使って歩いていても、歩いているという感覚が自分自身には無いまま、ただ足を突き出しているというだけの感覚でいるという何とも妙な具合でいるのである。
写真はカニのように横歩きをしているのだが、この横歩きが意外と難しい。
横歩きに限らず、ただ歩くということが如何に難しいものか、これは障害を得てみなければ理解することは出来ないものだと思う。 理解といった知識で分かるものでもない。 うーーん、言葉で説明出来るものでは無い。 かなり近いと言える理解は出来るだろうが、やはり感覚、これは説明不能のことである。
しかし、しかしである。
理学療法士の先生たちの指導により、写真のように平行棒の支えを借りながらもロフストランド・クラッチ(杖)を用いて歩けるようになってきた。
川原先生の指導で2本のロフストランド・クラッチによって歩くところまでは出来たが、これは未だ不安定であった。
これは自分自身が最もよく分かっていることだ。
ただ、リハビリの各先生方の課題の出し方は頗る上手であることには感心する。
私がしばしば使う言葉に『啐啄(そったく)の機』というのがある。 禅の言葉として『啐啄同時』として知られている言葉と同じ意味である。
つまり、ひな鳥が卵からかえる時に卵の内側から殻を突いて割ろうとする『啐』と、その時を逸することなく親鳥が卵の殻の外側から突く『啄』が同時に行われることによって硬い殻が割れる。 このどちらが早くても具合は悪いのである。
私の機能回復の進み具合や私の意欲、それにマッチするごとき理学療法士としての先生たちの課題の提示。
この2者の一致が更なる進捗につながるのである。
阪奈中央病院の看護師たちも親切・熱心さでは高く評価すべきであると私は感じている。
が、ここでは具体的に書かないが、『啐啄の機』という言葉を患者との関係において頭に置いてほしい看護師がいることを発見してしまったことは残念なことであった。
March 11, 2013
探したでえ、『しままま』。 ドコモ(docomo)の『家族』やったんや。
『それからお知らせがあります。
3月10日の朝日新聞か読売新聞を絶対見てくださいね^^
どこかに私が載っています~
さぁ
しまままをさがせ!ですよ。
おたのしみに~』
と書かれていたから家内にも伝え、3月10日の日曜日を心待ちにしていた。
病院の面会時間は午後1時からなので、家内が新聞を持ってきてくれたら一緒に探そうと思っていた。
ところが朝の家内からのメールで、
「見つけたよ後で持って行きます」
だと。
これは残念なことだったけど、まあ仕方がない。きっと家内も楽しみにしていたのだろう。
しかし、家内が持ってきたのは当該部分の切り抜きを入れたファイルケース。
探すという楽しみは無くなったけど、変わらぬ笑顔の『しままま』が、ご主人 ・ 淳(じゅん)氏が言う『根拠のない明るさ』を振りまきながら我が病室にまで来てくれたのである。
ありがとう。
日向子さんと共に写真に納まった所は、鳴瀬・野蒜の浜の松並木が見える事務所跡地やね。
淳氏が事務所ごと津波に流され始め、これも全く偶然と言うべきか、事務所が少し離れた自宅そばに流れ着いた機を逃さず2階にいた『しままま』を決死の覚悟で引き寄せ、その後、筏状態の事務所の床に乗ったまま7kmも上流まで津波の濁流に流され、まさに九死に一生を得る原点となった場所やがな。
間違いないやろ。
この写真は『しままま』を見つけた証に切り取った朝日新聞の該当部分を携帯電話の撮影機能を使って撮った写真。
ドコモ(docomo)が『かぞく』という広告を出しているのを以前に何度か目にしている。 しかし、この『家族』をして『イエ ・ ラブ ・ ゾク』と読むことは今回初めて知った。
あの地震と津波の後、
『家、事務所もろとも流されたものの奇跡的に夫婦とも助かった。 助かったのが信じられない。 なーんにも無くなったけど生きているだけ儲けもん。』
と『しままま』が送ってきたメールはドコモ(docomo)携帯やったんや。
そして受けた私もドコモ携帯。
ぶっははははは。
白戸家の白い犬のお父さんもええけど、ドコモの『家族』(イエ ・ ラブ ・ ゾク)もなかなかええもんですな。
『しままま』が、「Webのほうには結構たくさん掲載されてます。」と追加メールを送ってくれていたのでドコモ(docomo)のページから『イエ ・ ラブ ・ ゾク』を開いてみたところ、『しままま』と日向子さんだけでなく『家族の「キズナ」』として家族の皆さんたちのことが紹介されていた。 《青い線部分をクリックすればWebページが開く》
我が家内はパソコンが不得手なので、本日病室へ来てくれた時にウェブ・ページを見せることにしようと思う。
ご家族お揃いの写真は正月に拝見しているが、それ以外は初めてなのできっと喜ぶことと思う。
豆太まで紹介されて・・・すっかり家族の一員として安定した位置を占めている感じで微笑ましく思えた。
今日は3月11日。
あの日から丸2年。
犠牲となった多くの人たちに対して心よりの黙祷を捧げ、生かされていることの意味を改めて確かなものにしたい。
私はこれまで使ったことがないのだが、
The danger past and God forgotten. 或いは、Vows made in
storms are forgotten in calms. などと英語では表現するらしい。
なるほどなあ・・・と思う。
地震、津波だけではない。 東京電力・福島原子力発電所の放射能汚染も重大である。 『喉元過ぎれば熱さ忘れる。』ではいけない。
これは日本人の良さではあるが、同時に重要な欠点(短所)であることも自覚せねばならない。 戦後処理がきちんと出来ていないことも繋がっているように私には思えるのだが・・・・・
《話題から逸れるのでココまで》
March 08, 2013
春は未だかなあ・・・
昨年12月以来闘病生活を続けているので外界が寒いのかどうか全く分からないでいる。
院内の空調は快適であり、その上病室単独で室温の上げ下げが出来るので季節を体感するというのは難しい。
現在の病室からは他の病棟の屋根と少しの空が見えるだけなので晴れているか雨が降っているかぐらいしか分からない。
テレビのニュースが八甲田山・酸ヶ湯の積雪が5m66cmを記録
(2013.02.26)したと報道したことを耳にし、「ほほうっ、すごいなあ。」と、記憶している雪の無い頃の建物や景色とともに、八甲田雪中行軍遭難事件 ( 参考 『八甲田山死の彷徨』 新田次郎・作 ) 時の積雪や吹雪に関する知識を重ね合わせて厳しい寒さを想像理解するだけである。
雪の重さを計算する方法は知らないが、雪だるまを作る時、最初は手で握れるほどの球体を転がし、その表面に雪がどんどんくっ付いて雪の球体が大きくなれば転がすことが出来ないほどの重量になることを経験上知っている。
雪が液体時の姿である水は
1ℓ=1kg である。 1ℓ=1000㏄、言い換えれば
10cm×10cm×10cm=1000立方センチメートルで1kg となる。
だから1立方メートルならばタテ・ヨコ・高さがそれぞれ1mの立方体だから、水ならば何と1トンもの重さになる。 仮に1㎡の正方形に5.66mの高さまで水が溜まったとすれば5.66トン
( 5660kg )にもなる。
勿論、水と雪ではカサが同じでも重さは異なる。ちらちら舞うように降る粉雪とドッサリ積もって固まった雪とでは当然重さも違う。
しかし、仮に水の重さの10分の1程度が雪の重さとしても
5m66cmも雪が積もれば1平方メートルに500kgの重量がかかることになるのだから、たたみ一畳に横綱・白鵬が10人近くも乗るのと同じ重さということになる。
ははははは。 病室では季節を体感することが出来にくいことを書きかけたのが雪の重みに飛んでしまった。
上の写真は私の病室と、前の廊下。 (PTの臨床実習の学生たちが熱心に学習している。)
Y 君にとって忙しいはずの年度末の昨夜、 ダウン・ジャケットを着て温かい缶コーヒー(ブラック無糖)を持って病室を訪ねてくれた。 コーヒーをブラックで飲むことを好む私の嗜好を分かってくれていることと、現在は糖尿病でも加療中であることを知っているからだが、パソコンのその後の調子を見に来てくれたのである。
昼間、午後1時過ぎには次兄が訪ねてくれた。 次兄も80を超えて呼吸器系と泌尿器系にヤヤコシイ病気をかかえている。
「今日はお天気がいいし、暖かいからね・・・」
などとバスや電車を乗り継いで来てくれたが、末弟としては恐縮至極である。
兄の言葉や服装から、それに Y 君のダウン・ジャケットに温かい缶コーヒー。
いろんなことで外界の様子を知ることは出来るのだが自分の体で感じることが出来ないことが何とももどかしい。
家内が水仙の写真を撮ってきて見せてくれた。
昨年秋に植えた球根だが今年は開花が少し遅いような・・・
我が家の花ですら写真でなければ見ることが出来ないことに苛立ちを感じざるを得ないのだが、今はどうしようもない。
切り取って持ってきてくれれば水仙の素敵な香りも感じられるのだが、切り花として売られているならまだしも、プランターの中とは言え懸命に咲いてる花を切るのは・・・・・・
こうしたことは私の気持ちと相容れないから望むことも無い。
ただ、水仙の開花の時期は遅れていても確実に暖かい春が近付いていることは何となく分かっている。
大和ではお水取りが終われば春が来るとされている。
お水取りの修二会も3月15日に満行を迎える。
あと1週間だ。
私の春も近付いて来ているのだろうか。
March 05, 2013
以心伝心
どういうわけかパソコンの画像編集ソフト(Corel PaintShop Pro)がフリーズ。
ただでさえパソコンに詳しくない、その上扱い慣れないWindows 8 ではどうしようもない。 だからと言って放っておくわけにもいかずアレやコレやと触りまわっているうちに、リフレッシュだったかの機能を見つけ、ファイルなどに影響を与えないなどと説明の言葉を見つけたのでリフレッシュ操作を開始した。
ところが、これの進展が遅い遅い。 何となくオカシイと思いつつも、そのまま寝入ってしまった。
翌朝全ての作業が完了したものと思い、メール・チェックのために Microsoft Outlook を開こうとしたら開けず。 そればかりか
Microsoft Office までも・・・
いったいどういうこっちゃねんと思ったものの私にはどうすることも出来ず、パソコンを購入した店に電話しようかと迷いつつ1週間ばかり放っておいた。
いつもなら Y 君に頼むところだが、彼の会社は年度末に仕事が集中するため2月3月は特に忙しく、とりわけ人事を含む総務を統括する彼の仕事の多忙さを知っている私には、とても彼に雑用を頼むことなど出来ないでいたのだ。
それが昨夜、仕事の予定が急に空いたからと Y 君が病室を覗いてくれたのだ。
まさに『以心伝心』と言うべきか。
あとは『打てば響く』の通り、パソコンの状況を話せばトントントンと。
昨夜来パソコンは至極快調である。
パソコンの購入から設定。 そして保守までもやってもらっている。
Y 君は将に私の病院生活の影の功労者であり、感謝・感謝。
感謝と言えば Y 君の奥さん、H さんにお礼を言ってなかった。
今年もバレンタイン・デーに手作りのチョコレートを頂いたのだった。
世間に言うところの『義理チョコ』というものだが、病院生活を続ける私の口にはひとかけらも入らなかったばかりか、写真を見せられただけで実物は Y 君の手を経て家内の手に行ってしまっていたのである。
ひと口も食べず、写真を見せられただけでお礼をというのは少々抵抗を感じるのだが、家内を喜ばせてくれたことは有難う。 遅ればせながら、ここでお礼を言っておく。
でもなあ・・・
私が快復して退院したら、美味しいイチゴ・ショートを作ってくれえ・・・
なっ、ケーキ作り名人。
頼むでえ、ぶっははははは。